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Refine-Debate.blog

自分のディベート歴や今を定期的に綴っております。

2学期評定総決算

2004-12-10 19:57:24 | 日常生活から
僕は期末テスト前日に、とあるアメリカへと旅立った先輩と約束した。

「今回は平均評定9.0を目指します!」


残念ながら僕は先輩との誓いを達成することはできなかった。
0.5も足りなかった。敗北者だった。

妥協は許してはならない!

卒業まであと97日

2004-12-09 21:47:17 | 日常生活から
刻一刻と迫る、学園の卒業日、3月16日。
今日は10日のリハがあったので召集されて学校へ行った。

ところでわが校の卒業委員なるものは、各クラス2名で構成されており、
男子の長(基本的にこの人が総合委員長である)、女子の長、そして男女1人ずつの副委員長がいる。
16人体制で日々奔走している姿に、心から感謝したい。

さて、昨日遠山・Jazz-o・アキヒトと話したことを掲載したことに関して、
1組の卒業委員であり、学年で最も長身を誇るシャック君と話した。
内容を整理すると以下のようになる。
「確かに、熱い対話は大事だよ。でも制服を着ていることを忘れないように。学生が夜9時にサイゼリヤなんかにいたら、(いくら話している内容がまっとうでも)K分寺ならば必ず他の人に学校名はわかるし、良い印象を受けないだろう。だから時間も考えて積極的に対話してほしい。」
 対話がしたいという一点のみを思い、うっかりしていた自分を猛省した。

白熱、サイゼリヤの戦い

2004-12-08 23:59:56 | 日常生活から
卒業まであと98日となった。
今日は、10日に行われる、卒業へ向けての「出陣式」なるイベントの企画の手伝いをさせていただくべく、学校に向かった。
その帰り、僕は卒業委員の遠山と一緒になった。
駅で、アキヒトと「Jazz-o」に出逢った。

ここから話は急展開になり、K分寺のサイゼリヤで対話しないか、ということになった。
6時。サイゼリヤは学生にとって親切な価格のお店である。
さてこの男4人、いかが思われけん、禁煙席に座り対話を開始。
その内容は、今の学年について、師弟について、宗教について、学問についてなど多岐にわたった。

対話の内容をかいつまんで紹介させていただきたい。
まず、高校を卒業するにあたって、僕たちはどのようにこれからの人生を過ごしていくべきか。
大学に入ってからの生活の基盤となるものは何か。
師匠を求めるとは、どのようなことなのか。
それらには全て「何のため」という哲学が必要である、ということだった。
世界の平和を目指すうえで、日本人が世界の状況を知らなさすぎるという点にも至った。
なかんずく、ニュースで報道される社会が全てだと思い込んでしまうことの怖さを実感した。
今、ガンジーやマンデラといった、世界の平和、一国の平定を成し遂げた人物について知っている高校生はどれだけいるだろう?
世界の平和を実現するために、僕たちが行動すべきことは何か?その使命を実践するのは誰なのか?
僕たちにはまず、苦難ともとれる激しい勉強が根本とされる。
しかし、いくら大言壮語しても、授業中に寝ているようではしょうがない。
それは、「隣の人を幸せに出来ないで、世界を平和にする」ということと同じように、不条理なことだからだ。

東西冷戦のさなか、中国とソ連はお互いの主義主張からこう着状態となっており、ともすればこの強大な2国が戦争に陥るかどうか、という時期があったという。
 中国とソ連の国交を正常化するために2国を駆けた、民衆の中の一人の日本人がいる。彼がソ連を訪れたとき、ソ連のコスイギン首相に「あなたの行動の規範としているのは、何主義ですか?」(趣意)と問われたときに、その日本人は「人間主義です」と答えたそうである。
資本か、社会か、といった答えが出るかと思われたが、人間主義、その根底には無名の人間一人一人が幸福になることが最も大事であるとする思想からであった。

皆、真剣にメモをとりあいながらの3時間となった。
真剣な対話はお互いの心を触発し、お互いの成長への糧となる。
3時間。あっという間だった。当初、8時までとしていたサイゼリヤ対話だったが、結局全員9時まで残って熱く話していた。
 最後は「酸素不足」的な要素で全員店を出たわけであるが・・・。最後らへん、Jazz-oは特に眠そうだった。

そのJazz-oの友達の寮生の子の手帳に書いてあった言葉が強烈に忘れられない。
「昼間に居眠りをするような者は人生の敗残兵だ」と。
今から30年以上前にこの言葉は発されたと言われるが、その含蓄は現代に至っても変わらぬ意味があると思う。
すなわち、授業中に寝るなど、言語道断である。厳しい叱咤であった。

今度は、良書を選び、その勉強会を行うことを約束し、満足した気持ちでサイゼリヤを離れた。
ちなみに4人で1422円だった。

ぶんぶん合格

2004-11-30 18:22:26 | 日常生活から
わがクラスの「ぶんぶん」という人が、USAの某大学に合格した。
この「ぶんぶん」の由来はともかくとして、彼はすごい男である。
うちの学校からはearlyで14名の人が出願した。
まずその大学に出願する段階で、TOEFLで213点以上を叩き出すことが必要なのだが、彼は他の(うちの学校の)出願者より飛びぬけてその点数が高かった(らしい)。

よかったよかった。

27日「突然の別れ」

2004-11-27 18:17:01 | 日常生活から
27日、英語の授業を持ってくださっていた先生が、突然倒れられ、そのまま亡くなったという連絡が来た。
ちょうど試験期間中の休みで、英語を勉強しているときに連絡が入ったので、その衝撃を信じられなかった。
先生は学園が創立されてから今まで33年にわたり教鞭を執られ続けた。
常に、「学園生は素晴らしいね」と仰っていた先生。ともに卒業し、定年退職まであと4ヶ月だった。
その前日には授業も普通にされていた先生が…。
あまりにも突然の出来事だった。
生徒第一の授業をしてくれていた先生に、感謝してもしきれない。
学園生を、とりわけ35期生を愛され、愛する学園の中でそのご生涯を閉じた先生。

亡くなった方への最大の恩返しは、その後継の思いを持つものが、実証を示すことだ。
そして、先生との思い出は学園生の胸中深くに刻まれ、これから先も語り継がれてゆく。
先生はまだ、皆の心の中で、一生涯教師として生き続ける。

僕たちは下を向いてはいられない。
必ずや世界へと羽ばたく人材へと成長します。
先生、本当にありがとうございました。

合掌

一泊研修

2004-11-19 21:19:04 | 日常生活から
一泊研修の企画を練っているが、今回の一泊研修では先輩方の力が非常に大きい。
どこまでいっても、後輩なんだなぁと思う。
今回は総会に力を入れただけに、なおさらパッケンの企画が手薄になってしまった。
そんな窮地を先輩方が救ってくれた、と形容して過言ではない。
僕を育ててくださった先輩方、心から感謝します。

読書しよう

2004-11-18 22:49:19 | 日常生活から
ヴィクトル・ユゴー展というものに2週間ほど前に行ってから、いつか彼の著作を読みたいと思っていた。
「九十三年」「レ・ミゼラブル」などは、言うまでもなく彼の残した著作である。「レ・ミゼラブル」が読みたかったのだが、残念なことに図書館に1巻が置いてなかった。同じく「九十三年」も、上巻が貸し出し中だった。しかし、何かしら長編小説に挑戦したいという気持ちがひたすら大きかったので、ロマン・ロランの書いた「ジャン・クリストフ」を読破しようと決意した。早速1巻を借りる。
 
青春時代の読書が、一生涯にわたる自分自身の基盤となる。
以前、「読書は心のパスポート」との形容を耳にしたことがあるが、全くその通りだ。

ディベートのシーズン中は、証拠資料を読むので手一杯で、なかなか世界文学を読むことができなかったのだが、今は比較的、自分でゆとりを持って生活をすることができる。卒業まであと120余日、勉強だけではなく読書も徹底して行っていきたい。


先輩

2004-11-12 20:40:13 | 日常生活から
先輩というものは偉大だ。たとえ海を隔てた先で戦っているとしても、断じて後輩を見捨てたりはしない。
なんという心の大きさであろうか。
日本時間の夜7時では、カリフォルニアでは午前3時である。そんな状況でも後輩と対話してくれる先輩。
この校舎を卒業しても、このつながりは消えない。

人は、悩むからこそ

2004-10-31 21:50:48 | 日常生活から
僕は最近、学校生活に対してある種の悩みにさいなまれている。
後輩からの依頼もそうだが、進路の問題の他にも、様々な仕事を抱えている。

かつて、僕を人間的に厳しくも優しく鍛錬してくださった先輩方の姿。
あの人たちは、卒業しても永遠に先輩なのだ。
僕はその先輩のように、この学園で、そして実生活でも真剣に、また勉強を徹底していきたいと思う。

その先輩の中には、自分のキャパシティを超えて無駄に仕事を引き受け、ひーひー言っていた人もいた。
だが、多くのことを「仕事」ではなく、勇んで自らの使命として引き受けていく先輩の姿に心打たれた。
 誰も見ていないかもしれない、そんな中でも人のために3年間ひとつの仕事を通し続けた先輩もいた。

僕はそれらの先輩方の理想を無にしてはならないと思った。
そして、結局自分も多くの仕事を積極的に引き受けるタイプになっていた。
だが、それに伴って多くの悩みが引き起こされた。

しかし、
どんな状況になろうとも、悩みは自分を成長させる糧である。
とすれば、逆にこの苦難を乗り越えたときに、さらに充実した自分があることを信じて、
朗らかに戦うことができるのだ。

そして戦っているのは自分だけではない。多くの仲間から生命力をもらい、
僕は自分の悩みの種と、断じて真っ向から戦う決意を固めた。