サツマイモ・トウモロコシ・トウガラシの伝来-17~19世紀の中国の食の革命(5)
サツマイモ・トウモロコシ・トウガラシの原産地はアメリカ大陸です。15世紀末から16世紀初めにかけてスペイン人やポルトガル人がアメリカ大陸に到達すると、これら新大陸の作物はヨーロッパや他の地域に運ばれて栽培が始まります。そして、アメリカ大陸以外の国々でも主要な農作物になりました。
サツマイモ・トウモロコシ・トウガラシについて現在の生産量を見てみると、次のように中国が世界有数の生産国となっています。
2019年の中国の生産量(国連食糧農業機関(FAO)の統計より)
サツマイモ:5200万トン(ダントツの世界第1位、世界全体の80%を生産)
トウモロコシ:2億5000万トン(世界第2位、1位はアメリカ)
トウガラシ:1900万トン(世界第3位、1位はインド、2位はタイ)
今回は、現代中国の主要な作物であるサツマイモ・トウモロコシ・トウガラシの中国への伝来について見て行きます。
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アメリカ大陸の新しい食材をアジアにもたらしたのは、ポルトガル人もしくはスペイン人と考えられている。そのルートとしては、ポルトガル人が植民地化したインドの都市を経由するルートと、スペイン人が植民地化したフィリピンを経由するルートの2つが考えられる。
ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマは1498年にインドに到着する。そして1500年以降に、ポルトガルによるインドの都市の植民地化が始まった。ポルトガル人はこれらの都市を拠点にしてさらに東へと進み、アジアへの航路を開拓して行ったのである。
ポルトガル商人は、1517年には中国(明)の広州に到来し、1557年からマカオでの居住が認められて中国との貿易を行った。また、1543年にポルトガル商人が種子島に漂着し、1550年には平戸に商館が設立されて、南蛮貿易が開始された。
もう一方のスペインについては、世界一周を果たしたマゼラン一行が1521年にフィリピンに到着したのがアジア来訪の始まりだ。そして、1565年にフィリピンとメキシコとを結ぶ航路が開拓され、スペインによるフィリピンの本格的な植民地化が始まった。フィリピンのマニラにはメキシコやペルー産の銀が持ち込まれ、中国商人が運んできた絹や陶磁器と交換された。
以上のようなポルトガルとスペインの貿易ルートを使って、サツマイモ・トウモロコシ・トウガラシがアジアに伝えられた可能性が高いと考えられている。
それでは、それぞれについて中国への伝来と広まりについて見て行こう。
・サツマイモ
サツマイモの中国への伝来について最も有力な説は、明代(1368~1644年)の1594年にフィリピンから中国の福建省に伝えられたというものだ。1594年と伝来年が明確になっているのは、この年に大規模な飢饉が発生し、その対策のためにサツマイモの導入と栽培が奨励された記録が残っているからだ。
ただし、1578年に執筆され、1596年に出版された李時珍の薬学書『本草綱目』にサツマイモの記述があることから、1594年より以前に中国で広まっていた可能性も指摘されている。いずれにしても、スペイン人あるいはポルトガル人がアメリカ大陸から運んできたサツマイモが16世紀に中国に伝来したのは間違いない。
なお、中国の一部の学者は、サツマイモは中国が原産地だと主張している。広東省と福建省に昔から自生していた「甘薯(かんしょ)」と呼ばれた食物が、サツマイモのことを指しているというのだ。他の学者は、これは山芋の一種で、サツマイモとは別の植物だと考えている。
・トウモロコシ
15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸からスペインにトウモロコシを持ち帰った。これが世界各地に運ばれて広まったというのが現在の通説になっている。しかし、トウモロコシがいつ、どのように中国にもたらされたかについては明確になっていない(日本へは1579年にポルトガル人が伝えた)。
サツマイモと同じように福建省に伝えられたという説と、シルクロードを通って中国の内陸部に伝えられたという説、そして、インドと接する雲南省にインドから伝えられたという説などがある。1596年に出版された『本草綱目』にトウモロコシの記載があることから、16世紀中に伝えられたのは確かだ。
清代(1644~1912年)になると社会が安定し、人口が増え始めた。そのために食物の増産が進められたが、コメやコムギが育ちにくい荒地ではトウモロコシやサツマイモなどの栽培が推奨された。特に、華北の東三省と呼ばれる、現在の遼寧省・吉林省・黒龍江省の森林地帯や山岳地帯の開発が進み、木材を切り出した跡地にトウモロコシなどが栽培され、増え続ける人口を支えたのである。なお、余談であるが、トウモロコシに加えてダイズも栽培され、油を搾り取ったあとのカスは江南地方に運ばれて桑や綿花栽培の肥料となり、輸出品生産の一助となった。
・トウガラシ
16世紀までの中国における香辛料としては、コショウ、ショウガ、カラシ(芥子)、サンショウ(花椒)、ハッカク(八角)、チョウジ(丁子、クローブ)、シナモン(桂皮)などがあった。このうちコショウやチョウジはインドなどから大量に輸入されていた。このように、中国人は香辛料をよく使用していたことから、トウガラシもすぐに利用されるようになったと思われるかもしれないが、トウガラシが中国で料理に使用されるのは18世紀末になってからのことだ。
中国へのルートとしては、インドを経由するルートとフィリピンを経由するルート、シルクロードを通るルートなどが考えられているが、いずれであるかは明らかになっていない。
トウガラシがインドに伝来したのは1540年以前だと考えられているが、インドでもトウガラシの利用はすぐには広まらず、17世紀になってから料理に使用されるようになった。一方、フィリピンへの伝来は16世紀後半と言われている。
これらのことから、16世紀中に中国へもトウガラシが伝えられていた可能性があるが、1596年に出版された『本草綱目』にはトウガラシの記載はない。明朝は1683年に海外貿易を事実上自由化したが、トウガラシはこれ以降に中国に本格的に伝わったとする説が有力となっている。
四川料理の麻婆豆腐にはトウガラシが欠かせないし、四川料理でよく使用される調味料のトウバンジャン(豆板醤)もトウガラシとソラマメを発酵させて作る。四川料理でトウガラシが本格的に使用されるようになったのは19世紀に入ってからだと考えられている。