食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ハンバーグとミートローフ-近世ドイツの食の革命(2)

2021-08-28 17:05:49 | 第四章 近世の食の革命
ハンバーグとミートローフ-近世ドイツの食の革命(2)
日本人が好きな料理の一つに「ハンバーグ」があります。しかし、海外には日本のハンバーグと同じ料理はほとんど存在しません。このため、日本のハンバーグのことを外国人は「Japanese hamburg steak (Hanbagu:日本風ハンバーグ)」と呼んだりします。

日本風のハンバーグは、ひき肉(一般的には牛と豚の合い挽き)にパン粉と牛乳、刻んだタマネギなどの野菜を入れ、さらに卵と塩・香辛料を加えてこねたあと、フライパンやオーブンなどで焼き上げた料理です。一方、その元となったハンブルクステーキ(Hamburg steak)は、牛のひき肉につなぎを入れずに、塩と香辛料だけで味付けをして焼いた料理です。

また、日本人の多くは日本風のハンバーグを丸いパンにはさんだものを「ハンバーガー」だと思っていますが、もともとのハンバーガーのパテはハンブルクステーキのようにほぼ牛肉だけでできています(そのため、100%牛肉との表示がされたりします)。

日本のハンバーグに近い料理が「ミートローフ」で、これはひき肉にパン粉と牛乳、炒めたタマネギなどの野菜、塩、香辛料を加え、こねたあとオーブンで焼き上げた料理です。

ハンバーグとミートローフはどちらもドイツが関係しています。そこで今回は、ハンバーグとミートローフの歴史について見て行きます。


************
ミートローフ

ミートローフ(Wolfgang EckertによるPixabayからの画像)

肉を細かく刻んでひき肉状にしたものにパンとワインを入れてこね、表面にコショウやハーブなどを振りかけて焼いた料理が5世紀頃のローマ帝国の料理書『アピキウス』に記載されている。これがミートローフの原型であると考えられている。

そのままでは食べにくい固い肉もひき肉状にすることで食べやすくなるし、乾燥して固くなったパンも美味しく食べられる。また、パンが入ることで料理のボリュームもアップするので経済的だ。このため、ミートローフはヨーロッパ中に広がって現代まで食べ続けられている。

その中でも、ミートローフがよく食べられてきたのがドイツと北欧だった。北欧では、ミートローフはゆでたジャガイモやマッシュポテトと一緒に食べられることが多く、ドイツではゆで卵を中に詰めて食べることが多かった。

17世紀には多くのドイツ人やオランダ人が移民として北アメリカに渡ったが、彼らの間でごちそうとして食べられていたのがミートローフだった。中でも、北アメリカで手に入りやすかったブタのひき肉にトウモロコシを混ぜ込んで作ったミートローフが人気だった。この料理のおかげで、ミートローフは北アメリカにも定着して行った。

ただし、ミートローフが本格的に大流行するようになったのは、18世紀後半からの産業革命期に家庭用の肉挽き機(ミートグラインダー)が登場してからである(最初の肉挽き機は、19世紀初頭にドイツ人技師カール・ドライスによって発明された)。

ハンバーグ
「ハンバーグの起源はタルタルステーキ」というお話が語られることがある。タルタルステーキとは、生の牛肉を細かく切り刻み、オリーブオイル・食塩・香辛料で味付けし、タマネギやニンニクなどのみじん切りや卵黄などを添えた料理だ。


タルタルステーキ(xesisexによるPixabayからの画像)

「タルタル」とはタタール人(モンゴル人)から作られた言葉で、タタール人が固い馬肉を馬の鞍の下にはさんでやわらかくしてから切り刻んで食べていたという話から、これに似た生肉料理をタルタルステーキと呼ぶようになったと言われている。しかし、馬の鞍の下に馬肉をはさむというのは作り話で、タタール人の野蛮さを誇張するために広められたとされている。

モンゴル軍は1240年から1241年にかけてポーランドとハンガリーに侵攻したが、この時にタルタルステーキの作り方が伝わったとされる。しかし、これまでに発見されたタルタルステーキの最古のレシピは18世紀のもので、タルタルステーキがいつから食べられるようになったかについてはよく分かっていない。

ドイツではタルタルステーキを焼いたような「ブーレッテン(主にドイツ北部)」や「フリカデレ(ドイツ南部)」と言う料理が考案された。これはミートローフのようにパン粉やタマネギなどは入っていない牛のひき肉を焼いたものだ。ブーレッテンとフリカデレはパンとともに食べられることが多く、ハンバーガーの起源とも考えられる。この料理は、18世紀のドイツで労働者の間でとても人気があったらしい。

19世紀前半になると、多くのヨーロッパ人が移民として新大陸に渡ったが、彼らの多くは北ドイツのハンブルク港から乗船し、ニューヨークに向かったという。その時にブーレッテンのレシピがニューヨークに伝わったと考えられている。19世紀の後半には、ブーレッテンはニューヨークのレストランで「ハンブルクステーキ」と名付けられて人気を博することになった。これがいわゆる「ハンバーグステーキ」の元祖である。

ちなみに、19世紀半ば頃にアメリカでは改良型の肉挽き器が開発され、大量のひき肉を生産することができるようになった。これが、アメリカでハンブルクステーキが流行する後押しをしたと考えられている。

その後、ハンブルクステーキは次第にそのままの形では食べられなくなり、代わって20世紀初頭にハンブルクステーキをパンにはさんだ「ハンバーガー」が登場して、アメリカで大流行するようになる。ハンバーガーは、牛のひき肉に塩・コショウをして焼いたものをパンにはさめば簡単にできるし、食べやすくて後片付けも楽なため、アメリカのバーベキューでは定番の料理になって行った。

なお、日本でハンブルクステーキが最初に食べられたのは1882年のこととされている。その後しばらくは広く食べられることはなかったが、1960年代になって合い挽きのひき肉やつなぎが使われるようになり、一般家庭でも日本風ハンバーグが作られるようになって行った。