食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

高貴なる腐敗のはじまり:トカイワイン-近世のハプスブルク家の食の革命(4)

2021-08-19 20:19:44 | 第四章 近世の食の革命
高貴なる腐敗のはじまり:トカイワイン-近世のハプスブルク家の食の革命(4)
貴腐ワイン」という、すごく甘口で素晴らしい香りが特徴のワインがあります。これは「貴腐菌」と呼ばれる菌がつくことでできた貴腐ブドウを原料に作られるワインです。

貴腐菌がブドウに付着すると、ぶどうの皮の表面のワックスを溶かして中に侵入しようとします。こうしてブドウの皮にはたくさんの穴ができるのですが、そこから水分が蒸発し、糖分が濃縮されて干しぶどうのようになります。また、侵入した貴腐菌によって香りの元となる成分も生み出されます。

このようなブドウを貴腐ブドウと呼んでおり、これを原料とすることで、甘口で独特の香りを醸す貴腐ワインが生み出されるわけです。

ところで、ブドウに貴腐菌がつけば必ず貴腐ブドウになるわけではありません。貴腐菌の本名はボトリティス・シネレア(Botrytis cinerea)と言い、実は様々な農作物に灰色かび病や立ち枯れ病などの病気を生み出す厄介な菌なのです。

ブドウもボトリティス・シネレアの繁殖が盛んになり過ぎると、灰色かび病になってしまい貴腐ワインは造れません。つまり、貴腐ブドウとなるためには、「適度」にボトリティス・シネレア(貴腐菌)が繁殖することが必要なのです。

貴腐ワインの産地は、貴腐菌が適度に生育する気候に恵まれています。貴腐ワインの産地では、夜から朝にかけて霧が発生したり小雨が降ったりして湿度が高くなり、貴腐菌の繁殖に適した湿度になります。一方、日中になると晴れ上がり、乾燥して貴腐菌の過度の繁殖が抑えられます。このように貴腐菌の繁殖が適度に保たれることで、貴腐ブドウとなります。

さて、今回は、貴腐ワインのはじまりのお話です。貴腐ワインが最初に造られたのは、ハンガリーのトカイ地方と言われています。ここで醸造された貴腐ワインはハプスブルク家の秘蔵のワインとなり、他国の王家への贈答品として重用されました。

なお、貴腐ワインはハンガリー語で「nemesrothadás」と言い、これは「高貴な腐敗」を意味します。「貴腐」という言葉はこの「高貴な腐敗」から作られました。


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トカイ地方はハンガリーの北東部の、ボドログ川とティサ川という二つの川が合流するところに位置している。この地域の昼と夜の寒暖差は10℃以上もあるため(東京だと寒暖差が大きくても10℃まで)、二つの川が生み出す水蒸気が朝には霧となる。これがブドウ畑を包み込むことで、貴腐菌を繁殖させるのだ。

ハンガリーは遊牧民族のマジャール人が建てた国だったが、995年に神聖ローマ帝国との戦いに敗れたことから、国家を存続するためにキリスト教を国教とすることにした。キリスト教では聖体拝領の儀式などでワインは必需品であったことから、ブドウの栽培とワインの醸造が盛んになった。

トカイ地方がワインの一大産地となるのは16世紀以降のことで、貴腐ワインがこの地で造られるようになったことと関係していると考えられている。貴腐ワインの醸造がいつから始まったかについてはよく分かっていないが、16世紀後半の文書に貴腐ブドウの語が見られることから、16世紀には貴腐ワインが造られるようになっていたと考えられている。

なお、ハンガリーでは次のような貴腐ワインのはじまりのお話が語り継がれているという。

「1630年頃にトカイにオスマン帝国軍が侵攻してきた。その脅威から逃れるために、住民は一時的にトカイを離れた。オスマン軍が去ったので住民がトカイに再び戻ってきたのだが、ブドウの収穫期はすでに過ぎてしまっており、ほとんどのブドウがしなびていた。ところが、ダメもとでワインの醸造を試してみたところ、甘くて薫り高いワインが出来あがったのである。こうしてトカイでは、わざとブドウの収穫期を遅くして、ワインを造るようになったのだ。」

これに似た「戦争のために云々」というお話が、貴腐ワインの有名な産地であるドイツ・ラインガウ の シュロス・ヨハニスベルクとフランス・ボルドーのソーテルヌで伝説として残っているという。しかし、いずれの話も日本昔話のようなもので、実際にあった話とは考えられていない。

なお、ハンガリーのトカイ地方では貴腐ワインだけでなく、いわゆる普通のワインも造っていた(いる)のだが、貴腐ワインがとても有名になったため、トカイワインと言えば貴腐ワインを指すようになった。

当時からトカイワインの素晴らしさは多くの王族や聖職者が認めるところだった。1703年にトカイの領主がフランス王ルイ14世にトカイワインを贈ったのだが、ルイ14世は大いに満足して「これぞ王者のワインにしてワインの王者である」と激賞したと伝えられている。また、ルイ15世やロシアのピョートル大帝、プロシアのフレデリク1世などもトカイワインの大ファンだったと言われている。

ハプスブルク家の支配地の中ではトカイワインの品質が随一であったため、宮廷の酒の貯蔵室には常に大量のトカイワインが貯蔵されていた。マリア・テレジアがフランスのロレーヌ公だったフランツ・シュテファンと結婚するとフランスのワインも入ってきたが、それでもメインはトカワインだった。

このように、トカイワインは国内外で大人気だったため、生産地のトカイはとても潤っており、この地を領地としたトランスヴァニア公はハンガリーでもっとも裕福な貴族だった。しかし、ハンガリーの人々はオーストリアの支配から独立を果たしたいという思いを強く持っており、ワインで稼いだ金は反オーストリアの財源として活用されていたと言われている。