今回の妊娠・出産も、第1子のときと同じようにトラブル続きだった。
いや、第1子のときよりも大変だったかな。
今回一番つらかったのは、切迫早産での入院だった。
一人目のときも入院したが、今回はもっと長く入院しなくてはならなかった。
わたしはこれまで、ありがたいことに大きな病気をしたことがなく、入院は前回の切迫早産と今回の2回しかない。
今回は1ヶ月以上の入院となり、本当に辛かった。
何が辛かったか?
たくさんある。
家族と離れて過ごす淋しさだったり。
いつ誰が入ってくるか分からない緊張感だったり。
わたしが入院したのは、地元の開業産婦人科さんだった。
ベテランの先生で、地元の評判もいい。
妊娠も後期に入り、つわりも落ち着き始めた頃、切迫早産の診断を受けた。
最初は自宅安静だったけれど、症状が進んでしまったため、入院することになったのだが。
わたしが選んだ病室は、個室。
2人部屋はあったが、お産される方と同室というのも…と思い個室にした。
入院中はとにかく安静。
3日に1度、陣痛止めの24時間入れっぱなしの点滴を別の血管に差し替えるときのみ、シャワーを浴びるために部屋を出ることができた。
それ以外は、ずっと寝たきり。
入院当初は、わたし自身医療従事者であり、冷静に対応していたが、段々と難しくなっていった。
先に言っておくと、先生も看護師さんも、とてもいい人たちだった。
まだ生まれるには早すぎる、と何度も言われたが、胎児の大きさなどは入院当初は未確認のままだった。
点滴の副作用で、心臓がハタハタしたり、手が震えたりして、不快な症状が続いた。
ここでは産めません、と何度も言われていたものの、じゃあ産まれそうになったらどうなるのか、という説明がない。(入院してしばらくしてから、その際は周産期センターに救急搬送されると説明された。)
子宮が収縮するようなお腹の張りがあったら、すぐに教えるように言われていたため、緊張して夜眠れなくなった。
そのうち、点滴を入れたところが痛くなって、血管が硬くなっていった。
手首の辺りに入れるのだけど、最後の方は入れるところがなくなってしまった。
わたしほど長く入院している人はいない、と何度も言われ
「まだまだ先は長いわね~。」
と言われると、自分だけが重症で先が見えないように感じた。
1日2回、胎児の心音の確認があるのだけれど、ある看護師さんは、わたしのお腹を見るたびに
「妊娠線がひどいねぇ。かわいそう…。」
と言っていた。
悪気はないのだ、ただ気の毒そうにわたしのお腹のことを言うのだけど。
言われるたびに、苦~い思いがした。
別の看護師さんは、わたしが何か言うたびに
「それは陣痛じゃない!?」
と言っていた。
結論から言うと、周産期センターのお世話になることなく、無事開業医の先生のところで出産できたのだけど、その頃はまだどうなるかわからず、小さな一言がものすごくストレスになった。
もう少ししたら点滴を抜きましょう、もう産んでも大丈夫、と言われると、今度は出産が不安になった。
二人目の出産なのに、おかしいと思うかもしれないが、入院の最後の方は、もう疲れきってしまっていたようで、いろんなことを前向きにとらえられなくなっていた。
そんな中、ある若い看護師さんは、夜勤で忙しいだろうにわたしの部屋に来て、かなり長い間話を聞いてくれた。
わたしのお世話になった病院は、陣痛は赤ちゃんが生まれるために必要なエネルギーであり、痛みを前向きに受けとめようという考えでお産をすすめていたが、わたしにはそう受け止める自信がなかった。
自分でもどうしてそうなったかわからない。
一応心理士だし、自分なりにあれこれ考えはしたのだけど、結論は出ていない。
ただ、その若い看護師さんは
「こきちさんは、本当に大変だったと思います。今は気持ちが追いつかないかもしれませんが、ここにいるスタッフはみんな、もうこれだけ頑張ったのだから、こきちさんには楽ないいお産をしてもらいたいと思っています。」
と言ってくれた。
楽ないいお産なんて、根拠はないだろう。
ただ、わたしにはその言葉や思いが嬉しかった。
『ものは言い様』
とはよく言ったもので、わたしは今回の入院でますますその言葉の大切さを感じた。
結局、点滴を抜いてすぐに弱い陣痛が始まり、そのままお産になったのだけど、そのときのわたしはもう産む気満々で、あの気弱さは一体何だったのだろうと思うほどだった。
助産師をしている友達が、以前、お風呂に入るとお産が進むと言っていたのを思い出し、シャワーを浴びまくった。
もっと陣痛が強くなるようにその辺を歩き回り、ここだけの話、屈伸とかスキップとかしまくっていた。
分娩台に上がる前は、先生に、長い点滴生活で血管が硬くなっているので、お産のときの点滴は別の場所にして下さい、と冷静に伝え、最終的には
「安産にして下さい。」
と頼んだりしていた。
結局、分娩台に上がって30分で生まれた。
今回の経験は、わたしにとってとても大きなものだった。
どうすれば今後に活かせるか、という課題はあるが。
ただ、知識や技術も使う人の人柄次第、という印象を強くもった。
自分を省みるにはいい機会になったかもしれない。
こきち@心理

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いや、第1子のときよりも大変だったかな。
今回一番つらかったのは、切迫早産での入院だった。
一人目のときも入院したが、今回はもっと長く入院しなくてはならなかった。
わたしはこれまで、ありがたいことに大きな病気をしたことがなく、入院は前回の切迫早産と今回の2回しかない。
今回は1ヶ月以上の入院となり、本当に辛かった。
何が辛かったか?
たくさんある。
家族と離れて過ごす淋しさだったり。
いつ誰が入ってくるか分からない緊張感だったり。
わたしが入院したのは、地元の開業産婦人科さんだった。
ベテランの先生で、地元の評判もいい。
妊娠も後期に入り、つわりも落ち着き始めた頃、切迫早産の診断を受けた。
最初は自宅安静だったけれど、症状が進んでしまったため、入院することになったのだが。
わたしが選んだ病室は、個室。
2人部屋はあったが、お産される方と同室というのも…と思い個室にした。
入院中はとにかく安静。
3日に1度、陣痛止めの24時間入れっぱなしの点滴を別の血管に差し替えるときのみ、シャワーを浴びるために部屋を出ることができた。
それ以外は、ずっと寝たきり。
入院当初は、わたし自身医療従事者であり、冷静に対応していたが、段々と難しくなっていった。
先に言っておくと、先生も看護師さんも、とてもいい人たちだった。
まだ生まれるには早すぎる、と何度も言われたが、胎児の大きさなどは入院当初は未確認のままだった。
点滴の副作用で、心臓がハタハタしたり、手が震えたりして、不快な症状が続いた。
ここでは産めません、と何度も言われていたものの、じゃあ産まれそうになったらどうなるのか、という説明がない。(入院してしばらくしてから、その際は周産期センターに救急搬送されると説明された。)
子宮が収縮するようなお腹の張りがあったら、すぐに教えるように言われていたため、緊張して夜眠れなくなった。
そのうち、点滴を入れたところが痛くなって、血管が硬くなっていった。
手首の辺りに入れるのだけど、最後の方は入れるところがなくなってしまった。
わたしほど長く入院している人はいない、と何度も言われ
「まだまだ先は長いわね~。」
と言われると、自分だけが重症で先が見えないように感じた。
1日2回、胎児の心音の確認があるのだけれど、ある看護師さんは、わたしのお腹を見るたびに
「妊娠線がひどいねぇ。かわいそう…。」
と言っていた。
悪気はないのだ、ただ気の毒そうにわたしのお腹のことを言うのだけど。
言われるたびに、苦~い思いがした。
別の看護師さんは、わたしが何か言うたびに
「それは陣痛じゃない!?」
と言っていた。
結論から言うと、周産期センターのお世話になることなく、無事開業医の先生のところで出産できたのだけど、その頃はまだどうなるかわからず、小さな一言がものすごくストレスになった。
もう少ししたら点滴を抜きましょう、もう産んでも大丈夫、と言われると、今度は出産が不安になった。
二人目の出産なのに、おかしいと思うかもしれないが、入院の最後の方は、もう疲れきってしまっていたようで、いろんなことを前向きにとらえられなくなっていた。
そんな中、ある若い看護師さんは、夜勤で忙しいだろうにわたしの部屋に来て、かなり長い間話を聞いてくれた。
わたしのお世話になった病院は、陣痛は赤ちゃんが生まれるために必要なエネルギーであり、痛みを前向きに受けとめようという考えでお産をすすめていたが、わたしにはそう受け止める自信がなかった。
自分でもどうしてそうなったかわからない。
一応心理士だし、自分なりにあれこれ考えはしたのだけど、結論は出ていない。
ただ、その若い看護師さんは
「こきちさんは、本当に大変だったと思います。今は気持ちが追いつかないかもしれませんが、ここにいるスタッフはみんな、もうこれだけ頑張ったのだから、こきちさんには楽ないいお産をしてもらいたいと思っています。」
と言ってくれた。
楽ないいお産なんて、根拠はないだろう。
ただ、わたしにはその言葉や思いが嬉しかった。
『ものは言い様』
とはよく言ったもので、わたしは今回の入院でますますその言葉の大切さを感じた。
結局、点滴を抜いてすぐに弱い陣痛が始まり、そのままお産になったのだけど、そのときのわたしはもう産む気満々で、あの気弱さは一体何だったのだろうと思うほどだった。
助産師をしている友達が、以前、お風呂に入るとお産が進むと言っていたのを思い出し、シャワーを浴びまくった。
もっと陣痛が強くなるようにその辺を歩き回り、ここだけの話、屈伸とかスキップとかしまくっていた。
分娩台に上がる前は、先生に、長い点滴生活で血管が硬くなっているので、お産のときの点滴は別の場所にして下さい、と冷静に伝え、最終的には
「安産にして下さい。」
と頼んだりしていた。
結局、分娩台に上がって30分で生まれた。
今回の経験は、わたしにとってとても大きなものだった。
どうすれば今後に活かせるか、という課題はあるが。
ただ、知識や技術も使う人の人柄次第、という印象を強くもった。
自分を省みるにはいい機会になったかもしれない。
こきち@心理

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