SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要11:《道元》(第3回)

(神代植物公園にて・しゃくやく     5月6日撮影)

 

 仏教思想概要11《道元》の第3回目です。
 前回は、「第2章「正伝」の意義」に入り、「1.仏道=仏法」、「2.正伝の方法」をみてみました。
 本日は、第2章の続き「3.道元の禅宗批判」「4.証上の修」を取り上げます。

 

3.道元の禅宗批判

3.1.禅宗の号の批判
 以上のように、道元の主張する正伝とは、釈尊の教え(正法)が摩訶迦葉に伝えられ(<拈華微笑>)、何代もの祖師を経て二十八代の達磨にまで伝えられ、さらに道元がその正法を受け継いで日本にまで伝えたということになります。それは道元が創造したものではなく、禅宗(細かくは曹洞宗)において信じられてきたことを、道元が踏襲したものと言えます。
 ところが、道元は自らが曹洞宗に属するという意義をもたず、これを拒否し、当時中国にて確立していた5つの禅宗の宗派(五家)の区分はもちろん、禅宗という称もおかしいと、これを拒絶しています。
 その理由について、本文にも明確な解説がありませんが、道元の次の言葉を参考に示しておきます。(下表15)

 

3.2. 道元のその他の批判

(1)<不立文字><教外別伝>批判
 また、道元の批判は<不立文字><教外別伝>(以心伝心)に及びんでいます。(下表16)

(2)経典の意義と長老批判
 道元は如浄の教えとして「焼香・礼拝・修懺(しゅうさん)・看経(かんきん)を用ひず」、ひたすら参禅することを強調しています。と同時に経典・経巻の意義をけっして忘れないのです。
 しかし、道元は<経巻>だけが<仏経>であり、<仏教>であるとは説いていません。「渓声山色(けいせいさんしょく)すべてこれ〔仏の〕広長舌(こうちょうぜつ)である。山水そのままが経である」(『正法眼蔵』「山水経」より)ということがその積極的な主張であり、それこそ、看経眼をそなえた者は、いかなる自然の風光・音声からでも、仏の声・法の音を聞くことができる、まして、経典が仏法でない道理があろうか、としているのです。
 「いま現成せる正法眼蔵は、すなはち仏経なるがゆゑに、あらゆる仏経は正法眼蔵なり」(『正法眼蔵』「仏経」より)

 道元は五家の区分や禅宗の称の不当であること、ないし仏経を大事にしないことの誤り、四料簡(しりょうけん*)や五位(*)を学道の標準にすることの間違いを、先師古仏如浄がつねに教えてくれたということをくり返し述べているのです。

*四料簡とは:臨済玄義の機根や時と場合に応じた弟子を指導する4つの方法
*五位(洞山の五位)とは:曹洞宗の開祖洞山良价(807-869)が説いた五つの禅の境地(正中偏、偏中正、正中来、兼中至(または篇中至)、兼中到)

 

4.証上の修

4.1.行持

4.1.1.行持は道環

(1) 『正法眼蔵』「行持」の巻より
 道元は、『正法眼蔵』「行持」の巻で以下(表17)のように説いています。


 以上の意味は次のとおりです。
 「<行持>とは修行者の日常全般(行住坐臥)をさしていう用語であって「修行」というにほぼ等しい。「行も禅、坐もまた禅」(『永嘉大師証道歌(えいかだいししょうどうか)』)という意味では「参禅即行持」である。また行住坐臥すべて仏の行為であり、<行仏(ぎょうぶつ)>であるという意味で「行仏の威儀(ぎょうぶつのいぎ)」ともよべる。あるいは「発心・修行・菩提・涅槃」という一生がすべて行持である。悟ってもなお行持はつづく。行持に休止はない(「行持は道環」)。
 あるいは、われわれの行持は諸仏の行持をまねること、ならうことである。そこに仏の道があらわれる。
 さらに『正法眼蔵』「行持」の巻は、この諸仏諸祖の行持を、歴代祖師について取り上げたもので、そこにあげられているものは、学道に励むものたちへの手本ということになる。」と。

 ここには道元のいう「行持」が、行持即正伝という仏法の本質にかかわるものであることが知られます。

(2) 行持の具現化された仏法の例
 行持が具現化(現成)されている仏法を、幾つか列挙してみると、以下(表18-1)のように整理できます。

 以上をまとめて、道元は以下(表18-2)のように述べています。

 

4.1.2.行持は報恩
 「行持」の巻後半で、道元は、この世俗の恩愛を断ち切って行持することが、実は仏祖の恩に報ゆるゆえである、としています。
 道元は説く「『いま田夫農夫、野老村童までも〔仏法〕を見聞する。しかしながら(たたひとえに)祖師(菩提達磨)航海の行持にすくわるるなり』・・・初祖の恩だけではない、二祖(慧可)がもし行持せずば『今日の飽学措大(ほうがくそだい*)あるべからず』まさに、いま<見仏聞法(けんぶつもんぽう)>できることは『仏祖面々の行持より来れる慈恩』である。『仏祖もし単伝せずば、いかに今日にいたらん』」、と。行持は報恩行であるとしているわけです。

 *飽学措大:学道にあきるほど恵まれた中でさとりという大事を終えることができること。

4.1.3.証上の修=不染汚の行持

(1)「報恩の行」の意義
 行持が、行住坐臥、発心・修行・菩提(さとり、成道(じょうどう))・涅槃であり、仏作・仏行であるということは、以上のように「報恩の行」ということに落着しましたが、これは裏を返せば、道元の宗教の本質といわれる<証上の修(しょうじょうのしゅ)*1>、あるいは<修証一如(しゅしょういちにょ)*2>ということにほかならないことになります。「悟った後でなにゆえ行を必要とするのか」の道元の参学の出発点となった疑問、その答えがここに与えられているわけです。

 *1証上の修:悟後の修行。悟ったとでもなお修行すること。
 *2修証一如:さとりと修行は一つ、という意味。

(2)不染汚の行持と坐禅
 道元は『正法眼蔵』「弁道話」で<証上の修><修証一如><本証妙修>(<証上の修>に同じこと)について詳しく説いています。
 そこでは「修のほかに証をまつおもいなかれ」と教えています。つまり、<修証一如>ですから、修行の結果として悟りを待つ思いを持ってはいけないと教えているわけです。悟りは終わりなく、悟りは修行そのものなので、修行にはじめないと説いているのです。
 このことは、もとは六祖慧能と南岳の問答(下表19)に帰着するものです。


 それは<不染汚(ふせんな)の修証*>の名で道元が説いているもので、そのもっとも具体的なあらわれが坐禅だ、とするのが道元の宗教の一番のかなめとなっています。「坐禅は習禅にあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」(『正法眼蔵』「坐禅儀」より)
 ではなぜ坐禅なのかは、道元自身の只管に打坐して身心脱落したという体験が、本証妙修を確信させたわけで、「わからなければ、坐ってみろ」というほかないわけです。その意味では、行持が報恩だというのも体験抜きにはいえることではないのです。

 *不染汚の修証:「染汚」とは分別をもって対象を判断することで、したがって「不染汚」はとらわれない心境で修行する必要性を説いている。

                                                 

4.2. 妙修と道心

4.2.1. 妙修は信の現成(あらわれ)

(1) 妙修の結果
 <妙修>とか<仏行><行仏威儀>ということは、かくあるべきという世界ではないのです。おのずからそうなる、そうせざるを得ないということなのでしょう。「不曾染汚の行持は、みずからの強為にあらず、他己の成為にあらず」(『正法眼蔵』「行持」より)であり、そこには報恩ということばが生きています。

(2) 妙修の要因分析-事例:礼拝
 礼拝は道元の専売ではありませんが、このことばは「参禅は焼香・礼拝・念誦(ねんじゅ)・看経(かんきん)を用ひず」(『宝慶記』より)と説いているにもかかわらず、道元の体験のなかで無数に出てきています。『正法眼蔵』「陀羅尼」の巻においては「礼拝は正法眼蔵なり、正法眼蔵は大陀羅尼なり」と説いています。ここで陀羅尼(だらに)は真言の呪言(じゅごん)ではなく、<一切を総括するもの>の意であり、『円覚経(えんがくきょう)*』の意図ではその経典が正法のすべてであり、それが人事(子弟の挨拶、問候(もんこう). 季節の節目に挨拶に伺うこと))に体現されているということであるのです。

 この礼拝もまた、おのずからなるべきものであるべきことで、礼拝と打座のかかわりを考えると、打座をあらしめているものが、また礼拝となってあらわれているわけで、そこにはいわゆる<思想でない>宗教、<哲学でない>宗教があるものと思われます。道元はあまり表明しないが、それは<信>の風光であるのです。

*『円覚経』:唐の仏陀多羅(ぶっだたら)訳とされる。大乗円頓(えんどん、円満にして欠けることなく速やかに成仏するという法華経の教え)の教理と観行(かんぎょう)の実践を説く。偽経ともいわれる。

(3) 「信」の風光とは、道元と親鸞の同一性
 「信根」「信力」について、道元は以下(表20)のように説いています。


 ここで「信」とは何を信じるのか?

 ①「信仏語」、つまりほとけのことばを正しいと信じること。
 ②正師、教えが仏らか祖へ正伝し来たったことを信じること。
 ③「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」ないし、もろもろの経のことば(仏語)として信じること。

 この点では親鸞の浄土信仰も構造的に差異はないのです。ことに仏性を普遍的に認める点、すなわち「本覚」の宗教である点において両者の基盤は同一であるといってよいのです。ただ、親鸞が仏性を「大信心(だいしんじん)」それ自体に見い出したのに対して、道元は「行仏」としての打坐にその証明を見い出したという違いであるのみです。

4.2.2. 道心-慈悲心

(1)道心とは
 「信」とも関連しますが、道元の学道に不可欠な心として、如浄も同様でしたが、<道心(どうしん)>をあげることができます。
(道元の<道心>に関することば(「重雲堂式(じゅううんどうしき)」(興聖寺僧堂における規則) 表21)


 <道心>はいうまでもなく、道を求める心、菩提を求める心です。その心をおこすことを<発菩提心><発無上心>略して<発心(ほっしん)>と呼びます。発心は出家修行の前提です。
 道元の著作全体からうける印象としては、「菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」の巻などで慈悲、利他行を説くにもかかわらず、もっぱら学道・自己の究明に急であるように思われます。

(2) 道元の慈悲心
 仏教の本筋からいえば、仏の説法(転法輪(てんぽうりん))(次章で説明あり)こそ仏の慈悲行であり、それは「道得」(九五巻)に、道元の大慈悲がみられます。『宝慶記』にも「仏祖の大慈悲を先として、誓って一切衆生を度するの坐禅」とあります。しかしここには「おれがすくってやるぞ、おれが救わねば」という<上からの慈悲性>があるのです。これは道元の貴族性もあるが、禅のもつよくも悪くも一つの特質であるといえます。

 以上、第2章までで、道元の思想の根本が見えた気がします。それは、釈迦以来の仏教の教え(正伝)をインド、中国を経て道元が日本にもたらしたこと。そして、その正伝とは、まさに「只管打坐(しかんたざ)」であり、悟ってもなお修行を続ける「本証妙修(ほんしょうみょうしゅ)」だったわけです。

 ではなぜ、「只管打坐」「本証妙修」なのか、それは道元自身の厳しい修行の中から得たもので、まさに「わからなければ、坐ってみろ!」ということになるのですが、その体験から出たものを言葉として著したものが、主著『正法眼蔵』だったわけです。
 ということで、以下、『正法眼蔵』の内容、特にその中心をなす、「現成公案(げんじょうこうあん)」の巻についてみてみたいと思います。

 

 本日はここまでです。次回からは「第3章 道元の思想」に入り、「1.「現成公案」の背景-「法の体系」」、「2.『正法眼蔵』と「現成公案」」を取り上げます。

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