春烙

寒いなあ…

君の名を呼ぶ時

2009年08月15日 21時58分36秒 | 外伝小説 2
 君が事故にあった後、僕と君の立場が逆転した――


 僕が中学生になって、3度目の夏休みに入った時のこと。
「はあ!」
 中庭で、退院したばかりの妹が、兄さんと戦っていた。
「この程度か!」
「まだまだ――!!」
 二人の訓練を見ながら、僕は縁側に座って終わるのを待っていた。
 ひざの上に、タオルと救急箱を乗せて。
「はっ!」
 兄さんの蹴りが当たり、妹は壁にぶつかり地面に倒れた。
「今日はここまでだ」
「クッ……」
 立ち上がると、二人は縁側に座り込んだ。
「お疲れ様です」
 僕は兄さんにタオルを渡すと、縁側に倒れている妹の怪我を見ながら救急箱を開けた。
「今日もずいぶんと、はでにやりましたね」
「わき腹が、痛い……っ」
「おれは、肩が痛い」
「手首が痛いっ」
「足首が痛い」
「腕」
「腹」
 なぜか、痛いところを言い合っている兄と妹を見て、思わず笑ってしまった。
「はいはい。じゃあ、怪我の部分を見せてくださいね」
「「……」」
 黙りこむと、兄さんも縁側に倒れ、妹は腕を見せた。

 あの子が退院した後。
 性格が、ぐるっと変わった。
 とても男らしいというのか、女という自覚を捨ててしまったのだ。
「俺、強くなるから」
 一人称も、『俺』と言い換えて。
「水奈兄さんを泣かせないように、強くなるから!」
 そう、あの子は僕に向かって宣言した。

 あの日から、僕と妹の立場が変わった。
 僕は、守られる立場で。
 あの子は、守る立場。

「本気でやりますよね。いつも」
 訓練で疲れた妹が赤いソファーで眠りにつくと、僕は麦茶を兄さんに渡しながら尋ねた。
「あいつがそうしろって、言ったからな」
「少しは手加減してもいいでしょうに」
「手加減をしたら、翼乃のためにならないからな。あいつが本気でくるなら、俺も本気でやるだけだ」
 麦茶を一気に飲み干し、兄さんは僕を見てこう言った。
「お前のため、だそうだ。お前が泣いたのは、自分の所為だと思いつめている」
「あの子の所為じゃないに……」
「ああ。だが、あいつはお前が悲しむのを見たくなかったらしい」
 と言い、兄さんは僕の頭を撫でる。
「お前は翼乃にとって、母親のような存在だからな。子供は母親が悲しむところは、見たくないからな」
「母親……」

 あの子が生まれた直後に、両親が他界した。
 本当は祖父母が育てなければならないのだが。
 僕が育てると、宣言した。

「翼乃も安心できているんじゃないのか。お前が言ってくれて」
「そうでしょうか?」
「ああ。お前が言わなかった時は、俺が言おうとしたからな」
「兄さんが?」
「兄妹で育てた方がいいだろ。血の繋がった家族として」
「そうですね」
 僕はそう言って、兄さんに微笑みかけた。


 あの日を境に、僕と君の立場が変わった。

 君が女としての生活をなくすのなら。
 僕は、男らしさをなくそう。

 君が男として生きるのなら。
 僕は君を、男として見よう。

「……水奈、にぃさん……」
 寝返りを打ちながら、妹は僕の名を寝言のように呟いた。
「何ですか」

 君の名を呼ぶ時。

「翼乃君」


 僕は君の無事を祈り続ける――



 --------------------------------------
 過去編で、水奈+翼乃+泳地。

 水奈が翼乃を『君』と呼ぶ瞬間の話です。
 事故にあった後に、本作の翼乃になったというわけです。


コメントを投稿