社会不安障害(SAD)を生きる

病歴11年目、日常生活の格闘を発信していきます。

ワーキング・プア

2007年05月24日 | Weblog
 1999年当時、私は22歳で身分上は学生だった。社会に出るのが怖くて、引きこもり生活を送っていた。当時の全国有効求人倍率は0.48で、周りには就職できずに留年するといった学生がごろごろいた。
 この年、労働者派遣法が改悪されて、ほとんどの業種に派遣労働者の短期雇用が認められた。我々の世代の多くは不安定な労働環境におかれることになった。ニートが大量発生した理由には、雇用環境の悪化にも一因がある。
 結局、人材派遣会社とサラ金業者が大もうけし、社会にはワーキング・プアが増大した。労働は商品ではない。不当な労働ダンピングが横行する社会に希望はない。

アクセス状況

2007年05月23日 | Weblog
 ブログを書いていることを知っている人は1人しかいない。にもかかわらず、毎日20人程度の閲覧者がいらっしゃるのは驚きである。ありがたいことだ。
 幸いなことに5月病のような症状は顕著ではない。やるべきことは無難にこなせてると思う。本を読むことが一時苦痛になったが、基本的に私はMなので、最近は悦びにひたることも多い。
 今のところ天候も安定している。気圧の変化が気分の変化に及ぼす影響は想像以上に大きいので、梅雨の季節は毎年大変苦しむのである。

ベトナム珈琲

2007年05月22日 | Weblog
 ネットショッピングでベトナム珈琲セットを購入しました。ベトナム人の友人宅でご馳走になって、その独特な風味にやみつきになりました。今朝届いたので、早速淹れて飲んでみました。美味しかったです。カフェインが強いので、眠気覚ましにも最高です。少し値段は高いですが・・・。

 太った豚より、痩せたソクラテスになりたい!


本能の壊れた動物

2007年05月20日 | Weblog
 「私が今ここに存在する」ということに確信が持てない。存在することが幻想ならば、希望も絶望も、生も死も、喜びも悲しみも幻想である。
 しかしながら、自分が感じている不安や焦り、寂しさや苦しさにはかなりのリアリティーがある。どうやら私は、私であるようである。
 夢や希望をもつことは本当に正しいことなのだろうか? 希望を持たない人間には絶望もなく、夢を持たない人間には苦しみもない。
 山に登ることに理由など要らない。ただ、目前の一歩を積み重ねていくだけである。そこには希望も絶望も、喜びも悲しみもない。「私」すらないのである。

修行僧になりたい。

2007年05月16日 | Weblog
ただ黙々と何かに没頭する人生でありたいのです。
言語という不確かで表層的なものに依存することなく、
自分の全存在をかけて何かを追いかけて生きたいのです。

ホントは私、仏門に入りたいのです。
ただ、お薬が止められないので修行は無理そうです。
世間のしがらみから逃れて、孤独を楽しめる人間になりたいのです。
種田山頭火のような生き方に憧れをもっています。

自分のしていることに意義を感じなくなる瞬間、
私は私であることを恥じ、消え去りたいと願うのです。

失恋しました。

2007年04月25日 | Weblog
 人は誰でも恋に落ちる瞬間があり、お薬に依存している私も例外ではない。ただ私は、グループで動くことがまったく苦手で、お友達から自然に…、といった状況は経験したことがない。今までの数少ない恋愛体験は、すべて相手からのアプローチからはじまったものであり、自分から行って成就した例はない。
 さて、先日2対2でちょっとしたパーティーをやってみた。これまでにはない試みである。出席者は私と私の好きな人、他の2人は夫婦であるから、目的ははっきりしているし、私の好きな人も私の意図は分かって参加してくれたのだと思う。でも、1対1だと上手く話せていた相手だったが、そこに他者が介在するとやっぱりダメなのである。自分だけが浮いてしまっているような感覚に陥ってしまうのである。
 その日の夜、「お友達として…」というメールが入っていた。

眠れない。

2007年04月24日 | Weblog
 ベンザリン4錠、フルニトラゼパム2錠、コントミン1錠…、2時間前に飲んだけど、まったく寝つけない。参ったなぁ~ホットミルクでも飲んでみようかなぁ? 

想定の範囲外

2007年04月24日 | Weblog
 電話というものは、いつ鳴り出すか分からないので、あらかじめ心の準備をしておくことができない。いわば、「想定の範囲外」の現象である。電話以外にも私を極度におびえさせるものがある。花火・爆竹の類である。だから私は、夏の間中、この恐怖に直面することになる。夏は嫌いである。市などが主催する花火大会も、基本的には止めてもらいたい。私に言わせれば、暴走族と同じくらい迷惑である。
 基本的に初めて出会う相手や、知り合いといったような間柄の人間の行動というのは、なかなか予測しずらいものである。この4月は、このような他者との出会いの連続だったので、かなりのストレスだった。親しくなりたいのだけれども、自分を知られるのも怖いし、親しくなりすぎるのも不安だ。とかくに人の世は生きにくいものである。

電話が怖い。

2007年04月24日 | Weblog
 私は電話が怖い。見知らぬ番号から着信があると、それだけで不安のボルテージは一気に上がる。よくよく考えると、電話というのは失礼な道具である。こちらがどんなことをやっているのか、あるいはどのような心理状況にあるのか、相手はあまり考慮していない。
 携帯電話ならまだましだが、家の電話には営業関係の電話がかかってくることがある。基本的に私は、家の電話は取らないことにしているが、間違って出てしまうことがある。見知らぬ相手と、まったく興味のない話をしなければならないのは苦痛である。電話が終わると、だいたいソラナックスなどのお世話になることになる。電話の相手はなんらダメージがないのに、ずいぶんそんな話である。
 最近ソラナックスが効かなくなってきている。デパスと一緒に飲むとか、一度に2錠飲むとかしなければなかなか不安は収まらない。困った問題である。

ニートって俺のこと?

2007年04月23日 | Weblog
 学校を出るときにはすでに発病していた私ですが、よせばいいのに就職なぞしてしまいました。だいたい人に会うのが怖いのですから、毎日が地獄のような苦しみでした。(まあ、それなりにやりがいもありましたが…)
 半年持たずに休職、その後少し立ち直りましたが、5年目で完全に壊れました。ちょうどそんなときに、ちまたで「ニート」という言葉が見られるようになりました。病気なのに頑張って働いて、疲れきって無気力状態の私には、かなり厳しい言葉でした。俺はニートなの?
 私たちは、働く意思がないのではなく、適切な働く場所がないのです。このあたりから私は、日本社会に対する怒りのようなものを感じるようになりました。