goo blog サービス終了のお知らせ 

阪神間で暮らす-4

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

「自己目的化した『殺人欲求』を感じます」エマニュエル・トッドが予言していたイスラエルの“暴走”《「ニヒリズム」を軸に分析》

2025-06-21 | いろいろ



*****


「自己目的化した『殺人欲求』を感じます」エマニュエル・トッドが予言していたイスラエルの“暴走”《「ニヒリズム」を軸に分析》


エマニュエル・トッド



source : 文藝春秋 2025年2月号



  


◆◆◆


自己目的化した暴力の行使

〔ガザでの戦闘が始まった〕当初、私はかなり微妙な態度をとっていました。しかし、イスラエル国家の振る舞いは、道徳的にあまりにも問題があります。私はまだこのことについて話したくないのですが、今は話さなければなりません。

 ――なぜですか。

 イスラエル国家の暴力の行使が極端なレベルに達しているからです。そして何より暴力自体が自己目的化しているように見える。ですから私は、イスラエル国家の行動を「ニヒリズム」の観点から考察し始めたのです。

 ニヒリズムとは、「虚無」の産物です。『西洋の敗北』では、米国の支配層のニヒリズムを考察しました。価値観の「空白」が、金、権力、戦争への関心の集中を生み出している。イスラエルについては、宗教的信仰の現状を十分に研究したわけではありませんが、「超正統派」の存在――その社会的・形而上学的性格は分析に値します――にもかかわらず、おそらく「宗教的空虚」が社会を覆っている。細かな違いはありますが、〔「宗教の活動的状態」ではなく、むしろ「宗教のゼロ状態」を示しているという意味で〕「超正統派」は米国の「福音派」と似た存在と言えるでしょう。「イスラエルを拡大すればキリストが戻ってくる」と考えてイスラエルを支持する米国の無知な人々については……。


  


 最近の多くの概念は、装いは形而上学的であっても、「宗教のゼロ状態」の産物として解釈されなければなりません。ここで言う「宗教」とは、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教といった古典的な一神教のことです。歴史的視点からの現状分析において私は、「カトリシズム・ゼロ」や「プロテスタンティズム・ゼロ」だけでなく「ユダヤ教・ゼロ」についても語り始めました。やがては、「イスラム教・ゼロ」についても語ることになるでしょう。

 イスラエルにおける真の意味での「宗教的価値観の欠如」を形式化するのは、私にとってはたやすいことです。私の手元には、私の先祖でボルドーの首席ラビだったシモン・レヴィの著書『モーセ、イエス、マホメットと三大セム系宗教』(1887年刊)があります。先祖の話として、また印刷物の形で遺されたものとして、ユダヤ教の価値観に直接触れることを可能にしてくれる本です。

 今や西洋は、米国や欧州のニヒリズムの原因となる「宗教のゼロ状態」に達しています。同じ歴史的論理がイスラエルにも当てはまる。イスラエル国家の振る舞いが私に想起させるのは何か。社会的・宗教的価値観を失い(「ユダヤ教・ゼロ」)、国家存続のための戦略に失敗し、周囲のアラブ人やイラン人に対する暴力の行使に自己の存在理由を見出している国家です。



戦争自体が自己の存在理由に

 ――自己目的化した戦争ということですか。

 私は『西洋の敗北』でウクライナに適用したのと同じ解釈をイスラエル国家に適用したい。ウクライナはロシアによる侵攻以前から破綻国家でした。にもかかわらず、ウクライナ人が凄まじい戦意と強靭な軍事的抵抗力を示したことに誰もが驚きました。これは何を意味するか。ウクライナにとって、ロシアとの戦争自体が自己の存在理由になっていることです。ウクライナ側の態度は、すべてロシアによって規定されています。ただしネガティブな意味において。ロシア語を排斥し、ロシア人と戦い、ドンバス地域のロシア系住民を服従させることに、自分たちの存在意義を感じているのです。

 これらはまだ仮説にすぎませんが、イスラエルは国家としての意味を見失い、かつては国家の安全保障に不可欠な軍事手段だった「暴力の行使」が、自己目的化してしまったという印象を受けます。

 私の仮説には異論を唱える人もいるでしょう。一部ではあるが、イスラエルには超正統派が存在するのではないか。〔西洋と違って〕イスラエルの出生率は高いのではないか、と。ニヒリズムの時代を迎えた西洋では、出生率が非常に低く、社会が人間を再生産することが困難になっています。しかし、「宗教のゼロ状態/ニヒリズム/暴力/戦争/少子化」の組み合わせは、グローバルなアプローチに値する、社会的・歴史的研究の広大な分野です。戦争は、歴史家から見れば、残念ながらありふれた人間的活動で、「戦争の宗教」も存在します。将来において「人口減のニヒリズム」と「人口増のニヒリズム」が並存することも十分あり得るでしょう。実際、少子化は東アジア全体、とくに中国の特徴となっていますが、この地域はニヒリズムに悩まされているようには見えず、むしろ経済発展に満足を覚えているようです。


  


 ――あなたの考えでは、イスラエルで生じた暴力の連鎖は、延々と続くこと以外に具体的な目的はないということですか。

 その通りです。私が驚いているのは、西洋のエリートたちが「イスラエルには自国の安全を守る権利がある」と繰り返していることです。イスラエルの行動は、安全保障こそが目的で本質的に合理的である、と。私にはそう見えません。私がそこに見るのは、「何か」をせずにはいられないという衝動。その「何か」とは「戦争」です。



今後、事態はさらに悪化する

 ――それはどんな戦争ですか。

 ガザのイスラエル国防軍の兵士がSNSに投稿したビデオを見ると、「合理的な目的のある戦争」というより「ニヒリズム」を連想させます。先ほど私は、イスラエルの現状については考えたくないと言いました。しかし考え始めた以上、道徳的な観点だけで考えるのではなく、冷静に考えるように努めています。

 私も他の人と同じ人間ですから、悲惨な現状を前にして憤慨することもできます。イスラエルがガザで行なっていることは、おぞましいことです。本当におぞましい。しかし私がより気になるのは、今後の展開です。これを残虐行為と見ている人たちは、これがまだ始まりにすぎず、今後、事態がさらに悪化することに気づいているのでしょうか。暴力のダイナミズムはすでに動き出し、それを止めるものは何もありません。イラン(人口9000万人)と戦争をせずにはいられないというイスラエル(ユダヤ人人口700万人)の欲求は、常軌を逸しています。しかし、ニヒリズム仮説を採用すれば、答えが見つかります。


  


 ――どういう意味ですか。

 とりあえず、イスラエルが「暴力的」ではあっても「合理的」であるという仮説を立ててみましょう。合理的な目的を敢えて定義すれば、イスラエルの目的の一つは、世界的な大混乱を引き起こし、それに乗じて、ガザとヨルダン川西岸地域を一気に、暴力的に、そして完全に空っぽにすることだと言えます。

 ――しかし、それだけでは終わらない……。

 その通りです。どんな展開になるかは分かりませんが、戦争は続くでしょう。イスラエルは本来のアイデンティティを見失っている。そのことを彼らの行動の背後に感じます。「虚無」を感じるのです。敵対勢力の指導者や幹部といった個人をターゲットにした暗殺には、戦略的意味はなく、自己目的化した「殺人欲求」を感じます。



「イスラエルによる自己目的化した暴力の行使」をエマニュエル・トッド氏が危惧した本記事の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(エマニュエル・トッド「イスラエルは神を信じていない」)。

*****





コメント    この記事についてブログを書く
« ◎ 06/20 (金) 不信... | トップ | ◎ 06/21 (土) 夏至... »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

いろいろ」カテゴリの最新記事