sweet キャンディキャンディ

伝説のマンガ・アニメ「キャンディキャンディ」についてブログ主が満足するまで語りつくすためのブログ。海外二次小説の翻訳も。

小説キャンディキャンディFINAL STORY あのひと考察2ndシーズン1 親子の愛の物語

2017年04月01日 | FSあのひと考察

小説キャンディキャンディFINAL STORY上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です 注:物語に関するネタバレがあります

2011年に当ブログを始めるきっかけとなった小説キャンディキャンディFINAL STORYのあのひと考察。当時は、一通りの考察を終えて満足していましたが、FINAL STORYを再読して、改めて「あのひと=アルバートさんじゃない」を考察したくなりました。*今になって考察したくなった背景はこちら

ということで、小説キャンディキャンディFINAL STORY あのひと考察セカンドシーズンとして、「あのひと=アルバートさんじゃない」を検証していきます。

まずはFINAL STORYの回想の始まりから。

回想は、孤児院に捨てられてから6歳になるまで、姉妹のように何でも一緒に育ってきたキャンディとアニーの別れの日のお話から始まります。

パパとママが欲しいと願ってきたアニーに、理想のパパとママ(ブライトン夫妻)が現れ、養子にもらわれていく日。

FINAL STORYでは、この日の出来事にマンガからの重要な変更が加えられています。

マンガでは、キャンディが丘の上の王子様と初めて出会ったのは、アニーから「さよならキャンディ」の手紙を受け取った日でした。でも、FINAL STORYでは、アニーにパパとママが出来た日に、キャンディは丘の上の王子様であり、のちにキャンディの養父となってキャンディを見守り続けるアルバートさんと出会っているのです。

キャンディは、実の親に対しては「ポニーの家に捨ててくれたことに感謝」し、「きっとわざわざ一番いい孤児院を探して、ポニーの家に捨ててくれたに違いない」とまで言っています。おそらく作者は本当にそのように想定したのだと、ブログ主は思っています。

けれど、ポニー先生とレイン先生は、キャンディの母的存在ではあっても親代わりではないのです。キャンディはポニーの家を故郷と呼びますが、ポニー先生とレイン先生の役割は、捨てられた子どもを引き取り、養育者へと引き継ぐことだと、小説の中で何度も言及されています。ポニー先生とレイン先生は、子どもたちの面倒を最後まで見ることはできないし、そうする余裕もないのだと。

最年長になるまで誰にも養子として引き取られずに残ってしまったキャンディ。使用人としてラガン家に引き取られたけれど、アニーにパパとママが出来た日に出会ったその人が、その後間もなくキャンディの養父になりました。FINAL STORYでは、実は物語の最初から、キャンディにも「親子の愛」のストーリーが始まっているのです。

エピローグのキャンディとアルバートさんの文通からーー

早く記憶が戻ってほしいと願いながら、このまま兄と妹して暮らすのも悪くないかな、と思ったり……今は、養女だもの!
ほんとは”父上さま"ってお呼びしなくてはいけないかも!?

ポニー先生たちには「養父として当然のことをしたまで」と伝えておいてほしい。
養父ーー!?
しまった、自分で言ってしまったか……。元気でいてくれ!子供たちによろしく!

作家として、アルバートさんをキャンディの恋愛相手としてリアルに心に描いてこの物語を書いていたとして、こんな文章が書けるでしょうか。

作者の言う「"あのひと"が誰かをきちんと描くには、長い物語が必要なのです」の長い物語が、この「父と娘」の呪縛を逃れることなのだとしたら、それはもうキャンディキャンディの世界ではないように思うのです。

エピローグのアルバートさんへの最後の手紙でキャンディは、ポニーの家に捨ててくれた両親に再び感謝します。なぜならそこは、ポニー先生とレイン先生という愛情溢れるシスターの経営する孤児院であっただけでなく、アルバートさんという最高の養父に出会えた場所でもあったからです。

これまで繰り返し言及されてきた「ポニーの家に捨ててくれた両親への感謝」を、もう一度あえてここに入れたのは、アルバートさんがキャンディにとっての「親」だからと言えるのではないでしょうか。

これまでも支えて見守ってきてくれて、これからもきみの幸せを見届けたいと言ってくれる優しい養父ーー丘の上の王子様、ウィリアム大おじさま、アルバートさん、ちっちゃなバート・・・・・・そのことを思うとキャンディにとって「今が、わたしの幸せ」なのです。

あのひと考察セカンドシーズン2 キャンディの初恋へ


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小説キャンディキャンディFINAL STORY テリィ派?

2017年04月01日 | もろもろ
何年か振りにFINAL STORYや水仙の咲く頃を読み返し、キャンディワールドに浸っております。

FINAL STORYが今では高値になっていることなども知り、驚きました。

「あのひと」考察がまだ続いていることも。

そして「あのひと=テリィ」と思ってる人は当然のようにテリィ派、「あのひと=アルバートさん」と思ってる人はアルバート派とされていることについて、改めて考えてみました。

ーそもそもブログ主はテリィ派なのだろうか?

そしてまた少し語ってみたくなりました。

ブログ主は、キャンディが希望を抱き続け、テリィと最終的に結ばれた美しい愛の物語が、この小説の作者がFINAL STORYで描いた世界だと100%確信していて、それゆえに「あのひと=テリィ」を考察してきました。

しかし、それをもって「テリィ派」と言われると、「いやいや、アルバートさんも、アンソニーも、ステア、アーチー、アニー、パティ、ポニー先生、レイン先生・・・そしてイライザやニールでさえも、その世界の中で役割を与えられたキャラクターとして、深く愛してるんだけど(スザナだけはあまりに人間臭すぎて、唯一愛せない登場人物かもしれません)」と、首を傾げたくなるわけです。

アルバートさんは、キャンディにとって救いの存在であったように、ブログ主にも救いの存在です。アルバートさんが登場すると、キャンディが何か大きなものに守られていることが感じられて、ホッと一息つくことができるのです。

なぜそんなに「ホッ」とできるのかというと、アルバートさんには「キャンディの幸せを見守る」という純粋な意図しかないからなのです。恋愛に発展しないからこそ、アルバートさんとキャンディの関係は無防備で、温かく、崇高なのです。

しかし、もしアルバートさんとキャンディの間に流れる感情に愛欲が混じってしまったら、それはもはや「ホッ」ではなくなってしまうと同時に(キャンディですら「誰かを心底、愛してしまったら、きれいな気持ちのままではいられない」と言っているではないですか)、過去の美しい邂逅までも違う意味を持ち始めてしまうのです。

だから、アルバートさんが「あのひと」であるとすると、その美しい愛の物語の世界が、(養”父”・養”子"というタブーを超えるという意味においても)ドロドロとしたものになってしまうことが、ブログ主にはどうにも耐えられないのですよ。

(アルバートさんを綺麗なままにしておいて!)と心の中で叫びたくなってしまうのです。そういう意味において、ブログ主はもしかしたら究極のアルバート派とも言えるのでは!?

たとえひとに「ブログ主さん、ナイーブじゃね?」と言われようが、耐えられないものは耐えられないのです。そしてまた、 原作者さんはブログ主よりももっとナイーブな感性をお持ちだと思うのですよ。そこで、ちょっとばかり、「アルバートさんは”あのひと”じゃない」考察を軽くしてみたいと思います。


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小説キャンディキャンディFinal Storyあのひと考察番外編 イタリア語版

2015年06月21日 | FSあのひと考察


小説キャンディキャンディFinal Story上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です
注:物語に関するネタバレがあります

2年4ヶ月ぶりの新記事、しかも「あのひと考察」を投稿しちゃいます
なぜ今更?と問われれば、「書かずにはいられない新しいネタを仕入れてしまったから」でございます。

海外ファンの熱意が実り、「小説キャンディキャンディFinal Story」のイタリア語翻訳版が、昨年から今年にかけて出版されたのをご存知でしょうか? 冒頭の画像は、その表紙です。

イタリア語版ということで無防備になってしまったのか、あるいは日本語版の出版後にもう少し自分の思いを伝えたいという気持ちになってしまったのか、原作者さんはその序文で日本語版のあとがき以上に、その思いをぶっちゃけております。


以下はイタリア語から英語に翻訳された序文の一部で、その下にブログ主による日本語訳をつけました

The previous version of this novel, published in Japan in 1978 and reprinted in 2003, is based on the drafts of the original work and of course it draws from its texts.However, for a long time I continued thinking that there was still a lot to be told. Candy's manga was aimed at a very young audience, therefore it had to respect many rules. As long as the story remained only in that form, I was certain that I wouldn't have the opportunity to change its contents. Nevertheless, the years have gone by and unexpectedly I was presented with the opportunity to propose a new novel again. It almost seemed to me that Candy (the one living in my story), who had dwelled all this time in my heart waiting to be able to talk, was saying to me "write something about me again". In fact Candy, grown up by then, stayed by my side, talking to me even after the published series came to an end.
This novel stemmed from our (secret) conversations, and has allowed me to bring her to new life, completely freeing her from the bond which tied her to the comic strip.However, had I put everything on paper, the story would have been endless...this is the reason why I decided to retain a less detailed form.


1978年に出版され、2003年には新装版が出版された以前の小説は、オリジナルのドラフト原稿(もちろんテキストです)が元になっています。しかし、長年の間、私はもっと語られるべき物語があると考えてきました。漫画は幼い子供向けだったため、守らなければならない多くの決まりごともありました。キャンディの物語がその形式のままである限り、物語の内容を変えることが不可能なのは明らかでした。そのような状況の中、長い時を経て、私は新しい小説をもう一度世に出す機会に恵まれました。それはまるで、いつか語れる日を待って、私の心の中に住み続けた(私の物語の中に存在する)キャンディが、「もう一度私のことを書いて」と語りかけてきたようでした。実際、成長したキャンディは、シリーズの出版が終わった後も、私の傍で語り続けてきたのです。
この小説は、私とキャンディの(秘密の)会話から紡ぎだされたもので、キャンディを漫画シリーズの束縛から解放し、彼女に新しい人生をもたらすことを可能にしてくれました。しかし、物語の全てを描こうとすれば、それは終わることのないものになってしまうため、私は詳細を省いた形の小説にしようと決めたのです。




「キャンディの物語がその形式のままである限り、物語の内容を変えることが不可能なのは明らかでした。」

これって、今回物語の内容を変えましたよ〜ってことですよねぇ。

「この小説は、私とキャンディの(秘密の)会話から紡ぎだされたもので、キャンディを漫画シリーズの束縛から解放し、彼女に新しい人生をもたらすことを可能にしてくれました」

漫画シリーズの束縛といえば、それはスザナの事故であり、アルバートさんのオープンアームに飛び込みラストシーンであり・・・・・・。

原作者さんは、そんなこんなからキャンディを解放したんだそうですよ。

漫画シリーズの束縛から解放されたキャンディに届いたのは、この小説で初めて出てきたテリィからの手紙。

そして新しい人生。

ここまではっきり言っちゃってますよ。皆さん


PS:翻訳を終えた後も、「水仙の咲く頃」に多くのコメントをありがとうございます。
コメントひとつひとつへのお返事はできておりませんが、嬉しく読ませていただいてから、公開しております。

あのひと考察セカンドシーズンへ
コメント (16)
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水仙の咲く頃 おまけ |キャンディキャンディFinalStory二次小説

2013年02月21日 | 水仙の咲く頃
プロローグでジョセフィンが言及していた"Rosemary555の挿絵"です
「水仙の咲く頃」の英語のオリジナルがフォーラムに投稿された時に、この二次小説のために海外フォーラムのファンが描いた挿絵です。


Candy&TerryForumより、管理人さんの許可を得て転載しています。


そしてジョセフィンから送ってもらった小説のPDFファイルに掲載されていた挿絵です。

まずは表紙のキャンディ
(&今回翻訳した全原稿350ページ すごいボリュームでした)



これは……

もうお分かりですね。
第4章「恋に落ちたマクベス」から


そしてこちら……

第5章「隔たり」から


最後はこちら……

第8章「バラード第1番、作品23」から



オリジナルの画像は作画者ご本人のページでお楽しみください。
http://rosemary555.deviantart.com/gallery/


おまけでした~




*引用の範囲を超えた当サイトのコンテンツの無断転載はお断りいたします
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水仙の咲く頃 翻訳者あとがき |キャンディキャンディFinalStory二次小説

2013年01月31日 | 水仙の咲く頃
水仙の咲く頃(原題:The Season of the Daffodils)……楽しんで頂けたでしょうか?

翻訳をスタートさせてからTHE ENDまで、1年半もの長い時間がかかりました……。途中何度か個人的な事情で更新が途絶え、読者の皆様にご心配やご迷惑をかけながらも、やっと今回翻訳を終えることができて、ほっとしています。

翻訳を開始した当初は、英文をそのまま見て、ジョルジュをジョージ、ラガン家をレーガン家などとうっかり訳してしまい 読者の方にこっそり間違いを指摘していただいたなんてこともありました。

でも、何とか終わりました。大変でしたけど、幸せな時間でもありました

そして、たくさんの方々がコメント欄に残して下さるメッセージを見ながら、キャンディキャンディは、今でもたくさんの人たちの心に残り、愛されているんだなぁと静かな感動を覚えました。

原作者の名木田恵子さん、漫画の原画作者のいがらしゆみこさん、その他キャンディキャンディの漫画、アニメ、小説の創作に携わった方々にもう一度感謝したいです。

そして、キャンディキャンディへの愛がぎっしり詰まったこの長い二次小説を書きあげたジョセフィンにも、感謝を送ります。

そして最後に、約1年と半年、辛抱強く更新を待っていただいた読者の皆様に、心から、心の底から、感謝の気持ちを送らせてください 

皆さんからいただく暖かい言葉、コメント……その一つ一つに励まされました。

海外のファンフォーラムにはまだたくさんキャンディキャンディの素敵な二次小説がありますので、ぜひ、このブログの読者の方の中から、翻訳にチャレンジする方が出てくるといいな……などと密かに願ってます。

「キャンディキャンディの二次小説書きました」、「翻訳しちゃいました」という方は、ぜひこのブログのコメント欄で宣伝してください。

本当に、ありがとうございました。

ブログ主
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