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SWAN日記 ~杜の小径~

月イチ企画SS《9月》◆あふれる言葉◆

ベルばら/月イチ企画SS《9月》◆あふれる言葉◆

◆◆◆あふれる言葉◆◆◆

アントワネット様がフランスに嫁がれると同時にわたしが近衛に特別入隊が決まった頃。
新たに雇う侍女をわたしに付けると父上が言った。
見習いを経て一ヶ月後にはオスカル付きにするという。
ばあやを筆頭にオスカル付きの侍女は二人いる為、オスカルは首を傾げた。
「パリの教会神父であったシャルル・ミシェル・ド・ペレーを覚えているだろう?」
「はい。聴覚に障害がある聾唖(ろうあ)の人達の為、ろう学校を創立した方ですね。手や指先を使って会話が出来るよう《手話》を考案されたと…学校創立の際はジャルジェ家も資金を寄付したと聞いております」
「うむ。最初は手話教室のようなものを教会で小さくやっていたらしいが、聾唖の子ども達の教育をするなら専門の学校を創立したほうが良い。読み書きと手話が出来れば成人しても生きてゆけるし仕事も探せるからな。学校を創立したのは1760年頃だったか…卒業した者はパリで働いたり、ろう学校に勤務する者もいると聞いた」
子どもの頃、父に連れられてアンドレと共にパリの教会隣の聾学校に初めて行った時のことをオスカルは良く覚えていた。
「パリの子ども達や…貴族の子ども達にも耳が不自由な者がいると聞きます。生まれつき聴覚に支障があり話すことが出来ぬ人達を中心に、難聴であったり、事故等で鼓膜を痛めたり…、聴覚に問題が無くても咽喉を痛めて話すことが困難になったり、精神的なことで喋れなくなってしまったりと色々な事例があると聞きました。手話とは耳と口の代わりに言葉を表現するものと認識しています」
「うむ。その通りだ。聾学校で学んだ13歳の少女がいるらしい。商家の娘とのことだが…両親の希望でいろいろな経験をさせたいそうだ。何度か聾学校に顔を出したオスカルを覚えていたようでな。少女の名はアリスといったか…侍女の仕事につくならとジャルジェ家を希望しているそうだのだ」
「…アリス?淡いブロンドの髪にスミレ色の瞳の少女ですね」
「知っている者ならば大丈夫だな」
「はい」
アリスを覚えていたオスカルは口元で笑いながら頷いたのだった。

アリスに会う為、教会に向かう馬車の中。
彼女はオスカルよりも一つ年下だった。
「賑やかになるな」
「うん。彼女は聾唖だけれど…」
「控え目で大人しくみえるのは見た目だけだろう」
オスカルの言葉にアンドレは頷いて、二人は可笑しそうに笑い合った。
彼女は聴覚に障害がある分、周囲の空気を読むのに長けていて、機転もきく。
打ち解けた人間に対しては煩いくらいにお喋りなのだ。
オスカルとアンドレが教会に行くと、よくアリスが走り寄ってきていた。
聾唖の人間に対して「お喋り」とは変な話だが、彼女は手話やジェスチャー、筆談を交えて健常者と交流するのが好きらしかった。
前向きな姿勢はご両親の教えなのだろう。
身体に障害があるからといって甘やかして育てるだけでは本人に為には成らぬし、障害児を放置するように捨て子にしたり、養育を放棄して得体の知れぬ施設や夜の店に放り込むのも愛情が無い行為だ。
聾学校は主に寄付で運営していると聞く。
学費もかからない分、パリや離れた村の聾唖の子ども達でも教育を受けられる。
貴族や商家等の家は主に金銭を寄付し、村で農家を営んでいる者達は食物の材料を、パリ近くに住む者達は教会や聾学校の清掃したり、聾唖の子どもを持つ家庭で出来ることで教会と聾学校に協力し、数十人いる生徒の聾学校運営が出来ていると神父さまも言っていた。

教会に着くと、ジャルジェ家の馬車に気づいたアリスが小走りにやって来た。
「オスカルさま、有難うございます」
ジャルジェ家で働くことが決まったことへの礼なのだろう。
オスカルも手話で「頑張れ」と返した。
オスカルとアンドレも日常で交わせる簡単な手話は覚えていた。
聾学校で神父さまとアリスも交えて話をし、アリスは一週間後にジャルジェ家にくることが決まった。

あれから十数年…二十年近くにもなるが、アリスはオスカル付きの侍女を務めている。
オスカルの世話をするのはマロンを筆頭にマリアとクラリス、そしてアリスがいる。
アリスはマリアとクラリスにも簡単な手話を教えて仲良くやっているようだ。
彼女がオスカルの部屋に来た際はアリス独自のノックをする。
そのため、在室している時はオスカルが内側からドアを開けるというのは何時の間にかジャルジェ家共通のルールとなっていた。
ノックの仕方でジャルジェ家の人間はアリスだと認識できるからだ。
周囲の空気を読むのに長けているアリスはオスカルの変化に気付くのも早い。
アンドレ並みとは言わないが、アンドレの次にオスカルの動きや表情から感情を読み取るのも上手かった。
ロザリーがジャルジェ家にいた頃はオスカルが近衛に勤務している時間帯にはアリスがロザリーの近くにいたと聞くし、ル・ルーやモーリスがジャルジェ家にいた頃は三人で秘密の手話や合図を作って子ども達の面倒をみてくれていたようだ。
わたしがフェルゼンへの想いに区切りをつける為、初めてドレスに袖を通した時も他の者は美しいと褒めて讃える中でアリスは涙を溜めて着付けを手伝ってくれていた。
近衛から衛兵隊に移った時期も毎朝のようにアリスは心配そうな表情でオスカルをみていた。
ジェローデルの求婚の際も…雰囲気の変わったらしいわたしとアンドレを心配そうにみていたのだ。
あの日、アンドレからの突然の告白の後。
廊下ですれ違ったアンドレの異変に気づいて真っ先にオスカルの部屋にやってきたのもアリスだった。
何があったのか悟ったらしいアリスは泣きながら「大丈夫ですか」と問うた。
「大丈夫だから…内密に」
手話での会話にアリスも頷いてくれた。
アリスもアンドレの想いは気づいているようだった。
求婚者を募る舞踏会をブチ壊し、毎夜のようにジャルジェ家に晩餐に来ていたジェローデルも身を引いた。
そして、パリでアンドレと共に暴徒に襲われ大怪我をして…わたしを庇っていたアンドレの怪我の方が酷くて、アリスはわたしとアンドレの部屋を行き来して世話をしてくれていた。
あの時、フェルゼンが来てくれなかったらわたしとアンドレの命は無かったのかもしれない。
アンドレを失うかもしない…という恐怖。
無意識に発した言葉は「わたしのアンドレ」だった。
舞踏会の夜、ジェローデルに『アンドレ・グランディエを愛しているのですか?』と問われても答えられなかった。
この想いは愛なのか判りかねて不安な自分。
まだ確信が持てずにいる自分の心を持て余していた。
いま思えば、フェルゼンやジェローデル…アリスもわたし自身でさえ意識していなかったアンドレへの想いに気づいていたのだ。

わたしとアンドレの部屋を行き来しながら、世話をしていてくれていたアリスは彼女独自のノックの後、静かにドアを開け顔を覗かせてから入室していた。
二日程意識の無かったらしいアンドレが気になり、ベッドから起き上がろうとするわたしをアリスが止め、アンドレの具合をメモに書いて教えてくれていた。
アンドレの意識が戻った時、アリスは走ってわたしの部屋までやって来たらしく、息を切らしながら「アンドレが目を覚ましました」と手話で教えてくれた。
良かった…と安心するオスカルをみてアリスはクスリと笑った。
「何だい?」
オスカルは手話で人差し指を左右に振って首を傾げると。
「オスカルさまも目覚めて最初に聞かれたことは『アンドレは無事か?』でしたが、アンドレも『オスカルは無事か?』って。同じ事を聞かれたので…お二人とも魂が寄り添うような絆なのですね」
微笑むアリスにオスカルも頷いた。
「でも、アンドレは身体が痛そうなので、しばらく動けそうにないです」
アリスは大袈裟な表情で痛そうな顔をつくりながら手話で伝えた。
アンドレが目覚めた安心感からかオスカルは口元に笑みを浮かべた後に痛そうな表情を真似てみる。
「…それは大変だな。見舞いに行くか」
言葉も発しながら唇を動かし、オスカルは手話で伝えた。
「ばあやさんに見つからないようにしないと」
アリスの手話にオスカルは笑って頷く。
聾唖の人々は口元の動きもよく見ている。読唇術も学んでいるので会話も成り立ちやすいのだ。
「アンドレもオスカルさまを大切に想っています。オスカルさまもアンドレを大切に想っています。好きな人と一緒にいると幸せな笑顔が生まれる。最近のオスカルさまとアンドレをみていると辛いです。以前のお二人にはもっと笑顔がありました。大好きなオスカルさまとアンドレの辛そうなお顔はみたくないです」
ベッド脇の椅子に座り、アリスは手話で伝える。
読唇術も加えての手話。
アリスの口元と手話を見ながら、言葉を理解したオスカルはベッドから起き上がり、アリスの肩に手を置いて、意を決したよう微笑んだ。
〜わたしはアンドレを愛している。
互いに離れていられない程に…。
不安だった二日間…アンドレが目覚めただけで、不安が安堵感に変わったのだから。
「有難うアリス。アンドレの見舞いに言って想いを伝えてくるよ」
アリスの表情が笑顔に変わった。
使用人棟までアリスがついてきれくれ、オスカルは一人アンドレの部屋を訪ねて想いを告げたのだった。

二人の想いが通じてからも共有の秘密を知っているアリスは影ながら支えてくれた。
なるべく二人の時間が持てるように動いてくれるアリスは心強い味方の一人だ。

ある休日の朝。
花瓶の薔薇を生け替える為にオスカルの部屋にやってきたアリスにオスカルは手招きをして筆談で聞いてみた。
長い言葉の会話や大切な話をしたい時は手話と筆談を使う。
「アリスは昔からわたしとアンドレを大好きだと言ってくれているね。有難う。いつも助かっているよ。もう二十年近くも前になるけれど、アリスがジャルジェ家を希望した理由はあるのかい?」
首を傾げるオスカルにアリスは昔を思い出すように目元を下げて微笑んだ。
アリスは筆談で言葉を綴る。
「初めてオスカルさまとアンドレが旦那様と一緒に教会に来てくださった時、綺麗な人がいる…と思って見ていました。オスカルさま達が神父さまと聾学校を見学中、神父さまのお部屋のお花を生け替えるために向かっていた廊下で皆さんと会いました。抱えた花をみてオスカルさまは優しそうな笑顔で私に小さく頭を下げられて…少し首を傾げながら『こんにちは』と手話で挨拶をしてくださいました。オスカルさまがあまりにもお綺麗で、緊張もあって真っ赤になってしまった私にオスカルさまはまたお優しい笑顔になって…。
オスカルさま達がお帰りになった後に神父さまからジャルジェ家の当主様と次期当主のオスカルさま、従者のアンドレだと教えていただきました。実はオスカルさまは女性であることも聞きました。
オスカルさまが神父さまに『こんにちは』の手話を教えてほしいと言われ、お教えしたことも聞きました。
〜世の中では、障害があるというだけで差別されることもあります。聾学校で学ぶ生徒達も辛い経験をした者は多いです。
そんな中、オスカルさまは私と真っ直ぐ目を合わせて笑顔で挨拶を交わしてくださいました。
あの頃は私も幼くて聾学校で学び始めたばかりの頃で…オスカルさまと挨拶を交わしたことがとても嬉しくて、女性でありながら時期当主として頑張っているオスカルは憧れになりました。
何度かオスカルさまとアンドレが教会に来てくださり、お話をするのも楽しかったのです。アンドレがお屋敷の女中頭…ばあやさんのお孫さんでオスカルさまと幼なじみだと知ったのもそんな時でした。
女性であるオスカルさまはご苦労も多いと思われる中で、支えになっているのがアンドレであることも見ていて感じました。
〜聾学校で学んだことを生かし、ベルサイユで働いてみるのはどうだ?〜
両親の言葉に『ベルサイユのお屋敷て働くのならばジャルジェ家を希望します』と告げ、ジャルジェ家の当主様も聾唖の私が働くことを認めてくださり、オスカルさま付きの侍女に抜擢してくださいました。奥様もよく私を手招きしてお声を掛けてくださり…ジャルジェ家の皆様、お屋敷に勤める先輩達にも感謝しています」
アリスの長い文章を読み、オスカルは昔と変わらぬ笑顔で微笑み「有難う」と手話で返した。
〜アリスの周りは何時でも言葉であふれている。

『いつまでも、何処にいても、私はオスカルさまのお世話とアンドレのお手伝いをします』

仁王立ちで気合いをいれるアリスにオスカルは噴き出して笑ったのだった。


時は流れ。
1790年春。
昨年の夏、バスティーユで負傷したオスカルとアンドレはパリのロザリーの元で密かに療養していた。
ベルナール達が死亡説を流しているため、いつまでもパリにいるのは危険だった。動けるようになった二人はアンドレの故郷である南フランスの暖かい地に移り住むことにしたのだ。
いよいよ明日の早朝にパリを出発するという前日の夕刻。
荷物もまとめ終わり、ロザリーが出掛け前に入れてくれたお茶を飲みながらオスカルとアンドレは明日の予定も確認しつつ部屋で寛いでいた。
「少し休むかい?」
「…大丈夫だ。いろいろ思い返していた」
オスカルの言葉にアンドレも頷く。
オスカルはベルサイユやジャルジェ家のことを思い返していた。
思いを馳せるオスカルがポツリと呟く言葉ひとつひとつにアンドレは頷いて聞いてくれている。

その時、部屋のドアがノックされた。
顔を見合わせたオスカルとアンドレは目を見開いた後、口元に笑みを浮かべる。
〜それはアリス独自のドアノックだった。

◆おわり◆

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

☆あとがき☆

今回は手話 (聾唖〜ろうあ〜) のお話です。
手話をモチーフに書いてみようと歴史を調べたら、世界初の手話教育 (聾学校) を始めたのはフランスの神父さん。
1760年頃のパリでシャルル・ミシェル・ド・レペー師が創立したそうです。
ちょうどオスカルさま達との年代に合っているので、絡ませて書いてみました。

白鳥も若い頃の勤め先で聾唖の方が数人いて、仲も良かったので聾唖者と健常者がいる手話教室に通っていた時期がありました。
白鳥と友人は初級コースから。
中級になるころに職場を退職したので手話教室も辞めてしまったのですが、現在の職場でも聾唖の方がいて、簡単な手話(白鳥に合わせてくれている…汗)とメモ会話でよくお喋りしています。
昨年末に白鳥が彼女のいる部署に移動になったので、以前よりも会話する事が増えました。
白鳥も大昔に初級で習っていただけなので、彼女ともメモ会話のほうがペースが早い…(笑)
手話をする時は互いの口元も見ながら会話するので、コロナで職場全員マスク姿のため手話会話も少々大変。白鳥が首を傾げると彼女はちょっとマスクを外して口元も動かしてくれるので、オッケ〜と会話成立。
彼女も周囲の人の動きをよく見ていて、与えられた仕事に対しての責任感もある、お喋り大好きな同僚です(笑)

アンドレが弱視となった視覚を補う為に聴覚が発達したのも自然なことなのだろうと思います。
五感の一つに支障が出れば他の部分が発達して鋭くなるのは生きてゆくための一種の防衛本能でしょうか。
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