これでお開き

体育会系俳人のつぶやき

鰈・鮃どちらが原始的ですか

2006-11-30 12:34:42 | Weblog

  鱈裂くやただひと色に海と空   角川春樹  『JAPAN』

歳時記は結構持っている方だと思うけど、
句会・吟行等に携帯していくものは、春樹事務所刊の文庫本。
T子姐さんからは「いい趣味、してるわね」と皮肉られるけど、
僕にとっては、例句を含めて、結構好みなのだ。

この前、結社誌の「THE 時評」に書かれていたように、
今、角川春樹は「魂の一行詩」なるものへの展開を図っている。
ご存知かもしれないが、下記のホームページもある。

  http://www.monthly-rentier.com/soul/index.html

「魂の一行詩」とは日本詩歌の根底にある「いのち」と「たましひ」を詠う現代叙情詩である。

とあるように、そこには抒情の強く滲み出た作品が紹介されている。
僕が見る限りは、ウチの結社の作品群とも比較的近いように感じられる。

  穴惑遠くまぶしい水がある   野田久美子
  蛇衣を脱ぐや複写の魂ばかり   堀本祐樹
  終電車錆びたる鮎の群れを吐く   岡田滋

僕が、T中宏や現代川柳諸氏の作に惹かれながらも、
一線を画すのは、「抒情」というものへの未練なのかもしれない。
やはり、「抒情」を捨て去ることは出来ないのだ。

さて、冒頭の春樹の句も好きだ。
「裂く」という言葉を使った所為もあるだろうけど、甘ったれた抒情句ではない。
自然、そして人間の営みが投影された「魂の一行詩」と言えるように思われる。


29日。
風邪は悪化することはないものの、咽も少しいがらい。
薬は飲まず、仕事場で思い切り口から湯気を吸い込む、こんな原始的な治し方。
忘年会の段取り等、もろもろを頼まれてしまう。

夕食。
水菜のハリハリ鍋。熱燗3本。
この日もビールは飲まず。

博士、否、博打撃ちなり梟は

2006-11-29 12:46:30 | Weblog

  石鹸は滑りオリオン座は天に   正木ゆう子  『静かな水』

固形石鹸も受難というか、ボディーソープが主流の時代となった。
ただ、それは一個100円といった感じの汎用品の話で、
洗顔等の特異な用途を持つ高級固形石鹸はよく売れているそうだ。

さて、掲句。
発話者の位置(室内・室外)を気にする読み手であれば、
露天風呂での一景と読むことになるのだろうが、
僕は、あまりこだわらずに読む方なので、露天風呂? の立場。

イメージとしては天井の高い銭湯を思い描く。
石鹸が滑るイメージも、あの広い洗い場のタイルが相応しいだろうしね。
富士山のペンキ絵云々は別にして、「オリオン座」への展開も諾える。
石鹸が滑った軌跡から、天地を逆転させたとしてもいいわけだから。

正木ゆう子の魅力は、その感性の「きらり度」にあるわけで、
あまり、理屈を付けて読み解くタイプの作品群ではないように思う。

  雪の夜の刃物を持てば若がへる   ゆう子

言われてみれば、諾える、それでいいのだろう。
芸術も博打も感性なり、そうなんだろうな。
博打撃ちの素質、正木ゆう子にはあるように思える。


博打といえば、競馬の話になるけど、
ハーツクライがディープインパクトより一足早く引退を発表した。
最後は「喘鳴症(ノド鳴り)」の公表から「レースには問題なし」とのコメント。
だが、JCの後は「息遣いが荒かった、ノド鳴りの影響」と敗因に。
ディープインパクトの凱旋門賞失格に続き、この経緯も不手際を感じる。
カワカミプリンセスの1着降着といい、最近、問題が多すぎる。
その所為か、JRAのGⅠの売上げは前年比80%程度とかなり落ち込んでいる。
来年にはディープインパクトもいなくなるし、殿様商売は通用しないよ、JRA。
だから、と言って宝くじもね。いきなり、半分を抜かれているんだからね。
競馬は単勝・複勝は80%、その他は75%を払戻し金に。
株式は、信用取引・先物取引は博打だけど、現物は博打ではない。


28日。
中途半端に暖かいからが、軽い風邪(鼻水が出る)。
前の日に呑みすぎたことも影響しているかも?
でも、久しぶりだよね、風邪気味なんて。
やっぱ、冬は寒くならないと、気が引き締まらない。


夕食。
鍋焼饂飩。板わさ。
熱燗2本。ビールは飲まず。

石炭はほっとする黒ぶちまけよ

2006-11-28 12:37:15 | Weblog

  熊の出た話わるいけど愉快   宇多喜代子  『象』

この句を発表された頃は、熊が集落に出てくるのは珍しいことだったのだろう。
ところが、ここ数年でこの景は日常茶飯事になってしまった。
すなわち、「わるいけど愉快」という措辞が色褪せてみえてしまうのだ。
時事を取り上げた句は色褪せるというけど、こんなに急速なのは珍しい。

でも、この句は初めて眼にした時から、お気に入りの一句だった。
池田澄子の句と言われても疑わない句だけど、女性ならではものと思う。
マイナス要因の出来事をプラスに転化する、
これは、ウチの結社の得意芸でもあるんだけどね。

僕自身も、G化調からの脱出とか口では言いながらも、
このラインの句は、今でも基本線として強く残っている。
Rンさんが主催をされているネット句会には、このラインの句をよく出す。
ま、お題が「対策」とか「謝罪」とかマイナスイメージだったこともあるけどね。

  対策は鍋焼食つてからでいい   寿司江
  空つ風謝罪文なら手練にて     〃

昔の寿司江のくさ~い言い回しだけどね。
最近は今日の表題句のように、やや洗練されてきた? のかな?

Rンさんの最近のお姿を見てみたい方はどうぞ。

  http://blog01.yapeus.com/users/hobokakujitu/?page=2&

でも、この写真、照明の所為もあるだろうけど、やっぱ不気味。
(このブログは、Rンさんのネット句会に参加されている方のもの)


27日。
仕事は15時過ぎに切り上げて、「第49回キーワード句会」の出句一覧作成。
取りあえず、50回(結社誌のちょうど半分)で、中休みとさせて貰うことに。
来たる12月の句会が、そのけじめの句会となる。是非、ご参加を!

夜は、この23日開催の「上京子供まつり」の。
近所の寿司屋にて。会費は無料だけどいいのかな?
何か、お役所の裏金のようで、少し気が引けるが、思い切り呑む。
一人当たり、最低5,000円はかかっているだろう。
僕は、プラス3,000円、8,000円分ぐらい呑んだけどね。

お開きの後、有志で近所のスナックへ。こちらは自前。ひとり3,000円。
やっと、体振メンバーはじめ身内ばかりとなって、ほっとする。
やっぱ、宴席の場で知らない人と話すのは苦手だな。

パパパ、パパパッパッパパ、アー、アー、……

手焙や「たぶん治ると思ひます」

2006-11-27 12:50:59 | Weblog

  綿虫がとぶ御岳とわが間   原田 喬  『長流』

この間取り上げた《天地の間をほろと時雨かな 虚子》の句では、
「間」は「あはひ」と読むのが妥当だと言ったけど、
この喬の句の場合は、「あひだ」でいいと思う。
「はざま」と読む手もあると思うが、「あはひ」とは読みたくないな。
「綿虫が」の「が」、更には「御岳」との釣り合いを考えてのことである。

喬は、九州は小倉の生れ、満州移住、応召、シベリア抑留生活などを送った人だけど、最終的には静岡県の方にお住まいだったので、
自宅近くから見える御岳さんとの間を横切る綿虫に焦点を当てた句なのだろう。
もちろん、「間」と言っても、綿虫との距離の方が遥かに近いんだけど、そこが俳味。
もし、掲句、同じ静岡でも「富士山」だったら、凡句となってしまう。
だから、俳句はむずかしい。
      
  うらやましきまでにぼろぼろ葱坊主   喬


25日。
半ドン仕事のあと、KMと会って話す。

いいよな、センセは君のファンだから。
僕なんか、一年に二回しか「G化の森」に載せて貰えないのに、
君は復帰したら、三回中二回も載せてもらえるんだから。

というと、
でも、自分の句の良し悪しが全くわからないと、彼は嘆く。
今、彼は二重構造の句、重層性に取り組んでいるわけで、
そう簡単に、このハードルをクリア出来ると思って貰っちゃ困る。
ありきたりだけど、試行錯誤、多作多捨だろう、と。

いい句だったら、句会等でT子姐さんや僕がきっちり取るからさ。
的確な評はできないけど、選にはそこそこ自信があるし、KMの信用もある。


26日。
曇天なれど、ぎりぎり天気は持つ。
一週間順延となった学区のソフトボール大会。
ウチの町内は、ここ二年連続準優勝。
今年こそ、優勝を! との気合だけは十分だったのだが、
準決勝で、エラーが続出してあえなく敗戦。
プロの野球でもそうだけど、素人のソフトボールでも、
勝敗を分けるのは、結局、四球とエラー。
ま、決勝戦は雨中の試合となったわけで、風邪をひかなくて良かったかも。

18時より、優勝祝賀会を返上しての残念会。
もう一軒行って、帰宅23時。


ということで、競馬・ジャパンカップは生中継で見ることが出来なかった。
でも、このジャパンカップだけは、馬券を買う気が全くしなかったのだ。

というのは、まず、ハーツクライの喘鳴症の告白。
情報開示ということだろうけど、これでは負けた時の言い訳だもん。
軽度、と言ったって、それが競走能力にどう作用するのか、
問題ないと思います、では困る。「思います」が口癖の医者なんか行かないもん。
ハーツクライには、去年の有馬で儲けさせて貰ったけど、買う気がしなかった。
仮に、今年の有馬に出て来ても、ハーツクライ絡みの馬券は買わないだろう。

ディープインパクトは、今回は100%勝たないといけないレース。
でも、430kg台の華奢な身体。ケガだけが怖かった。
そう、あの天皇賞・秋のサイレンススズカのような。
11頭立ての少頭数だったから、外を回って楽々勝ったけど、
多頭数・中山の2500mだったら、ドリームパスポートが先着していたことだろう。

有馬記念、テンポイント・サイレンススズカのような事故がないことを祈る。
そうだ、サクラスターオーだって、ライスシャワーだって。
そのためにも、馬体重は最低でも440kg台で出て来てほしい。
確かに、野球における福本豊・赤星憲広、マラソンランナー各人、
小柄な方が足許に負担がかからなくっていいと言う見方もわかるけどね。

有馬記念、3歳馬・ドリームパスポートが今の元気さを持ちこたえれば、
ディープインパクトとドリームパスポートの一点勝負が可能だろう。
ただし、馬連で今回のような750円も付かない。400円ぐらいだろうな。
ダイワメジャー、2500mはちょっと長いんじゃないの。

冬帽や七里ヶ浜は一里のみ

2006-11-25 11:59:02 | Weblog

  わが許すわが無愛想冬帽子   山根真矢  「鶴」

山根真矢は俳句研究賞受賞作家。
同じ京都住まいということで、超結社勉強会他、何度もお会いしている。
現在はご主人のお仕事の都合で、札幌に住んでおられるらしい。

「わが無愛想」とあるが、決して無愛想な方ではない。
口数の多いタイプではないから、初対面の際はそのように映るのかもしれないけど。
それをいえば、僕だって、アルコールが入らない限りは無口だから、
パーティーとかで、挨拶を交わすこともなく散会となったら、
「無愛想なオトコ」と思われているかもしれない。

一応は、「夏帽子」が日除け、熱中症対策、「冬帽子」は防寒となるわけで、
当然のことながら、色彩的イメージでも白⇔黒がはっきり見えてくる。

  わが夏帽どこまで転べども故郷   寺山修司
  遠い日の雲呼ぶための夏帽子    大牧 広

  居酒屋のさて何処に置く冬帽子   林 翔
  くらがりに歳月を負ふ冬帽子    石原八束

逆をいえば、夏帽子で閉鎖的なイメージの句を、
冬帽子で開放的なイメージの句を成功させることが出来れば、
季語に新しい世界をもたらすことになるんだけど、やっぱり難しいね。
この真矢の句も、「冬帽子」の句としては新鮮なんだけど、
「無愛想」が、「冬帽子」の内包しているものに即していることは明白。
でも、「無愛想」と言って、「夏帽子」じゃ、やっぱ合わないしね。


24日。連休の谷間。
25日(土)はKMと会う約束をしているから、
半ドン仕事となるので、そこそこ仕事を進めておく。

夕食。
おでんの残り+まむし(うな丼)。
熱燗2本、ビール1本。

キーワード句会の出句一覧を作成する予定だったけど、
最近は、金曜日の夜はまず無理だね。
土・日は出来ないし、月曜日に作って、選句は5日間あれば大丈夫だろう。

大阪で呑んできて、かなりメートルの上がった町内会副会長から呼び出し。
はいはい、ということで、居酒屋Aへ。
帰宅24時30分。

冬日ひとつ親父の手前「数へ」にて

2006-11-24 08:18:38 | Weblog

  お火焚にくすぶるといふさはりあり   藤浦種子  「諷詠」

この「~といふ~」との言い回しは、いかにも「諷詠」の作家らしいなと思う。
「諷詠」の主宰は後藤比奈夫、センセも私淑されていた(いる)俳人である。
だからというか、僕も相生垣瓜人と並んで好きな俳人だった(である)。
過去形がいいのか、現在形がいいのかいささか迷うけど、やっぱり現在形かな。
もう数え90歳を迎えておられるが、発想は実にしなやか。

「~といふ~」はいわゆる見立ての句となるわけだが、
比奈夫の句からすこし挙げてみると、

  双六の振出しといふ初心あり   比奈夫      
  活けてみて鶏頭といふ昏き花    〃
  遠足といふ一塊の砂埃        〃

引き続き、

  静かなるものに午後の黄石蕗の花   比奈夫 
  虹の足とは不確に美しき          〃
  縦に見て時代祭はおもしろし        〃
  秋雲は空の溜息かも知れず        〃

「~ものに~」「~とは~」「~に見て~」「~かも知れず」、
どれも、見立て俳句における有力な型である。
見立ての俳句を作ってみたいけど、センセの句が難しいという方は、
後藤比奈夫を勉強した方がわかりやすいだろうな。

  帰り花つけてかへつて淋しき枝   比奈夫 
  助六は凧となりても傘挿せる      〃

見立て&裏切り、大きなヒントとなる句だ。

今の個人的な好みは、

  一旦は赤になる気で芽吹きをり   比奈夫 
  蹤いてくるアイスクリーム屋に困る   〃
  見もせざる花野の涯をまた思ふ     〃

あたりかな。

比奈夫のことはこの辺にして、冒頭の「お火焚」の句に戻れば、
観察眼はしっかりと感じ取れる一句となっている。
頭の中だけで、仕立て上げたものとは一線を画している。

このお火焚、京都では23日・勤労感謝の日に行う神社が結構多い。


23日。
雨の予報だったが、曇り空のまま、一日が過ぎる。
10時から向かいの小学校で「上京子供まつり」。
13~14時の間、駐輪整理の役を仰せつかっていた。
終わってからも、テントを畳むお手伝いもあって、一日が潰れる。
ま、27日にあるには呼んでもらえたけど。

夕食。
おでんの続き。
熱燗2本、ビール1本。

おでんで、「すじ」といえば、関西・名古屋圏では牛すじのことなんだけど、
小田原まで行くと、「すじぼこ」(裏ごしナシ)という練り製品を指すらしいね。
さすが、蒲鉾の名産地だなと思う。東京方面ではどうなのかな?

花の如いちやもん付けに帰り来よ

2006-11-23 10:05:58 | Weblog

  おろされてゆく大根の歓喜かな   山十生  『大道無門』

ま、おもしろがり過ぎって声もあがるだろうけど、
何か、マゾっぽくて、いいんじゃないの。
最終的には、「歓喜」への評価が全てだと思うけど、
ここは「歓喜」じゃないと、句が生きてこない。
「喜びよ」「至福かな」、そんなの中途半端でダメ。
まだ、十二月じゃないけど、僕には第九の合唱まで聞こえてくる。


昨日ここに写生のことを書きながら、
灰皿句会で起こったダンディーとKMの写生論争を思い出していた。
論争というよりも、ダンディーからの一方的ないちゃもんだったけどね。
Sさんも心配されて、僕に仲裁を、といった趣旨のメールを下さったものだ。

熱いといえば、熱かったんだろうけど、写生への憧れが先行していた気がする。
当時、僕も含めて、すでにG化調からの脱却を真剣に思っていたし、
その中で「写生(客観)」「モノの取り込み」が中心テーマとしてあったんだけど、
現実は、上滑りしていただけ(ダンディーと僕)だったように思われる。
KMの場合、理論武装は出来ていたんだけど、句でそれを実践し切れなかった、
五年ほど経った現状から振り返ってみれば、そう言わざるを得ないのだろう。

最近の京都支部句会は、ダンディーが入院、そして亡くなったこともあって、
合評句会というよりは、T子姐さんの指導句会という様相を呈している。
KMや僕では、まだまだ役者不足ということだろう。


22日。
普通に仕事。

夕食。
おでん。
熱燗2本。ビール1本。

23日も引き続きおでん。
大根、牛すじあたりは23日の方が絶対に旨い。


表題句は、言うまでもなくダンディーのことを思ってのもの。
得意? の季語の分解のつもりだけど、無理かな?

雪だより今さら写生論議など

2006-11-22 12:36:49 | Weblog

  旅に聞く鐘も冬めくもののうち   市堀玉宗  「栴檀」

結社発足当時は、ウチにも投句されていた方である。
たしか、第一期同人(諾否は別にして)でもありましたよね。
僕は一度もお目にかかったことはないが、豪快なお坊さんということだった。
梵鐘の音、お坊さんであることを知っている者は、尚更のこと、納得させられる。

掲句、下敷きとなっている句がある。

  欠航といふも冬めくもののうち   高野素十

「冬めくもののうち」はオリジナルフレーズとは言い難いので、
この残り八音勝負が許されるということだろう。
実際のところ、「もののうち」とするからは、「~も」まで必然で、
実質は七音で構成される冬めいた景を見つけだすことに掛かってくる。
短い時間で作る時などは、有力な型紙となるだろうが、
型を嫌うタイプの人からは、選で刎ねられることを覚悟しておくべきだろう。
「春」「夏」「秋」と入れ替えても、それは同じこと。

客観写生の極致とも言われる素十の句が、モノのない概念句で、
玉宗の句に「鐘」、それも「旅に聞く」と具体性があるのは、
立場が逆転しているようで、ちょっと興味をひいたので取り上げたのだ。


写生に関しては、竹中宏さんが最新の結社誌に次のように書いておられる。
T中宏と書いたり、実名を挙げたり(引用する場合はやっぱり実名でないと、ね)、
ここを読んでいただいているらしい○原T気さんがご覧になったら、
「アンビヴァレンス!」と叫ばれるかもしれないざんす。


よく聞くはなしに、写生がきわまれば、象徴の次元を現出すると。おおむねは、外野席からの不用意な発言として、聞きながしてよい。象徴性が写生とむすびつくばあいがあるとすれば、両者のアンビヴァレントな関係のうえにおいてである。それより、写生の目は、ときとして指さきに変貌する、すくなくとも、そうあろうと欲しているのだということを、よくのみこんでおきたい。(中略) 写生を意識したすぐれた俳人たちの念頭にあったのは、対象に対して自己の距離をどうとるかではなかった。そこに存在する距離の透明化は、距離の無化にほかならない。かれらは、世界を肌でたしかめようとした。目の窓から腕をのばそうとしたのである。


わかったようなわからないような一文である。
「指さき」「肌」「腕」と出てくるけど、要は、写生=目だけではない、
対象と対峙する際により反応する肉体の一部分があるはず、
つまり、写生=体感ということか?
それなら、こんな持って回った小難しい文章にせずとも、僕もそう思っているよ。
問題は、その体感から得た把握を、どう言葉に置き換えるかなんだけど、
全身全霊を傾ければ、おのずと言葉は蹤いてくるということか?
全文紹介できないのでなんだけど、次のようにも言っておられる。


写生の目は、善悪をこえたかなたにある存在のたしかさへ、とどかなくてはならないものである。


ま、うわべだけの写生句というものを否定されていることだけは確かだろう。
そこに内包されているものを見出せない写生句は認められないってことかな。

でも、竹中さんの一文、どうしてこんなに平仮名に開いてあるんだろう?
実作の場合は表記にも気を払うけど、散文の場合は概ね漢字を用いるけどね。
この引用文だったら、最低でも「ばあい」は「場合」、「うえ」は「上」、
「ときとして」も「時として」とするけどね。他の表記は、ま、いいとしても。
和語(訓読み)は、出来るだけひらかなで、という意識なのかな?

そのことを質問したりすると、「○本さん、わたし、漢字、よう知らんのですよ」
といった感じに、とぼけられるのがオチだ。


21日。
あたたかい一日。
半袖のTシャツで仕事が出来たぐらい。

夕食。
オムライス、ポタージュ。
久しぶりのDRY DAY。


知らない人にはわからないだろうけど、
「おわっちゃった…。」には涙が止まらなかった。

神戻しが吹く古色の万華鏡

2006-11-21 13:00:37 | Weblog

  天地の間にほろと時雨かな   高浜虚子  『虚子全集』

記すまでもないことだが、「天地」は「あめつち」、「間」は「あはひ」と読む。
「あひだ」「はざま」と読めなくもないんだけど、「ほろと」と合わない気がする。
別に、この句は解説するまでもないよね。名人芸をごゆるりとってところ。

他の「~かな」を挙げてみると、

  石ころも露けきものの一つかな   虚子
  遠山に日の当りたる枯野かな     〃
  流れゆく大根の葉の早さかな     〃

余裕を感じさせる詠みは好みとするところなんだけど、
万太郎あたりと比べると、小憎ったらしい気がしなくもないんだよね。
でも、ま、モンスターであることは疑いない。


20日。
土曜日の半ドン仕事分を納品。
外注先も、依頼した仕事を持ち込んでくる。
日曜日、雨だから仕事をしたようだ。
ま、一ヶ月早く集金出来るのだから、気持ちはわかるけどね。

夕食。
つくね薯の海苔巻き揚げ。水菜サラダ。味噌汁。
ビール2本。

21時より、タクシー運転手の通称専務と居酒屋Bへ。
帰宅23時。

ずっと送っていただいている「S臨」(届いていた)を少し読む。
  
  鯨のごとく山わらへども木響はない   宏

「木響」は「こだま」。
「木響なし」なんて、座五を収めると面白みが消えるんだろうな。

特集・句集評/『風招』 小林千史 、それぞれ面白かったけど、やっぱN田剛。
「オモシロイ句が随所に拾える句集」というのが当っているだろうな。
Sさんが言うところの「次、だろうな」とも繋がっている感じ。
万華鏡のエピソードから始まる打ち出しが即かず離れず効いている。
彼が書いているような文章を「この人この一句」に書いてみたいけど、
持っている資質が全然違うので、それは無理。背伸びせずに書くべし、寿司江。
でも、彼のものの見方は、いい意味でちょっとヘンだよね。

  憎しみ募らすひとときにして袋掛   剛

蕎麦掻やさあ騙されに行きませう

2006-11-20 12:51:45 | Weblog

  贋作に歳月の艶枇杷の花   中戸川朝人  『星辰』

京都では紅葉(秋)はまだまだ、この週末よりも十二月の頭がベストだと思う。
ところが、枇杷の花(冬)はというと、大徳寺にある一樹を知っているのだが、
18日には、すでにかなりの花が萎びていたように、晩秋が旬となっている。
総てを地球温暖化の所為にするのもどうかと思うが、その影響は大なのだろう。
でも、枇杷の花を愛でるのは、俳句の世界だけかもしれないね。

さて、掲句。
鑑定におもむく慧眼を騙し通して、
のうのうと奉られている贋作もあることと思う。
それはそれで、その贋作師を僕は尊敬したい気持ちでいる。

能面師のK勲さんによれば、能面作りにおいても、
わざと汚す技法というものがあって、その巧拙が技量の一つらしい。
染めの仕事でも、祭礼用の衣装・飾りを新調する際には、
それなりの汚し(経年を感じさせるようなくすんだ色目)を要求される。

この句の眼目は、やや作為は感じられるが、「贋作」に「艶」、
そして、およそ「艶」とは縁遠い、枇杷の花を取り合わせたところだろう。
長く愛唱する句ではないが、歳時記での一読目には惹かれるタイプの句だ。

中戸川朝人は「方円」の主宰。師系、大野林火。
朝人については、詳しくは知らないが、あまり大野林火的とも思えない。

  断崖に森の終れる巣箱かな   朝人

僕は、表題句よりこの句の方が好き。


19日。
京都では、11時過ぎより雨が降り出す。
学区のソフトボール大会が雨で中止になったので、
競馬GⅠ「マイルCS」に注力できるようになったのだが、
どうも、⑩ダイワメジャーという馬とは相性が悪いらしく、
買えば来ない、買わねば来るという、その繰り返し。
今回は、直前の雨もあったので、渋めの馬場巧者として仕方なく買うことに。

相手本線は名手デットーリの乗る英国馬①コートマスターピースを選ぶ。
どうして、コートマスターピースを買ったのかというと、
この馬、来春から日本で種牡馬になることが決っていて、
ここで、その雄姿を披露できれば、種付希望も増えるということで、
陣営も目一杯の仕上げで臨んでいると推測したからだ。

結果は1着⑩ダイワメジャー、2着⑦ダンスインザムードの本命サイド。
押えの馬券として買っていたから、かすかなプラスにはなった。

だけど、馬の所為かもしれないが、デットーリの騎乗ぶりにはがっかりだったな。
①コートマスターピースは18頭中の7着。

時間的には遡って、東京国際女子マラソン。
今日のスポーツ紙、勝った土佐礼子より、失速3位の高橋尚子が一面。
体調不良もあったかもしれないけど、やっぱり歳の所為なんだろうか?
土佐に負けるのは仕方ないとして、尾崎朱美に抜かれたシーンは屈辱的。
でも、尾崎朱美、来年の春に結婚するらしいけど、プリプリして可愛かった。


夕食。
チーズフォンデュ。
ビール2本。

屋上の監視カメラは嚏かな

2006-11-19 09:29:22 | Weblog

  屋上にバケツ置き去る冬銀河   五島高資  『雷光』

「置き去る」ということは、分かっていて置いてきたということ。
水が張ってあるのか、空っぽなのかは、読み手のご随意に、となる。
季語が「冬銀河」とあれば、水の張ってある景を浮かべる人が多いことだろう。

バケツを置き去った主の動きが見える一場面から、
(屋上の重い鉄の扉がガチャンと閉ざされる音まで聞こえるようだ)
一転、冴え冴えとした夜空とバケツとの静寂の時間が続くこととなる。

でも、何のために、それも夜に、屋上へバケツを持って上がったのだろう?
とまで思わせれば、完全に作者の思う壺に入っていることになる。


17日。
普通に仕事。

夕食。
嫁はん、お疲れのご様子で宅配ピザ。
ドミノのクロワッサン生地。なかなかいける。
ビール2本。


18日。
半ドン仕事をしてから、紫野の両親の家へ。
年賀状の図案の提案もろもろ。
昼食&軽くビール。

3時前に家に戻って、競馬中継を見る。馬券は買わずに見ただけ。

夕食。ちゃんこ鍋。
熱燗2本。ビール1本。


今日19日は学区のソフトボール大会の予定だったが、
雨天の予想のために、26日に順延に。
でも、今(9時20分)現在、雨は降り出していない。
ということで、↓も伝えたかったので、日曜日の書き込みを。

私的報告。
PCのメールBOX、復旧しました。
ご迷惑をおかけしました。

懐手したる男の堅牢度

2006-11-17 12:29:05 | Weblog

  毛糸選る欲しき赤とはどれも違ふ   山下知津子  『髪膚』

ウチの仕事のメインは振袖なので、
染め色としては、朱・赤系統が一番多く使われる。ただ、その色目は多彩。
今、手許に角川書店刊『色の名前』があるけれど、
自然が作り出した色(草花・蝶など)にはとても勝てない。
たけど、鮮度等発注先は無理難題を言ってくる。
鮮度を上げるとなると、使用できる染料が限られ、堅牢度が落ちる。
だけど堅牢度も落とすな、消費者からクレームが付いたらお前んとこの責任だと。
(注)堅牢度には、耐光、耐水があるが、濃色(赤)の場合は耐水(色落ち)。
ま、ウチの仕事だけでなく、どこの仕事でもそうだろうけど、……。

知津子の句は、色に携わる仕事をしている者からすれば、共感の一句である。
「どれも違ふ」は、確信犯的字余りだが、これも効いていよう。
この「赤」、かすかな錆び目を求めているような気がするがどうだろう?

色見本付きで来て、染め上がった色の方が絶対いい色だと思うんだけど、
それでは通らない。僕的には色目が悪くなると思っても、見本に合わせる。
味覚のようなもので、色に関しても、その好き好きは千差万別。
発注された色目を見て、その相性の良し悪しはすぐ分かる。
そういう色彩観の合わない得意先の仕事は、身が入らないね、やっぱり。
でも、作家ではなく職人なので、自己を主張することは出来ないのだ。

前にも書いたけど、ダンディーにはよく言われた。
「お前さん、色に関わる仕事をしている割に、句に色彩感がない」と。
そう、最近はダンディーに言われたことを思い出して句を作る日々なのだ。


支部句会出句分へのセンセの評・添削が返ってきていたけど、
僕が句会の時に発言したことと同じことが書かれていて、苦笑い。
すべて欒の会のメンバーの句なので、ここに披露しておくと、

  白壁に朝日ぼんやり新豆腐  選・T子姐さん

(センセ) 白壁→豆腐(白)という伏線が見えるのは私だけ?
(T子姐) ぼんやりがよく効いている。そこで切れて「新豆腐」、いい感覚
(寿司江) 白繋がりはもちろんのこと、ぼんやり→おぼろ豆腐まで見え見え

  叩かれて浮ぶ血管烏瓜  選・T子姐さん他二名

(センセ) 烏瓜-赤-血管とルートはつながっているのだが、
        それだけで付け合いは成功だろうか
(T子姐) 点滴の経験がないので上句はよくわからないけど、
        きちっとした詠み、このスピード感はいい
(寿司江) 血管-血-赤-烏瓜、上句もすでに誰かが言っているような

ただ、僕は作為が見えて採らなかったけど、

  自転車に花柄蒲団着せてあり  選・T子姐さん他三名(最高点句)

に、△が入ってなかったのは少し意外だった。
どうも、センセは自転車に蒲団を干されある景と思われなかったみたい。
「干されあり」だとそのままだし、「着せてあり」は作為的だし、
難しいよね、このあたり。

  よく晴れて花柄蒲団自転車に

としても、「よく晴れて」が「わかってよ!」と物欲しげだしね。

そうそう、メキシコへ葉書を連れてってもらうべく、
久しぶりに、締切日前の投句を済ます(それも普通郵便で)。


16日、その他の出来事。
この日は赤ではなく、黒を中心に染める。
絞り部分に二色を入れる品物は、赤と黒が一つのパターン。
ただ、黒と言っても、紅下黒・藍下黒他、一筋縄では行かない。

夕食。
サンドイッチとビール1本飲んで、学区の防災訓練(12月3日午前)の説明会に。
これは町内会長として、町内の防災委員と共に出席。

終了後、その防災委員と浅酌。
帰宅、23時。


私的連絡。
昨日の朝より、調子の悪かったメール機能ですが、
今現在、送信も出来ませんし、着信を見ることも出来ません。

仕事場のPCも、家のノートPCもそうですので、
プロバイダー側の問題かと思われますが、問い合わせの電話が通じない状況です。
と、いうことでしばらく即、返信はできませんのでよろしくお願いいたします。

16日、朝一番の原稿はトラブルがあったものの何とか送れて、それだけが幸い。
ネットに関しては、ここに書き込めたように問題ありません。

もろがへり前妻後妻相正座

2006-11-16 12:45:13 | Weblog

前妻=こなみ 後妻=うはなり


  拝むとき何も頼まずかいつぶり   中西夕紀  『都市』

中西夕紀は、僕と同じ昭和28年生まれ。
巳年の男云々よりも、巳年の女性はほんとうに個性が強い。
それは僕の周り、同級生・町内の女性(特にバツイチ)の印象が強い所為かも。
ウチの結社では29年生まれ(馬)の女性(男性も)が多くて、ここもスゴイけど。

  猫の恋シャワー激しく使ひけり   夕紀

別にこのような句から、それを思うわけではない。
そう、シャワーを浴びて「地獄へ堕ちる」と実感される方もおられるわけで。

それはさておき、同年生まれという贔屓でもないが、この方の俳句は好み。
第一句集である『都市』。その表題を立たしめた句は、

  都市暮しやどかりほどの音たてて   夕紀

第二句集『さねさし』を含めて挙げてみると、

  いなり寿司百個のにほふ海の家   夕紀
  桔梗とひとつこころの正座かな     〃
  へうたんの誰か触つてゆきし揺れ   〃   
  片手から両手にもらひ桜貝       〃   

意外と、この三句目、四句目あたりが、彼女の本領なのかもしれない。

表題の「かいつぶり」の句は共感の一句。
僕の場合、いい加減だから、偶に神様にお頼みをすることもあるけど、
願い事が何もない時は、掲句の通り体裁だけを繕っているもの。
かいつぶりの水中へ潜(くゞ)るときの姿と微妙に繋がっているところが面白い。


15日。
七五三。されど、隠し子にもそんな歳の子はもういない。


夕食。
オムレツ・自家製ピザ(生地は市販のもの)・コンソメスープ鷹の爪入り。
ビール2本。

酔いが半ば醒めた21時過ぎ(サッカー中継終了後)より、
仕事場へ行って、「この人この一句」を書き上げる。
やろうと思えば出来るのに、ぎりぎりにならないとかかれない体質に。

24時少し前、ようやく自らにお疲れさんの缶ビールロング缶。
このようなブログと違って、正式な文章? はまだ時間が要るね、僕の場合。
もちろん、PCでの検索他、引用・確認作業も入れてだけどね。
それでも、KMだったら、1200字程度なら一時間弱で書き上げることだろう。

家に戻って、25時前に眠りにつく。

冬あたゝか剥がすつもりの糊付けも

2006-11-15 12:34:28 | Weblog

   百合鷗よりあはうみの雫せり   対中いずみ  『冬菫』

賀茂川(出町柳以北)・鴨川(以南)にユリカモメがやってきている。
東京の隅田川も、ユリカモメの飛来地で有名らしいが、
京都へやってくる派と東京へ向かう派とは、少し性格が違うのだろうか。

関東では「都鳥」とも呼ぶのかもしれないが、京都ではユリカモメとしか呼ばない。
京都のユリカモメは、朝から夕方まで賀茂(鴨)川にいて、
その後、比叡山を越えて、琵琶湖にあるらしい塒まで移動する。
素人考えを持ってすれば、ずっと琵琶湖で過ごせば楽なのに、とも思うが、
運動不足の解消でもないだろうが、ご丁寧に京都まで通勤してくれるのだ。

というわけで、京都の者(作者の対中いずみさんは滋賀県在住)から見れば、
掲句は、常識であることを甘美に詠み込んだに過ぎないんだけど、
常識を消して、白紙で見れば「あはうみの雫せり」は巧い措辞だと思う。

そう、僕は、朝になって賀茂(鴨)川に戻って来た百合鷗から、
琵琶湖の雫が落ちた、という風に思えたという見立ての句と受け取ったけど、
作者の住まいからすれば、琵琶湖に居残る百合鷗を客観的に詠んだのかな。

対中いずみの俳句は、僕から見ればパンチ不足に感じられるんだけど、
句歴五年で賞を取るんだから、逸材には違いあるまい。


14日。
普通に仕事。

ミニまむし(うなぎ丼)とビール1本を飲んで
19日に行う学区のソフトボール大会の組み合わせ抽選会へ。

抽選会終了後、体育振興会の新しい企画「太極拳」の話をしていたら、
携帯電話が鳴る。支部句会関係のある方よりの朗報だった。
この件については、まだ記さないことにする。

22時頃より、居酒屋Cにて浅酌。
帰宅、23時50分。

ほろ酔いで結社誌を読んでいて、役者名の間違いを見つける。
「朗」と「郎」は、「美」と「実」と一緒で、よくあることだけどね。

ところで、結社誌38・39頁の半面糊付けは、もうお済みでしょうか。

厨さんは、有難くも「面白し。溺れるは自己陶酔の●司自身ではないか」と。
はい、文字通り、自己陶酔の男でございます。
とろろ汁に溺れてみたい男でございます。


業務連絡。
Sさん、例のもの、明日の朝一番に送らせて戴きます。
Sさんには甘えっぱなしだったけど、
M論ちゃんには、もう少し早く送るようにしないといけないだろうな。
Sさん、お疲れ様。M論ちゃん、お世話になります。

葛湯吹く後ろ姿がアナーキー

2006-11-14 12:42:39 | Weblog

  死の使ひ大根畑抜けゆけり   加倉井秋を  『隠愛』

やっぱり、一度取り上げた作者の句が二度、三度となっていくね。
いかに守備範囲の広いことを自称している寿司江でも、
好きな作家となると、ある程度、限られてくるということか。
加倉井秋をも二度目。

「死」と「大根」といえば、

  死にたれば人来て大根煮きはじむ   下村槐太

を、真っ先に思い出すけども、
この槐太の句、「死にたれば」「人来て」「大根煮きはじむ」と、
一般的な見方をすれば、時間経過、叙述の過ぎた句となっているんだけど、
それが、「死」との絡み(含みが大きい)ゆえに相乗効果を上げている。
叙述の過ぎた作としては、珍しい成功例と言えるだろう。

ということで、この秋をの句も、
「死」との絡みゆえの面白さに惹きつけられたということになろう。
まず、「死の使ひ」が有形なのか、無形なのかといったあたりが興味をひく。

「死」を詠む際、肉親の場合などはそうもいかないことは承知しているが、
距離をおいて、達観視しないと読み手の鑑賞には堪えられないことが多い。
ま、

  今生の汗が消えゆくおかあさん   古賀まり子

といった例外もあるけどね。

秋をの句に話を戻せば、
有形の場合、大根畑を抜けて行った人が死を招く者(死神)のように映った、
無形の場合、発話者が不穏な空気・気配を感じたということになるのだろう。

一言で「大根畑」と言われても、イメージは湧きにくいかもしれないが、
すでに収穫されていて、引き抜かれた穴が残されているところと、
まだ未収穫のところとが混在しているような畑であるとすれば、
当然のこと、引き抜かれた穴=死 と受け取ることも可能だろう。

こんな見方をよく披露するから、
あなたは感覚ではなく、理屈でしか読めないのね、と言われるけど、
結社に入ってからは、このあたりを拠り所にしてしまったわけで、
一種の癖のようになっているので、なかなか抜けないように思う。

表現面でも、「使ひ」は軽妙かつ複雑な意味を持たせている。
「○○ちゃん、畑から大根一本、抜いて来て」と母親に頼まれた
お使いの少年の姿を見て、といったところを起点にしてるとも思えるから。
死は無邪気に選ばれる、とまでいえば、言い過ぎだろうか。


13日。
結社誌11月号が届く。

  気が付けば野洲にゐたりて蟲を聴く   道夫

前書、注釈付きだけど、

  なつかすみ刎頚に朋選み抜き   道夫

に続き、是非とも句集にまで入れていただきたく。


(特注)38頁・39頁に付きましては、予め横二分となるように鋏を入れ、
上半分の(もちろん)内側を糊付けしてから、残った下半分のみお読み下さい。
そのまま読んで、宇宙酔い? を呈された方がすでに二名ほどおられます。

伊藤野枝と緑魔子には、してやられたなと脱帽する。
Mどりさんのここぞ! という時の瞬発力はスゴイ!
アナキスト大杉栄と伊藤野枝との間に出来た長女の名が「魔子」なんだよね。
おそらく、ここまで計算された締めの一句のように思う。

MAさんの十句が一番丁寧に作られてるん(でも少しヘン)だけど、
あとの二人がもっともっとヘンだから、逆に浮いてしまった感もある。
でも、これまでで一番素っ頓狂な《テーマ詠》、それも許されよう。


夕食。
キムチ鍋。
ビール2本。