鮟鱇のこのほほゑみの顔を見よ 今井杏太郎 『海鳴り星』
僕は今井杏太郎の決していい読者ではない(句集を買って読んでいない)が、
掲句の「この」と「見よ」は、少し意外な気がして、逆に気になった一句なのだ。
僕が抱いている今井杏太郎の句風からすれば、
鮟鱇のほほゑむ顔を見てをりぬ
といった感じを思い浮かべるのだが、
それでは、鮟鱇の顔に焦点を当てて詠む場合、生ぬるいと思われたのだろう、
「見よ」は、普段、温厚な人がここぞと言う時に放つ「一喝」のようなものに映る。
今井杏太郎は俳句的叙法の一つ、否定表現を用いないと読んだことがある。
句集を通して読んだことのない僕にも、そうなのかなと合点がゆく。
枯れつづく草に日向のありにけり 杏太郎
秋の夜は海の岬の空にあり 〃
老人の遊びに春の睡りあり 〃
否定表現を用いない=「~あり」の句とは括れないが、
(こすもすのをはりは草になりにけり 杏太郎 なども明らかに肯定)
見たこと、感じたことを肯定する優しさは、いずれの句からも感じ取れる。
したがって、「鮟鱇」の句が否定表現を用いたかのようなインパクトを与えるのだ。
茫洋とした句だけど、次の句なんかも混じってみるとインパクトがある。
湯冷めとは松尾和子の歌のやう 杏太郎
得といえば得な人だ。でも、それは自らの世界を築き上げているから。
藤原龍一郎が言った「浮力のある文体」、これも当たっていると思う。
11日。
ここに書き込みをした後、金曜日に染めた品物の整理をする。
10時から向かいの小学校の統合10周年記念式典。
正しくは、新しい校名が生れて10周年ということだが。
11月11日。イイ・イイだからこの日にしたのか、大安だからか?
元PTA役員・現町内会長として列席。
式次第はお決まりのもの。とどこおりなく進み、紅白饅頭を貰って帰る。
夜は、町内の通称社長が胃ガンの手術からかなり回復されたので、
久しぶりに、(通称)会長・社長・専務・部長・社長夫人・バツイチ、
そして、小間使の僕との七人で「巷への復帰を祝う会」。
最近、お気に入りの店にてコース料理(社長はアラカルト)で呑む。
終了後、社長夫婦を除く男四人&バツイチで、まだ串揚げを食べに。
この日はスナックへは行かず、ここでお開きに。
帰宅24時前。
12日。
競馬、GⅠ「エリザベス女王杯」。
何とも、後味の悪いレースとなってしまった。
馬券的には、僕は今年の一押し牝馬とこのブログにも推奨した、
⑮フサイチパンドラから馬連で流したから、美味しい方の馬券が当たったけど、
やっぱり、⑯カワカミプリンセスが王妃らしいレース内容で勝って、
⑮-⑯の払い戻しを受けた方が、気分が良かったことだろう。
今の段階となって、冷静に判断してみれば、
カワカミプリンセス>フサイチパンドラであることは明らか。
でも、オークス2着で僕に報いてくれたフサイチパンドラを見限れなかった。
(桜花賞惨敗、秋華賞3着でくやしい思いもしたけれど、……)
馬主が嫌いだからフサイチ絡みの馬券は買わないという奴もいるけれど、
買われた馬に責任はないわけで、僕は何のこだわりもなく買っている。
あの降着は厳し過ぎるという見方もあるようだけど、妥当なものだと思う。
もし、騎手の本田があれだけの脚を使えると信じていたのなら、
多少のロスはあっても、馬をフサイチの外へ出すべきだったのではないだろうか。
前走の秋華賞でも、4コーナーでの反応は良くなかった。
今回もスムーズな進出はできず、本田は左ムチを入れて内へコースを取った。
推測ながら、あの段階で外へ出す余裕はすでになかったように思われる。
強引なレースをするなあ、と瞬間的に僕は思ったもの。
でも、一旦加速が付けば、カワカミプリンセスは一級上の脚を繰り出せる馬。
もし、ロスを覚悟でフサイチの外へコースを取ったとしても、
ゴール前で頭ぐらいは抜け出していたのではないかと思う。
ま、結果論といえば、結果論だけど。
GⅠレースの一着降着といえば、天皇賞・秋のメジロマックイーンを思い出すが、
僕が経験した一番痛い降着は、同じエリザベス女王杯でのヒシアマゾン。
人気の落ちた女傑ヒシアマゾンとダンスパートナーとで勝負して、
見事に嵌まったんだけど、長~~い審議があって降着(2着→7着)に。
実質の損は他の外れレースと同じでも、払い戻し分を損した気分になるのだ。
今回も、そのような人が沢山おられることだろう。
特に、単勝(2.7倍)でど~んと勝負された方は。
夕食。
馬券が当たったからではなくて、鮨を出前で。
熱燗2本。ビール1本。