これでお開き

体育会系俳人のつぶやき

句風からすれば蛭など呼ばざりき

2007-07-31 12:21:26 | Weblog

  かへりみし浮巣は遺言のやうに   吉本伊智朗  『壺折』

一読、肯える措辞だと思う。
直喩俳句はこうでないといけないんだろうな。
考え込んで肯うってのは、その作者(の名前・名声)に引きずられているのだろう。

前にも書いたけど、吉本伊智朗は地味な俳人だけど、
関西では、波多野爽波の思いを最も継承している実力俳人と言われている。
だけど、上記のコメントは、決してその評価に引きずられてはいない。

ただ、ウチの結社の句風からすれば、
「かへりみし」と「遺言」は、即くとの指摘も当然あろう。
そこで、

  遺言のやうに浮巣のありにけり

とする手も考えられるんだけど、
どうなんだろうな。やっぱり、こっちの方がいいか。
「かへりみし」という打ち出しがさほど効いていないね。
個人的な好みだけど、「し」(過去の助動詞「き」の連体形)もイヤだしね。
最近、結局は取り上げた句を貶していることが多いな。
(句を取り上げようと思った時点では、貶すつもりは全くないんだけどね)

ご意見があれば、是非コメントを。


30日。
選挙投票済証を持って、居酒屋Bへ。
8月12日までの二週間、おあいその時に示せば一割引となる。
夕食後なので、黒枝豆(お替り一回)と生ビール云杯。
我ながらよく呑むねえ。

ま、枝豆とピザがあれば、何も要らない。楽な夫です。

金魚玉鎖国となりて久しかり

2007-07-30 13:15:32 | Weblog

  安房は手を広げたる国夏つばめ   鎌倉佐弓  『潤』

「安房」(「安房の国」)を詠んだ句と言えば、この佐弓の句と、

  貝こきと噛めば朧の安房の国   飯田龍太  『山の木』

を、まず思い浮かべる。

Sさんはかつて、

  たんぽぽの花に坐れば安房の国   今井杏太郎  『通草葛』

を、第三極の句として取り上げられて、

鎌倉佐弓の「安房は手を広げたる国夏つばめ」の知性より、飯田龍太の「貝こきと噛めば朧の安房の国」の感性より、杏太郎の痴呆性(ごめんなさい)に惹かれてしまう。

と書いておられたが、その言は十分理解できる。

ただ、僕に限っていえば、いまだに鎌倉佐弓の青春性に惹かれている。
決して、痴呆性に対しての青春性というわけではなく、
僕は鎌倉佐弓の句に知性を強く感じないのだ(少しは感じる)。
青春性=詩性というのは短絡だと思うけど、ま、詩といえば詩なのかなぁ。
もちろん、龍太も杏太郎も好きだけど。


28日。半ドン仕事。
夜は、町内会有志(若手メンバー)とビアガーデンへ。
飲み放題、食べ放題で3,780円。
ただ、そこだけで終わるわけでなく、二軒目、三軒目へ。
最近、若手連中と呑む時は僕が最年長、
長老と呑む時は僕が最年少ということが多い。
もちろん、若手と呑む方が楽しい。たとえ、ふところは痛んでも。


29日。軽い二日酔い、それでも投票所(向かいの小学校だけど)の受付に座る。
したがって、第五日曜・超結社の勉強会は欠席に。
最近、入れ違いになることが多く、長いことKMとも会っていない。
一度、ふたりだけで会って、いろんなことを話してみたいな。
この日は、KMがあるテーマに付いて発表すると聞いていたので、
是非行きたかったんだけど、政権与党の会期延長→投票日延期でパーに。
投票所の後片付けを終わってから、学区の知り合いと浅酌。


参院選の結果は、大体予想通り。

安倍晋三は、ヘボ閣僚への弁護を自分自身に対しても行っている。
党首討論で「小沢さんと私とどちらが総理に相応しいか」と言っておきながら、
負けたら知らぬ顔で、今後も私の国づくりを推進して行くのが使命、なんてね。
柳沢厚労相や故松岡農水相に政務に邁進してほしい、と言ったのと同じ。
ま、別の意味で、筋が通っているといえば通っている。

麻生太郎がアルツハイマー発言をしていなかったら、
ここは麻生で、という意見がもっと出て来るんだろうけどね。
ま、麻生太郎は安倍晋三より人間的面白みはあるけど、失言だらけだろうしね。
でも、ホント、この人に! という人材が自民党にはいない。

この期に及んでは、内閣を改造するんだろうけど、
「政治とカネ」、特に「出」の問題で100%クリーンな人って自民党にいるの?
クリーンだけど、ロートル・政治力ゼロじゃ余計に失望となってしまうしね。

ま、勝った小沢一郎も早速のサボリだからな。
テレビ各局盥回しで、同じことを何度も訊かれる鬱陶しさはわかるけどね。
仮に体調が悪いにしても、一度だけ党本部で会見を開いて、
申し訳ありませんが、体調が悪いのでこの場で失礼します、それでいいじゃん。
おそらく、どっかのホテルで今後の戦略を練っているんだろうな。

でも、小沢一郎は、この前の時も羽田孜に総理をさせたように、
仮に、解散総選挙で勝っても、金魚掬いのような感じで総理を選らぶんじゃないかな。
ま、差し当たり、旬は過ぎてしまったけれど、菅直人あたり。
やっぱり、院政というか、ドン金丸信的な存在でありたいんだろうな。

道を訊く日焼けしてゐぬ少年に

2007-07-28 11:40:56 | Weblog

  舟虫が逃げて少年また独り   森 武司  『遊神』  

この句に限らず、俳句で詠まれる「少年」には淋しい翳がつきまとう。
生まれついた時点から男の悲哀を背負っているかのように。


27日。京都の最高気温は35℃まで。
夕食。豚の冷シャブ(土台には生野菜)、ニンニク芽の炒めたん、
炒飯、ビール2本。

精一杯、詩人を演じるとこんなブログになる。

(岡田監督の采配、巨人・内海の完封勝利についても書きたかったがやめておく)
(小沢一郎、僕と一緒で口べただから、決して嫌いではない)

恩師なることを踏まへて蜘蛛の糸

2007-07-27 12:54:24 | Weblog

  改暦や競泳いつせいに潜る   竹中宏  「翔臨」

「翔臨」第59号、表紙裏「椒林」10句中の一句である。
「椒林」は、過去「翔臨」に発表された句より当季の秀句が抜き出してあるようだ。
ここの10句を見るだけで、この結社誌(同人誌ではない)の力量を感じ取れる。

「改号や」じゃないので、昭和から平成への移りではない。
年が改まること(新年)、あるいは太陰暦から太陽暦ってことだろうか。

たしかに、競泳は飛び込まない背泳ぎでも一斉に潜ってスタートする。
ま、発見の一句といえるが、そこに「改暦」を持って来るところが竹中宏。
八人の泳者が一斉にもぐって、一斉に浮き出てくる、
ある意味、理で繋がっていると言えなくもないが、これぐらいはね。

  二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり   金子兜太

を思い出したりもする。

でも、今号に収載の

  山の湯に冬のおとろへし日が浴みゐる   宏

こんな句は作ってほしくないなあ。
う~~ん、

  山の湯に冬日浴みゐる吾がおとろへ

とは詠みたくなかったんだろうけど、この方が氏らしいと僕は思う。


26日。
母の誕生日。76歳になった。
痩身、食は細いけれど、元気だ。
大病をした時の体力は心配だけど、軽く動ける強さはある。
このブログにおいて、父のことはよく書くけど、
母のことはあまり書いた記憶がない。

僕の場合、18歳からほぼ30年間、
家業において、父と一緒の時間が長かったわけで、
一般的に言われている父と男の子との間の煙たい関係というものは全くない。
もちろん、母がその場に一緒なら更に和むわけで、嬉しいんだけど、
そういうクッションのような人だから、あまり書くことがないってわけ。
ま、あの父には母のような人じゃないと蹤いて来れなかっただろうな。
僕の嫁はんも従順ではあるけれど、母ほど気が利かない。
その気が利かないことが、僕には気楽で好きなように飛んで行っているけどね。
で、珠ちゃんはどんな奥さまぶりなんだろう?

夕食。
嫁はん、ヤクルトおばさんの仕事にお疲れのご様子で宅配ピザ。
ビール2本。

ま、僕はピザだったら毎日でもいいぐらいのピザ好きだからね。
それを踏まえてだったら、嫁はんの方が一枚上なのかもしれない。

ついに阪神タイガースが借金を完済。
ちなみに、ウチは父が阪神ファンで、母は巨人ファン。
嫁はんは野球には全く興味を示さない。

したしさの裸電球夏痩せて

2007-07-26 12:48:44 | Weblog

  空蝉も硝子の仲間に加へけり   岩淵喜代子  『硝子の仲間』

句集の題名にもなっているのだから、作者にとっては自信作なんだろう。
もちろん、発想としては十分に肯えるものだ。

でも、中八はかなり気になるし、
「加へけり」は余計な説明だと思うんだけどね。
作者には失礼ながら、僕だったら、

  空蝉も硝子の仲間/○○○○○

とすることだろう。
もちろん、季語以外となる座五は難しいけどね。

今現在の僕の作句スタンス、
【切字(特に「かな・けり」)を柔軟に用いて、しかも緩くならないようにする】
は、実力とは不似合いなものと理解はしているけど、
ハードルは高い方がよい、と信じて進んでみたいと思っているわけ。

  
25日。給料日。
親父が「暑い、暑い」と言いながらやってくる。
暑かったら来んでもええのに、心配なのかきっちりやってくる。
足腰はまだ達者だけど、後ろから見ると背中はかなり丸くなった。
近所のうどん屋(最近、お気に入り)で昼飯を奢ってもらう。
この店へ来るために、わざわざ足を運んでいるのかもね。

夕食、
かつおのたたき、納豆おくら、ポテトフライ。
もう一品(椀物かな)ぐらいあってもいいと思うから、夏痩せとは無縁。
ビール2本。


セリーグ、いよいよ阪神タイガースの借金が1にまで減る。
負けが込んでいたころ、公式ホームページの「VOICE(掲示板)」に、
岡田監督の采配をぼろくそに書いていた批判派も最近は陰を潜めている。
その元凶であった今岡を二軍に落とした英断もあったからね。
今の勢いなら阪神が一位でプレーオフとなるかもしれないね。
やっぱり、今「J」は故障中だけど、抑えのJFKは万全だもん。
三菱東京JFK銀行というぐらいにね。
巨人・上原、意外と抑え向きかもしれなけど、藤川にはかなわない。

大リーグ、見ないわけじゃないけど、
僕は、基本的にサンデー・モーニングの張本勲と同じ考え方。
ま、あっちゃむいてほいの岡島だけは応援しているけどね。

アジアカップ、対サウジアラビア戦。
ま、日本のエース、俊輔に目立った働きがなくて負けたって感。
連戦の疲れからか観ていて、動きに切れがなかったね。
日本の得点がDFの中澤・阿部ってのもその証左。
彼らはDFの犯した? ミスを自らの闘志で取り返した。
だけど、決勝点となった3点目は取り返せなかったってこと。

毎度見かけるサイドへのパス回しだけど、あれ自体は悪くない。
ただ、そのスピードの緩さから一転しての早い攻めがあってこそで、
ずるずるとやっていたら、そのうちパスミス・インターセプトされてしまう。
難しいところなんだけど、もう少し縦への個人技も磨いてほしい気がする。
対ベトナム戦の遠藤-駒野-遠藤-駒野-遠藤-俊輔→ゴールを見ると、
ああいうパス回しからのゴールが、オシムの好みなんだろうけどね。
今後は、決して巧い選手ではないけれど、闘莉王の代表復帰に期待したい。

もうひとつ白状すれば箒草

2007-07-25 12:53:31 | Weblog

  象潟や雨に西施がねぶの花   松尾芭蕉  『奥の細道』

俳句をはじめた頃、掲句に接したのだが、全く意味不明だった。
今となっては、単なる教養不足、勉強不足なんだけど、
芭蕉等の古典を読む気がしなかったのは、この句の影響大。

掲句、『奥の細道』「象潟」の次の一節が読み解く鍵となっている。

松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

この「寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり」に、
呉越時代の絶世の美女、「西施」の悲劇を被らせたのだ。

口語訳をすれば次のようになる?

象潟よ、その憂いを含んだたたずみは、合歓の花が雨に打たれたような美しさで、かの中国の美女・西施が眉をひそめたときの美しさのようにも思えることよ。

(注)西施は「水戸黄門」の冒頭シーン等でよく出てくる、「うっ!持病の癪が……」という癪持ちで、苦しさに眉をひそめる仕草がとても美しく見えたと伝えられている。

「雨に西施がねぶの花」、流石に調べはいいし、この助詞の使い方は学びたい。
芭蕉を真剣に勉強したら、下手な俳句も少しは巧くなるのだろうか?

でも、自分で不思議に思うことは、
高校時代、「古典」なんか無視して赤点だけを避けていた程度だったのに、
その後、30年ほど経って、俳句なるものに関わってからは、
京大出のダンディーに意見するほどに、古典(古語文法)に詳しくなるんだからね。
ま、食わず嫌い、意外と「縛り」が好きだったのかもね。

白状すれば、「西施」は「死者へのお布施」のようなものと思っていたのだ。
雨に濡れたお布施は合歓の花となる、う~~ん、確かに合歓の花は仏教的ではあるってね。


24日。
近畿地方も遅い梅雨明け。

夕食。
ミートローフ、ブロッコリー・水菜のサラダ、コンソメスープ。
ビール2本。


プロ野球後半戦開幕。
セリーグのプレーオフは中日・横浜・阪神となる感じ。
巨人、これまで上手く流れていただけで、まだまだ力不足だよね。
去年は交流戦前まで、今年は交流戦を終えた時点まで。
ま、来年はやってくれるだろう。

アイドルのつゝましやかや夏の菊

2007-07-24 12:41:27 | Weblog

  愛欲やすこし夕焼を眼に入れて   秋元不死男  『瘤』

「ゆやけ」と読ませることは、基本的に避けたいというのが僕のスタンス。
でも、掲句の場合は、「夕焼」「眼」と漢字がつづくことを避けたかったのか?
が、それも「夕焼け眼に入れて」と「け」を送れば避けられる。
「ゆやけ」とか「ゆだち」と読ませるのが平気というか、好きなのかもね。
かくいう僕だって、「梅雨入(ついり)」はよく用いるから、
確固たる信念を持っているわけでなく、単なる好みに過ぎないんだけど。

ま、「愛欲」と鮮やかな夕焼の色とのイメージ連鎖は分かるし、
「すこし」という措辞が、その愛欲度の微妙さを表していて奥深く映る。
ここを書いていて、結構、秋元不死男が好きなんだなと改めて思っている。

小柳ルミ子と石橋正高、27歳年下の男との恋愛。
でも、小柳ルミ子は僕より一つ年上だけど、
いまだにあのプロポーションを保っているのだから立派だと思うよ。
大澄賢也もそうだったけど、男は28歳頃が旬という考えが彼女にはあるみたい。
男性側からで、思い出すのは元ヤクルト・巨人のロベルト・ペタジーニ。
友人のお母さん(25歳年上)と結婚をしたんだけど、日本でもラブラブだった。
でも、石橋正高の父・石橋正次(『夜明けの停車場』)の心境は複雑だろうな。

小柳ルミ子がアイドルだった僕の青春時代、
他にも、天地真理・麻丘めぐみとかがいたけど、僕はシンシアこと南沙織派だった。
ま、男だから、小柳ルミ子のビキニ姿には惹かれるものがあったけど、……。


さて、21日の土曜日は大阪句会にお邪魔。
珠ちゃんのご結婚・ご懐妊のお祝いもして、
その後、二次会ではマッコリを水のように呑んだわけで、
後から結構効いてきて、カラオケで「いとしのマックス」を歌ったあとの記憶はない。
でも、野洲へも行かずに京都へ帰っているのだからエライものだ。

22日・日曜日は、僕の都合で替えて貰った町内会地蔵盆へ向けての寄り合い。
例年通りということで、終わってから、いつものように浅酌。

23日は急ぎの仕事もあって、ここを書けず。
呑み疲れもあって、書く気がしなかったこともあるけどね。
家に戻ったら、京都支部句会の評・添削が帰ってきていた。
何か、センセのご機嫌がよかったということか、やけに△印が多い。
全72句中34句、ほぼ二句に一句、印が入っている。
やまちあんなんか、4-4なんだもんな。

今度、10月の27日・28日に大阪百回&京都百?会の記念句会をするけど、
その時に色紙をゲットしないと、僕はもうセンセの色紙とは一生縁がない気がする。
何とか!と思うけど、最近はセンセの選にペタンと貼り付かないんでね。
たとえば、この前、京都支部句会・合評では袋叩き状態だった

  生は死の予行演習吊忍   厨

に対して、センセからは好評のコメントが寄せられているから、
このラインはやはり強力だと思うけど、それを承知で別路線から攻めることになるだろう。


新妻・珠ちゃんから、夕食の献立を復活させて欲しいって要望があったけど、
ホント、大したものを食べていないんだよね。
ま、23日はDRY DAYでビーフカレーだったわけで。

弱冷車をとこにしてはでかい尻

2007-07-20 12:46:05 | Weblog

尻=けつ


  裸の子裸の父をよぢのぼる   津田清子  『七重』

やはり、冷房が普通となった世の中の所為か、
僕とウチの息子の関係において、こんなことは一度もなかった。
そんなに冷房を強く効かさないけど、Tシャツやタンクトップは着ているもん。
今は、仕事場でその日の仕事が終わったあと、
シャワーを浴びてから、しばらく裸でいるぐらいで、
家に戻ってからは、裸になることはない。そう、最近は夜が更けても……?

ま、このあたりも親子関係が希薄になる要因なのかもしれない。
スキンシップというのは、母親と赤ちゃんだけでなく大事なんだよね。

掲句、ぶっきらぼうだけど、津田清子らしくていい句だと思う。


mixiのリゲッちゃんの日記を読むと、
アリバイ工作室の原稿がまだ一枚も入っていないらしい。
こりゃ、当分、支部句会の評・添削も返ってこないな。

いくらちゃんの句集が届く。
ウチの結社といえば、あの縦長の菊判変型が定番になってしまったね。
でも、豪華。センセの序文に、MKさんの跋文。
僕も句集を出すときは、T子姐さんに跋文を書いて貰おうかな。
でも、姐さんの方から、あんたのなんかイヤって言われるかもね。

ま、峠谷研究所の所長さんじゃないけれど、
時流からどんどん、取り残されている感もすこしは抱く。
でも、句集を出したい人はどうぞご勝手に、と開き直ったりもするし、
その辺は、まだ体育会系の埃? にまみれている。


京都支部、八月吟行句会の計画案作成。
これは、O野M千代さんが企画して下さったようなもので、
僕は単に、どこに何時集合というのを決めて、来る人を募るだけ。
京都支部の吟行句会といえば、この前は二年半前となる。
その時はダンディーの下見・お世話で、滋賀県の高月・長浜方面を巡った。
帰り、線路は見えているのに、高月の駅へなかなか辿り着けずに、
結局、一電車遅れてしまったこと(1時間に1本)を思い出す。
大学の事務総長の割りにドジなところのあったダンディー、懐かしいなあ。

小槌には打出もありて苔清水

2007-07-19 12:53:11 | Weblog

  絶壁に眉つけてのむ清水かな   松根東洋城  『新春夏秋冬』

一読、景は読み手の眼前に浮かぶ。
中七の「眉つけてのむ」はリアルだし、
「のむ」とひらがなに開いたことも、小さな技巧。
「絶壁」=硬 と「清水」=軟 の対比もある。
さすがは、松根東洋城と言える一句だと思う。

東洋城の有名なエピソードとしては、
大正天皇から、お前のやっている俳句というのはどんなものかと、
御下問があった折、次の一句を以って応答をした。

   渋柿のごときものにては候へど

ま、「は」は要らないと思うけど、俳句の真髄を突いているね。

東洋城の句で愛誦している句といえば、

  左義長や雪国にして雪の上     東洋城
  黛を濃うせよ草は芳しき          〃
  武蔵野は十一月の欅かな        〃
  鮎の香や膳の上なる千曲川      〃
  世に人あり枯野に石のありにけり   〃  

四句目、五句目なんか、クサイけど巧いといえば巧い。
クサイ句とは、僕にとってはわざとらしいけど巧い句を指す。
自分では、クサイ句を作る気は毛頭ないし、作っていないつもりだけど、
他者の目から見れば、クサく映ってしまうことは当然あることだろう。

東洋城は久保田万太郎の師匠筋にあたるから、そのあたりもあって、
結構、俳句をはじめた時分から気にしていた俳人なのだった。


まだ、真夏ではないけど、仕事場の暑いことは確かで、
午前中の2時間程度の仕事でも、かなりスタミナは消耗する。
昼休みになっても、ブログなんか書くのやめようと毎度毎度思うけど、
ちょっと書き出すと止まらなくなって、結構長いものとなってしまう。

本当は、やまちあんのように気の利いた一節と引用句だけにしたいんだけど、
根が散文体質の自分には、それが出来ないのだ。
すなわち、あまり短詩型には向いていないということだろう。
向いてないことを自覚しているのに、いまだ続けている自分もヘンだよね。

ただ、書けど止まらないのは、この文体だからであって、
まともな文体となると、論旨、脈略を整えるとなると、
こんなにすらすらとはいかないというか、すぐに詰まってしまう。
だから、散文系の創作にも向いていない。
すなわち、文才がないということか。嗚呼、涙、涙、……。


90歳を過ぎても足腰も内臓も丈夫で、煙草を日に一箱吸い続けている長老が、
私の健康法は、煙草を吸ってストレスを発散させていること、
煙草は害、嫌煙権なんて、なんと莫迦なことを言うんでしょうな、と。

でも、このことを専門医に問い質すと、
あなた達は、この長老のおっしゃることを真に受けたらあきまへんで、
単なる特異体質、煙草の害が体に吸収されないタイプなんで、
そんな人は五十人、百人に一人ぐらいとちゃいますか、と。

ま、その専門医の言っていることが正しいんだろうけど、
「病は気から」という面もあって、一概にそうと決め付けられない気もする。
僕は煙草は吸わないけど、アルコールの方では特異体質であってくれないかな。

はい、今日も結構、長くなってしまいました。
これから、昼寝30分です。30分以上、眠ってはいけません。

夏料理ちよつと黙つてくれへんか

2007-07-18 13:01:17 | Weblog

  夏料理ましろき紙のかぶせある   井上弘美  『あをぞら』

そこそこの人数(10名以上)での懐石料理の会となれば、
見かける景といっていいだろう。もちろん、旅館等の夕食でも。
段取りよく料理を出せる自信がないから、常温の料理は先に、というわけである。

ただ、この段階では常温でも問題のない先付、八寸までで、
向附(お造り)やその他の料理まで、紙の下に並べているお店・旅館は論外。
一流のお店では、客の顔を見てからでないと料理を出さないから、
どちらかと言えば、このお店は「気取り」はあれど二流の店となる。

ま、この句は現実に見た景をそのまま写しただけなんだけど、
何が言いたいのか、ちょっと僕には捉えにくい面がある。
「ましろき紙」をかぶせてあるのが、いかにも夏料理らしい、
下にある清楚なお料理が想像出来るような気配りを写生した、
そんなところかな、と思うけど、どうなんだろうね?
屁理屈かもしれないけど、単に虫除け・埃除けかもしれないしね。
作者としては、「ましろき」の「ま」を感じ取って欲しいのかもしれないが、
「しろき」でなく「ましろき」など、常識だと僕には思えるのだ。

その運ばれてきた一品に、かぶせ紙がしてあるとも受け取れるが、
それでもなあ、わざわざ詠むまでのことか、といった気になる。
写生句とはそんなもの、と言われると反論は出来ないけどね。

でも、超結社の仲間で、この句集『あをぞら』を評した時、
掲句は句集中の佳句として取り上げていた人が多かったことを付け加えておく。

「夏料理」の句として、評価の高い

  運ばるる氷の音の夏料理   長谷川櫂  『天球』

も、イマイチ、ピンと来ないし、立子の著名な句もそうだし、
僕の「夏料理」に対する思いが、かなりヘンなのかもしれない。
とはいいながら、今日の句も凡句だけどね。


東やさんの体重が75kg台に、とあったけど、
これで、僕の方が体重が重くなってしまったわけだ。
今現在76kgある。最低6kgは落とさなくてはならない。
ベストは身長173cmだから、68kgぐらいかな。
以前は、水分補給だけで夏場の仕事を終えたら、
その汗で2kgは減っていて、必要分のカロリー補給で済ませれば、
自然と体重を減らすことが出来たのだけど、今はそうは行かない。

やっぱり、独りで仕事をしている甘えが身に付いてしまったようだ。
仕事が終われば、即、缶ビール・ロング缶1本。
そして、しばらく眠ってから、家に帰ってまた晩酌で大瓶2本。
体重が減るどころか、そのカロリーで増えていく勘定とも言える。
今はソフトボールチームもお休みしているし、休日の運動量だって足りない。

親父や叔父と一緒に仕事をしている頃は、
仕事が終わっても、二人とも(アルコールは好きだけど)飲まないし、
そうなれば、僕だけが飲むなんてことは出来なかったからね。
要は、自分に甘いんだよね。自制が出来ないんよね。
う~~ん、でも、禁欲はストレスを溜めるからな。
ま、これ以上太らないことを当面の目標にするか。


17日。
祗園祭、山鉾巡行も無事おわる。
昔ほど、祭にはのめりこまなくなった。
宵山の夜だって、早々に鉾町のあたりをあとにして、
少し離れたところにあるアポロプラスへ呑みに行ったもん。
ま、ともかく呑んでいればご機嫌というのは堕落した証拠かもね。

醒ヶ井に沈むは祗園囃子なる

2007-07-17 12:54:44 | Weblog

  あめつちにいかづちの巣と地震の巣と   中原道夫  「銀化」

結社誌7月号「藍汁」の中の一句である。
昨日の中越沖大地震、更には奈良県南部を震源とする地震、
加えて、京都府沖を震源としていながら、
北海道から東北の太平洋岸で揺れを起こした地震を思うと、
まさに、掲句は真理を突いた一句と思えてくる。
ま、俳句は真理を詠むものではないってことは別にしてね。

今朝、新潟は十日町の得意先に電話を入れると、
揺れとしては、大きな横揺れで気持ちの悪いものだったけれど、
被害としては、三年前の中越地震のようなことはないとのことだった。
ただ、テレビに映し出されるように、柏崎あたりはかなり深刻な被害のようだ。
ウチの結社仲間には新潟にお住いの方も多く、
この場を借りて、お見舞いを申し上げておきたい。

この一つ前の書き込みで、「ママチャリ」なんて言葉を使った者が、
「地震(なゐ)」とか「蝌蚪(かと)」とかの類は、
出来る限り使いたくないと言っても説得力がないけれど、
やっぱり、一般の方にも分かる言葉を使って、
身近なところで言えば、俳句を全く知らない親にも、
嫁にも、子にも分かる言葉を用いて俳句を作る、というのが僕のポリシー。

俳句は、俳句愛好家内で鑑賞し合えばそれでいいってのも分かるけど、
僕としては、以前に「エンターテイメント」を掲げたこともあるわけで、
上記のようなことは、心に留めて作句を続けたいと思っている。

センセはセンセのスタンスで作っておられるのだから、
古語とか難解語とかを使われるのは、もちろん自由なわけで、
決してセンセのスタンスを否定しているわけではない。念のため。


15・16日は全く俳句とは無縁の日だった。
学区のペタンク大会と祗園祭宵々山と飲み会と飲み会と。

アジアカップ、対ベトナム戦は順当勝ち。
次の決勝トーナメント、オーストラリア戦ではW杯の雪辱を!

外股にママチャリを漕ぐ晩夏かな

2007-07-14 13:07:51 | Weblog

  祈りとは膝美しく折る晩夏   攝津幸彦  『陸々集』

もう七月も半ばということで、陰暦有季定型派にとっては晩夏なんだけど、
台風はともかく、まだ梅雨の真っ只中ということで、
晩夏の句なんか取り上げるのはどうなんだろうと悩んでしまう。
ましてや、「夜の秋」なんて季語など使う気にもならない。
感覚を研ぎ澄まして、季節を先取りすることは大事なことだと思うけど、
限度があるよね。毎年のことながらこの八月も、
秋の句と平行して、夏の季語を用いた句を今年も作ることだろう。

さて、攝津の句(どうして、幸彦の句とあまり言わないんだろう?)。
直感的には、広島・長崎の原爆忌における人々の姿を思い浮かべる。
ただ、掲句の眼目は中七の「膝美しく折る」であって、
お百度参りのような身を屈しての祈りを指していると見れば、
個人的な未来への祈願(身内の病の快癒とか)の姿と断定したい気がする。
その姿を美しいと、祈りとはこの姿こそと言い切った句と、僕は受け止めたい。
偏は違えど、「祈」と「折」の近似も計算には入れていよう。
前にも、ここに書いたと思うけど、
このような、結構、細かいところまでの気配りも攝津の攝津たる所以。
もし、「祈」と「折」が似通った字でなければ、

  いのりとは膝美しく折る晩夏

と「祈り」の方をひらがなに開きたいもの。


13日。
夜は大丸百貨店裏あたりで、高校時代の友人と呑む約束。
雨降りなのでイヤだなと思いながらも、約束だから出かける。
でも、三連休前だし、祗園祭の観光客もあるのか人出は多い。
お天気だったら、帰りに鉾と夜店を覗こうと思っていたが、
雨脚が結構強かったので、もう一軒行って帰ることに。
ま、サッカー・アジアカップ、対UAE戦も見たかったからね。

そのUAE戦。3-1で勝ったわけだけど、
前半・完璧、後半・よれよれ、よくわからないチームだね。
月曜の対ベトナム戦、昨日の主審もそうだったけど、
ともかく審判のレベルは低いので、ホーム有利の判定も多く出るだろう。
スタンドの応援もベトナム一辺倒のわけで、この不利を撥ね返せるかどうか。
カタールがUAEに勝つことは、まず間違いないので、
勝つか、最低、引き分けが条件。負ければリーグ戦で敗退となる。
でも、結局は、俊輔と高原頼みのチームなのか。


【教育的指導】 台風が通り過ぎたら、[ママチャリ」という語彙を使用した是非を検討してみましょう。

祗園会や油断めさるな蛸薬師

2007-07-13 12:41:39 | Weblog

  鮒鮓や城下につづくいろは松   川端庸子  「若竹」

「鮒鮓」「いろは松」といえば、さて何というお城でしょうか?
というクイズ的な感じすらする一句。
答は、井伊直弼で有名な彦根城だけどね。

ま、この手の俳句は、
上五「鮒鮓や」と座五「いろは松」を固定できるから、
あとは、「いろは松」へ掛かる中七の措辞を考えるだけ。
吟行において、現場で季語を見つけて、五音の地名を織り込むとなれば、
この「型紙(パターン)」で詠むのが一番安定感がある。
ま、新味という点では乏しいけどね。

たとえば、京都では、12日は祗園祭・鉾の曳き初めだったけど、
上五を「祗園会や」と持ってきて、
その只中の五音の通り名「蛸薬師」を座五に据え、
あとは「蛸薬師」に掛かる七音の措辞を考えればいいってわけ。

  祗園会やゆふぐれながき蛸薬師
  祗園会や雨音わたる蛸薬師

常套文句だけど、これでも瑕のない一句。
中七に好措辞を考えつければ、佳句ともなるわけで。
今日の一句は、三段切れっぽいし、分かりにくいだろうな。
感覚的に分かってもらえたら有難いんだけど。


12日。
朝からバーナー一体型染色釜の調子が悪かった。
おそらく電気系統、ファン(パソコン同様の仕様)の音もおかしい。
このままでは大きな故障となるかもしれないので、
早めにO阪ガスの特需に電話して緊急修理を依頼する。
普通なら「すぐに行けません、明日以降になります」だったろうけど、
「ガス漏れ・爆発したら、お前んとこの責任やぞ」と脅して来さす。
「今日・午後来る」との確約をとって、電話の主の名前を確認してから、
「電気系統・ファンかもしれんから、それも分かる人を頼むで」と付け加える。
詐欺師のような言い回しだよね。でも、これぐらいは常識。
今度からは、大株主・厨さんの名前を出そうかな。

午後2時過ぎに、下請けの修理業者が三人連れでやってくる。
仕事をストップして、その間に結社向けの文章を書こうと思うが、
すぐに修理業者が僕を呼ぶので、興が乗らない。
ファンを掃除したけど、音は変調のままなので、取替えますがいいですか、と。
「かまへんけど、そやけど取り替えても変調やったらどうするの?
新(さら)のファンの代金だけ取られて、直らへんはないで」とごねる。
その場合は、元のファンをもう一度付けて今日の出張修理費も戴きません、
ただ、故障原因が分かりませんので、明日、別の技術者に、と。
一応、それで納得だけど、さすが日本一の零細企業のごね方だよね。

結局、ファンを新(さら)にすることによって、直ったけどね。
ただ、12日納品の品物があったので、夕食を食べてから仕事。
ウチの仕事場は、色評価用の蛍光灯(太陽光の下で見るのとほぼ同じ色)なので、
夜なべ仕事は出来る体制になっている。(でも、ほとんどしないけど)
色合わせは、基本的に昼間の日陰におけるものとなっている。
デパートの特殊照明の下で、いい色だと思って買われて、
太陽光の下で見ると、全く違う色でがっかりという経験、ありませんか。


さっき、ようやく、めろん編集長へ原稿を送る。
来月というか、正式の締切は今月末なんだけど、
B聖さんの句集評もあるので、二本書かなくてはいけない。
賢弟めろんちゃんほどの文才があれば苦労しないんだけどなあ、嗚呼。

水中花関釜フェリーに開きそむ

2007-07-11 12:57:08 | Weblog

関釜=カンプ (下関-釜山)


   南風吹くカレーライスに海と陸   櫂未知子  『櫂未知子集』

東やさんが『貴族』を読んでおられるからってわけでもないけれど、……。
掲句、彼女の句としては大人しい部類に入ると言っていいだろう。
いわゆる見立ての句というわけだけど、
発表された当時は、このような句を別に彼女が作らなくても、と思っていた。
ま、もっと、過激な句を彼女には求めていたということだろう。

でも、今となっては、のびのびとしていい句だなあと思う。
オーシャンビューのレストラン、大きな皿にカレーライスが運ばれてきた。
開放的な感じ、それが何よりすばらしい。


昨夜は学区のペタンク大会の組み合わせ抽選会に。
終わってから、体育振興会のメンバーと浅酌。
家に帰ったら、報道ステーションに安倍晋三が生出演していた。
最初、どのようなやりとりがあったか知らないけど、
全く質問の核心からは逃げて、論点をずらすのに一生懸命。
でもさ、「役所の申請主義は完全になくします」とぐらいは言えよ!
時間の関係もあるんだろうけど、古館伊知郎の突っ込みも甘かったね。
稀代のペテン師だったかもしれないけど、小泉純一郎が懐かく思える。

参院選、地方一人区が29。今のところ、自民の5勝24敗という説もある。
そこまでは行かなくても、現状では自民党は一桁しか取れないだろう。
最も興味のある選挙区は岡山。片山虎之助(自民)VS姫井由美子(民主)。
ちなみに、三年前は知名度の高い人だが、江田五月(民主)が勝っている。


夜中、二時半ごろに目が覚めて始まったばかりの番組を見る。
映画「チルソクの夏」。「チルソク」は韓国語で「七夕」のこと。
しかし、韓国映画ではなく、佐々部清監督が撮った日本映画。
下関に住む女子高生と釜山に住む高校生との純愛映画と言える。
舞台は「関釜陸上競技大会」(共に競技者して)が中心。
大林宣彦監督が尾道をよく舞台に使うように、下関は佐々部清監督の出身地。

PC上では、人気が出る前の上野樹里の着替シーン(下着姿)が有名だけど、
眠くても最後まで見させるだけの力を持った作品だった。
ちなみに、上野樹里は助演で、主演は水谷妃里。
主題歌は「なごり雪」。イルカも女子高の教師役で出ていた。
というわけで、今朝は7時40分まで眠っていた。

花火へと近づくほどに気怠かり

2007-07-10 13:17:13 | Weblog

  てんとむし一兵われの死なざりし   安住敦  『安住敦集』

前書に「八月十五日敗戦」とある。

7月8日は安住敦の亡くなった日でもあった。
この終戦から43年後の昭和63年に、敦は81歳でこの世を後にした。

上記の句は、まさに戦争が終わったと聞いた時の実感だろう。
ウチの結社からすれば、「てんとむし」と「一兵」は近く映るだろうが、
ここをヘンに離しては実感が薄れるからこれでいいと思う。
敦の句としては、「しぐるゝや駅に西口東口」に次いで知られている句。
敬愛する久保田万太郎を支えていたからではないけれど、
「西口東口」の句だけでなく、もっと高く評価されてもいい俳人。
僕が一番好きなのは次の句。

  雪の降る町といふ唄ありし忘れたり   敦

僕の親父も、赤紙が来て4ヶ月間だけど戦争に行ったことを、
酒が入ると、半ば自慢げに話することがよくあって、
子供心に、またこの話かと煙たがっていた。
行かされた場は、戦場ではなく国内の軍需工場であって、
もしも本格的に爆撃をされたら死んでいたかもしれないけど、
たとえば、南方へ徴用された方達とは次元が違うからね。


上記の、親父に徴兵時代のことをよく聞かされていた中学時代のこと。
当時、加山雄三=弾厚作の作った歌も好きだったけど、
荒木一郎が作った歌にはそれ以上の魅力を感じていた。
婦女暴行事件を起こしたりして、全面開花とは行かなかったけどね。
特に「いとしのマックス」はよく歌ったね。
一般的には、「空に星があるように」を好きな人が多いみたいだけど。

Do Do Do Do …… …… ゴオゥ(GO)
その「ゴオゥ(GO)」の気怠さがたまらなくいいのだ。

僕としては、(三人とも好きなんだけど)
荒木一郎>桑田佳祐>弾厚作という感じを、今も持っている。
その当時から、芸能界、歌の世界にはとても興味・関心があったので、
今でも、なんとか娘・息子が関心を持つ世界までついていける。
でも、カラオケで歌うにはスピッツあたりが限界。

7月21日、大阪句会に寄せて貰った時にカラオケへ行くようなら、
「いとしのマックス」を歌わせてもらいまっさ。
京都支部句会の後席ではカラオケへ行くことは100%無いし、
本質的に、カラオケはそれほど好きではない。
行ったら行ったで、「壁塗り」もして愉しむようにしているけどね。

ウチの結社で「壁塗り」を知らない人はモグリでっせ。