これでお開き

体育会系俳人のつぶやき

空稲架といふ活動報告書

2006-09-29 12:29:46 | Weblog

  稲を刈る夜はしらたまの女体にて   平畑静塔  「天狼」

「天狼」とある限りは、静塔の句集には未収録の句だと思う。
句は上五で切れるのだろう。《稲を刈る/夜はしらたまの女体にて》
《稲刈の夜もしらたまの女体にて》と一元で詠み下す手もあるだろうけど、
「も」がウルサイ気がしなくもない。

能村登四郎にも同様の句がある。

  梅漬けてあかき妻の手夜は愛す   能村登四郎  『咀嚼音』

静塔の句には、「夜は愛す」なんて甘い言葉はないが、
性愛的イメージは、静塔の句の方が強い印象を受ける。
癒しというか、贅沢、満足の行く娯楽も少なかった時代、
稲刈りで疲れていても、その夜は男女間の肌の触れ合いこそが癒しだったのだ。
こんなことを書くと、いい齢をしてと思われるかもしれないけれど、
家族が共にいる時は「母」「嫁」でも、夫婦だけの時は「女」であって欲しい。

僕がどうこう言うこととは違うかもしれないが、
周りの話を聞く限り、今の夫婦は性的交わりが少なすぎると思うんだけど。

能村登四郎の句とて、《梅漬けてあかき妻の手/夜は愛す》
ということは、その紅く染まった手だけではないわけで、
その先は夫婦の根源の営みへと行き着くのだろう。

愛妻俳句といえば、やはり中村草田男だろうけれど、
このおっさん、ようもここまでという感じがする。

  妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る   草田男
  妻二タ夜あらず二タ夜の天の川    〃
  虹に謝す妻よりほかに女知らず    〃

お弟子さんのT中宏さんに訊ねたことだけど、
それだけ、草田男が純粋だったということでしょう、とのことだった。
ご自身は「あんな句、恥しうて、私は作りませんけど」だったけど。
「妻よりほかに女知らず」、本当としても、白々とよう言うわと思ってしまう。

民主党のホープ・細野豪志とニュース23の新キャスター山本モナの路上キス、
【活動報告】 山本モナと路上キス、その後……  なんて様にならない。
男と女の関係は、いつの世も、いつの夜もミステリアスである。


28日。
爽やかな一日。

夕食。
炒飯と搾菜でビール1本。

夜は、体育振興会の協賛金のお礼・プログラム配布の段取り、
結局、町内の運動会の練習には参加出来ず。

家に帰ってから、お茶漬け一杯。

落鮎や納めて冥加料と知る

2006-09-28 12:05:51 | Weblog

  走友は老友ばかり草の花   今坂柳二  『俳走紀』

またまた、今坂柳二の登場である。
別に大した句じゃないけど、体育会系俳人としては推さないと。

すでに、町内でも大運動会の団体競技の練習が27日よりはじまっている。
僕自身は予定が入っている今度の土・日とかは休むことになるんだけど、
(共に、アフターを断れば練習に参加出来るんだけど、やっぱり飲みたい)
出られる夜は出て、徐々に身体を慣らして行くつもり。

柳二の句、ジョギング友達は年寄りばかりと一旦テンションを下げておいて、
可憐な「草の花」を取り合わすところは、「俳」の常道。
この程度のことは、ウチの結社の面々ならお手のもの。

「草の花」で、他の例句を挙げておくと、

  牛の子の大きな顔や草の花     高浜虚子
  息吸つて吐くこと冥加草の花    鈴木鷹夫
  高からぬ山から晴れて草の花    小宅容義
  人形のだれにも抱かれ草の花    大木あまり
  がんばるわなんて言うなよ草の花  坪内稔典

取り合わせの季語として使われている作句例が多いようだ。
僕もよく使う季語だけど、大体、取り合わせの季語として、座五に置くね。


27日。
夕食は軽くして、ビールも1本に。
先に書いたように、20時~22時頃まで運動会の練習。
半分ぐらいは、世間話をしているんだけど。
体重は去年の今頃より4kgほど絞れているので、身体は軽い。
栗ちゃん(かなり太め)なんか、その痩せ方はガンじゃないのかと言うけどね。
理想体重は67~8kgだけど、そこまではまだ5kgほど絞る必要がある。
どうして、絞ったかは簡単なこと。夜更けのラーメン断ち。単にこれだけ。
酒量、食事量は、以前より上っているほどだから。

練習初日ということで、居酒屋Cの奥のぼろ座敷にて浅酌。
帰宅23時30分。

月夜茸光りて己が加齢臭

2006-09-27 12:47:35 | Weblog

  月夜茸裸身あはれと思ふなり   保坂敏子  『芽山椒』

保坂敏子は「雲母」→「白露」に所属する人。
飯田龍太、針呆介、瀧澤和治、そしてこの保坂敏子と、
この系譜の方をよく取り上げているが、
それは、初心の頃に読んだ龍太の鑑賞本(新潮選書他)の影響と思う。

この保坂敏子という人の句は、ともかく鋭い感覚を持った人だと感心していた。
他の句を少し挙げておくと、

  油蝉鳴けば鳴くほどかるくなる   敏子
  柿の花笑うて落ちてゆきにけり    〃
  夜の雪をとこのおもさかと思ふ    〃
  春満月水子も夢を見る頃ぞ     〃

お分かりのように、いずれも主観が強く出ているんだけど、
見立てに一番の興味を持っていた当時の僕は強く引き付けられたのだ。

この手の作家は、感覚の冴えがやや薄れてきた時にどう対応するのか、
そのあたりが難しいというか、ゆくゆくの課題となるのだろうが、
彼女(昭和23年生まれ)もそのあたりの壁にぶつかっているように思える。
(「白露」の発表句は知らないが、総合誌への作や年鑑の句を見る限り)

この「月夜茸」の句、「月夜茸」→女性という前提で下世話な鑑賞をすれば、
芸能人とかで、節制と手入れに時間とお金を使っている人を除けば、
補正その他が可能な着衣姿よりも、裸身が「あはれ」に映るのは当然だろう。
脱がせてしまったらがっかり、という例はいくらでもある。
自らの一番美しかった頃の裸身と比べれば、自身も納得のことと思う。
この敏子句の場合は、やはり自らに引き付けて言っているのだろうが、
実際にそうは思っていても、句としてはなかなか言えるものではない。

念のために付け加えておくと、くっきりと割れていた腹筋が消えて、
腹の出た男性の裸身が、更に「あはれ」なのは言うまでもない。
僕もしかり。

「月夜茸」といえば、亡くなられたF田S子さんが、
見たこともないくせに、「月夜茸」という語感に惚れて、
句を作るなんてもってのほかだ、と何かに書いておられたと記憶するが、
ま、それも一理だとは思うけど、要は出来上がった作品次第だと思っている。
今日の表題句は、S子さんに怒られる範疇の句だろうけどね。
それに、発想の根元には保坂敏子の句があることは否定できないし、……。
でも、これを類想と言われると何も作れなくなる。


26日。
ずいぶんと秋らしくなる。
汗の量も激減、昼休み前のシャワーはもう要らない。

組閣のニュースを見ていると、東京は強い雨のようだったけど、
京都は、時折雨がぱらついた程度で済む。

夕食。
ハンバーグ・メンチカツ・コロッケ・サラダの洋食風ランチ
ビール2本。

鵙の贄あるいは悩みなきをとこ

2006-09-26 12:29:28 | Weblog

歴史的かなづかいで、「或いは」を「或ひは」と表記するのは誤り。
「ずいき」を「ずゐき」と表記していたのと同様みたい。


  りんりんと白萩しろし木戸に錠   三橋鷹女  『羊歯地獄』

三橋鷹女については詳しくないが、
印象としては、過激・多弁といったものを抱いている。

この句にしても、「白萩」を更に「しろし」と言ったり、
「りんりんと」というオノマトペも煩いといえば煩い。

ただ、座五の展開は、T子姐さんが現在実践中の急展開があって、
この部分には俳句の妙味を感じ取れる、というか、
この急展開があるからこそ、中七までのフレーズが活きているとも言える。

この「木戸に錠」への展開については、是非があると思うけど、
僕にとっては、とても興味深い展開であることは事実だ。
だからと言って、僕がT中宏やT子姐さんに全面賛成というわけではない。
是々非々主義といえば聞こえがいいけど、ともかく柔軟でありたいと思っている。
ま、「柔軟」と「軟弱」、しっかりと区別したいとは思っているけど、……。

三橋鷹女、

  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり   鷹女
  ひるがほに電流かよひゐはせぬか   〃
  鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし     〃

と、

  みんな夢雪割草が咲いたのね    鷹女
  あたたかい雨ですえんま蟋蟀です   〃
  笹鳴に逢ひたき人のあるにはある   〃

の落差は何なのか。この落差こそが鷹女なのだろうか。
だったら、僕も鷹女のような感じで、句を作り続けていたいな。

この前、亀憲さんの句集上木お祝いの会でマイクを持たされて、
彼には自分の世界があって、僕にはその世界がないことを嘆いたけど、
結構、そのことは一句一句作るごとに跳ね返って来ているのだ。
たまには悩め! そう、悩みのない男なのだから。


25日。
給料日、23日に会ったのに、このこのと親父がやってくる。
ふ~ん、そうか、と言いながら、例月通りということに。
最近買ったらしい株の下落を嘆くが、それは親父の判断ミス。
二十年前、バブルの時の相場展開とは違うのだから。
あの頃は弱電株(他の株もそうだが)なら、何を買っても儲かる相場展開だった。
ソニーがプレステ3を六万云千円から、五万円を切るまでに値下げする世。
もし、そのままで売ることが出来たのなら、一万云千円は丸儲けだったのかよ。
それだけ、あのバブル頃は甘い汁を吸えたって証左。


夕食。
前日に引き続き、炭火焼。
ビール2本。

22時過ぎ、町内の美人4人(人妻3、バツイチ1)がスナックにいると携帯に電話。
レディー専用食べ放題・飲み放題の会食のあと、盛り上ってしまったらしい。
仕方なく出向く。半ばハーレム状態。
それぞれの旦那は癌手術の予後、タクシー勤務、出張。
帰宅24時30分。

宙に浮くすがたかたちよ自然薯は

2006-09-25 12:20:15 | Weblog

  秋真昼柩三尺宙に浮く   飯田龍太  『山の影』

飯田龍太のヘンな句捜し、ヘンな句といえばヘンな句だろう。
出棺の際、柩は腰の位置あたりまで持ち上げるから、それが約三尺。
この世での存在=肉体、その重さを体感する最期のひと時である。
深読みをすれば、「宙に浮く」から様々なことを想像できるが、
意外と客観的に見たことから出た措辞のように思える。
季語の「秋真昼」は、現実がそうだったことを受けたものかもしれないが、
句の内容に対して、ぴったりと嵌っている印象を持つ。

僕が、秋の季語で好きなのは「色なき風」だけど、
(使いこなせているかどうかは別にして、単に好きなだけ)
この「秋の昼」も、結構好きだ。
「春の昼」は「春昼」と音読みで使いたくなるが、
「秋昼」と使った句には、お目にかかったことがないように、
ニュアンスが大きく食い違っている。このあたりが俳句の妙味。
あと、今日の表題句に使った「自然薯」も好きだね。


22日。
取り立てて、何もなかった日と記憶する。

夕食。
麻婆豆腐と揚げだし茄子。
ビール2本。

夜、キーワード句会の清記をしようとするが、
連休前ということで、呼び出しの電話が入る。
居酒屋Bで軽く呑む。

キーワード句会、今回は投句締切までが短かったのと、
銀翼賞絡み? もあって、参加者は少なめ。
亀憲さんに聞いた話だけど、今年からキーワード句会に参加のMAさんも、
(Mさきさん、M根ちゃんじゃない、前回の準銀翼賞作家のこと)
銀翼に加えて、テーマ詠も当たっていて、大阪句会の欠投は休みとのことだった。
キーワードはどうかな? と思っていたら、やっぱりお休みだった。
賭けてるねえ、テーマ詠の競詠相手になっている人、誰だか知らないけど、
気を引き締めて作らないと、たいへんだよ、と脅かしたりして。


23日。
朝、早く起きてキーワード句会の清記。
メール送信、FAX組は「みんなに送信」をセットして出かける。
両親とウチの家族で墓参り。
終わってから遅めの昼食をおごってもらう。

夜も近所のラーメン屋で外食。
昼酒を飲んだので、夜はラーメンのみ。


24日。
学区の住民福祉連合協議会主催の敬老会。
町内会長としてお手伝いに。10時~15時すぎまで。
昼食とお土産付きだけど、時間拘束が長い。

夜は、久しぶりに炭火焼。
赤ワイン、ビール2本。

小鳥くる此奴が風紀委員長

2006-09-22 12:33:58 | Weblog

  鳴く鳥の上枝移りに秋澄みぬ   瀧澤和治  『看花』

瀧澤和治は廣瀬直人主宰「白露」の同人。
飯田龍太と同じ山梨県の境川村(市町村合併をしていなければ)に住んでいる。
年齢は僕と同い年。「雲母」の頃から俳句を始めておられたのだろう。
Sさんによれば、2205句もの句を編んだ第三句集を最近出されたとか。

さて、掲句。
「上枝」はウチの結社にもおられるが、「ほつえ」と読む。
「上枝移り」、きれいな言葉だね。
こんなのを使いこなせたら気分いいだろうな。
ま、句全体が気分良すぎる、うまく回り過ぎている感はあるけれど、
これはこれで、上質の一句だと思う。
そう、歳時記を見てすぐに愛唱句に入れちゃったもん。

元来がひねくれ屋だけど、こんな句も大好きで作りたくもなってくるのだ。
となると、句を並べると整合性を欠く、ということになるらしい。
自分では、全句、自分らしいところが入っていると思っているんだけどね。

瀧澤和治の句、もう少し挙げておくと、

  數へ日や融けて硝子が薔薇のいろ   和治
  澤蟹のむらさき透いて甲斐の國     〃
  投げ入れの花白ければ秋の蝉      〃

ご覧のように、センセと同じく正字を用いている。

もう一度、「上枝」なんだけど、
ひとりで静かに読むときは難なく読めるんだけど、
披講が当たったりすると、「うわえ」と読んだりして顰蹙を買う。
同人のくせに、あいつは漢字を読めないなんてね。


21日。
向かいの小学校は運動会。
16日の予定が、朝の降雨でこの日となったのだ。
22日を代休にしての三連休、先生サイドの意図が覗える。

夕食は軽くサンドイッチとビール1本。

夜、体育振興会の区民大運動会の最終説明会&参加券・プログラム渡し。
町内の体育委員さんに来てもらっての会議はこれが最後。
各町内、このあと、運動会の団体競技の練習に入る。

終わってから、例によって居酒屋Cにて浅酌。


ソフトバンク・王貞治監督が二度目の退院。
でも、8月2日の退院時より更に7㎏の体重減少、
記者会見・公開写真なしということで、心配は深まる。

ウチの町内の会計でもある通称社長も、
ほぼ同時期に胃ガンの手術をされたんだけど、
なかなか、思うように食を取れない悩みを打ち明けられている。

健康で、思い切り酒を飲める自分を良しとしなければ。
ま、飲みすぎは慎まないといけないけどね。

レシピには弱火とありぬ秋没日

2006-09-21 12:08:25 | Weblog

  秋興やわが哀愁の下手投げ   今坂柳二  『白球論』

今坂柳二は、桑原三郎と一緒のグループにいる人。
桑原三郎が「犀」を、今坂柳二が「つばさ」を、という感じのようだ。
ほとんど年鑑でしか、お目にかからない作家なのだが、
スポーツ俳句、特に野球のことをよく詠んでおられるので、気になっていた。

僕も、よく野球の俳句は作るけど、あまり成功はしない。
この間の大阪句会にも出して、岬さん、亀憲さんには採って貰ったけど、
野洲の白木屋では、東やさんに「これはダメですよ」と言われてしまった。

  敬遠のあとの一振り鳥渡る   寿司江

「鳥渡る」があざとい、ということだった。
それに、「敬遠のあとの一振り」というフレーズも、
敬遠された打者が、打ちたかった悔しさにバットを一振りしたのか、
次の打者が、その初球を一振りしたのか、よくわからないもん。
読み手任せというのは、この句に関しては、おかしいと自分でも思う。

それはさておき、今坂柳二の句、
この方は、かなり多弁の作家だと思っているが、
掲句の「わが哀愁の下手投げ」は共感を覚えるフレーズである。

今シーズンは不振だけど、WBCで活躍したロッテの渡辺俊介、
下手投げといえば、現役選手ならば、まず彼を思い出す。
しかし、渡辺俊介が出てくるまで下手投げの投手は姿を消していた。
元巨人の斉藤雅樹のようなサイドスローの投手は何人かいたけどね。
かつての秋山登、杉浦忠、山田久志、いずれも昭和30~40年代に活躍した投手だ。

おそらく、今坂柳二はその空白期間に掲句を作ったのはないかと思われる。
日本シリーズで王貞治にサヨナラホームランを打たれた時の山田久志の姿、
あれを哀愁といわずして、何を哀愁というのだろうか。

季語の「秋興」、僕ならば、もう少し離れた季語を付けると思うけど、
決して、句を損ねていることはないので、これでいいのだろう。


20日。
売掛金〆の日。
仕上がったものを、得意先に取りにきてもらう。
新潟・十日町の分は、昨日、トラック便で出しておいた。
でも、ガツガツ納めるようなことはしないし、それだけの加工依頼もない。

夕食。
〆鯖の焼いたん、ひじき、大根サラダとヘルシー。
ビール2本。


少しだけ弁明。
センセの句集の中で、あなたが一番好きだったのは、
『蕩児』ではなく、『アルデンテ』だったのでは?
と、或る方からメールが届いた。

今でも『アルデンテ』が一番好きですよ。
『アルデンテ』は、発想と修辞が一番ほどよく混ざり合った句集だもの。
以降は、前にも書いたように、徐々に修辞に傾く傾向が強くなった、と。

でも、『蕩児』の瑞々しさにも凄く魅力を感じているし、
そこに、すこし完成度を加えた『顱頂』も、ということ。

『アルデンテ』は「飛込」と「瀧壺」の句だけ、という人もいるけど、
僕はそうは思わない。たとえば、

  洛中は弱火仕立ての暑に耐ふる   道夫

内に住んでいる者には作れない句だけど、
見せられると、すごく実感のある句。

最近のセンセの御句は、大冊にした方がその世界の厚みが増すような気もする。

水澄みにけりフカひれはどれですか

2006-09-20 12:30:22 | Weblog

  氷頭膾どこぞ殴打の味したり   中原道夫  『不覺』

三代目康ことK池っちの『不覺』からの一句、愉しみに読ませて貰っているが、
センセの次の句集が予想以上に遅れているため、少ししんどそうでもある。

この後、同人・会員の句集上木が相次げば、
装丁・序文とお忙しくなるので、ご自身の句集は更に遅れるのかもしれない。
個人的には、『先生から手紙』のような大冊の句集となってもいいと思うけど。

この「氷頭膾」の句、K池っちも取り上げていたけど、
僕からすれば、すごく懐かしい味がする句なのである。
とは言っても、「氷頭膾」なんて一度も食べたことはない。
(K池っちは、あの文章を書くために食べたみたいだけど、偉い!)
が、その味を知らずとも、『蕩児』の頃の懐かしい味がしてくるのである。
いつまでも、『蕩児』『蕩児』と言うのもどうかとは思うけど、……。

食通であるセンセのもっとも得意な食べ物俳句ではあるのだが、
この感覚こそが、僕の求めているセンセと言わざるを得ないのだ。
「殴打の味」、実感の誇張ではあろうが、見事という他ない。

『蕩児』の中で食べ物の絡んだ俳句としての秀逸は、

  胃の中の白玉あかり根津谷中   道夫

だろうが、これは純粋食べ物俳句と言えない面もある。
純粋食べ物俳句としては、

  青饅のにぎはひといふ貝の足   道夫

を、僕は『蕩児』では一番気に入っている。


19日。
睡眠時間、ぐっすりと10時間は取ったおかげで疲労回復。
仕事をする前に半分、午前中の仕事を終えてから残り半分の入力で、
ブログにおける三日間+その前の金曜日のご報告をそれなりに。

仕事もそれなりに。

やっぱり、今年はソフトボールを休んでいるから、身体&精神面が楽だ。
去年の奈良吟行の前あたりは最悪の体調・精神状態だったから、余計にね。
ソフトボールが絡んでくると、今回の週末のような付き合いは、とても出来ない。
16日の句会&お祝い会だけに出て、早めに京都へ帰っていたことだろう。
17日・18日はソフトボールの試合日(秋のリーグ・初戦)だったもんね。

ただ、来年以降どうするか、確かに来年度、町内会長は外れるから、
その分は楽だろうけど、俳句とソフトボールの両立はもう無理かもしれないね。
栗ちゃんのように、身体に無理のない俳句へシフトするのか、
それとも、まだ身体が動く今しか出来ないソフトボールへシフトするか。
ま、適当にごまかしてやっていくしかないのかな。
午前・ソフト、午後・句会の日は、アフターは遠慮して大人しく帰宅するとか。
でも、ま、そんなことは出来っこないだろうな。

夕食。
揚げそば。フカひれを見かけないフカひれスープ。
ビール2本。

棉吹いて始発電車は網干行き

2006-09-19 12:11:11 | Weblog

  ことしまた秋刀魚を焼いてゐたりけり   今井杏太郎  『麥稈帽子』

このブログを読んで下さっている皆様の間では、
今井杏太郎の評価が高いように感じている。
僕は、ウチのメンバーの間で、杏太郎の評価が高いのはいいことだと思う。

あえて名前を出さないが、今井杏太郎と句風において対極の立場にある方に、
杏太郎句について訊いてみたが、盲点を突いた句が少しはあるとのこと。
評価する面はあれど、自分を揺さぶらすような存在ではないとのだった。
ま、そんなもん、今井杏太郎も他者を揺さぶらすような句を狙っていないもの。

さて、この「秋刀魚」の句。初めて俳句に接した人にも即座に分かる句である。
ウチの家族も、僕がこのような俳句を作っていれば、認識が違ったかもしれない。
だけど、こんな俳句、作れたとしても、堂々と発表することができる?
堂々と発表する、そこが、今井杏太郎の凄さなのだ。

確かに、今では「今井杏太郎ブランド」のようなものが出来てしまって、
俳句以前の単なる只事句までもが評価されている面も無きにしもあらずだが、
今日、取り上げた句は、いわゆる「コト俳句」ではあるにしろ、
日本人の季に対する思い、人としての営みを、力みなく詠んだ秀句だと思っている。

ウチの結社にも「ひねくれた今井杏太郎」「更にピュアなる今井杏太郎」がいて、
その作品にも大いなる期待を持っているので、僕には三倍の愉しみがあるのだ。


15日。
普通に仕事。
明日の朝も得意先が来るので、仕事を少しだけ残しておく。

夜はタクシー運転手の通称専務と居酒屋Bへ呑みに。
彼も明日は仕事なので、23時には切り上げる。


16日。
朝、早く起きて11時前まで仕事。
急いで準備をして、市バス→京阪電車にて天満橋の会場へ。13時ぎりぎり。
そう、大阪句会&亀憲さんの句集上木お祝いの会。
広島・福山・岡山・奈良・京都と幅広く、これも亀憲さんのご人徳。

句会は、町田で1時間に11句作ったという東やさん(欠席投句)の一人勝ち。
亀憲さんのソフトタッチの進行に、T子姐さんの辛口がたまに混じる感じ。
もちろん、京都支部句会の時に比べれば、ずいぶんと遠慮気味だけど。

お祝いの会は、バイキング形式ながら、お造り、握り寿司もある豪華なもの。
食べ放題ではなかったけど、飲み放題だったので、遠慮なく。
開会にすこし遅れて東やも、という感じで賭場荒しさんが現れる。

それぞれが一度はマイクの前に立って、句集へのお祝い、感想を。
僕の場合、もうちょっと酒は入れば、しゃべれたんだけど、
T子姐さんが酔っ払わないうちにしゃべらせとけ、と言ってしまったのでね。
同人お二人から、句集上木予定の報告も入って、盛り上がる。
十周年の司会者も、勝手にH和人さんに内定させたりして。

二次会は例によって、厨さん行き付けのお初天神のスナックでカラオケ。
そこを出て、亀憲さんと東やさんとでもう一軒。
スナックではカラオケ三昧だったので、そこで俳句の話を約1時間ほど。

東やさんと僕にとって好都合だった阪急電車はすでに終電が出て、JRにて。
24時16分発の京都行き普通電車に乗ったら、何の問題もなかったんだけど、
(問題というのは、寝てしまっても、車掌が起こしに来てくれる)
まだ、さほど酔っていなかったので、駅員のアナウンスをしっかりと聞いてしまう。
「京都へは後発の野洲(やす)行き快速が先着いたします」
ということで、康二人の野洲行き快速による珍道中が始まってしまったのだった。
ごめんね、東やさん(お迎えのお姉さんご夫妻に悪いことをしてしまったもの)。

その野洲行き快速は、ガラガラだったので、
二人は、両側の四人がけの席を独占して、足を伸ばして眠る。
僕は京都が近づけば起きられると思い込んでいたんだけど、
気が付いた時のアナウンスは「まもなく終点、野洲です」というアナウンス。
野洲というのは、滋賀県の草津と米原の中間。
タクシーならば、京都まで9,000円~10,000円の距離。

どうしようか、と思って駅を出ると、居酒屋・白木屋が駅前にあった。
営業時間午前5時まで。JRの始発は4時44分。ぴったりカンカンだった。
そこで、また飲み直し、眠ったおかげで酔いも幾分醒めていたので、
昼間の大阪句会の出句を、ふたりで再検討などしていたら、あっという間。
また、食べ物と生ビールで4,500円(二人で)ほどを使ったけど、
タクシーで帰るとか、ホテルに泊まることを思えば、有意義なこと。

珍道中はまだまだ続く。
4時44分の網干(あぼし)行き始発電車。
それもガラガラだったので、4人掛けふたつを独占して、やはり眠る。
今度も僕が気がついたことは付いたんだけど、もう電車は新大阪の近く。
結局、大阪まで乗って、再び、京都へ引き返す。
その電車でも、東やさんは寝ていたけど、今度は僕は起きていたので、
やっとのことで、京都に戻る。すでに、17日の6時30分ぐらいだった。
僕は市バス、東やさんはJR嵯峨野線にて。では、後ほどね、と。
以上が、W康による野洲行き珍道中。


17日。
帰宅後、約1時間半眠る。
午前中は、町内会の用事=明日の敬老の日のお祝い品の準備があったので、
大徳寺吟行の昼ごはん「泉仙」(鉄鉢料理)はパスをして、吟行句会から。

厨さんの一年後輩の方が住職をされている大徳寺内の禅院にて。
句会の前に、ご住職に普段は入れないところも数々案内していただく。

その句会でも東やさんが圧倒的に点を稼ぐ。流石!
僕も、そこそこ納得の行く吟行句を出すことが出来て、点も戴けた。

終了後、岡山組(顎オッサンと志保さん)とお疲れの厨さんは帰られたが、
残る6人は、三条堺町・アポロプラスへと。
3,000円にしては十分ボリュームのある料理と生ビール、焼酎類を。
割烹風居酒屋なので、秋刀魚の焼いたのが一匹まるまる出たり。

かなり、酒を飲んだけど、割勘は6,000円で収まる。
途中、D志社大文学部の美人アルバイトに、
「俳句、せえへんか」とみんなでチョッカイを出したりしてね。

ここで、東やさんは帰られて、残る五人で「欒」へ。
欒の二階、町家風の部屋は本当に雰囲気がいい。
芋焼酎を飲みながら、俳句の話など。

そして、大阪組ともここで別れて、残ったのは栗ちゃんと僕。
もう一軒、四条烏丸の和風居酒屋へ。
23時08分の生駒行き最終の時間まで聞いておきながら、
話し込んでいるうちに、栗ちゃんは電車を逃してしまう。
今夜も野洲まで行くか、などと話もしていたが、
京都の白木屋(やはり午前5時まで営業)にて、時間を過ごすことに。

二日続きの珍道中にも終りを告げる時間となって、午前5時、閉店時間となる。
栗ちゃんは京都市地下鉄→近鉄で生駒へ。
僕はタクシーで家まで。帰宅5時30分。


18日。
2時間半ほどぐっすり眠って、シャワー・朝食。
町内会よりの敬老の日のお祝い品(21軒・27人)を副会長と配る。

終了後、自転車で両親の家へ。
また、その昼食時にすこしビールを飲む。

家に戻ってのその日の夕食はバラ寿司だったので、飲まないことにする。
早めに風呂に入って、テレビを見ていたら、寝てしまっていた。

でも、それでも、まだまだタフだなと思ってしまった。
こんな長いブログも一気に書けるのだから。

句会・アフターをお世話してくださった皆様、
ありがとうございました。お疲れさまでした。
そして、今日の長いこのブログを読んで下さった方もお疲れさま。

月代や辛味おろしの添へあれば

2006-09-15 12:22:15 | Weblog

  秋の雲立志伝みな家を捨つ   上田五千石  『田園』

こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、
五千石って、格好(カッコ)付けの俳句が多いように思うんだけどな。
取り上げたこの句や、

  萬緑や死は一弾を以て足る   五千石
  これ以上澄みなば水の傷つかむ   〃

といった句の印象が強すぎる所為かもしれないけど、
僕からすれば、空々しい気がするんだよね。
これまでは思っていても言えなかったけど、正直なところはね。

きっちりと俳句の骨法を身に付けた作家だから勉強しなさいと言われても、
どうも合わないんだよね、根っから嫌いというわけじゃないんだけど。

  山開きたる雲中にこころざす   五千石
  ゆびさして寒星一つづつ生かす    〃
  塔しのぐもののなければ時雨くる   〃

やっぱり、真っ正直というか、ひねくれてないのが物足りないんだろうね。
たまに、酔っ払うと「僕は本格派だからね」なんて嘯いてしまうけど、
本質的には、正真正銘の「ひねくれ派」なのだろう。

  もがり笛風の又三郎やあーい   五千石
  太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や  〃
  渡り鳥みるみるわれの小さくなり   〃

にしても、秀句なんだろうけど、甘ったるい。
好きな句を挙げるとすれば、

  夕空の美しかりし葛湯かな   五千石
  青胡桃しなのの空のかたさかな   〃
  早蕨や若狭を出でぬ仏たち     〃

といった地味なところか。

今日の一文は「ええ仕事しまっせ」には転載できないな。
あの系譜でなら、宇治在住のT田のおっさんの方が面白いよ。

とは言いながら、何度も書いているように、
五千石の著書『俳句塾』が、僕の基礎となっていることは事実で、
あの本と出合ったことは、とても幸運だったと思っている。
後年、そのお弟子さんのT子姐さんと出会えたことにも。


14日。
取り立てて何もなし。
平穏な一日といえば、そういえるだろう。

植草一秀、潜在的なものなんだろうね。
飲酒運転と一緒で、境界線を判断出来ないってことか。
遊ぶんだったら、お金を出せば、いくらでも遊べるんだし、……。


夕食。
さんまの焼いたん。大根おろしは辛い方がいい。
お揚げの焼いたん。これも大根おろしで。
トマトサラダ。
ビール2本。

脛の腫れひいて名古屋へ秋高し

2006-09-14 12:43:44 | Weblog

  遠くまで行く秋風とすこし行く   矢島渚男  『船のやうに』

「すこし」とか「やや」といった措辞は、
使い勝手がいいので、ついつい安易に使ってしまうけど、
本当に効果的に使ってある句と出遭うことは少ない。
そんな中で、掲句はその成功例と言っていいと思う。

俳句は「モノ」で詠め、という格言のようなものがある。
確かに、「モノ」を意識することは大事なことだと思うけど、
それにこだわりすぎると、俳句が窮屈なものとなっていまう。
掲句には「モノ」一つない。されど、見事に読み手の心を攫む。
わが愛唱句としても、大きな位置を占めている一句だ。

難しい「すこし」、「モノ」がないという弱み、
そんなことを押し退けて一句として立つ凄さ、やはり自由度なのかと思う。
自在に作る、口で言うのは易しいけど、そう簡単にはいかないよね。

  船のやうに年逝く人をこぼしつつ   渚男


13日。
急ぎの仕事が、外注先より9時前に届く予定が、
トラブルがあって、10時過ぎになるとの連絡。
仕方なく、ここを書き込んだり、灰皿の評などを。
何か、ここんとこ、トラブル? に巻き込まれることが多い。
ご不幸事までトラブルというのは、問題発言かもしれないけど。

結社誌9月号がとどく。
センセの御句では、

  宮中を跨いでゆけぬ夕立かな
  汁の實になりそこねてや茄子の馬

地味なところでは、

  うつそりと川面見てをる蚊喰鳥

かな。
あまり、好調とはお見受けしない。

あの名古屋支部長の首のない写真、なんとも不気味。
あそこ、名古屋支部っていうけど、
名古屋市内に住んでいる人は少ないんだよね。
岐阜県の人もいるし、愛知でもO崎市やT橋市とかね。
ま、句会場が真ん中の名古屋ってことで、名古屋支部なんだろうけど。


夕食。
涼しくなったので、電気鍋で黒豚のしゃぶしゃぶ。
ビール2本。

21時過ぎより、「この一句」を書き上げる。

炒飯におまけのスープ栗に虫

2006-09-13 09:29:07 | Weblog

  よきなまへもちて邯鄲死にけらし   田中裕明  『夜の客人』

ダンディーの句集もそうだったけれど、
亡くなってから、「死」に関わる句を再読すると違って見えてくる。
この裕明句も生前発表された時と亡くなってからでは少し印象が違うことと思う。

「けらし」というのは、「けるらし」の音変化。
過去の助動詞「けり」の連体形+推量の助動詞「らし」。
意味としては、死んでしまったらしい、ということになる。
すなわち、なきがらを見つけたわけではないが、
鳴き声を聞かなくなったので、死んでしまったのだろう、ということ。

確かに、邯鄲は良き名前であるし、「邯鄲」という字面もいいね。
単にそのことを詠んだだけなのに、品格を感じさせるのは、
この作者の魅力というか、持って生まれた何かがあったということだろう。

残念ながら、僕は邯鄲の姿はもちろん、鳴き声も聞いたことがない。
しばらく前、ふらんす堂のホームページ中の社長さんのブログに、
深見けん二氏との「邯鄲」に関するやりとりが書かれていたが、
俳句の携わっているのであれば、一度は聞いておくべきものかと思った。
やはり、沖に出れば、どこにでも鯛がいるわけでもないように、
やみくもに山中に分け入ってもダメで、邯鄲がいるスポットがあるのだろう。


12日。
普通に仕事。

夕食は軽く炒飯(チャーハン)とポテトチップスとビール1本。
19時30分より、区民大運動会の参加券作り。
21時30分までかかる。

終了後、例によって浅酌(といっても、生中4杯)。
途中で、旅行よりお帰りの厨さん(また、旅行、羨ましいなあ)から、
亀憲さんの出版祝いの会に関する問い合わせがあったけど、
日曜はここに書いたような事情だったので、T子姐さん宅に問い合せてもらう。
帰宅23時30分。

神棚にらふそく消えて栗ごはん

2006-09-12 12:44:34 | Weblog

  秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな   中村汀女  『汀女句集』

初心の頃、面白い俳句だなあ、と思った句だけど、
今では、この「かな」の使い方には少し違和感がある。

無礼承知で、僕ならば「秋の雨瓦斯が燐寸に飛びつける」としたことと思う。
汀女にすれば、燐寸の火に飛びつくような瓦斯の存在が憐れに映ったのだろう。
ゆえに、あえて「秋雨の」として、詠嘆の「かな」を用いたと推測する。
でもね、やっぱり、「瓦斯が」の「が」→「かな」がひっかかるのだ。
僕は「が・で」否定論者ではないけれど、ケース・バイ・ケースということ。

それはさておき、掲句(昭和十年作)あたりが台所俳句の先陣といえるのだろう。
汀女は子育て俳句についても先鞭を切ったといってよく、

  あはれ子の夜寒の床の引けば寄る   汀女   
  咳の子のなぞなぞあそびきりもなや   〃

あたりは、あまりにも有名な句。

マッチを詠んだ句には、昭和二十八年作の

  梅雨の晴マッチは匂ふ火を発し   汀女

もある。こっちの句も僕の好みからすれば、
「梅雨晴や燐寸は匂ふ火を発し」なんだけどな。

瓦斯器具は自動点火、仏壇は両親の家、神棚は仕事場といった感じで、
僕の子供なんかでも、満足にマッチを擦れない。
アウトドアなんかへ行くときでも、チャッカマンとか持って行くしね。
大体がマッチなんて置いておくと、火遊びの元と以前から家にも置いてないし。
でも、蝋燭や線香の火をライターやチャッカマンで付けるのは淋しい限りだね。


11日。
同時爆破テロから五年。
でも、そのイメージはニューヨーク・ツインタワーに集約されてしまって、
ペンタゴンへの突入やホワイトハウスへの未遂は遠くへ追いやられた印象。

ところが、日本国の某局の夕方のニュースのトップは、
《飲酒運転での事故(特に公務員の)相次ぐ》だった。

僕は、高校を卒業して家業を継いだ時から本格的に酒を飲みはじめて、
その時点で、親父から、酒か車の運転か、どちらかを選んでくれ、
親孝行と思って頼む、と言われたので、酒を選んだ。
ま、ビール2本ぐらいなら絶対大丈夫って、僕もなってしまうだろうから。
そう思えば、あの時の親父の忠告は正解だったのかもしれない。
でなければ、今頃、交通刑務所の内かもしれないもの。
実際、京都の町中に住む者ならば、車を維持するよりも、
必要な時にタクシーを使った方が遥かに経済的なのだ。

仕事上でも、祖父・親父・叔父と一緒の時は、叔父が車を運転・配達をしたし、
今のように一人となれば、十日町はトラック便、室町はチャリンコでと、
それで十分、事足りている。ま、雨の日だけだね、不自由なのは。

夕食。
茄子の揚げ出し、豚の生姜焼き、サラダ各種。
ビール2本。

新米は鶴亀算でとぐべかり

2006-09-11 13:02:20 | Weblog

  蘭の香やむかし洋間と呼びし部屋   片山由美子  『風待月』

昨日の京都支部句会の後席でも話題に上っていた人である。
掲句も句意明快、きっちりと出来ている句と言える。
だけど、それでどう、といった感じの話であった。

魅力的な作家は、文法や表記には無頓着なもの、という前提から、
文法や表記にこだわる者の作品はつまらないというのはおかしいと思うが、
文法や表記よりも大事なものがあることは僕も認めるところ。

A ①文法・表記も含めて基本を叩き込む→②個性を伸ばす
B ①個性を伸ばす→②文法・表記も含めて基本を徐々に覚えて行く

僕は古典コンプレックスがあったがゆえに、Aで徹底してやったつもりなので、
いつまでたっても、文法・表記を間違える人にイライラするのだろう。
直してくれる、直してもらえるという甘えにも、少し憤りを覚える。
Sさんにも、このあたりのことを指摘されたけど、そう簡単に性癖は直らないものだ。

最後に一言だけ。とはいうものの、
由美子さんには悪いが、彼女の句群にさほど魅力を感じないことも事実。


さて、予定が完全に崩れてしまった週末であった。

まず、8日。
これは僕自身も悪いのであるが、盆踊りののあと、
調子が出て、スナック、もう一軒となって、帰宅が26時30分になってしまった。


9日。
すでに昨夜遅くに連絡は来ていたのだが、詳細は明朝ということだったので、
嫁はんは、気を利かして携帯に連絡して来なかったらしい。
それはそれでいいのだが、町内会の某家の訃報が届いていたのだ。
お通夜はこの日の夜ということで、各世帯への連絡を急がなくてはならない。
9時過ぎに二日酔いの顔を曝して、お悔やみ、打ち合わせに参上する。

その後、通夜・告別式の案内プリントをコピーして、各組長さんにお願いに行くが、
隣組長6人中2人は留守ということで、その組は僕と嫁はんで配らなあかんわ、
配りに回っても、土曜日ということで、留守の家も多いわけで、
いろいろな手段(携帯・FAX)を使って、何とか夕方までにお帰りになったら、
そのプリントが目に入るように算段する。ほんま、疲れるわ。

ということで、18時半からは葬儀場へお手伝いに行かなくてはならないし、
(最近は京都も自宅ではなく、ほとんどのお宅が葬儀場を使用するようになった)
得意先はある品物を月曜日に欲しいと言って14時頃に電話してくるわ、で、
(泣き付かれたので、夕方に準備だけしておいて、染めは日曜日にすることに)
この日はPCも開かず仕舞い、予定していた作句も出来ず仕舞いとなってしまった。

お通夜の手伝いからは、20時30分頃に帰ってきたのだが、
一緒に手伝ってもらった副会長と隣組長をねぎらうことも必要なので、
遅まきの夕食に誘って、苦労話に花を咲かす。

隣組長さんはご年配なので、先に帰られて、残った副会長と飲み直す。
明日の告別式の手伝いも頼んで、24時に散会とする。


10日。
京都支部句会の日。

朝早く起きて、急きものを染める。11時前までかかる。
欠席投句を預かっているし、キーワード句会選句一覧もあるし、
某デパートにも用があったので、12時前に会場のきよみずまで行く。
早々とT子姐さん来ておられたので、諸々をお願いして一旦、帰る。

告別式は14時~15時なので、13時30分に葬儀場入り。
15時過ぎには出棺となって、一旦、家に戻って、着替えて句会場へ再び。
ほとんど、句会は終了間際で、後席へ行くために来たようなもの。

後席は、二条押小路の旬菜 愉快・鶴亀堂へ9人で。
この日は食べ物を控えめに取ったので、4,020円の割勘。
よく呑んだ僕なんか、あまり呑まない方には悪いなと思いながらも。
そして、姐さん行きつけのワインバーに行って22時30分まで話す。
T子姐さん、栗ちゃん、K勲さん、若旦那、僕。
赤ワイン二本を空けたけど、ウチ一本はT子姐さん持ち。ごっつあんです。
軽いピザ2枚とミックスナッツで、ここは、1,200円の割勘。

結局、支部句会にも投句をせず、一句も作れなかった週末であった。

「灰皿」もごめんなさい。選と評はきちんとします。

ご贔屓に嫁はんもゐて藷を掘る

2006-09-08 12:57:17 | Weblog

  西鶴忌のちの俳諧たよりなし   清水基吉  『離庵』

やれ芭蕉だ、蕪村だ、一茶だといっても、
天才といえば、西鶴の右に出るものはいないだろう。
句作品自体はほとんど残されていないが、そこはなにわの俳諧師、
その場でご贔屓筋を愉しませれば、それぞ、エンターテイメント。
一昼夜で二万句余は愛嬌としても、談林派の雄であったことに違いあるまい。
西鶴については、松岡正剛氏のここも読んでみてね。

  http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0618.html


基吉の句に戻れば、まさに僕の思っていることを見事に言い切ってくれている。
別の季語を持たない忌日俳句が季感に欠けることは承知しているが、
それを補って余りある断定だと、いたく感じ入っている。

西鶴と同じく、清水基吉も俳句と散文の両刀使い。
昭和19年に第20回芥川賞を受賞している。

  春愁や犬は寝そべり鯉沈む   基吉
  ご先祖といふお荷物や墓洗ふ   〃
  黴の中業の筆執るあぐら組む   〃

その俳句作品は、やはり俳味が強い。


7日。
最高気温は30℃を割っているので、汗の量もましのようだ。

夕食。
軽くベーグルサンド&ビール1本。

20時過ぎより、タクシー運転手(休みの日)の通称専務と居酒屋Bへ。
ついでに、居酒屋Aにも顔を出して、共に運動会協賛金をいただく。
居酒屋Bが僕の奢りで、そのお返しが居酒屋A。
結局は僕が得をしてしまったみたい。誘って、悪かったかな。
あと、残っているのはスナックだが、
こちらは今日金曜日の盆踊り大会ののあとで行くことになるだろう。
洛中的必要悪経費は、このあたりで打ち止めにしたいね。