これでお開き

体育会系俳人のつぶやき

まだ海の見えぬ花付胡瓜かな

2006-07-31 12:22:59 | Weblog

  みちのくの蚯蚓短かし山坂勝ち   中村草田男  『来し方行方』

字余りが効果を上げていると言われている句である。
確かに、「山」「坂」「勝ち」2・2・2が短かめの蚯蚓のシナリを感じさせる。

「みちのくの」での打ち出しの句は多い。

  みちのくの淋代の浜若布寄す     山口青邨
  みちのくの雪深ければ雪女郎      〃
  みちのくの伊達の郡の春田かな    富安風生
  みちのくの星入り氷柱われに呉れよ  鷹羽狩行

いずれもいい句だと思うけど、何か「みちのくの」と打ち出すだけで、
そこそこの俳句になりそうだから不思議なものだ。

ところで、ここに挙げる句は、主にこの間発売になった、
『角川俳句大歳時記 夏』から拾っているんだけど、
この「蚯蚓」の項(502頁)に、

  空き缶の蚯蚓に雨の降り始む   梅田津  「遠矢」

とある。誤植ですよね?


29日。大阪句会へ。
京都からの7人出席を含めて、21人での句会。
京都支部句会とは違って、合評と言っても和気藹々の雰囲気。
今日の表題句は出句の中の一句。

  もう海の見えぬ花付胡瓜かな

と、どちらがいいのか、まだ迷っている。

終了後、大阪ガスの施設内でのイタリア料理へ。
ビール、赤ワイン等、ふんだんに戴き、更には追加料理まで。
厨さん、お世話様、ありがとうございました。

あと、梅田のスナックでカラオケ。
愚(フォーク系)、和人(デュエット曲)、厨(ど演歌)、僕(何でもあり)、
全部で相当曲、歌ったように思う。

終電より少し早い阪急電車で帰路に。


30日。超結社の勉強会へ。
「子規の絶筆三句」の謎を解く、そんな感じのこと。
発表者が高校の校長先生をされている方(俳人)ということで、
さすがに話は上手く、興味深い発表だった。

後半はその発表に対するディスカッション。
岡山のN美さんから頂戴した大冊で予習していったので、
少しは議論の中へ入っていくことが出来た。
僕はあの三句は絶筆となったけど、辞世ではないとの判断。

終了後、「樽」→「米」→「京めん」といういつものコース。
一人帰り、二人帰りして、最後はいつものようにT中宏さんと僕の二人だった。

夜は秋の得てしてこんなところから

2006-07-29 06:37:04 | Weblog

  いつも二階に肌ぬぎの祖母ゐるからは   飯島晴子  『八頭』 

今回のキーワード句会のお題の一つ「学校」が、僕の愛唱句、

  学校が好き朝顔に水をやる   津田清子

から取り出したものであることは、昨日書いたけど、
もう一つの二字熟語「二階」は、上記の晴子の句からである。

結構、俳句をはじめてすぐに触れた句だったけど、
その時から、頭の片隅を離れない句になってしまったのだ。
中央にドンと居座るのではなく、隅の方からツイツイと刺激する感じかな?

この『八頭』という句集は、飯島晴子の契機となった句集だと思う。

上記の「肌ぬぎ」の句の他、

  恋ともちがふ紅葉の岸をともにして   晴子
  空港のロビー遍路杖突きをさめ     〃

といった句と、

  金屏風何んとすばやくたたむこと   晴子
  八頭いづこより刃を入るるとも    〃
  腸のよろこんでゐる落椿       〃
      
晴子のシニカルな面を評価されるきっかけとなった句が混在している。

僕は、晴子が後年になってシニカルになったとは全く思っていないし、
元々から、感情に左右されない冷静な眼を持った作家だったと認識している。
ただ、この段階以降に、一般的評価が高まったのは、
  ①定型で平易に詠んだこと
  ②俗っぽいところにも大きく踏み込んだこと
によるものと考えている。

  寒晴やあわれ舞妓の背の高き    晴子
  初夢のなかをどんなに走つたやら  〃
  さつきから夕立の端にゐるらしき  〃


ウチの結社には、飯島晴子ファンは多いように思うけど、
「金屏風」以降の句に惹かれている方が多いのではないかと思う。

だけど、僕は、どちらかと言えば、初期から中期の句に惹かれる。
「詩」が勝っているように見えるけど、そうじゃないんだよね。
ミステリアス、今日のところはそういうことにしておこう。

  旅客機閉す秋風のアラブ服が最後   晴子
  白き蛾のゐる一隅へときどきゆく    〃
  孔子一行衣服で赭い梨を拭き     〃
  
だけど、やっぱり、「肌ぬぎ」の句だな、僕にとっては。
一生、頭の片隅から離れないだろう。

一部に飯島晴子の句は、骨格が出来ていないという説があるが、
どこがどう出来ていないのか、具体的に指摘してほしいと思う。
晩年の作には、凡句が多かったことは認めるけれど、……。


28日。
3時半前に仕事を切り上げると(これ以上は無理なんだけど)、
とたんに凄い夕立が。しばらく、その豪雨に見とれていた。

その後、第45回キーワード句会の清記。
急いだので、ミスが二ヶ所あったみたいだけど、お許しのほどを。

自分の出句、六句中一句だけは自信の持てるものなんだけど、
得てして、こういう自信句には点が入らないんだよね。


夕食。
鶏の唐揚げ、水菜サラダ、瓜の漬物他。
ビール2本。


さて、今日は大阪句会へお邪魔する。
超早起きして書きこみ&作句なんだけど、これから外へ出ようと思う。
なんか、人事句しか出来ないから、ちょっと嫌気がさしているのだ。

そ、大阪方面の色紙蒐集家約二名の句は、採らないようにしよっ、と。
繰り返すようですが、僕、センセの色紙、一枚も貰ったことがありません。

木槿咲く微妙に泌尿器科らしき

2006-07-28 08:09:26 | Weblog

  向日葵の一茎一花咲きとほす   津田清子  『礼拝』

ようやく、向日葵の一句を取り上げる日差しとなった。
掲句、「一茎一花」は「向日葵」の定義とも言える措辞なのだが、
座五の「咲きとほす」で、一気に芯を為す措辞となった。
多弁な作家だが、無駄を一切削ぎ落とした多弁と、僕は受け取っている。

誓子、多佳子の影響を感じさせるものの、
更に野太いものを、僕は津田清子には感じる。
関西系の短詩型文学を語る会でお目にかかったことがあるが、
外見も骨太な方で、話ぶりも凛としたおばあちゃんだった。

津田清子は、「前方後円墳」の厨さんの前のお師匠さん。
片思いのままに振られてしまい、こちらへ来られたと聞いている。

  千里飛び来て白鳥の争へる    清子
  余り苗いつまで待つも出番なし   〃   
  泳ぎ子よ大臣になどなる勿れ    〃

といった作もあるぐらいだから、合わないとは思えないけどね。

だが、全般的な作句傾向からすれば、
「俳」よりは「詩」に傾斜していることは否定できない。
一部の作には、微妙に竹中宏と通うようなところも感じられる。

  真處女や西瓜を食めば鋼の香   清子
  栗甘くわれら土蜘蛛族の裔     〃
  血より濃し植田植田をつなぐ水   〃

今回のキーワード句会のお題の一つ「学校」は、
僕の愛唱句である、

  学校が好き朝顔に水をやる   清子

から、いただいたもの。

でも、結構いろんなタイプの俳句を作ってるよね。 


27日。
暑いが、去年などと比べると気温はまだまだ。
ようやく油蝉が鳴き出す。


夕食。
お造り盛り合わせ。麻婆茄子。
冷酒2合、ビール1本。

呼びとめてとゞまらぬものお風入

2006-07-27 11:59:07 | Weblog

  釈迦は弟子増やし給ひぬお風入   小笠原和男  『方寸』

「お風入」、いい季語だなとつくづく思う。「虫干」の傍題。
座五を体言止めに持ってくるのなら、「土用干」か、この「お風入」。
切れ字「かな」を用いる場合は「曝書かな」とお好み次第。
もちろん、座五→上五に、「虫干や」からの打ち出し、いくらでも展開がある。
でも、句の内容によってどれがベストなのか、選択する、それがセンス。

掲句、穿った読み方をすれば、
小さいながらも、結社を引き継いだものの、弟子はとんと増えない、
お釈迦様とまでは行かぬとも、もう少し増えぬものかな、との思案。
「給ひぬ」「お風入」の「お」に、尊敬→諦め→自嘲が感じ取れる。
て、いうんだけど、「初蝶」って結社誌、月刊で1,000部も発行しているね。

この小笠原和男という人、纏まったもの(句集)を読んだことはないけど、
散見する限り、なかなかユニークな句を作る人と注目している。
注目していると言っても、僕の親父より二つ年上、82歳のおじいちゃんだけど。

  洗鯉ひとつ残して山を見る     和男 
  落し水声を出さねば齢とつて     〃    
  鶏の目の少しずれたる暑さかな   〃
  
師系を辿れば、細川加賀、石塚友二、石田波郷。

  つめたさは春のしぐれのぼんのくぼ   細川加賀
  好日やわけても杉の空澄む日      石塚友二 
  ひるがほのほとりによべの渚あり    石田波郷

波郷、やっぱり入院前の明るい句しか採れないね、僕は。


26日。夏らしくなる。ほどほどに仕事。

夕食は軽く、魚そうめんと春雨サラダ、ビール1本。
19時30分より体育振興会の区民運動会向け会議、第一回目。

終了後、例によって居酒屋行きなんだけど、
その前にショックなニュースが飛び込んでくる。
今年度町内会計をお願いしている通称社長が、胃ガンの手術をされたと。
15年前に胃ガンの手術をされて、胃の四分の三を切除されたんだけど、
残った胃に転移ではなく、新しくガン細胞が蠢いたらしい。
癒着がはげしく、難手術だったらしいが、成功したとの報。
これまで伏せておられたのだが、とりあえずは、ホッと。

でも、僕の周り、ホントに病気になる人が多い気がする。
その人達の元気を、僕が全部吸い取っているかのように。

居酒屋では、町内の外の人ばかりだから、その話はなし。
いつものように、同じペースで飲む。
僕の特徴は、何杯飲んでもペースが落ちないこと。
と、言っても、自慢にはならないが、……。

ものさしを毒消売に替へてみる

2006-07-26 12:33:14 | Weblog

  単帯ゆるんできたる夜潮かな   大木あまり  『火球』

同傾向の句を挙げると、

  白昼を能見て過す蓬かな     宇佐美魚目
  手をつけて海のつめたき桜かな   岸本尚毅

違いを言えば、大木あまりの句は季語が頭に来ている点。
ぱっと読めば、「夜潮」が季語のような感じすらする。
もちろん、「単帯ゆるんできたる」⇔「夜潮」の取り合わせが主眼。
その感覚には冴えを感じる。

  掛稲のすぐそこにある湯呑かな   波多野爽波

と同構造のようだが、爽波の句は、スリットが上五にあるのか、
中七にあるのか、それとも、中七は、上五・座五両方に掛けてあるのか、
僕は今でも確信を持てないので、ここからは外して考えたい。

この手の句(中七にスリット)、手の内に入れているかどうかは別にして、
よく作って、句会にも出すんだけれど、句歴の浅い方には解りにくいようだ。
僕だって、同人になった時点でも、良さを理解していなかったもの。

座五を体言止めにせず、あえて「~かな」を用いる、
この「かな」が効いているか、いないか、そこに旨味が集中しているのだ。
作者には失礼ながら、仮に体言止めにするならば、

  単帯ゆるんできたる忘れ潮
  白昼を能見て過す夏蓬
  手をつけて海のつめたき夕桜

どちらかと言えば、この方がピンと来る方も多いだろう。
だったら、体言止めでいいじゃないか、と言われるとつらいけど、
やっぱり、ちょっとした違和感・不可思議さを愉しみたいというか、
読み手としては、読み深めるにつれて欲張りになってくるんだろうね。
はい、これ以上高等な分析は出来ません、おわり。

「H研」8月号の大木あまりの33句、
僕のお気に入りの句は、表題句でもある、

  香水のほのかなるかな飛行船

もう一句、彼女らしくないかもしれないけれど、

  野の果てに風のひびける穂蓼かな

も、僕のものさしではいいんじゃないかな。

ただ、若い頃のようなドキッとする句はなくなったね。

  寒月下あにいもうとのやうに寝て   あまり
  地獄絵に風の牡丹を加ふべし      〃
  後の世に逢はば二本の氷柱かな    〃


25日。
給料日、親父が来る。
と、いうわけで、この日に仕事を残しておいたわけだけど、
今年の夏はましにしても、仕事場は暑いので、早々に染め場から退散。
二階に上がって、売上帳、経費帳、現金出納、今月の請求額、請求書を見て、
納得? して、帰って行く。何か物足りないな。
枯れてきたのか、それとも、株式・馬券が不調だからか?
決して、満足して貰える業況じゃないのにな。
弱った感じは全然しないし、元気だから、ま、いいか。
そ、儲からないものとあきらめているのかもしれないね。


夕食。
ゴーヤと搾菜の炒めもの、冷奴、納豆、漬物。
ビール2本。

まだあをくさくもう青臭き捕虫網

2006-07-25 08:03:54 | Weblog

取り上げる一句、無作為に選ぶつもりでいたんだけど、
いつの間にか、作家で選ぶような感じになってしまった。
また、近いうちに、元のかたちに戻ることだろうけど。

というわけで、飴山實→長谷川櫂と来たら、

  なき如き滴りにしてとどまらず    中田剛  『珠樹』

「H研」8月号の特集においても、自選旧作七句に含まれている句である。
また、長谷川櫂も『四季のうた』の中で掲句を取り上げている。
(「H句」8月号、出だしの句はいいですね。京都は、25日、本屋の店頭に)

句意は明快、何の解説も要らないだろう。
掲句も、ま、発見の句で、たしかに全部言ってしまった弱みはある。
この「なき如き」、主観・客観に分ければ、やはり主観に当たると思う。
百人中九十九人が「なき如き」だと思っても、違うと思う人もいるわけだから。
だけど、「赤」の花なのに、それは「黒」だと言い張る人もいるんだから、
一概に、どこまでが客観、どこからが主観とは言えない気もするけどね、……。

どうして、彼が「翔臨」の編集長的立場にいるのか、訝しむ人もいることだろう。
少しヘン(いい意味での)な興味は窺えるけれど、竹中宏とは作風が違うもんね。
でも、傍から見ている分には、二人の間には明らかに信頼関係が出来ている。
ま、作風の違いといえば、ウチの主宰と編集長とだって、そうだもんね。
何か、編集長が主宰に瓜二つというか、主宰のミニ版という結社は気持ち悪いもん。

  夭折や泳ぎつく手のつめたさに    中田剛
  少女選手泳ぎつきいま死角にゐる   竹中宏

でも、剛さんも出た「H研」のリレーエッセイ「句友・句敵」、
何か関東の方へ瞬間いっても、すぐに関西に戻っている感じで、
ここ15ヶ月はずっと関西の俳人&俳句愛好者が続いている。
僕も少し、メンバーとは関わりがあるけど、そのあたりの親密度は強く感じる。
ほとんどの人が自己の組織に拘らずに、俳句そのものに集中していることは言える。
ま、関西びいきの弁に違いないとは思うけど、……。


23日。久しぶりに競馬を少しやる。
函館記念、馬連③④⑦のBOX馬券の本線が的中。
三連単にしておけばと一瞬思うが、我は馬連派、それはすぐに忘れることに。
夏競馬は休もうかと思っていたのに、当たるとまたやりたくなってくる。

夕食。
チヂミ(韮の青臭さがいい)。
ビール2本。


24日。
朝、早く起きて仕事。
10時30分には切り上げて、シャワー。
展示会の用で11時過ぎから室町方面へ出かける。

お弁当を戴いてお土産も戴いて、15時前に帰る。
本当にお手伝いになったのやら?
もちろん、帰ってから仕事をするはずはなく、
遅まきの昼寝30分&『四季のうた 2』ぱらぱら捲り。


夕食。
かつおのたたき、納豆、瓜その他の漬物。
冷酒2合、ビール1本。

西瓜冷ゆ隣組長ここも寡婦

2006-07-23 11:51:01 | Weblog

  日はしんと空の深みに氷室跡   長谷川櫂  『天球』

一ヶ月ほど前に買った『四季のうた』 長谷川櫂 (中公新書)。
てっきり新刊だと思っていたら、一年前の出版物だったらしく、
銀行へ行ったついでに、本屋を覗いたら『四季のうた 2』が発売になっていた。
早速に購入。この手の本は、気ままに開けるので、すぐ買ってしまう。

さて、「氷室跡」の句。改めて読んでも、いいなあと思う。
「発見」の句と違って、読めば読むほど味が出てくる。

「日はしんと空の深みに」という措辞、他の季語との取り合わせならば、
ムード先行とも思えるが、「氷室跡」なら共感の一句となるから不思議なものだ。

「氷室跡」を詠んだ句としては、

  風ずれの檜にほふや氷室跡   宇佐美魚目

もあって、こちらも愛唱句である。

京都の北山には、栗栖野(くるすの)の氷室跡というのがあって、
このあたりまで来ると、ほんとにひんやりした空気に触れることが出来る。
盆地特有の蒸し暑さとは、全く逆の世界がそこに広がっているのだ。
そのような実体験があるからこそ、上記二句に惹かれたのではないかと思う。

  http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ki049.html


長谷川櫂の最近の句、彼の結社のホームページでも見ているが、
(結社名で検索エンジンにかければ、そのページは出てくる)
僕が見ても、「緩い」と思える句が並んでいる。
これで満足しているのか、もう、元へ戻ることが出来ないのか、

  蘭鋳の水に柳の散るころか   櫂

は、ま、いいとして、

  秋の日の金魚の水をかへにけり   櫂

は、どうみても只の只事でしかないと思う。

他の13句も、取り立てて、どうってことない句ばかり。
偉そうな物言いになってしまうけど、「復活」してほしいんだけどなあ。
「H句」8月号(25日発売)には、「富士」と題した50句が載るらしい。
でも、あまり、期待しないで読んだ方がいいんだろうな。
初期の句には、一句一句に芯が入っていたような気がするんだけどね。


22日。
久しぶりに夏らしい日差しが。
夏場の実働時間は短いんだけど、急ぎの仕事も済ませたので完全休日に。
この夜の地蔵盆準備説明会用のプリント作成等雑用を。

夜の地蔵盆準備説明会は、三役にお任せします、という感じに終始。
きっちりと隙のない雛形を作ると、会議はスムーズに進むけど、
新規の意見が出てこないし、なかなかボランティア運営も難しい。
隣組長さんの中には高齢者(寡婦)も多いし、仕方ないのかも。

終わってから、いつものように一席。
マッコリはないけれど、生ビール・芋焼酎他。

スナックへは行かず、24時前に散会。

お~い、大阪組。マッコリパーティーはどうだった?
来週(29日)は終電前(24時前)まで飲むからね、頼むよ!


明日は所用のため、書き込みはお休みします。

土耳古青ビール飲むことだけ決めて

2006-07-22 09:27:45 | Weblog

  大雨のあと濱木綿に次の花   飴山實  『次の花』

友岡子郷のあとは飴山實か、と思っておられる方もおられよう。
よく似た系譜(前衛的→伝統)を辿っているし、文体? も似ているように思う。

彼の代表句として、掲句を挙げられているものをよく眼にする。
第一句集『おりいぶ』の頃の句を挙げる人を別にしての話だが、……。

動詞をひとつも使わずに、さりとて、景は鮮明である。
この「あと(後)」、「先」「中」といった言葉は使い勝手がいいので、
ついつい使ってしまうけれど、存外、漠然とした内容になってしまうことが多い。

しかし、掲句の「あと」は、実に鮮明に処理を施してある。
大雨が降っている時の景を、読み手に想起させると共に、
それを受ける言葉として、「次」を用意しているところが憎い。
この「あと」→「次」の関係には、これぞ俳句の妙味と思わされた。
現時点では「濱木綿に次の花」に過ぎないが、その花の開花まで見える。
打ち出しに「大雨のあと」という「状況」を呈示したことからこそ、
「大雨」の際の「濱木綿の花」、そして、「次の花」の開花まで見えてくるのだ。
打ち出しから叙景に徹していたら、この佳句は誕生していなかっただろう。

叙景句好きの栗ちゃんがメールで、ここ数ヶ月、頭では句を作れるけど、
モノを見て俳句を作れないと言ってきた。そんな時もあるよ。
でも、モノをよく見る姿勢さえ忘れなければ、それでいいと思う。
ま、僕だって、好きだけど、胸を張れる叙景句なんて数えるほどしかないもん。
叙景句を! と思いつつにも、ついつい人事を絡めてしまうんだよね。

余談ながら、今夜(22日夜)は、
大阪のメンバー(愚・厨・和・栗・珠)でマッコリパーティーとか。
僕も参加したかったんだけど、地蔵盆の打ち合わせを先に入れてしまったのだ。
こっちも、会議が終わってからは飲むけれど、マッコリは無いからね。
でも、僕が行かないから、早々にマッコリが品切れになることはないと思うよ。
この前、僕が行った時は、あっという間に品切れにしたもんね。
でも、来週(29日)も句会&イタめしなのに、ま、よく集まって呑むこと。


21日。
9時前後に集中的な豪雨。ま、よく降ること。
どうしても、明日、品物が欲しいというものを染める。色は土耳古青(とるこあを)。
当然、僕にも好きな色、嫌いな色はある。
しかし、好きな色が染めにおいて得意な色(色合せの速さ)とは限らない。


夕食。
にぎり寿司なんてわけはなく、手作り餃子&ソーセージをホットプレートで。
ビール2本。


24日(月)、所用にて更新できませんので、
代わりと言っては何ですが、明日も書き込みます。
お暇なら、覗きに来てください。

蜘蛛の子や臍曲がりにも右左

2006-07-21 12:36:46 | Weblog

  千人の着席の音梅雨深し   奥坂まや  『縄文』

向かいの小学校は夏休みに入ったのに、まだ梅雨が明けない。
まだ、こんな句を拾ってきても実感があるぐらい。

国歌斉唱なのか、黙祷なのか、そのあとの千人一斉の着席。
誰しもが体験のあることだし、「梅雨深し」の斡旋も肯える。
「~の音」が京都支部句会あたりでは、「たらたらしてる」となるのだろうが、
「梅雨深し」への流れの中では、これぐらいの「たらたら度」が必要かとも。
何もかも、スピード感、勢いで済ますわけにはいかんやろ。

奥坂まやも、僕にとっては「発見」の作家である。
正木ゆう子も近い認識なんだけど、正木ゆう子はもっと柔軟性がある。
なんか、奥坂まやには硬派一辺倒といった印象を勝手に抱いているのだ。
写真では若く見えるけれど、Sさんと同年生まれ。僕より三つ上。

  罐切はうしろ進みやあたたかし    まや
  一山の凍死の記録棚にあり      〃
  万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   〃
  蛇口あり菊人形の傍らに       〃
  蓋開けて電池直列春寒し       〃

二・三・四句目に「あり」の句が並んだけれど、
「あり」という措辞は「わたし、発見しましたよ!」という強い合図だから、
こういう風に並べると、うとましく感じる人が多いことと思う。
だけど、僕は挙げた「あり」の句、どの句も好き。
一句を挙げよ、と言われれば、やっぱり「凍死」の句かな。

ま、この手の句の弱点は、いきなり味を出し尽くしてしまう点だろう。
読むほどに味が出て来ることは決してない、いや逆に、飽きてくるぐらいだ。
だから、仮に句集なら鏤める程度でいいのだ、「発見」の句は。
でも、取り上げるということは、僕が「発見」の句を好きな証拠だけど。


20日。
京都の場合は、祗園祭が終わった頃に梅雨明けするんだけど、
今年は何なんだ。ビアガーデンが泣いているよ。
夜も近所の居酒屋へ行くのさえ、面倒と思うほどに降る。
無駄使いしなくって済むからいいようなものの。


夕食。ちゃんこ鍋。
冷房をDRYモードにして。
久しぶりに熱燗2本。ビール1本。


血液型。なるほどね。
A型が意外と少なく、その分がB型とO型に行っている感じか。
僕の周りのA型ふたり、一人はこの世を去り、一人は投句を断っている。

有効回答率は、やっぱり4割を切っているのか。そんなもんかもね。
でも、犬派、猫派はともかくとして、
臍曲がり度は回答率2割を切るんじゃないの?

二本ともラムネの噴ける県境

2006-07-20 12:38:48 | Weblog

  澄むものはたやすく濁り青ぶだう   友岡子郷  『雲の賦』

僕にとっての友岡子郷の句といえば、
発見のフレーズに、季語取り合わせの句と言っていいだろう。
掲句は最新句集中の一句だけど、なるほど、という思いでこの場に戴いた。
ま、「たやすく」は言い過ぎにも映るけど、一方で必要な措辞とも思えてくる。
何ひとつ読解の必要なく惹き込まれる句、それも佳句の証左の一つだと思う。

  跳箱の突き手一瞬冬が来る   子郷
  青饅や家路の果に家はあり    〃   
  医に蘭と漢のありし世螢草    〃      
  ただひとりにも波は来る花ゑんど 〃
  火にくべてゐるは下絵か夕ざくら 〃
  笹鳴やこの一間のみ青畳     〃 
  夕刊のあとにゆふぐれ立葵    〃
  木の影は木よりも長く秋彼岸   〃

いずれも、僕の愛唱句である。特に四句目は大好き。
ま、あんた、誰でも好きになるんやな、と思われるかもしれないけど、
友岡子郷も、生涯、憧れ続けるであろう抒情俳人の一人だと思う。

余談ながら、祗園祭を見に京都に来られたW辺A太さん(僕と同年同月生)と、
「俳句は詰まるところ、抒情ですよね」と、堅く握手したことを思い出す。
ま、僕も酔っ払っていたし、向こうはもっともっと酔っ払っていたけどね。

ただ、この手の修辞を凝らさずに、発見のみに頼った? とも言える一句、
特に三句目などは、この前のセンセとK川H樹の句との関係と同じで、
一度、誰かに使われていると、季語勝負に持って行くのはしんどい気がする。
早い者勝ちとは言わないけれど、誰しもが、季語よりも発見の方に眼が行く、
「水中花(修辞)」と「兜虫(リアル)」じゃないけど、その弱みは存在しよう。
ふたたび余談。以前、現代川柳を含めた超結社のメンバーに、
「水中花」「兜虫」の客観的な句の良し悪し(好き嫌い)を尋ねると、
現代川柳側は「水中花」を、俳句側は概ね「兜虫」との答だった。

しばらく前に挙げた桑原三郎も、発見+取り合わせ季語の句が好きなんだけど、
桑原三郎の抒情度を10すれば、友岡子郷は90を超えたあたりにあると思う。
この抒情度の違いは大きいし、一般的にはここに好き嫌いが出てくるのだろう。
ところが僕の場合、どちらも好き、どちらのタイプの句も作ってしまうんだよね。
ま、抒情を削いだり、溢れるほど満たすこと自体は問題ないんだろうけど、
桑原三郎に似た文体、友岡子郷に似た文体でしか作れないのがいけない。

KMともよく話すんだけど、やっぱ、自分の文体は持つ必要があるんだろうな。
だけど、友岡子郷の文体って? 
ま、近年は抒情を貫き通しているところが文体なのか?
でも、文体って作るものではなくて、自然に産まれてくるもんだと思うけどね。

何か、今日の一句も、途中から難しい話になってしまった。
やっぱ、僕には女性の句の方が向いているのかもね。


19日。
新潟・十日町の得意先の7月切納品締切日。
電話を入れると、大雨で、石川県境・長野県境の道が、共に不安のあるらしく、
19日に発送しても、20日に届かない可能性があるとか。
そこは、納品する品物の製品番号をFAXして、何とかOKとなる。
依然としてEメールでなく、FAXってとこがご愛嬌。
向こうからの加工依頼伝票はPC化されているんだけどね。
ウチは手書きの伝票。昔、作ったものがまだ山と残っているのだ。
おそらく、廃業するまで、十分、間に合うだけあると思う。


夕食。
ホットプレートで塩焼きそば。
ヤキソバソースの代わりに宮古島製のいい塩を使って。
ビール2本。

河童忌や犬を洗へば土砂降りに

2006-07-19 12:54:28 | Weblog

  鉄斎の老い黒き瀧赤き瀧   竹中宏  『アナモルフォーズ』

掲句と、

  渚にて金澤のこと菊のこと   田中裕明  『花一壷』

が、僕にとっては同列にあると言ったら笑われるだろうか。

もちろん、竹中宏と田中裕明とが同列にあるということではなく、
取り上げたこの二句に限っての話と断っておくが。

この裕明の句について、以前、Sさんは次のように記述しておられる。

裕明の「渚にて」の句、“一次的に表現されたもの”も重層的ですが、“二次的に表現されたもの”も奥行きのある豊かなもの、と思うのですが、どうでしょう。

もっとも、意味内容伝達派にとっては、この句、思わせ振りにあわあわしているだけで中身が無い、なのかも知れませんね。


竹中宏が、難解ではあれ、意味内容伝達派であることは承知するところである。
余計にややこしくなるかもしれないが、ここへもう一句、引用したい。

  ゆきしなに盗壘のこと甜瓜(うり)のこと   中原道夫  『銀化』

見ての通り、「渚にて」の句とは、ほぼ同型の句と言っていいだろう。
中七以下は「瓜盗人」という季語の分解&再構築だろうと推測するが、
それだけの機知には終わっていないと思う。そう思わせるのは、
竹中宏と同じ意味内容伝達派(手法は全く違うが)である中原道夫にして、
思わせ振りにあわあわしていると、僕が直感的に思うからである。
それは、上五の「ゆきしなに」という打ち出しの妙に端を発していると思われる。

このあたりで、表題句に戻る。あ~あ、しんど。
(やっぱり、この間の西村和子や大石悦子のような句を取り上げる方が楽だね。
ブログに、ちょこちょこと書くには、宏の句は重すぎる)

この「鉄斎」の句、富岡鉄斎に関する知識をある程度、要求しているのだろうが、
それを無視すれば、思わせ振りにあわあわしている句と言ってもいいと思う。

僕流に解釈すれば、老いても芸術活動の盛んだった鉄斎ではあるのだが、
その彼にして、すでに「白き瀧」は存在しない。「黒き瀧赤き瀧」でしかないのだ。
鉄斎にして「白き瀧」を表すことが出来ない、それが老い! そんな感じだろうか。

が、これはあえて解釈すればの話であって、
掲句からは意味内容伝達的要素をあまり感じないのだ。
意味内容伝達も、であり、また、宏のペダンティックな傾向を余り感じないからだ。
ふたたび、例句。

  鐘に入るまでの少女を紫荊(はなずはう)   竹中宏 

掲句は、安珍=美男の僧、清姫=少女を、全く逆に置き換えてはあるが、
おそらく、道成寺の「安珍清姫伝説」が下敷きにあると思う。
僕は、それを見抜いた時点で、急につまらなく思えて来て、
酔った勢いで、ご本人に、らしくないつまらない句ですね、と申し上げた。
ペダンティック傾向が、悪い方向に出てしまった句、と今でも思っている。


最後に挙げた例句は、横に置いておくとして、
先の三句に関しては、もう少し整理して、何かの機会に纏めてみたい気がする。
「思わせぶり」は別にして、「あわあわしている」点では共通していると思うのだ。

根元に存在する句型(並列)が似ている点を否定出来ないが、
どうも、それだけではないような気がしてならないのだ。
でも、それが何であるのか、現時点ではここに記せるまで至っていない。


18日。
雨が続く。一時は土砂降りに。
外の気温が低いので仕事をするにはやや楽。
染め場は、晴天の日でも湿度100%なので、多湿は関係なし。

午後1時に来客があって、段取りが狂う。
2時過ぎに帰られたのだが、昼寝もしてないし、
株式は暴落しているし、やる気をなくして、残った仕事は翌日回しに。


夕食。
肉じゃが、鮪のづけ丼。
ビール2本。

泣くために毛虫を焼いてゐるといふ

2006-07-18 15:00:50 | Weblog

  とある木の幹に日のさす茂りかな   久保田万太郎  『流寓抄』

久保田万太郎が好きなことは前にも言った通りだけど、
掲句のような短い単語を紡いだ句は、特に好きである。
そう、サッカーのショートパスを繋げての快シュートのように。
そういえば、W杯でアルゼンチンチームは連続25タッチを経てゴールを達成。

とある・木・の・幹・に・日・の・さす・茂り・かな
実に十個もの単語を紡いで句に仕上がっている。

茂りの中にして、幹の顕わなる一樹に焦点を当てた一句。
たわいない景じゃないかと言われたら、それまでなんだけど、
叙景句というのはこのようなものではないか、と僕は思っている。

万太郎、「湯豆腐」の句や「鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな」よりも、
明るく、あっけらかんとした句の方が好きである。

  時計屋の時計春の夜どれがほんと   万太郎
  パンにバタたつぷりつけて春惜む    〃
  春浅し空また月をそだてそめ      〃   
  とりわくるときの香もこそ桜餅     〃
  秋まつり雨ふッかけて来りけり     〃
  月の雨ふるだけふると降りにけり    〃

三句めの「そだてそめ」などは、今となってはこそばゆい気もするが、……。


ここの表題句は、時間の関係で「麩屋町蛸薬師」「高枝剪り鋏」といった風に、
固まりとなっている言葉を取り込む作りになってしまうけれど、
本当は、じっくりと言葉を紡いで作りたい気持ちが強い。
だけど、なかなか短時間で言葉を紡いで作ることは難しい。
僕の才能の無さかもしれないけれど、……。


15日、半ドン仕事。
夕方から、祗園祭・宵々山へ繰り出す。
その後、得意先の大将のW杯・イタリア優勝晩餐会へ。
鴨川沿いにある全国展開のイタリア料理店にて。
この祗園祭の時期は、日本料理は材料高・満席なので避けるべし。

パスタやピザは別にして、フランス料理との違いは、といえば、
前菜でも、香辛料がよく効いていて、僕はイタめしの方が好き。
魚料理(アブラメ)、肉料理もなかなかの一品であった。
29日の大阪句会の後席もイタリア料理なので、それも楽しみ。

単に、1位ブラジル、2位イングランド、3位イタリアと平凡な予想をして、
でも、ブラジル・イングランドは人気があるから、イタリアが面白いっすよ、
と言い添えただけで、ご招待に与ったのだから、本当にありがたいこと。

22時ごろに家に戻って、10分ほどしたら、すごい雨。
よかった。いい時間に切り上げてもらって。
でも、一度、接待でお返しをしておかないといけないね。


16日。
学区のペタンク大会。
ペタンクについては、前にも俳這日記で触れさせてもらった。
不明の方は、検索エンジンで調べてみてください。

前夜の雨の影響でグラウンドは湿っていたが、
水が浮いているような状態ではなかったため、決行。

わがチーム(3人)は午前中の予選リーグは2位で、
決勝トーナメントに進出するが、準決勝・3位決定戦に敗れ4位。
賞状を逃し、景品(缶ビールロング缶とレギュラー缶の違い)も一段下に。

でも、このペタンク大会も終了後、豪雨が降り出したので、
昨夜に続き、雨からは、上手く逃げることが出来ている。ラッキー。
宵山行きはパスして、ペタンクのの席に。
17日が休みということで、串カツ屋・和風居酒屋・カラオケスナックの
フルコースで飲む。帰宅25時30分。


17日。
雨天の中を山鉾巡行。
朝から久しぶりにワイドショーを見て過ごす。
例の畠山鈴香被告の話で持ちっきり。
元検事・元刑事・元鑑識がテレビ局を梯子していた。
ま、犯罪被害者等給付金絡みと受け取れば、辻褄は合う。
同じことばかり発言して、ギャラ一回10万円としても日に云十万円。いいな。

夕食。バラ寿司。DRY DAYにしておく。

夏深くぬつと高枝剪り鋏

2006-07-15 12:17:56 | Weblog

  夏風邪をひき色町を通りけり   橋 石  『和栲』

重層性を語るときに、二部分句(二句一章句)が引き合いに出されるが、
一元詠み下しの句でも、重層性を得ることは出来る。掲句はその一例。

KMが7月号で取り上げている、

  寄席裏に住みついて夏大根おろす   石  『和栲』   

も、掲句と同じこと。

夏風邪をひいた(発話者が)色町を通った
寄席裏に住みついた(発話者が)夏大根をおろしている

構造上は一元で詠み下している一句なのだが、
上記でもお解りのように、(発話者が)を境に二部分に分かれている。
このAとBとの間に発話者を挟む作りは、手の内に入れたい手法だけど、
当然のことながら、AとBとの関係に微妙な響き合いが必要となる。
ま、ここが俳句的センスの見せどころとなるわけだ。

言わずもがなのことだが、「夏風邪をひいて色町通りけり」では、
野暮ったくて、全くの凡句と化してしまう、これが俳句の恐ろしさ。

わが結社には石ファンが多いように感じられるが、
ほとんどの方は『和栲』以降の晩年の作品に惹かれておられるのだろう。
もちろん、僕も『和栲』以降の作品から石に入ったんだけど、
初期の作品にも、大いに興味を抱いている(好きということではなく)。

『全句集』の、パッと頁を開いたところから数句を挙げれば、

  蜘蛛の袋破れいぎたなき老婆   石  『無刻』
  仙人掌を日陰に咲かせ銭臭し    〃   
  鳥黙しわたる渇きに身をもむ木   〃

何か、最近、京都支部句会でよく見かけるような句が並んでいる。
もちろん、これらの句も重層性を狙っていると察することが出来る。
二部分それぞれを個別に見ると、視点の冴えを感じさせるのだが、
二部分が重なり合ったときに結ぶ像は、決して《クリア》とは言えない。

もちろん、これは鑑賞者の感性に左右されるものと自覚しているが、
一因に、二部分の衝撃度が強すぎる点を指摘しても間違いではないだろう。
僕自身は、あくまで《クリア》であることを、第一義に作句を続けている。
(ま、それはあくまで自分の思いで、他者の評価は違うようだけど)

話を「夏風邪」の句、「寄席裏」の句に戻せば、
「夏風邪」の句は、《クリア》であることに疑いを持たないが、
「寄席裏」の句は不思議ではあるのだが、僕にはどんよりと濁って映る。
ま、僕の場合、句柄の明るさ、暗さに、少し影響を受ける弱点はあるけどね。
景を複雑にすることによる句の良し悪し、いかにも難題である。


14日。
確かに京都は暑い。
が、僕の場合は高温多湿の中での仕事だから、
仕事の途中で外へ出ると、あ、涼しいと思ってしまう。
それが、35℃の炎天下であっても、……。


夕食。
賀茂茄子の揚げ出し。春雨サラダ。
ビール2本。

21時から、三役で地蔵盆準備役員会・雛形作成向け会議と称して呑む。
帰宅23時30分。

土用灸据ゑて麩屋町蛸薬師

2006-07-14 11:56:29 | Weblog

  骨切りの杜撰な鱧や押小路   大石悦子  『耶々』

鱧は骨切りの技術で決まると言われている。
もちろん、素材が脂の乗った良質の鱧に越したことはないが、
いくら、いい鱧でも骨切りが杜撰では、本物の味を知ることは出来ない。
それならば、二流の鱧でも一流の骨切り技術のものの方が鱧の本質を味わえる。

さて、掲句の面白さはそればかりではないのだが、
その肝心な面白さは京都人でないとわからないと思われる。

若旦那(K市さん)の家の近くに「堺萬」という鱧料理の老舗がある。
このお店は一日に数えるほどの客しか取らないために、
よほど運がよくない(お財布の心配もあるが)と、店に入ることが叶わない。
発話者も「堺萬」の鱧料理を楽しみにしていたのだが、断られたのだろう。

「堺萬」は、二条城の表門を端とする二条通という通り名の道に面している。
仕方なく発話者が食べに入った店は、どうやら押小路通に面しているらしい。
この押小路通というのは、二条通の一本南にある道。
おそらく、「堺萬」の裏手あたりで営業している(実際に在る)のだろう。
「堺萬」のおこぼれ客を拾っては、杜撰な骨切りの鱧を食べさせる、
発話者の怒りが、京都人の僕には手に取るように分かる。
京都には、このような京料理まがいを食べさすところも結構多い。

今、言ったような地理的なことを全く知らなくても、
「押小路(おしこうじ)」という語感が、その店の体を表している。
やっぱり、「押し」からは「押し付け」→「傲慢」を思い浮かべるもん。
そういう考慮もあって、作者は「押小路」という固有名詞を使ったのだろう。

ちなみに京都の東西の通り名の覚え方、北から順に、
《丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条》
この十八本の通り名、フルネームで全部言える人は京都通である。
答えは下欄に。


それと、東やさんには申し訳ないんだけど、
京都市中央斎場を指す隠語は「花山(かざん)」なのです。
改修前は「花山斎場」と言っていた名残りのようです。
でも、句としては「火山」の方が面白いこともあるし、
「音」は一緒なので、取り立てて訂正されなくてもいいでしょう。

それに、もし、実際に葬儀社の担当者に東やさんが尋ねられて、
「はなのやま」ではなく「ひのやま」との回答であったのなら、
葬儀社の人間も入れ替わる中で、誤用が一般化したのかもしれません。
ま、「汚名挽回」が正しい日本語と思われている時代ですからね。

6月号の「松葉屋」→「松葉」の件(コイケッチ)と言い、
何か、京都のこととなると、うるさくてごめんなさい。
すでに魑魅魍魎の、百鬼夜行の都ではないと思うんだけど、
代々のイケズぶりだけは、きちんと受け継いでいる。
ま、このしつこさが俳句に活かされたら、スゴイんだろうけどね。
まだまだ、自分の俳句は、京都人にしては優しいのだろう。


8月6日の支部句会、広い方の会議室(34人までOK)に変更する。
折角、広い方にしたのに、doryさん、来れないの?


夕食。
麻婆豆腐。枝豆。トマト。
ビール2本。


(答)

丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条
太屋川条小    小条   薬小 条小光辻原寿
町町   路    路    師路   路寺   寺

御池通、六角通、五条通はフルネームで詠み込まれている。

ちなみに、表題句の「麩屋町」は「ふやちょう」と読む。

流されてゆく鉾町の只中へ

2006-07-13 12:27:07 | Weblog

  鉾宿に男ばかりが嬉しさう   西村和子  『かりそめならず』

三日間に及ぶ鉾立て、曳き初めも終わって、いよいよ祗園祭本番。
今年は宵々山・宵山・山鉾巡行までが三連休となっていて、
観光客を含めて、かなりの人出が見込まれている。

今も、鉾自体は曳き手も囃子方も女子禁制なのだが、
見学に上がることは、許している鉾がほとんどとなった。
(巡行の先頭を行く長刀鉾は今も女子が上ることは許されていない)
土俵に太田房江大阪府知事を上げない日本相撲協会と同じく、
男尊女卑の風潮が今も色濃く残っている祭と言えよう。

そのようなことも、背景に据えて、和子句は詠んであると思う。
町宿に泊っている男衆、すでに夜の鉾町を歩いてきたのだろう。
宿に戻って、なお聞こえ来る祗園囃子をアテに呑んでいるのだ。
男衆と同行者なのか、離れた部屋に泊っている別の客なのか、
発話者には、ちょっぴり退屈な夜が続いている。


12日。
結社誌7月号が届く。
ダンディーも投句されていて5句掲載。
やっぱり、この頃は少し快復されていたんだ。

  熟寝や季語は一挙に夏の山   彰

実感だったと思う。
8階の病室からは鴨川、そしてその向こうには東山三十六峰を見渡せる。

実は、句集の完成が近づくに連れて、句が出来ないとおっしゃっていた。
おそらく、5月の上旬までは全く作っておられなかったと思う。
そして、僕も知りえない何かのきっかけにより句作を再開。
深い眠りを得られた朝にふと浮かんだ掲句がきっかけだったのかもしれない。
そうであれば、俳句に対する「未練」が覚めさせた一句とも言えよう。


もう一つ、驚かされたことは、新コーナー「私の歳時記/7月」で、
K勲さんが書かれていた内容と、僕の昨日の表題句との繋がりである。
確かに、能面が虫干しされることは、僕も知っていて、
季語として「虫干」を使えば、俳句になりそうな気がしていたのだ。
ま、それとお別れの時のダンディーのお顔を重ね合わせただけなんだけど、
漬物をアテにビールを飲みながら、7月号を読んでいたら、
「能面の虫干し」という題名で、突然出て来たのでびっくりした。
さすがに、専門分野のことは書かれていることに説得力がある。
ウチの染めは、芸術的要素ゼロ、肉体労働だからこんな格調はなし。
唯一の体感といえば、「汗」しかないね。
よろしければ、来年の7月号あたりで使ってやってください。

僕の句、KMを詠んだ句を選んで戴いただけで満足。


夕食。
うなぎを名古屋風に櫃まぶしで。あと、漬物。
大好きなきも吸だが、当然のこと、出てこない。
ビール2本。