特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

柏03と自転車と長いクラクション

2018年12月19日 06時30分24秒 | 旅行
最近、自転車とバスが接触や衝突して尊い人命が失われたという心痛むニュースが多うございます。
 それも交通事故の定番、老人高齢者ではなくこれから社会を担ってゆく小学生児童が犠牲になったのには何とも言葉を失う次第です。

何年か前、道交法改正で自転車も取り締まりが厳しくなって歩道を走行したり歩行者と接触すると重大な事犯だと定義されるようになったので
その時わたくしは自転車を捨てました。
これで自動車や自転車の交通事故に巻き込まれたらわたくしはたとえ命を失おうとも法定刑を科せられることは無くなり、
生きて受け取れるかどうかはともかくいくばくかの金銭収入も予測できるようになりました。
逆に自動車や自転車を運転する生活をしている人は、常にこのような刑罰と賠償という設定時間の分からない時限爆弾を背負いながら日々過ごしているわけです。
その爆発力はアパマンショップのスプレー缶120本の非ではありますまい。
痛ましい交通事故のニュースの影にトラック・バスといった職業運転士が
どれほど厳しいところに置かれているかを窺い見ることができるような気がわたくしにはいたすのです。



さて、前回柏03に乗っていて我慢できないので途中下車して神社で野良小便をした、とお話ししました。
これは顧みますと大阪シティバスや東急バスの業務上過失致死と同じ立派な犯罪なのであって、
国家神道が支配していた戦前ならば憲兵さんになぶり殺されても仕方ないほどの大罪です。
残念ながら11歳か12歳の時なので現代では刑事罰は加えられません。刑事罰は確か13歳からでしたかね。

あの時は野田市駅行きのバスまでいささか時間があったので逆方向の柏駅西口行きに乗って柏から野田の梅郷まで電車で帰宅したと記憶しております。
当時のわたくしは小学生でしたから、あまり帰宅が遅いと親に怪しまれ日頃乗りバスにかまけているという重大な秘密が発覚する恐れがあったので
少しでも早く帰る手段として選んだのです。


ウン十年ぶりに神社のバス停から周囲を見渡すと、柏方向に柏テント・GS・タケヤという看板が並んで見えます。
なんとか動物病院は昭和にはありません。
この3つのお店・施設の並びは小学生時分にバスから眺めていた光景と変わっておりません。
当時小児運賃でバスに乗っていた者がハズキルーペを買おうかどうか迷う年齢になるまでの長い年月を経た今なお、同じ屋号で商売しているお店を見ますと、
相当なる商取引の信用と製品サービスの信頼性の高さがあるのだろうと思われ、まことに畏敬の念を禁じ得ないものがあります。
ただしエネオスなんぞ当時は存在しませんで「日本石油」でした。




その頃の日石スタンドの看板は他のいかなる会社よりもよく目立つ大きな赤い星に怪しいアルファベットが黒文字で書いてあるスタイルでした。
この路線のうんと先には今も昔も根戸十字路というバス停がありますが当時そのバス停近くに今は無き「大協石油」のスタンドがあり、
「日石と比べてずいぶん地味な看板なことだわい」と思ったのを覚えております。
 信号機は当時からあり御多分に漏れずゼブラ盤のついた信号でしたが、交差する道は部分舗装と砂利道が入り混じった古い道路で
一体いつ車が走ってくるのかわからないささやかでひなびた道でした。

花野井神社から柏方面は日曜だろうが何だろうが夕方となると地元の方々の自転車が車道にうろちょろしておりました。
当時の東武バスはこの難をどのように逃れたか。
その答えは非常に単純明快で「クラクション」を鳴らしておりました。
今日の路線バスは取るに足らない苦情を恐れてクラクションを鳴らすときは1回チョコッとしか吹鳴しないようですが、昭和時代の路線バスはそこが一味違う。
あたかも除夜の鐘の余韻のように1回をとんでもなくながーーく鳴らすのです。
自転車の主は驚き慄いて間違いなく路端へ逃げます。
逃げるまでハンドル中央の征露丸のようなラッパのマークのところを左手で押さえ続けるのです。
「プァンッ」じゃなくまるでサイレンのように「プゥゥゥァァァァァァァアン」という感じに。
現代のバスの警報器音は普通車のそれと変わりないほど音程が高く設定されていて凄みがちっとも感じられませんが、昭和時代のバスのそれは極めて音域豊かで、
高音の妙なることは椿姫のマリア・カラスをしのぎ低音の重々しいことはフランク永井の東京ナイトクラブの如しでいかにも自動車界の王者らしい風格ある音質でした。
そんな音が3秒も続けば自転車どころか歩行者だって逃げます。
自転車も自転車で、そうでもしないと道を譲らない公共交通を舐めたふてぶてしいのが昭和の昔は多かったのです。
ま、危険を避けるための警報としてはあまりにも音が長すぎるので通過際に「ウルセー」と叫ぶ自転車の人も結構いました。



皆様方の中には自転車にお乗りの方がおられるでしょうが、楽しいクリスマスを控え、
歩行者とバスにはくれぐれもご注意いただきますよう歩行者兼バス利用者としてここに改めてお願い申し上げる次第です。

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3 コメント

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Unknown (南栗橋車両管理区荒川支所)
2018-12-22 01:38:03
夜分失礼いたします

中型二種持ちとしては決して他人事じゃない事故でしたね

ただテレビを見て不快だったのは
『さも意図的に事故した』的なニュアンス

いやいや『自分の家族背負っているのにわざとやるバカはいないだろ』ですよ

テレビメディアにとって交通事業者は『CM料というみかじめ料を払わない組織』

だからこそ事故が起きるとここぞとばかりに
叩き報道をするんですよ

二種持ちだからこそ普段『事故がどういうものか』という理解は
今回の事故してしまった運転士氏にだって矜恃として持ってますよ

ただバス事業の環境が厳しいという理由だけで
賃下げやコストの安い事業会社を設立して低賃金に走る企業も問題です

安全には応分のコストが必要だと思います
返信する
Unknown (南栗橋車両管理区荒川支所)
2018-12-22 17:33:57
再度お邪魔いたします

元々現16号線は存在せず
野田橋からの旧16号は野田線に沿っていたのが妥当でしょうし
現千葉県道7号線が岩井方面への交通路としてメインだったのでしょうか?

だからこそ東武が路線を設定したのも頷けますね

ここで申し訳ありませんがちょっと内容から外れてしまうのですけど
質問したいことに近い記事がないためここで書き込み申し上げます

小野塚台(手賀の杜ニュータウン)が出来る前
柏発の路線が現在の『沼南町乗り換え場』近くに折返所があったとヒットしたのですけども
ご存じでしょうか?
返信する
コメントありがとうございます! (surrender90)
2018-12-22 21:21:36
コメントありがとうございます。
わたくしは運転業務のリスクを斟酌すれば路線バスの運賃は今の倍でもいいのではないかと思っております。
ところで、沼南町の折り返しというのはちょっとわからないですね。
今の沼南車庫線に相当し得るのが大木戸線であったと思いますが、あそこは回転場があったのではなかったでしょうか。
行ったことないですけど高校時代に沼南町から通ってるのがいてそんなこと言ってたような気がします。
昭和晩年には小野塚台なんてまだございませんでしたね。
柏23が岩井経由手賀行きで柏24が若白毛、あと系統番号忘れましたが同じ乗り場から泉入口というのも出てたはず、
現在阪東自動車になってしまった戸張ゆきも旧塗装の東武バスでございました。
柏営業所の路線図は駅の東西に及び到底記憶できるものではございませんでした。
東西両方に今もある市内循環線は当時は松ケ崎循環と名戸谷循環と称していて方向幕の上方か下方に小さくカッコでくくって(市内循環)とあったと思います。
また現行のようにナントカ先回りと停留所名を出すのではなく〇×循環の文字の最後に(右)あるいは(左)と添書されていてどこをどう循環しているのかわたくしには小学生時代も高校時代もサッパリでした。
そこへ右端にそごうのロゴが加わりますからまあ賑やかな方向幕でございます。
東口のそごうともども今では全て見ることができなくなってしまいました。
全然答えになってませんが、お尋ねいただいたことから忘れていた当時の記憶の欠片が次々と蘇ってきたようにも思います。駄文失礼いたします。
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