偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

●戦争ドラマのリアリティって何だろう…と考えてみた

2006年08月23日 01時11分47秒 | ◎映画・音楽・エンタ
 予告編の時点でダメだこりゃと思ってたんで、ホントは見るつもりもなかったけど、ちらっと見えてしまった。
「最後のナイチンゲール」
 長谷川京子のいでたちはコスプレにしか見えなかったなぁ。なんかアキバっぽい…フィギアでも作ったら売れそうだ(笑)。
 看護婦の娘たちもまるでハロプロかなんかのミュージカルの練習風景のようだ。

 昭和の匂いは微塵も感じられないのはなぜかと思ったら、小顔とナイスすぎる体型は仕方ないとしても、前にも書いたけど、まず眉毛とメイク。

 それともうひとつ気が付いたのが髪の毛。いくらお下げ髪にしたところで毛先の感じや毛の長さが平成なんだよなぁ。長さってていうのはロングとかショートとかの最長部分の長さのことではなく…ね。

 まぁ、眉毛とメイクは女優(というかタレント)をあまり不細工に見せられない…ってのもあるだろうし、髪型に関しても映画じゃないからそこまでできないっていうのもあるから仕方ないにしても、もうひとつ決定的だと思ったのはなのは予告編の感想のときにも書いた喋り方かんけー。
 
 時々間延びしたギャルもどきになってしまうのに加え、発声に伴う動き。ちょうどチャンネルをかえた時に成海璃子が喋るシーンだったんだけど、首から胸のあたりがヒョコヒョコの小刻みに動く。
 あと少し大きめの声(叫ぶというほどではないような)を出す時に腰のあたりがいちいち振りかぶるヤツもいる。
 彼女らはタレントだから同年代の一般人よりはよっぽど姿勢はいいんだろうけど、それでもいちいち今風の姿勢や所作だったりする。

 そうした所作の数々は現代劇やバラエティではきっと見慣れてた光景なんだろうけど、それだけにそれをそのまま戦時中の設定の中でやられると平成の空気感から脱せない。

 前に「渥美清子の青春」という芝居を見たことがあったんだけど脇を固めるベテラン陣の中にあって主演の宝生舞のセリフだけがミョーに聞きづらかった。
 多分、全員が宝生舞レベルの彼女と同年代の若者だったら、さほど違和感もなく見れたんだろうけど、たとえその場合でもなんか違うかもしれないという雰囲気だけはきっと体感できたことだろう。

 つまり「最後のナイチンゲール」みたいなトレンディなつくりの戦争ドラマを見て違和感や不快感まで感じちゃうのは、おいらみたいなオッサンだけなんだろうけど、平成とさほどかわらない空気感だな、というのはきっと若者も無意識のうちに体感しているだろう…ってこと。

 そもそもおいらだって戦争なんて体験してないわけだし。

 こういうのって戦争経験者も見て泣きましたなんて感想をもって成功みたいにしちゃうとこがあるけど、戦争経験者は体験があるから細かいことは差し引いて見てくれるもんだ。その方々はドラマに泣いているんではなく、自分の過去に涙してるだけなのさ。

 やっぱり若者が見たあとイヤーな気分になるように作らなきゃ。清々しい涙なんかではなく…。見終わって5秒で日常に戻れるようじゃダメ。
 っていうか、画面の中が平成の空気のまんまだったりしたら、そもそもハナっから日常から抜け出せない。
 そんなんで設定だけ戦時中にしたところで、それは歴史劇ではなくSFアニメとかサイバーパンクみたいなもの。

 見てる側がいきなりタイムトリップして戦時中にほうりこまれたみたいな気分になんなきゃ。同じ人間だけど、ここはなんだか何かが違うぞ…と押し寄せてくるような不安感。そしてさらに孤独感や絶望感を感じられるようになれたらそこからやっとドラマがはじまるのさ。

で、
結局30分ほどでチャンネルは「結婚できない男」にスイッチ(笑)

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