天晴れ(あっぱれ)な空☆

和風を好む私の徒然に日々想うことを綴る日記。いとおかし。

藤堂 高虎

2008年08月17日 | 武士(もののふ)


「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」

「己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない」


藤堂 高虎


戦国から江戸時代にかけての武将・大名。

何故かこの武将にはとても興味を引かれる。

まず名前がカッコイイ。

そして足跡がとても面白く、粋である。



伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。

築城技術に長け、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、

同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。

何度も主君を変えた戦国武将として知られるが、

秀吉から家康へと変わるところが非常に興味深い。

関ヶ原以降、徳川軍の先鋒は譜代は井伊、外様は藤堂となる。

幕末の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍劣勢と察し、真っ先に官軍に寝返って、

幕府側に砲撃を開始したのは藤堂家であった。

幕府軍側では「さすが藩祖の薫陶著しいことじゃ」と皮肉ったという。

だが一方、寝返った藤堂家は、官軍の日光東照宮に対する攻撃命令は

「藩祖が賜った大恩がある」として拒否している。



まことに個性豊かな いにしえの武士たち。

知れば知るほど歴史は楽しい。




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