三河武士がゆく

日本史や地域のお話し。
特に幕末や戦史をメインにしています。

戊辰戦争拾遺 順動丸の活躍(3)浅野美作守とシャノワン(シャノワーヌ)の上坂

2023年07月18日 20時29分21秒 | 歴史
戊辰戦争拾遺 順動丸の活躍(3)浅野美作守とシャノワン(シャノワーヌ)の上坂

12月21日の順動丸出帆については、はっきりしない。翌22日に滝川播磨守が上坂しているが、これも順動丸かどうかの確認はできない。23日出帆が長鯨丸であるとしたら、21日、22日のどちらかが順動丸である可能性は高いと思うが、12月25日の上坂命令も気にかかる。

次に順動丸の動向を確認できるのが翌慶応4年1月2日である。陸軍奉行兼帯の若年寄浅野美作守が、シャノワン(シャノワーヌ)らフランス軍事顧問団の教師らを引き連れて、順動丸で出帆している(1月6日着坂)。これには、歩兵一個大隊が乗り組んだようである。

浅野には27日に上坂命令が出て、28日に出帆予定であったらしいが、支障があって翌慶応4年1月2日に延期となったのである。

このシャノワン等のフランス軍事顧問団の着坂が予定通りであったなら、鳥羽・伏見の戦いに間に合っていたと思われる。先の長崎丸の伝習砲兵も大幅に上坂が遅れたようだが、大坂の旧幕府幹部連中はこれらを待つことができなかった。薩摩藩邸焼き討ちの報により討薩へと一気に加速したにせよ、戦争を想定した上京をするのであるから、じっくりと態勢を整える必要があったと思う。

薩長を甘く見すぎていたとしか考えられない。

この記事についてブログを書く
« 「どうする家康」が秀逸(お... | トップ | 『インパール』(高木俊朗)... »

歴史」カテゴリの最新記事