三河武士がゆく

日本史、とくに幕末と戦争をテーマにしています。

山本五十六長官の国葬とブギウギ

2023年12月12日 19時20分37秒 | 雑記
山本五十六長官の国葬とブギウギ

先週のブギウギ、山本長官の国葬からスタートしました。
むのたけじ氏は、朝日新聞記者として国葬の記事を書いていたそうです。

以前このブログで、「一つの歴史の体験のしめくくりをきちんとしなければ、同じような過失が、同じ手順で繰り返される」という、むのたけじ氏の言葉を取り上げました。

「昨日まで米英撃滅を書きまくった同じペンで、今日はその支配者に追随することはペンの良心が許さない」として、朝日新聞社を退社したそうです。

戦時中に限らず、信じる道を強制的に他人に歩ませようとする人は、現在でもいるかと思います。

戦後、価値観が一変したとき、その責めを負わずに手のひらを返して、主導的・指導的ポジションに返り咲いた人達もいたように、実は精神的に脆い人も中にはいるのかなと。(井上成美大将のような生き方は普通ではできない)

(手のひらを返すと言えば、芸能報道のあり方も同様)

人間が考える価値。何が良くて、悪いのか、そういうものは、その時々で変わってしまう。

今日は12月8日です。日中戦争5年目の開戦と歩兵第18連隊にみる上海事変

2023年12月08日 20時00分18秒 | 歴史
日中戦争(昭和12年)も5年目に入った昭和16年12月8日、太平洋戦争が始まる。

「そもそも、始めてはならない戦争だった」と書いたが、
それは、日中戦争の戦死者をみてもよくわる。

豊橋にあった歩兵第十八連隊も動員下令され、宇品を出港した。
9月の上陸以来、1ヶ月あまり間の戦闘で、大隊長が戦死(本部全滅)したり、4人いた中隊長の内3名が戦死した大隊があった。2ヵ月で編成当初の200名ほどから150名に近い戦死者を出した第11中隊もあった(補充により戦闘力は回復したが)。

※8月29日、歩兵第六連隊(名古屋)の連隊長は戦死している。

昭和16年9月から10月にかけておこなわれた第一次長沙作戦での損害も大きく、中隊長6名が戦死、大中隊長5人が負傷している。

これは南方の島での戦いではない。

中国軍の頑強な抵抗、日本軍の戦い方、指揮官先頭、増派を控えていた事などにも原因はあると思うが、派遣軍の数に対して、死傷者数、死傷率が高い。

一個連隊の一部分の例だけであるが、
このようななかで、太平洋戦争へ突入するのである。

『ブギウギ』「大空の弟」六郎の戦死と情報統制

2023年12月08日 11時32分37秒 | 歴史
『ブギウギ』「大空の弟」六郎の戦死と情報統制

幻の歌といわれた「大空の弟」をスズ子が唄い、多くの方が涙したのは昨日のこと。

「○○部隊」「○○方面」、日本軍の情報がもれてはいけないという情報統制なのでしょうが、肝心要である軍の失体で暗号が解読され、情報がもれる。

これでは戦争に勝てるわけがない。

せめて、いつどこで死んだかくらいは教えてあげたらと思う。

そんなことで負ける戦争であれば、しなければ良かったのだ。
そもそも、始めてはならない戦争だった。

山田太一と豊橋市

2023年12月02日 22時24分56秒 | 雑記
山田太一と豊橋市

脚本家の山田太一氏が亡くなった。

NHK土曜ドラマ『男たちの旅路』を毎週、真剣に見ていた。
10代の私にとっては、暗くて、重い内容であったが、鶴田浩二と水谷豊の掛け合いに、いつしかひきこまれていった。
当時仲のよかった、友人も同じようにテレビにかじりついていたようで、番組の内容でなぜか盛り上がった。

その、山田太一の兄が豊橋市に住んでいて、妹と一緒に遊びに来たという話が、『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』に載っていたことを思い出した。ちょっとせつない内容である。

CBC製作の『旅の途中で』のロケは豊橋市だったそうだが、山田太一はどんな思いだったのだろうか?