六月十日、堀辰雄の短篇『美しい村』は、この日付から始まる。軽井沢をいつくしむ人々が、暗唱するごとく大切にしてきた物語だ。
平成十三年から三年間、比較的、症状の落ち着いていた時期に、私は、軽井沢のエフエム放送局でクラシック音楽番組のパーソナリティーを務めていた。放送に携わるのは、まるで初めて。にも関わらず、企画から選曲、台本、司会、収録に至るまで、全てを自由に作らせて頂く貴重な経験を得た。
今、俳句へ向かう自身を省みるにも、この放送の仕事は欠かせない。ここで私は、舞台と客席とは異なる、言葉で繋がる人との関係を知った。また、自然や歴史に由来する、その地方ならではの文化を学んだ。「軽井沢に相応しい番組」を想い描く内、音楽だけでなく、季節と自然と土地について考えるようになった。毎回、時候の挨拶から思い悩む。俳句を勉強していれば、もう少し良い番組ができただろう、とも悔やむが、この三年がなければ、のちの俳句への関心は湧かなかったかもしれない。
さて、当時も小康状態とはいえ、軽井沢の滞在には医療者の付き添いが必要で、頻繁に訪ねることは難しかった。打ち合わせは電子メール、収録は自宅の防音室、編集の確認は音声データの交換と、放送局は負担のないよう整えて下さったが、その分、軽井沢から離れてしまう。住民の話や軽井沢の資料を求めたが、簡単に集まるものでもない。番組は、そうした不安を抱えたまま始まった。
が、放送を重ねる内に、番組をお聞き下さった方から、リクエストに併せて軽井沢に纏わるエピソードが届き始めた。代々この地を守っていらしたご家族、東京で多忙なお仕事を務めつつも、週末は必ず山荘で過ごされるご夫妻、避暑のみの逗留から、退職を機に永住なさった方など、軽井沢との縁は様々。だが、頂いたお便りのほとんどに、立原道造と堀辰雄の名が記されていた。堀辰雄の『美しい村』に書かれた曲が聴きたい、立原道造が堀辰雄へ贈ったSPレコオドを聴いてみたい、そんなリクエストも頂戴した。
軽井沢を慕った文士を、そして作品を、この土地の人々は愛し続けている。
私は、軽井沢文学を学ぶことにした。お便りを下さった方々を通じ、
軽井沢高原文庫、
軽井沢文学サロンをご紹介頂き、皆さまのお世話に預かった。この土地に惹かれ、集い、そして作品に綴った軽井沢文士には、前述の二人を筆頭に、まず、有島武郎、野上弥生子、室生犀星、福永武彦、中村真一郎、辻邦生、北杜夫、加賀乙彦らの名前が挙がるだろう。また、内田康夫、宮本輝、藤田宜永、小池真理子、水村美苗ら、最近のベストセラー作家も多い。私は、これら軽井沢文学と向き合い、作品に描かれた軽井沢を心に浮かべ、また、それを読み継ぐ土地の人を想った。
そうして、ほどなく番組は、軽井沢文学に現れる曲を紹介する、また、軽井沢文学とそれに似合う音楽を組み合わせる、という方向を辿り出した。番組の副題へ「軽井沢文学に聴く音楽」と添えるようにもなった。
軽井沢は避暑地、観光地として知られるため、四季折々、表情が大きく変化する。ゆえに番組では、その季節に応じた内容を心掛けていたが、軽井沢文学の世界は深く、年間を通し話題に困ることはなかった。しかしそれでも、堀辰雄の『美しい村』を取り上げた回の反響は特別だった。六月の放送を中心に、度々『美しい村』の件りを引用していたが、この小説がいかに軽井沢で愛されているかを確信した時、いっそ『美しい村』がテーマの一本を作ろう、との思いに至る。以下に転載するのは、その回の台本だ。拙さは隠しようもないが、文学と音楽と己の言葉を通して、リスナーと軽井沢を共感すること、それを専一に臨んだ想い出深い放送となった。
自然と対峙し心揺さぶられる瞬間は、その季、その地ゆえに得ることも多いだろう。それが文学に遺されれば、後世においても追体験が叶う。殊に、同じ土地を愛する者にとって、文人との感性の共鳴は、この上なく貴い。句碑に出遇った時の、胸の高鳴りも同様と思う。私は番組を始めるまで、そうした文学の在り方、捉え方を知らなかった。土地、自然、季節をもとに、生まれ読まれる文学を学ぶ。私自身もその追体験に加わり、印象を語り、そこに沿う音楽を選ぶ。振り返ると、この仕事は、やがて俳句へと進む道であったようにも思われる。
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〈オープニング〉
BGM:ブラームス『クラリネットソナタ第2番』第1楽章~FO
森の樹々が六月の靄に濡れ、繁り始めた新緑が鮮やかに映っています。
軽井沢で六月を迎える時、決まって思い出すのが、堀辰雄の小説『美しい村』。軽井沢が舞台のこの物語は、六月十日の日付で始まります。
「今月の初めから僕は当地に滞在しております。前からよく僕は、こんな初夏に、一度、この高原の村に来てみたいものだと言っていましたが、やっと今度、その宿望がかなった訣です」というモノローグが「序曲」として書かれた、堀辰雄の『美しい村』。本日は、この物語をテーマに、お送りいたします。
まだ人気は少ないけれど「もうすっかり夏の用意ができ、その季節の来るのを待っているばかり」、堀辰雄がそう称した六月の軽井沢で、どうぞ『美しい村』の音楽をお楽しみ下さい。
〈軽井沢の朝の歌〉
始まりのコーナーは「軽井沢の朝の歌」。毎回、軽井沢を語る言葉とともに、音楽をお届けしています。
本日は、堀辰雄の『美しい村』に綴られた軽井沢の自然から、それらと同じ題材を音にした曲をお送りいたします。
最初は、ギターの小品、『蜜蜂』と『雨だれ』です。
六月の『美しい村』には、蜜蜂が「ぶんぶんぶんぶん」唸って藤棚やアカシアの花のまわりに現れます。その蜜蜂の声は、主人公が「なんだか自分の頭の中の混乱と、その蜜蜂のうなりとが、ごっちゃになって」しまいそうだ、と語るほど。まだ人々が集う前の、うっかりすると淋しく感じそうな軽井沢が、実は、みなぎる自然に耀いている幸福に気づかされます。
そんな『美しい村』では、梅雨の晴れ間も、それは素敵に描かれます。寝床の中で雨音を聞き「また雨らしいな……」と雨戸を開けてみると、その雨音は、落葉松の細かい葉に溜っていた雨滴、雨だれが屋根に落ちる音で、外はまぶしい青空だった、という雨上がりの場面があるのです。
「ぶんぶん」唸る蜜蜂と、明るい雨だれを、今日は、ギターの小品でお聴き下さい。一曲目はバリオス作曲の『みつばち』、二曲目がリンゼイ作曲の『雨だれ』です。
〔音楽〕
バリオス『みつばち』 柴田杏里(ギター)
リンゼイ『雨だれ』 山下和仁(ギター)
柴田杏里のギターで、バリオス作曲『みつばち』と、山下和仁のギターで、リンゼイ作曲『雨だれ』をお届けしました。
続いて、やはり堀辰雄の『美しい村』に見られる景色を、今度はドビュッシーのピアノ曲でお送りいたします。『美しい村』の主人公は、六月の軽井沢で、毎日のように村のさまざまな方へ散歩をします。山径で、若い外国婦人の押す乳母車に亜麻色の毛髪の女の児を見かけて互いににっこりとしたり、霧がひどく巻いている朝、流れに見え隠れする野薔薇やそれを見まもる老医師に気づいたり、峠の旧道で、藤や山葡萄や通草などの蔓草がややこしい方法で絡まっているのを見つめたり、たくさんの美しい情景を目にするのです。
亜麻色の髪の女の児、霧、蔓草、ドビュッシーもそれらをピアノ曲に紡いでいます。ドビュッシーの『前奏曲集』から『亜麻色の髪の乙女』、『霧』、そして唐草模様の『アラベスク』、ギーゼキングのピアノでお聴き下さい。
〔音楽〕
ドビュッシー『前奏曲集第1巻』より第8曲『亜麻色の髪の乙女』
ドビュッシー『前奏曲集第2巻』より第1曲『霧』
ドビュッシー『アラベスク第1番』 ワルター・ギーゼキング(ピアノ)
ワルター・ギーゼキングのピアノで、ドビュッシー作曲『前奏曲集』から『亜麻色の髪の乙女』『霧』、そして『アラベスク』第一番を、お届けしました。『美しい村』の景色と比べ、どうお感じになりましたでしょう。
堀辰雄の『美しい村』では、軽井沢のあちらこちらの場所が、魅力的な名前で記されています。「お天狗様」と呼ばれた「オルガンロック」傍の愛宕神社や、「ベルヴェデールの丘」と書かれた愛宕山の尾根など、つい足をのばして散策してみたくなる、夢のような名前です。
中でも引き寄せられるのは「水車の道」と名付けられた小径。かつてごとごと廻っていた水車場の跡があり、小川のせせらぎが聞こえるというロマンティックな通りです。『美しい村』の主人公が、この「水車の道」を少女と散歩する場面は、シューベルトの『美しき水車小屋の娘』を想わせます。シューベルトの歌曲『美しき水車小屋の娘』から『さすらい』と『涙の雨』を、ブロホヴィツのテノールでお聴き下さい。
〔音楽〕
シューベルト『美しき水車小屋の娘』より第1曲『さすらい』第10曲『涙の雨』
ハンス・ペーター・ブロホヴィツ(テノール) \ コード・ガーベン(ピアノ)
ブロホヴィツのテノールとガーベンのピアノで、シューベルト作曲『美しき水車小屋の娘』から『さすらい』と『涙の雨』をお送りしました。旅を愛する青年が少女と並んでせせらぐ小川を見おろす、そんな儚い情景を、堀辰雄もシューベルトも、愛したのでしょう。
〈音楽挿話〉
続いてのコーナーは「音楽挿話」。音楽にエピソードを添えてお届けいたします。
本日の「音楽挿話」は、堀辰雄の『美しい村』にタイトルが綴られた、二曲の音楽をご紹介いたします。
一曲目は、小説『美しい村』はこの曲から生まれた、と言われる、バッハのト短調「小フーガ」。『美しい村』では、ある雨の晴れ間、主人公が水車の道のほとりを散歩していると、チェッコスロヴァキア公使館の別荘から、バッハのト短調遁走曲を練習するピアノの音が聞こえてきます。
「一つの旋律が繰り返され繰り返されているうちに曲が少しずつ展開して行く、それがまた更に稽古をしているために三四回ずつひとところを繰り返されているので、一層それがたゆたいがちになっている」そのピアノのたゆたいがちな音が、小説を考え悩んでいる主人公のもどかしい気持さながらであった、と描かれます。
オルガン作品であるこの曲、ピアノでの録音は少ないのですけれど、今日はぜひ『美しい村』の気分で、ピアノ編曲版をお届けいたします。バッハの「小フーガ」、ニコラーエワのピアノでお聴き下さい。
〔音楽〕
J.S.バッハ=高橋悠治編『小フーガ』ト短調 BWV578
タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)
タチアナ・ニコラーエワのピアノで、バッハ作曲『小フーガ』ト短調をお届けしました。
『美しい村』の主人公は、六月の軽井沢を毎日散歩するうちに、知らず健康になってゆく自分に気づきます。やがて彼は、都会にいた頃は自分の不幸を誇張し過ぎて考えていたのではないか、何もあんなにまで苦しまなくともよかったのだ、とさえ思うようになるのです。
その時、彼の心を一杯にした感動は、『田園交響曲』の第一楽章が人々に与える快い感動に似たものであった、と書かれています。初夏の高原が自分に深く呼吸をさせ、幸福を喚んでくれると知った時、心に広がった音楽、ベートーヴェンの交響曲第六番『田園』第一楽章を、本日は、ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏でお送りいたします。
〔音楽〕
ベートーヴェン『交響曲第6番』Op.68『田園』より第1楽章
ブルーノ・ワルター(指揮) \ コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の演奏で、ベートーヴェン作曲交響曲第六番『田園』から第一楽章をお届けしました。
「幻像(イマアジュ)ばかりが心にふと浮んではふと消えてゆく」、その迷うような発展が主人公の心を捉えた、バッハのト短調「小フーガ」と、そして、いつの間にか生き生きと呼吸している自分を見出して、その感動を想い起こした、ベートーヴェンの『田園』一楽章。どちらも『美しい村』の六月の描写には欠かせない、軽井沢の自然とそこに触れる者の想いを奏で尽くす音楽のように感じます。
〈クラシック聴き比べ〉
「クラシック聴き比べ」、ここでは、一つのテーマで作られた幾つかの音楽、また、同じ曲の異なる演奏やジャンルを超えたアレンジなど、毎回、様々な「聴き比べ」をお届けしています。
本日は、堀辰雄の『美しい村』で、特に大切なモティーフとして綴られる「野薔薇」を主題に、聴き比べをお楽しみ下さい。
小説『美しい村』には、白い小さな野薔薇が繰り返し現れます。堀辰雄は、軽井沢の野薔薇の茂みを、音楽になぞらえました。灌木の間に雑りながら、いくらかずつの間を置いては並んでいる、その秘密めいた自然の配置が、ほとんど音楽のようにリズミカルな効果を生じさせる、と語るのです。
今日は、ゲーテが詠った『野薔薇』の詩に、音楽が添えられた歌曲をご紹介いたします。同じ歌詞で歌われる、ウェルナーとシューベルトの『野ばら』、ウェルナーはウィーン少年合唱団の合唱で、シューベルトはフォン・オッターのメゾソプラノです。
〔音楽〕
ウェルナー『野ばら』 ウィーン少年合唱団
シューベルト『野ばら』D.253
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ) \ベンクト・フォシュベリ(ピアノ)
ウェルナー作曲『野ばら』をウィーン少年合唱団の演奏で、続いて、シューベルトの『野ばら』をアンネ・ソフィー・フォン・オッターのメゾソプラノとフォシュベリのピアノでお送りしました。
このウェルナーとシューベルトの『野ばら』、矢野顕子が二曲をあわせてジャズの弾き語りにしています。ベースはマーク・ジョンソン、気持ちのいいアレンジです。
〔音楽〕
矢野顕子『Röslein auf der Heiden』
矢野顕子(ピアノ&ヴォーカル) \ マーク・ジョンソン(ベース)
矢野顕子の弾き語りとマーク・ジョンソンのベースで、ウェルナーとシューベルトの『野ばら』をあわせたアレンジ『Röslein auf der Heiden』をお送りしました。
『美しい村』の主人公は、毎朝、生墻に間歇的に簇がりながら花をつけている、野薔薇の音楽的効果を楽しむためにと、散歩へ出掛けました。
皆さまも、今から野薔薇の音楽を求めて、朝のお散歩などいかがでしょうか。
〈エンディング〉
BGM:ブラームス『クラリネットソナタ第1番』第2楽章~FO
本日は、堀辰雄が六月の軽井沢を紡いだ物語『美しい村』をテーマに、お届けいたしました。堀辰雄は「『美しい村』のノオト」に、こんな手紙を遺しています。
「僕は音楽家が非常に羨ましくなっている。音楽はそのモチイフになった対象なり、感情なりをすこしも明示しないで、表現できるんだからね。だから、今度の作品を、そんな音楽に近いものにして、僕のそんな隠し立を間接にでも表現できたら、とてもいいと思うんだ。」そうして生まれたのが、この『美しい村』。
少し湿った空気に野薔薇の香りがきこえる、軽井沢の六月が、また巡ってきました。
それでは、また来週、ごきげんよう。
放送
2003年6月1日(日)午前8時~8時58分
2003年6月8日(日)午前8時~8時58分
青空文庫 / 堀辰雄『美しい村』