杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

新地日用品小売市場からアテネ劇場、そして磯子映画劇場へ

2023-11-06 | 地域の歴史

 昭和21年、旧杉田劇場で初舞台を踏んだ加藤和枝ちゃん(のちの美空ひばり)。ここが初舞台であることは、旧杉田劇場の社員が残していたポスターや、当時の新聞広告からその事実は確認できている。

 一方、旧杉田劇場に出演したあと、和枝ちゃんは芦名橋のアテネ劇場で公演を行ったということが、さまざまな本や雑誌の中で見かけるのだが、これに関しては新聞記事が残っていないため、誰が何に基づいて書いているのかは不明だ。

 さて、そのアテネ劇場であるが、戦後、横浜市が発行していた広報誌『月刊よこはま』(昭和25年)によると、市場を改造してアテネ劇場をつくった、と書いてある。その市場とは……

 

 「横浜市設小売市場総覧」(昭和16年)に日用品小売市場の一覧表が載っている。磯子区字濱1686に新地日用品小売市場だ。昭和4年に葛城駒蔵という人が設立している。

 昭和21年8月22日の神奈川新聞にこんな広告が出た。雅典劇場と書いてアテネセアタと読ませている。「雅典」はアテネの漢字表記。これが市場を改造した劇場なのだ。映画劇場としてオープンするという。

 9月9日(月)に開場式を行い、中村吉右衛門が挨拶をしている。

 翌10日(火)が実質の開場で、東宝映画「麗人」を上映している。

 その後は順調に映画上映が続いていたが、昭和26年7月17日にこんな広告が出た。

 改装のために休館するというのだ。工事期間がどのくらいだったのかは、記事や広告が出ていないので不明であるが、その後、広告が復活したので再スタートしたのだろう。

 いつまでアテネ劇場があったのかは、磯子区明細地図で調べる必要がある。

 これは昭和40年の磯子区明細地図である。劇場の隣には経営者の長谷さんの自宅があった。

 この地図は昭和40年に発行されているので内容はおそらく昭和38年か39年の情報だろう。横浜市の図書館には毎年の地図が保存されていないからなのか、あるいは地図会社が毎年発行していなかったからなのか、隔年でしか調べられない。しかし、その隙間を補完する資料があった。

 昭和39年の「住居表示旧新対照表である。これによると劇場の名称が「磯子映画劇場」になっている。しかも住み込みの人がいたことも分かった。

 昭和42年の地図。劇場名が変わると同時に、長谷さんがいなくなっている。おそらく経営が変わったのであろう。

 昭和46年。劇場は空き家になっている。

 磯子区役所発行の『浜・海・道』に載っている磯子映画劇場(元アテネ劇場)の廃屋。

 現在、跡地には大きなマンションが建っている。

by うめちゃん


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