杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

君津の謎が解けた!

2021-07-14 | 地域の歴史

 中原で見つけた謎の「君津」と題して記事を書いたのは2020年5月22日だった。あれからずっと、このケーブル名の由来を調査しているのだが、1年経ってもその答えは見つからなかった。

 だが先日、ある人が昔のことを思い出してくれた。いつも杉劇★歌劇団の演出を担当してくださっている井上さんである。

 むかし、中原のあの辺に「君津鋼板」という会社の社宅があったというのだ。さっそく横浜市中央図書館に行って、昭和30~40年代の住宅地図を調べてみた。

 そうしたら昭和46年の地図に「君津鋼板加工KK杉田社宅」というのを発見! 昭和44年の地図には載っていないので、たぶん昭和45年頃にできたのであろう。

クリックして拡大できます

 昭和46年の住宅地図。

 

 拡大してみる。

 君津鋼鈑加工KKとは、どんな会社だったのか。検索してみたら、日鉄建材株式会社の沿革に登場している。商号は変わっているが現在も続いている会社だ。

1968(昭和43)年 5月 君津鋼板加工株式会社設立

1990(平成2)年 4月 君津鋼板加工(株)がニッテツコラム(株)に商号変更

2012年(平成24)10月 ニッテツコラム(株)が日鉄住金コラム(株)に商号変更

2016年 (平成28)4月 日鐵住金建材(株)と日鉄住金コラム(株)が統合

2019年 (平成31)4月 日鐵住金建材(株)が日鉄建材(株)に商号変更

 君津鋼板加工株式会社という名称からして、設立された場所はおそらく千葉県君津市だったと思われる。

 根岸湾の埋立を契機に、この会社が磯子の工業地帯に進出してきたのだろう。ここにはIHIや東芝などの工場があるので、その関連の業務を担っていたはずだ。そして工場地帯からすぐ近くの中原に社宅が建てられたに違いない。

クリックすると拡大できます。

 昭和44年の地図。住宅用地と表示された区画がたくさんある。この頃から開発が進んできのだろう。そしてNTTのケーブル名をつけるにあたって、君津鋼板加工KKの社宅名が利用されたと考えるとスッキリする。


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1 コメント

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Unknown (ずっさん)
2024-05-18 06:54:53
うめちゃんさん
はじめまして。
私、この社宅に住んでました。
A棟に。
実はB棟隣は、近畿ツーリストの社宅だったんですよ。
懐かしい記事内容に涙が出そうでした。
ありがとうございました。
会って話したい位です(笑)
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