杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

日石? 日赤?

2023-02-21 | 地域の歴史

 根岸駅から山手駅方面にかけて並んで立っているNTTの電柱を見上げてほしい。そこに「日赤」と書かれたプレートが張り付いているのが確認できる。
 根岸線の海側には、ENEOS株式会社根岸製油所のタンク群が広がっているが、この会社以前は「日本石油」、略して「日石」と呼んでいた。そこでプレートの「日赤」は誤変換なのではないかという人も現れる。しかし実は以前、根岸線沿いに「横浜赤十字病院」があり、市民はここを「日赤病院」と呼んでいた。その名称がケーブル名として残されているのである。


 病院の歴史はかなり古く、明治45年に設立された根岸療養院をルーツとする。根岸の海岸は気候が温暖で古来より長寿の地といわれていた。そのため、市内各地から結核患者が民家に続々と療養に来たことで、知らぬ間に結核が蔓延してしまっていた。

 そこで結核の予防と治療を目的に、明治45年5月5日、大村民蔵が根岸町2194番地に根岸療養院の開設届を提出した。根岸海岸に知人の近栄商館主・飯島栄太郎の使っていない別荘があったので、その家屋5棟を買い取り、敷地約730坪は3年後に買い取るという約束で入手した。また隣接宅地700坪も借りることに。
 ところが地元住民から猛烈な反対が巻き起こる。大村は結核蔓延の実例を示し、療養院こそ必要であることを説明するが、政友会・民政党も入り乱れて大論争となった。
 大正2年、2階建ての第一病棟を建築。
 大正3年、療養院の一部に日本赤十字社神奈川県支部結核患者収容所に充つ。
 大正4年、第二病棟、第三病棟落成。
 それから8年後の
大正12年9月1日、関東大震災が発生し、同年9月3日、治療材料、食料等の供給不能により療養院の解散を宣告。遠方の患者はそのまま無料で滞在することに。
 しかし、同年9月30日、多数の傷病者を救護することが難しくなり、日本赤十字社震災臨時救護病院設置のため、療養院を無条件で提供する。
 同年10月1日、日本赤十字社はここを根岸救護臨時病院と改称。しかし翌13年、日本赤十字社根岸救護臨時病院は3月末をもって閉鎖。4月1日、根岸療養院を日本赤十字社神奈川県支部に対して、結核予防と治療を条件に譲渡し、根岸療院と改称された。

 昭和21年に根岸療院は横浜赤十字病院と改称、平成17年まで地域の医療を支えてきた。閉院後は指定管理者として横浜市立みなと赤十字病院を運営している。【参考:『大村民蔵自伝』他】

by うめちゃん


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