goo blog サービス終了のお知らせ 

逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

百聞は一見に如かず、会堂全景をどうぞ

2019-04-18 11:55:30 | 教会案内

百聞は一見に如かず、と言います。
まずは写真でご覧ください。
昨日も庭仕事をしていたら、通りがかりの男性が
写真撮ってもいいですか、と言ってたくさん撮っていた。
インスタ映えするのでしょうかね。
今では、いくらお金を積んでも、この様式の建物は造れないでしょうね。
大事にします。

逗子第一バプテストってどんな教会?

2019-04-18 11:30:18 | 教会案内

バプテストって、聞いたことないな。キリスト教会ならわかるけど?
どんな教会なの?
逗子第一バプテスト教会は、戦後いち早く逗子において伝道を開始し、1950年に教会組織をし、70年近い歴史を持つ。当教会はプロテスタントのバプテストという教派で日本バプテスト連盟に属している。日本バプテスト連盟の教会は全国に300以上あり、関連団体として、西南学院(福岡)、西南女学院(北九州)や日本バプテスト病院(京都)、重度心身障害者施設「久山療育園」(福岡)などを運営し、教育・医療・福祉などを通して神と人に仕えている。
ちなみに、神奈川ではおなじみの関東学院は同じバプテスト派のミッションスクールである。
世界的にみると、米国のキング牧師やカーター大統領も同じバプテストである。

この教会の牧師ってどんな人?

2019-04-18 11:14:02 | 教会案内

名前は杉野省治。
1949年生まれ。山口県出身。大学卒業後、神奈川県の公立中学の教員として25年間勤める。その後、西南学院大学神学部専攻科修了し、富野バプテスト教会(北九州市・付属幼稚園園長兼務)、平塚バプテスト教会に牧師として勤め、今年4月より当教会に赴任。平塚ではホームレスや生活困窮者、DV被害者などの支援活動を行う。また、1年間のカウンセリング研修終了後、心の悩み電話相談の奉仕も経験。二男二女の父親。孫5人。趣味は読書、映画・落語鑑賞、銭湯めぐりなど。

わたしの愛にとどまりまさい

2019-04-18 11:05:34 | 説教要旨

2019年4月14日 主日礼拝 杉野省治牧師
「わたしの愛にとどまりまさい」ヨハネによる福音書15章1~10節

 教会にとって、また私たちキリスト者一人ひとりにとって何が一番重要なことだろうか?特に今、この時代の教会にとって何が重要だろうか?伝道か?確かに日本における伝道は大変厳しく、キリスト者が人口の1%にも満たない現実があり、そして少子高齢化と共に、教会に青少年が少なくなり、次世代への信仰の継承が心配されている。だから伝道は急務だ。

 しかし今朝の聖書によって主イエスが私たちに語ってくださっている御言葉は、実は本当に重要なことはもう一つ奥にある、伝道の根本にさらに重要なことがあると語っておられる。それは何か?
 
 ここには確かに「実を結ぶ」ということが言われている。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5節)というのである。「実を結ぶ」とは何か?

 それはその人がキリスト者として霊の賜物を与えられ、「霊の実を結ぶ」ことだと理解することもできる。ガラテヤ書5章22節に「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とある通りである。しかしヨハネ福音書のこの箇所ではむしろ伝道のことを言い、人々を神の恵みの下に集めることを「実を結ぶ」と言っていると理解すべきだと思われる。同じヨハネ福音書12章24節には「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言われている。「多くの実を結ぶ」というのは、神の民の多くの人の回復が意味されていると思われるからである。また、今朝の御言葉の直後にある15章16節に「あなたがたが出かけて行って実を結び」とあるのは、明らかに伝道を意味している。だから、ここで「豊かに実を結ぶ」と書かれているのは、やはり「伝道の実を結ぶ」ことと理解していいと思う。それがまた、「父の栄光」(8節)になると言われている。父なる神はまさにそのために「ぶどうの木」を植えたのである。それが主イエス・キリストである。

 しかしそれにしても、今朝の主イエスの御言葉の中には、「あなたがたは実を結べ」と命令している箇所は一つもない。自分で伝道せよという命令はない。むしろ「自分では実を結ぶことはできない」(4節)とある。伝道は大切。それこそ神の栄光を表すことだ。しかし聖書はそれぞれの人の伝道を真っ先に、あるいはそれだけ取り上げて命じていない。そうではなく、「わたしにつながっていなさい」(4節)と言われるのである。そして主イエスは「わたしもあなたがたにつながっている」(4節)と言われる。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5節)と言われるのである。その時、「実り豊かな働き」が生まれるのである。

 最も重要なことは何だろうか?伝道することだろうか?それはそうだが、そこには重要さの順序がある。今朝の御言葉はその前に、「キリストにつながっている」ことが重要なのだと言うのである。

 それではキリストにつながるには、どうしたらよいのだろうか?今朝の聖書の箇所に、「わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば」(7節)とある。「いつもある」というのは「とどまる」という言葉である。「つながっている」と同じ言葉が使われている。主の御言葉が私たちの内にとどまっているならば、私たちはキリストとつながっているのである。今朝、御言葉は「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(4節)、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(5節)とある。この御言葉が私たちのうちにとどまるようにしたいと思う。「あなたがたは私の枝だ」と言ってくださるのは主の愛である。「わたしの愛にとどまりなさい」(9節)とある通りである。この言葉には、主の赦しがある。この御言葉を私たちの内にとどめよう。そして木から枝へ樹液が流れるように、流れてくるキリストご自身の命に生かされるようにしよう。

 そしてキリストにつながっている恵みを心から感謝して、常にキリストにつながり、実を結ぶものとされたいと思う。日々、御言葉をいただいて、御言葉につながり、御言葉に立つ。そこから伝道が始まるのである。