事務屋のひとり言

東京都の事務員のひとり言です。

学長挨拶から見えた未来

2005-09-13 | 都立大改革の日々
8月の怒涛の資料集めと提出文書の作成の嵐の最中に、新学長の「開学の挨拶」が回覧されました。
これがもの凄く内容が理解しにくい文章です。
ためしに意味不明箇所に赤線を入れていくと、それだけで真っ赤になってしまいました。
これは他の事務室でも同じことを思った人がいたようで、あっちこっちの回覧文書が同じように真っ赤でした。
心ある係長や課長は、事務側で直さないと出せる文章ではないと忠告をしたようです。
管理本部の担当部署もさすがにマズイと思ったらしく、電話などで内容の訂正を行いました。
現在出ている「学長挨拶」はそうしてできあがった文章です。それでも文句を言いたい方はたくさんいるかもしれません。

確かに文章の下手な研究者の方もいらっしゃいます。
しかし今回の場合、根本的な問題は、文章の上手下手ではなく中身でした。
最初の文章と、公開された学長挨拶を見てわかるのは、事務方が直そうとして苦労した挙句、結局失敗していることです。
http://www.tmu.ac.jp/university/messages/president.html
「学長挨拶」というのは、大学のこれから目指すべきもの、理想などを示す文章です。
事務方がそれを直そうとして、結局到達できなかったのは、元の文章に全く中身がないせいでした。

管理本部の人間にそれが書けないのはわかります。もともと大学の素人で、最後までそれに徹した集団なのですから。
しかし仮にも東北大学総長や岩手県立大学長をしたらっしゃった方が、全く新大学の未来を語れない文章しか書けないなんて実に悲しいことです。
都立大の先生に頼んだら、誰でもこれ以上の文章はすぐに書いてくれますからね。
西澤学長が、東北大や岩手県立で同じようだったとは思いません。おそらく今は大学の未来を語るだけの情熱を失ってらっしゃるのでしょう。

管理本部がしっちゃかめっちゃかにした後でも、西澤学長筆頭とする教員側に心意気があれば、乗り切れるはずだという観測は初めから暗雲が垂れこめてしまいました。

さて9月。管理本部が放り投げた仕事を事務側と教員が必死にフォローして、なんとか認可申請が通りました。
ところが、この時すでに次の騒動の種が蒔かれていたのです。

管理本部は事務処理を放り投げる一方で、「非承認者」とされた教員の授業カリキュラムをリストからはずすのに奔走してました。
そしてわかっている限りの「非就任者」の講義をはずしたのですが、その最終リストを、毎年新入生に配る「履修の手引き」のカリキュラムに反映するのを怠ってしまったのです。

なんのことはない、文科省に出したリストを反映して印刷すればいいだけの話なのですが、管理本部はそれを怠ったために、「履修の手引き」に載っている講義と、文科省に出したカリキュラムに齟齬が起きてしまいました。
これはありえない事態です。

学生の方には、この事態の甚大さがわからない方もいるかもしれません。
つまりこういうことです。
文科省提出書類には載っていない講義が、「履修の手引き」には載っている。
さて問題です。
この講義は開くべきでしょうか? 開かないべきでしょうか?
ちなみに教員免許資格の単位に入っている講義がいくつも含まれていることにします。

この他、「就任者」が行う講義名も変更がされていますが、この反映も徹底されていません。これは「非就任者」の方の講義をフォローするために、「就任者」の人の授業を当てたために起きました。
簡単に言うと、都立大では「専門科目」、首都大では「基礎科目」になってしまう科目があるということです。そういう風にしないと、全然科目数が足りないのです。

結局事務側では、苦肉の策として「この今年の科目は、この科目として読み替える」という処理にしました。
しかしそれでも困るのがシステムへの登録です。
なにしろ、そんな例外処理が出来るような器用なシステムになっていません。
「どの科目が、どの科目に対応している」という連結作業を、半年以上たった今でも手作業で継続中です。
これが資格科目が絡むと、法律にも関わってきますから凄まじい事務量になります。いざ申請してみたら、「この科目は重複履修不可のものを単位として認めている。資格にはあと通年4単位のこの単位が必要」なんてことになったら、とんでもない話です。
適当に連結すればいいというわけではないわけですね。

管理本部に今更責任を取って欲しいとは思いません。しかしせめて現場の事務方に謝って欲しいと思う事務屋は、非常に多いでしょう。

そりゃないよ首都大学(U-CLUB)

2005-08-29 | 都立大改革の日々
文科省認可申請の中で、「U-CLUB」についてはその関係について説明が求められました。懸案だったのは、大学が企業御用達の訓練校まがいに変貌するのではないかという懸念です。
しかしまだ活動らしい活動もしていない以上、簡単な注意だけでこの件は終わりました。

「TOKYO U-CLUB」は、「首都大学東京を、多様な産業、文化に彩られた世界に類を見ない大都市東京という地域社会における知的資源の中心として位置づけ、地域の持つ全ての資源を動員して大学の持続的発展を支え、大学と共に充実した“東京ライフ”を享受することを願う善意の人々に対して多様な活動の場と会員相互の交流の場を提供することが目的です」
となっています。
意味がわからない上に今回は長文です。

簡単に言うと、首都大学東京の後援会です。
ちょっと違うのは、企業が中心と言うことですね。
インターンシップなどの制度を実行するために、企業の取り込みが必要だったというのも伏線の1つですが、首都大学の就職先斡旋のイメージがあります。

ただ普通と違うのは、後援会側も大学に対して提言を行うということです。
これが今後どのような影響力を持ってくるのかはわかりません。
大学の性質と、この「U-CLUB」の性質がどんな形になるかによるでしょう。

さてそう言っても「U-CLUB」がどんな団体なのかは、興味のあるところです。
「U-CLUB」のホームページを見てみましょう。
http://www.the-tokyo-u-club.jp/

地味な上になかなか更新されないサイトです。
メンバー構成も表示されてませんが、実際には河合塾とかリクルートなどの企業がメンバーに入っていることがわかっています。

右上に電話番号が載っているので、かけてみましょう。
「株式会社アーイメージです」と電話応対されます。
なんで株式会社にかかるのか不思議に思いますが、どうやら間借りしているようです。
この「株式会社アーイメージ」は東京国際アニメフェアの制作会社のトップに出てきます。
http://www.taf.metro.tokyo.jp/outline/committee.html
どういう会社かわかりませんが、アニメ産業と深い関係にあるらしいことがわかります。

さて今度はFAXナンバーに注目しましょう。
「U-CLUB」は「アニメプレスセンター」という所と同じFAXを使っていることがわかります。またアニメですね。
http://www.apctokyo.jp/ja/contact/index.html
設立主旨を見ると、「NPO法人AII」というところが、運営していることがわかります。
この「NPO法人AII」というところのホームページは今はなくなってしまっているのですが、理事に株式会社アーイメージという会社が入っていました。

ちなみにこの「NPO法人AII」という団体のFAXナンバーも、「U-CLUB」と一緒でした。

この「NPO法人AII」というところは、いったいどのような活動をしてきたのでしょうか?
「SSQガールズモデルオーディション」というモデルのオーディションを運営していたようです。
http://about-audition.jp/production/info.jsp?company_id=859
また「パラダイス・アース アワード」という「CGアニメーション」「静止画キャラクター」「イメージソング・サウンド」の募集も行っていました。
http://compe.japandesign.ne.jp/ap/01/degi/paradise-ea/

モデルのオーディションに、アニメ産業。なんだか全く関係ない業種をまとめて面倒見ているように見えます。なんでこの「NPO」はこんなことやっているのでしょうか?

ホームページを良く見ると、いずれも「京楽栄開発株式会社」という会社の委託で行っていることがわかります。
この会社は何か? 以下のホームページがこの会社のホームページです。
http://www.kyoraku.co.jp/public/company/sakae.html
どんな製品を作っているのか、「製品紹介」を見ます。
パチンコの画面が出てきました。
なんと関係ないように見えた「アニメ」と「モデル」が出ています。

この関係ないような業種を1つに扱う企業。
そう。「京楽栄開発株式会社」というのは有名なパチンコメーカー、「京楽産業」のことだったんですね。

なにゆえ「U-CLUB」が、パチンコ業界の大手がバックにある「NPO」と、事務所を同じにしているのかわかりません。
石原都知事の「東京湾カジノ構想」などと言うものが、脳裏をよぎりますが関係は謎です。

「U-CLUB」は、今後「NPO法人AII」ともども、秋葉原の「秋葉原クロスフィールド」に入居することが決まっています。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0331/akiba.htm
「秋葉原クロスフィールド」には産学連携のフロアもありますから、まさにうってつけの場所に入ると言えます。

「U-CLUB」の活動はこれからです。
この後援会が、首都大学にどのような影響をもたらすのかは、未知数と言えます。
文科省の懸念だけでなく、「大学の後援組織」という見た目「公的な機関」としての顔が、「対外的に利用される」という懸念についても、今後注意深く見守っていく必要があるでしょう。

そりゃないよ首都大学(単位バンク)

2005-08-26 | 都立大改革の日々
いろいろな問題も、一応みんな動いています。
その中で全く動けていないのが、「単位バンク」です。
「首都大学東京の教育課程編成の理念である“学生の多様な選択”と“社会的ニーズへの柔軟な対応”を可能にするには、シラバス等の透明性の向上や、学外資源を積極的に活用する」ことが必要なので、単位バンクが必要であるとされてきました。
例によって、読んでも意味がわかりませんが、何も「単位バンク」なんてしなくても、「単位互換」という制度がもともとありました。
これは協定校同士で、学位を払わなくても受講した単位を認め合う制度です。都立大では中央大学や東京外国語大学と「単位互換」を行い、今までたくさんの学生が利用してきた実績があります。

「単位バンク」と「単位互換」の大きな違いは、「単位バンク」は受講にその大学の制度にのっとったお金が掛かること。
その代わり、「単位互換」のように学長同士の協定がなくても、大学を選べます。

とはいえ卒業単位に加算できる科目かどうかを、1つ1つ判断するだけでも実は大変な労力が必要です。
大学同士で協定結んで「単位互換」制度を利用した方が、はるかに実効的でしょう。
勝手に科目を評価される他大学側にとっても、認められようが否定されようが結構迷惑な話です。
また、学生にとって有効に活用できるようになるためには、多種多様な大学の科目以外を認める必要がありますが、これは行き過ぎれば単位乱発になり、大学の存在意味が失われる可能性があります。
従来の「アメリカの大学のような入りやすく、出にくい大学」という概念からも逆行する話ですね。

にも関わらずなぜこの「単位バンク」という制度が、出てきたのか?
都立大の教員は、最初から否定の立場でした。大学管理本部に賛成的だった前田先生も、単位バンクは否定していたのです。
実際に単位バンクを推進したのは、科技大の一部の教員でした。
今現在単位バンク認定科目として出ているのも、システムデザイン学部(科技大)の2科目である理由がここにあります。

その科技大の有志から、「単位バンク制は大学教育を破壊するおそれがある」という単位バンクの問題を指摘する文書が出ています。
http://tmu.pocus.jp/tbank7.html

読むとわかりますが、首都大学の教員を認定しないこともできる可能性が指摘され、その点に多くの批判を割いています。
「学生にとっての単位バンクは有効か?」という視点よりも「教員にとっての単位バンクの危険性」が文書の主題になっていることがわかるでしょう。
「なんだ自己保身か」と呆れる人もいるかもしれませんが、実はこれが「単位バンク」の裏事情なのです。

ここからは事務側に伝わる噂です。噂なので話半分で聞いてください。

その噂とは、「単位バンク」制度は、科技大内の暗闘の産物であるというものです。

人文教授会はたくさんの声明や文書を出していますが、「単位バンク」制度だけを問題にした文書は出していません。これは他の学部も同じです。言及すらしていない反対声明も少なくありません。
しかし科技大の教員だけは、上で示した通り「単位バンク」への危機感を募らせています。もちろん「元の改革案に反対しているのだから、個別に「単位バンク」に言及する必要はない」という見方もあると思いますが。

とにかく噂は、科技大の石塚学長が自分の意に沿わない科技大教員を排除するために、「単位バンク」を打ち上げたとしています。
事実は不明です。たぶん他の誰に聞いても話してもらえないでしょう。

その「単位バンク」は、首都大学の特徴の第1に上げられていました。
どんな背景があろうと、ほっとくわけにはいきません。
しかし動かすためには簡単ではないのです。
今検討されている中には、「自衛隊への体験入学」を単位として認めようというものもありますが、「自衛隊への体験入学」がいったい何の単位になるのでしょうか? 体育? 社会福祉?
就職の時に役に立つのでしょうか? 企業の人事担当が成績証明書を見て、「自衛隊への体験入学」という単位をどのように評価するのでしょう?

大学を出ればいいというための「単位バンク」ではないはずなのですが。
形として科技大の一部しか協力的でない中、今の段階では先行き大いに不安と言えます。

その大学を出た後の話が、「Tokyo U-CLUB」です。
これが実際に動き出すのは、これからです。しかし今既に問題が指摘され始めています。いったい「Tokyo U-CLUB」とはなんなのか? 次はその話です。

そりゃないよ首都大学(未来塾)

2005-08-23 | 都立大改革の日々
9月認可に向けて、それまで管理本部が抱えていた様々な資料や懸案事項が降りてきました。
しかしそれが更なる混乱を呼ぶことになります。
検討されるはずの問題を管理本部が教員側に流さなかったために、宙に浮いたままの問題が多数あったのです。

中でも特に錯綜したのが「未来塾」「単位バンク」「Tokyo U-CLUB」の3大特色です。「Tokyo U-CLUB」は認可と直接関係ありませんが、産学連携の要として位置づけられていましたので、無視できる問題ではありませんでした。

まず「未来塾」の問題です。
「未来塾」とは「新大学と高等学校との連携により、日本の将来を担い得る改革型リーダーとしての資質を持つ人材を育成」するという目的で設置されました。
相変わらず読んでも意味がわかりません。
この「未来塾」を推進したのは、教育庁でした。

東京都立大学の頃は、1つの局として独立してましたから、大学だけでも教育庁と同等の位にあったわけです。
実際の事務体系では、「都立大学」は「総務局」所属の扱いになってました。
事務組織の序列としては、「総務局」が一番高い位になっています。次が予算を扱う「財務局」ですね。
とはいえ実際の事務職にはあまり序列は関係ありません。わかるのは「財務局の職員は無意味に偉そうだ」くらいです。
しかしこの現場で関係ない事務組織の序列が、「未来塾」の混乱を生んだようでした。

9月認可に向けた作業が7月末に本格化する中、この「未来塾」の文書が各学部に衝撃を与えました。それは「未来塾」の「卒業生」は、首都大学に審査無しに入れるというものです。
噂や世間話としては、ちらちら話はあったのですが、実際に話が降りてきて問題が顕在化しました。

各学部の先生は、無審査入学に難色を示しました。特に難色を示したのは、人文学部だったようです。大学の格を維持するために四苦八苦している中で、審査もなく学生を入学させるのは、自殺行為であると言って大反対しました。
「公にしただけの裏入学じゃないか」とか酷い言われようだったようです。

この話が管理本部を通じて出されると、今度は教育庁が抗議しました。
「未来塾は首都大学に入れることを前提にして、学生を募集している。既にこの件は決着済みである」。
「未来塾」の講習は、毎週火曜日や土曜日、そして夏季休業中にびっしりと講習が入っています。それも50講座とか40講座こなさなければなりません。
つまり学生は大切な受験期間に、独自の勉強をする代わりに未来塾に出る形になってしまうのです。
首都大学に入れるというニンジンをぶらさげて、学生を早くに確保するという究極の青田買いです。
これで首都大学に入れないということになったら、そういう募集を都立高校を中心にかけた教育庁の責任は免れません。
けれども、教育庁が抗議をしても教員側には初めて聞く話ばかりです。

事態が混乱する中、大学管理本部の出した言葉は、「こちらは知らない」。
当然、教育庁は激怒しました。
既にワーキンググループや教育庁の短期推進計画に入っている事案を、知らないですむのか?
できないなら、募集の段階で待ったをかけるべきだったのではないか?
教育庁の怒涛の抗議です。

しかしご存知の通り、あの大学管理本部です。
柳に風と言うか、まったく堪えません。
序列で教育庁より高いと言う認識も手伝って、物凄く消極的でした。

困ったのは大学管理本部の末端の事務員です。
事は学生の人生設計に関わる問題で、ないがしろにできません。
既に法科大学院や、COE絡みでミソがついた新大学です。このまま大騒ぎになるのは非常にまずいことです。
結局あっちこっちにたきつけて、各学部の説得に回りました。
しかし人文学部は、断固とした姿勢を貫いています。
9月認可を是が非でも通したい大学管理本部は、未来塾の件でゴリ押しはしませんでした。

不思議なものですが、散々抗議や反対をしてきた結果、大学管理本部は表面上はともかく人文学部の姿勢を無視することができなくなっていました。
逆に混乱しそうな事案は、まず南雲先生に持ち込み、先生方の感触を探ってから出すほどになっていたのです。
南雲先生がとりあえず納得した事案を、他の学部の先生が反対することはありません。
いつの間にか大学改革のキャスティングボードを握るようになっていたわけです。

実は大学管理本部が、そういう学内の調整も含めた教員側窓口に選んでいたのは、法学部の前田先生でした。
前田先生は、早々に新都市教養学部長に内定し、全学を統括できる立場にあります。
しかし大学管理本部の意に反して、あまり前田先生は動いてくれません。
もともと教学準備会議の頃から、管理本部寄りの発言をして南雲先生と衝突してきた前田先生は、他の学部長からも余り信用されなくなっていたようです。

そんな事情はどうでもいい教育庁は、埒の明かない大学管理本部に代わって、直接学部長室に乗り込み、説得を行いました。
新宿から南大沢にめったに来ないで、メールで済まそうとする管理本部に比べて、実にフットワークが軽いです。

結果、人文学部以外は審査無しに応じたようです。審査するとした人文学部からは、希望していた30人近い人のほとんどが他の学部に流れました。
人数的には、希望者の全員が首都大学に入学し、教育庁の面目は保たれたことになります。

ところで未来塾受講生のレベルですが、どうもピンキリだったようです。
普通に試験を受ければ、相応の大学に楽に入れる人がいるかと思えば、中学英語もままならないレベルの人がいるなど、様々でした。

一応形になった未来塾ですが、まだまだ多くの問題を抱えています。
しかも教育庁との連携は今も良くありません。
事態の中心だったはずの大学管理本部も今はなく、今後も連携不足で問題が起きる可能性があります。学生の未来のためにも、これからの努力が必要です。

この事態を見る限り、大学管理本部は東京都の事務組織の中でも、相当異質な存在だったということになるでしょう。
しかし国の公的機関と比べても異質だと判明した事案があります。
「単位バンク」。
今も開店休業状態のこの問題は、最初から破綻していました。

都立大改革の正体

2005-08-18 | 都立大改革の日々
よく「石原都知事のやり方はともかく、大学改革の方向性は間違っていない」という言葉を聞きます。それではその方向性とはなんだったのか?
それが少し明らかになったのが、この認可見送りでした。

認可見送りで文科省から突きつけられた山のような付帯事項。
「都市教養学部とは何か?」
「従来の教養部との違いは?」
「学生が混乱するのではないか?」
「混乱しないための対策は?」
恐ろしく細かい指摘事項に、大学管理本部はびっくりしました。
文科省が、そこまで細かく確認してくるとは思ってなかったのです。
なにしろ今まで書いてきた内容は以下のようなものです。

「人間文化の観点から、グローバルな現代社会の課題に応えられる充実した研究教育体制を備える大学を作る。従来の研究者養成機能を保持しつつ、高度職業人養成の拡充を図る」
こういう文章を「事務的はったりの文章」と言います。それっぽく書いてありますが、どんなに読んでも具体的に何をするのかわかりません。

「都立大との差別化をはかるために、名称を斬新なものにしました」というのが本当の理由ですから、文科省がしたように、こまごまとした指摘に対して説明のしようがありません。
「従来の教養学部がどんなことをやってきたか」を知らないのに、「都市教養学部との違い」を説明できるわけがないのです。
それでなくても、大学事務をやったことのない人間ばかりで構成された管理本部です。
現場が「これでは都立大はつぶれる」と思うことでも、平然とできたのは、まさに「知らないからできる」ことでした。

もちろん認可書類は教員の協力もさせてましたが、それは授業内容や研究分野に関する末端の資料作りで、学部設置そのものの理由や内容に関わるところではありません。
それでも「認可される」「大丈夫」と突っ走ってきたのです。
揃えた説明文書の根本を認めてもらえないなんて、予想もしない出来事でした。

さあ大変です。
新大学の理念を予備校に委託しているぐらいです。
「文科省にどう説明すれば、認可されるのか?」が全くわかりません。

おりしも7月1日をもって、管理本部長が変わり、管理本部の空気も若干変わった時期でした。
7月中旬に管理本部の人間が、10人以上もぞろぞろやってきました。もちろん初めてのことです。
学部長室を締め切り、1時間以上も話をしていましたが、ここでの内容がどんなものだったのかはわかりません。
ただ、私の推測では「大学管理本部が謝った」のではないかと思っています。根拠はないのですが、雰囲気的に今まで見たこともない感じでした。

「石原都知事のやり方はともかく、大学改革の方向性は間違っていない」
この言葉を聞くたびに、管理本部に指示されて資料を揃えてきた事務側は違和感を感じます。
要求される資料は、「如何に予算を削減できるか?」という政策プラン作りに関するものか、「○○がゼロのものを探せ」「○○が悪いものを出せ」といった教員を攻撃するための資料ばかりなのです。

修学年以上に在籍している学生は、成績不振者であるという発言を裏付けるために、休学者の学部や専攻別人数を要求されたときには、各学部如何にしてデータを出さないか知恵を絞ったものです。(当然のことながら、休学者と成績不振者を結びつける因果関係はありません。しかし何でもかんでも管理本部の都合良く解釈する時期がありましたので、事務側は警戒しました。同じ事務方なのに、いったい何やってんでしょうか?)
とにかくその姿は、「既得権益をなくして、大学を健全化させよう」などという理念が見えるものではありませんでした。

「首都大学東京」という大学名称も、そもそも「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のような大学を作りたい」という目標(?)が理由です。(だから本当は「首都大学南大沢校」とか「首都大学荒川校」というのが、本当の名前なんでしょう)
それに臨海副都心で火の車である都財政をなんとかしたいという、事務側の思惑が乗っかったのが、大学改革の正体です。

当然のことながら、8月1日以前の大学改革案は、文科省に「記述が意味不明である」とか凄い指摘をされる内容ではありませんでしたので、簡単に比べられるものではありません。

7月中旬に管理本部がぞろぞろやってきた後、文科省への提出書類を整える作業が始まりました。表立っての決定ではりませんが、南雲先生が「大学院で研究を継続することになっている」と明言を始めたのもこの頃ですので、内々になんらかの合意があったのではないかと思います。
とにかく「単位バンク」のような物議をかもす内容はサラリと流し、文科省への書類は9月認可へ向けて提出されました。

大学管理本部の仕事

2005-08-15 | 都立大改革の日々
表に話が出るたびに横槍が入る状況に、各学部長は一層水面下の交渉に望むようになりました。
結果的にこれが、表に出る情報を抑えてしまい、今現在の批判の種となります。
正面切って交渉し、勝ち取るべきだったという方もいらっしゃいますが、それは難しかったと思います。

近代経済学の3名の先生方への対応について、実は事務側は管理本部はなんらかの名目を開発して、3名を認めるのではないかと考えていました。
COEという対外的にわかりやすい部分で人材流失が起きると、当然イメージに傷がつくのは誰でもわかります。
しかしそれすら「認めない」という文書がわざわざ管理本部長名出ました。これは管理本部長と言うより、さらに上の判断と見て間違いありません。
「教員に勝利する」それが一番大事なことであり、大学のイメージや未来について2の次という考えを持つ方が、大学管理本部に影響を与える立場にいるのです。

それでは正面切ってぶつからず、何か得たものはあるのでしょうか?
結構あるのですが、わかりやすいもので、名称問題があります。
新大学の大学院の名称は、人文科学研究科も社会科学研究科も、そのままの名前で行くことが決まっています。
実はこの名前はもともと「社会・人間科学・国際文化研究科」とか「法学・経営学研究科」などといった凄い名前でした。
それを会議に出す資料で、いちいち「人文科学研究科」とか「社会科学研究科」と書いて出し続けたのです。
最初は直されていたのですが、いつの間にか「人文科学研究科」と「社会科学研究科」に決まってしまいました。

大したことないじゃないか、と思う方もいらっしゃるでしょうが、この名称というのは実は研究の世界で結構大事です。
法学部の所属する協議会は、実は「法学部のある大学」しか加盟できません。今まで、「法学部」として独立した学部を持ってない大学の加盟申請を退けてきた過去があります。
しかしご存知のように首都大に、法学部はありません。そのせいで協議会から除名される可能性が高いのです。
このことを知りながら、大きな反対をしなかった前田部長のことを、悪し様に言う法学部の先生は結構いらっしゃいます。

似たような例で、臨床心理学会があります。都立大には第2種の臨床心理士コースが認定されていますが、これも「専攻」として独立していないと認定をもらえないのです。
ところが首都大では、心理学専攻は人間科学専攻の中にまとめられてしまいました。しかたがないので、教室単位で入試をすることにして、「臨床心理教室」として独立していることにしています。臨床心理学会にその点を説明に行った先生は、面と向かって、もの凄い嫌味を言われたそうです。

斬新な組織名称を考えるのは結構なのですが、首都大だけ特殊なことをやっても誰も認めてくれません。
法学部や心理学専攻にとっては、実に迷惑な話です。
こういう問題は、理学部や工学部でも起きているか、潜在的に持っているはずです。特に臨床心理士のように資格に関わってくる問題だと、笑い事ではありません。
組織名称と言うのは、実は非常にデリケートな問題なのです。

就任承諾書の提出をめぐって戦いが起きていた4月から、平行して文科省への認可申請の下準備が始まりました。
ところがこの中で大学管理本部の事務能力が暴露されてしまいます。

既に出すことを決めた先生の就任承諾書を、文科省に持っていったのですが、なんと書式が間違っているとして、突き返されてしまいます。
慌てて先生方に出し直してもらい、文科省へ提出に行きましたが、なぜか間違っていると言われた書式を使ってしまい、また突き返されてしまいます。
さらに慌てて先生方に出し直してもらい、提出したのですが、今度は完全に別様式で集めてしまい、またまた突き返されてしまいます。

ここまで読んだ人は思うことですが、同じことを事務側も思いました。
「大学管理本部って、実はバカなのか?」
自分だけでなんとかなるならともかく、教員に書いてもらわなければならない書類です。それを延々間違い続けるなんて普通じゃありません。

他にも教職免許の再申請が必要だと教育の先生が忠告したのに、「大丈夫、大丈夫」と言い続けて、土壇場で「やっぱり必要だと言われました。書類提出してください」と全学の先生に頼んだり、事務屋とは思えない事態を連発で起こしました。
そもそも忠告しているのは、教育政策などを研究している専門家の先生です。
電話で確認すればすぐわかる程度の問題を、どうして悪化させるのでしょう?

毎年7月に行っている大学説明会でも、打ち合わせの場に担当者が来ません。
広報は全て管理本部で統括するから、勝手に学生に話すなという指示があったのに、当の本人が来ないのです。
「なんであいつら(管理本部)が来ない!?」会議室で庶務係長に入試係長が食って掛かる場面もありました。

その大学管理本部は、「7月認可は絶対だ」「大丈夫だ」と言い続けていました。
事務側は、書類不備や不手際を連発しながらこの自信は、何かそうなる政治的な判断があるのかと噂をしていました。

7月3日の数日前。文科省から管理本部に認可見送りの連絡がありました。
理由は4月の設置申請提出内容と7月とで、25名の非提出者がいたこととされています。
とされているのですが、実は50項目近くの注意が入っていました。
はっきり言うと、「ダメだから出し直し」ということです。

これまでの方法で、管理本部が認可申請を出せるのか、これが無理だと言うのは、誰にでもわかることでした。

再リセットからの挽回

2005-08-13 | 都立大改革の日々
「手から手へ」を2枚持ってきて、表裏に分かれている「3.8文書」を切り貼りして、A4一枚にしました。そして衝撃的な一文にマーカーで線を引いて、人文のエレベーターに張りました。
できるだけ早く、いろいろな人に知って欲しいと思ったからなのですが、エレベーターにああいう張り紙はいけなかったみたいで、2週間ぐらいで剥がされてしまいました。

本来3月7日に行われるはずの、手打ちの会議を吹っ飛ばしたのが、浜渦副知事と言われています。
反対集会の成功と、文科省の厳しい姿勢が、大学管理本部の水面下での協調路線を生んでましたが、この1件でまた全てがやり直しになってしまいました。
と言っても、全てがなくなったのではなく、強硬派と穏健派の2つの流れに分断されてしまったようです。
この頃から、資料を事務側に求めてくる時にも、2つの別の部署から同時に求められるようなことが増えました。
管理本部の事務室は大きな1室です。別部署と言っても、5メートルも離れてません。にもかかわらず資料のやり取りが無いようなのです。
「昨日○○部署にファックスしてます」
「急いでいるから、こっちにもう一回送ってくれ」
となりからもらった方がよっぽど早いのでは? と思う事態が頻発し始めました。

同意書が全く役に立たなかったため、次に出てきたのが「意思確認書」です。略して「イカク書」なんて呼ぶ人もいました。
こちらは授業名を記入する欄があり、文科省への提出を見据えた文書になっていました。
同意書と同様、こちらも出さない人が多数いたのですが、「意思確認書はあくまで意思を知るためのもので、来年度の人事に直結しない」という理解があったからでした。
人事や就労条件に絡む話は、組合の専決事項という合意があったのです。

3月8日を境に、管理本部は変貌しました。
その真意を知って、南雲先生や一部の事務は驚愕しました。
それは
「ダメなら、全員公募して改めて設置すればいい」
という、怖ろしく極端な考えです。
法科大学院の設置では、事務側の踏ん張りもあり、3ヶ月で立て直しました。今からやれば4月開校に問題ないというわけです。

無茶な話ですね。院生会は「研究環境の維持」を掲げていますが、教員が全員代わってしまって「研究環境の維持」なんて可能でしょうか?
今の都立大の教員と同じレベルの教員がやってくること自体、不可能だと思います。

もちろん管理本部は、それができると確信していました。しかし勝手に確信されても、事務側にとっても教員にとっても、おそらく院生側にとっても迷惑なだけです。そんなことをやって失敗したら、いったい誰が責任を取ってくれるのでしょうか?

南雲部長には厳しい判断が求められました。
教員を大学院で救うと言う当初の目標が、「そもそも大学院の設置がない」という話になるのは困ります。
提出期限をさらに越えて、引っ張って引っ張ったあげく、人文は全員一括提出と言う選択を取りました。一括提出とは、個人の署名捺印をせず、人文学部名での提出です。

今でもこの判断を、非難する人文学部の先生もいらっしゃいます。この件で大学管理本部は大々的な報道を流し、「都が教員に勝った」という印象を与えたからです。
でもここで「人文教員全員非就任」という決断が正しかったか、というと私にはそうは思えません。もともと100名以上の過員から始まる、マイナスの戦いです。
その上大学管理本部は、「全員公募で、大学の維持が可能か?」という根本的な問題も疑問に思わない集団となっています。(実際に思ってないのは一部でしょうが)
学生にとっては一生の問題であるということすら、どっかに吹っ飛びそうな勢いです。
ここまでのマイナスからの挽回の戦いを見て、さらに文科省不認可の後の攻防戦を見ても、この就任承諾書提出が何かの問題に「ケリをつけた」わけではありませんでした。むしろこれからも戦い継続を選んだと言えるでしょう。

だいたい管理本部自身が「勝った」と思っていませんでした。むしろ逆に困ってたぐらいです。
首都大に同調する人をこの「意思確認書」で選抜したかったのに、個人の署名捺印もなく一括で出されたのでは、何の意味がありません。この後もう一回文書を提出してもらうことが決定的になったのです。

残ってしまったのが近経の先生方です。最初から完全独自路線を歩んできた近経の先生には、事態の推移の情報、特に先生方の情報が入りませんでした。
分裂してしまった他の経済学部の先生は、近経の先生との連携は全くありません。なにしろ勝手に管理本部と交渉してると思ってるくらいです。COEという交渉武器もないのでは、自己防衛するしかありません。

このころ近経の先生の説得に、何度も管理本部から人が来ました。しかし近経の先生の要求は、最初と同じ「全員の残留」と変わりません。逆に強硬な管理本部の態度に直面して、さらに態度を硬化させたようでした。
他の事務員からの又聞きですが、近経の先生が「管理本部はまともな話ができない」とグチを漏らしていたそうです。
「それは半年以上前からだ」と他の先生は言うでしょう。どうも近経の先生方は、希望の人事案が通らなくて、初めて「対決姿勢」を出したように見えたのが残念です。
結局、近経の先生は就任承諾書を出さず、新大学にコースは設置されませんでした。

3月23日に4大学総長・学長懇談会が開かれ、総長・学長、大学管理本部長、理事長予定者が集まりました。協議再開が確認されたのです。
やっとリセットがキャンセルされたかと思ったのですが、またも横槍が入り、4月8日管理本部長メモが出ます。「確認事項なんてない」という文書でした。

今度は7月の文科省認可に向けて、「就任承諾書」の戦いです。
同時に認可申請に絡む書類作成が、事務側にも降ってきました。
事務組織として管理本部とはどういう所か? 
事務側はある程度知っていたのですが、それでも予想を超える冗談みたいな事態が連発することになりました。

人文学部の戦い

2005-08-09 | 都立大改革の日々
2004年になりました。
それまで沈黙していた経済学部から、ついに抗議声明が出されます。
「新大学設立準備体制および移行スケジュールの根本的な見直し」を掲げた明快な抗議声明です。

でも読んで思いました。近経の先生は本当に人文が嫌いなのね、と。
というのも「同趣旨の意見表明」として取り上げられたのは、総長の声明と理工と科技大の「教員110名による声明」だけなのです。
人文教授会も所属専攻も院生会もこれまでたくさんの声明を出していますが、それらは取り上げてもらえませんでした。

「教員110名による声明」の方には、
「10月7日の都立大学総長声明をはじめ,教職員,学生,大学院生などからの多くの声明や抗議が出されてきている」
と書かれてますから、せめてこの程度の取り上げ方でもいいので、触れて欲しかったです。

この頃南雲部長は極度のプレッシャーとストレスで体調を崩され、同じ専攻の先生に強引に温泉に連れて行かれたりしてました。「俺は辞める」と話されて冗談だと思って笑ったら、机の中に辞表が入ってると大真面目で言われてびっくりしたこともあります。
とにかく人文学部は、ゼロどころかマイナスからの挽回が続いていました。
事務側の観測は、情報ギャラリーに学生自治会が立てた立看、「人文崩壊」がまさに現実になると考えていました。


ただ学内で一番バラバラのはずの人文学部は、未だ強い結束を示しています。同意書圧力は日増しに強くなっていましたが、大学管理本部の予想に反して崩れません。

事務側の中では7月の文科省への認可へ向けて、管理本部が「現大学の改編で申請しようとしている」と情報が入りました。対外的には「都立大廃止、新大設立」を言いつつ、申請は「改編」。
「やり方がズルいんじゃないか?」と事務側でも思いました。

さっそく組合の方に「こういうやり方っていいんでしょうか?」と聞いてみましたが、「そういうものだ」とあっさりした答えでした。
大スクープだ!と思ったのに、ちょっとがっかりです。
しかしやはり焦点としてわかり易いという判断だったのか、組合の方もこの後から積極的に、ダブルスタンダードを抗議していきました。

大学管理本部の方は、この点は別におかしいとも思ってなかったようです。
その管理本部の顔色が変わったのは、日比谷公会堂で「東京都の大学改革を考えるシンポジウム」が行われ、1800人を超える人が集まったことでした。
対外的に特に出ていなかったと思いますが、この時から管理本部の雰囲気がガラリと変わったのです。
係長級に「都庁を向いて仕事するように」という今聞くと笑ってしまうような注意が入ったり、(俺の机は都庁を背にしているが動かすのか?とか呆れた声が出ました)「研究環境は確保される」などと発表を始めたのもこの頃でした。

表の強硬な姿勢とは裏腹に、南雲先生の方には、妥協点を探る管理本部からの電話が入り始めました。
「学部はしょうがない。その代わり教員を大学院所属にし、現専攻も大学院で救う」
教育重視の『学部』(実態はともかく)と、研究重視の『大学院』という構図です。
基礎教育センターやエクステンションセンター(途中からオープンユニバーシティに変わりました)の先生を、大学院ではこれまでと同じ研究を続けられるようにした、ウルトラCでした。
ここまで話を持っていったのは、南雲先生ならではだったのではないかと思います。
崩壊かと思われた人文学部は大学院所属となることで、生き残る道ができたかに思えました。

3月7日、管理本部長や学長予定者も含めた会議がもたれることになりました。
ここで、事実上の手打ちが行われ、大学認可へ先生も協力する旨の話し合いがされるはずです。
しかし会議数時間前に、突如延期すると管理本部から連絡が入りました。
いろいろ聞いてみましたが、みんなどういうことなのかわかりません。

そして3月9日。組合の「手から手へ」に学長予定者と管理本部長の連名で文書が出ました。
「現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない」。
衝撃の内容でした。

配置案の衝撃

2005-08-05 | 都立大改革の日々
それまで学内でもっともバラバラなのは、人文学部であると言われてました。
しかし、目に見えてばらばらになったのは経済学部でした。

同意書問題が表面化した10月。
この頃は既に人文学部の雰囲気は「同意書」なにするものぞという雰囲気で、ほったらかし状態でした。法学部も同様で、「意味不明文書だ」と笑い飛ばす先生もいました。
南雲先生の所には次長や管理本部から催促の電話や、状況確認の訪問が散々ありましたが、かわし続けていました。

一方経済学部にはの先生の中には、
「近経が水面下で管理本部と交渉している」
と固い表情で苦情を漏らす方もいらっしゃいました。
「本当ですか?」
と聞いたのですが、それ以上詳しく教えてもらえませんでした。
さすがにこれは疑心暗鬼が招いた憶測だったのかもしれません。

しかし、とにかく経済学部の先生達の雰囲気は剣呑の一途で、互いに廊下ですれ違っても挨拶どころか目線すら合わせない状況でした。

11月には入ると、人文関係を中心に学外の反応が強烈になりました。毎日のようにどこかの大学で抗議声明が出され、学内からは質問状が出されました。
事務側には、新大学設立に向けたスケジュール表が何度も送られてきました。
しかし同意書は宙に浮き、何も進まないので、スケジュール表はどんどん後ろへ後ろへ予定をズラしたものばかりです。

教学準備会議の方では、既に決定事項となった事案が報告され、それに南雲部長が反論、続いて鈴木部長などが続くという構図が延々繰り返されていたそうです。

こうして事態が膠着したように見えた頃、朝日新聞の報道が走りました。

「東京都が新大学の理念を河合塾に外注」
「今頃理念なんて、じゃあ今まで理念もなくやってたのか?」と誰でも思ったことでしょう。
実は事務側でもそうでした。
続いて法学部の先生4名が辞めてしまい、入試直前となっていた法科大学院が大混乱になりました。罵声を飛ばす電話もいくつかかかってきましたし、とにかく混乱しました。

この辞めた先生の中には磯部先生もいらっしゃったのです。それまで大学改革の音頭を取っていた先生が辞めたことになります。
「磯部先生が辞めたってことは、いよいよ最悪の事態になるんだな」
事務側に絶望が走りました。

そしてそれまで内々に伝わっていた配置案のほぼ最終決定案が出たのです。
やはり人文学部は100人にのぼる過員でした。基礎教育センターやなどにそれらの先生は送りこまれるわけです。
そして個人的に興味を持っていた近代経済学の先生は、3名が基礎教育センター行きでした。

これは少ないです。管理本部側にしてみれば、最大限の配慮をしたつもりだったのは間違いないでしょう。
実は私もこの結果は凄いと思って、経済の先生にさっそく話を聞きました。
「たった3人だけでしたね」
「いや裏切られた。これから全員通させる」

えっ?と思いました。裏切られた? 3人で?

「それは難しいんじゃないですか?」
「COEは文科省が認めたグループだ。都が認めないなら外に行くだけだ」
そう言えば南雲部長も、人文を丸ごと外に売ったほうが良いといったこと言ってたことがあります。
「売れますか?」と聞いたら「売れる。人文のレベルはそれぐらい高い」と笑ってました。
確かにCOEは文科省が認めたプログラムです。「認めないことは認めない」というのはわかる気がしましたが、近代経済学だけ全員残すことを、あの大学管理本部が認めるわけがありません。

それは人文学部含めたほかの学部の状況を見てもわかることだと思ったのですが、先生はその点は理解されてない、と言うか、「他と近代経済学は違う」と確信しているようでした。
この間、山のような抗議声明や公開質問状が出ていましたが、経済学部は沈黙を保ったままです。
過去に他の経済の先生が漏らした「近経が水面下で管理本部と接触してる」という疑心暗鬼は、ひょっとすると、この「確信」があったせいだったのかもしれません。

そして12月26日。
「都立大学理学・工学研究科および科学技術大学教員110名の声明」が出ました。
それまで大学管理本部は、「反対してるのは人文学部だけ」と、何度もマスコミに話してきました。法学部の先生が辞めると、「人文と法学部の一部」に切り替わりました。
そして遂に理工と科技大が、反対の戦列に明確に加わったのです。
8月に始まった激闘は、経済学部を除く全学の反対という形で、年を越すことが決定的になったのでした。

それは8月1日から始まった。

2005-08-04 | 都立大改革の日々
2003年8月1日は事務屋にとっては静かな日でした。
夜遅くまで仕事をしていた私に、疲れた表情の南雲部長が話しかけてきたのが最初です。
「なんか訳のわからんことを言われたよ」
「大変そうですね」
その時にはそれで終わってしまいました。

それからは何週間か、何度も人文学部の方の部長室のドアが閉じられ、様々な先生が出たり入ったりしていたのが見えました。

次に動いたのは、2003年9月25日。「東京都立大学人文学部抗議声明」が張り出されたのです。
「なんか凄いことになってる」
事務側へのインパクトは、この声明が最初でした。
さらに4日後の9月29日。 「『同意書』についての都立大学総長意見 」が出されます。

新聞が報道し、事務室のあらゆる電話に各所から問い合わせの電話が鳴り始めました。
ご存知の通り、この同意書の内容が凄い。とても事務のプロが考えたとは思えない文章です。
「何やってるんだ、大学管理本部は」
呆れ返る言葉が現場を占めました。

総長の声明より先に出たことからもわかるように、人文学部が真っ先に大学管理本部に異議を唱えました。もちろん、改革案が人文学部を直撃するからなのですが、それにしても、他の学部の動きが悪い。
特に経済学部、それも近代経済学の諸先生方の中には、「これで大学もちっとはマシになる」と人文削減案を奨励する声すら聞こえたほどです。

しかし、この頃から事務の現場にも流れ始めた大学管理本部の改革案は、ぎょっとする内容ばかりでした。
「これは都立大、潰す気だぞ」
事務屋には事務屋の誇りがあります。「新宿でふんぞり返ってる人間に、勝手なことされては困る」そういう考えの人も結構いたのです。
冷笑する近経の先生方を見て「そんなこと言ってて、いいのかしら?」と危機感を覚える日々でした。