事務屋のひとり言

東京都の事務員のひとり言です。

都立大改革の正体

2005-08-18 | 都立大改革の日々
よく「石原都知事のやり方はともかく、大学改革の方向性は間違っていない」という言葉を聞きます。それではその方向性とはなんだったのか?
それが少し明らかになったのが、この認可見送りでした。

認可見送りで文科省から突きつけられた山のような付帯事項。
「都市教養学部とは何か?」
「従来の教養部との違いは?」
「学生が混乱するのではないか?」
「混乱しないための対策は?」
恐ろしく細かい指摘事項に、大学管理本部はびっくりしました。
文科省が、そこまで細かく確認してくるとは思ってなかったのです。
なにしろ今まで書いてきた内容は以下のようなものです。

「人間文化の観点から、グローバルな現代社会の課題に応えられる充実した研究教育体制を備える大学を作る。従来の研究者養成機能を保持しつつ、高度職業人養成の拡充を図る」
こういう文章を「事務的はったりの文章」と言います。それっぽく書いてありますが、どんなに読んでも具体的に何をするのかわかりません。

「都立大との差別化をはかるために、名称を斬新なものにしました」というのが本当の理由ですから、文科省がしたように、こまごまとした指摘に対して説明のしようがありません。
「従来の教養学部がどんなことをやってきたか」を知らないのに、「都市教養学部との違い」を説明できるわけがないのです。
それでなくても、大学事務をやったことのない人間ばかりで構成された管理本部です。
現場が「これでは都立大はつぶれる」と思うことでも、平然とできたのは、まさに「知らないからできる」ことでした。

もちろん認可書類は教員の協力もさせてましたが、それは授業内容や研究分野に関する末端の資料作りで、学部設置そのものの理由や内容に関わるところではありません。
それでも「認可される」「大丈夫」と突っ走ってきたのです。
揃えた説明文書の根本を認めてもらえないなんて、予想もしない出来事でした。

さあ大変です。
新大学の理念を予備校に委託しているぐらいです。
「文科省にどう説明すれば、認可されるのか?」が全くわかりません。

おりしも7月1日をもって、管理本部長が変わり、管理本部の空気も若干変わった時期でした。
7月中旬に管理本部の人間が、10人以上もぞろぞろやってきました。もちろん初めてのことです。
学部長室を締め切り、1時間以上も話をしていましたが、ここでの内容がどんなものだったのかはわかりません。
ただ、私の推測では「大学管理本部が謝った」のではないかと思っています。根拠はないのですが、雰囲気的に今まで見たこともない感じでした。

「石原都知事のやり方はともかく、大学改革の方向性は間違っていない」
この言葉を聞くたびに、管理本部に指示されて資料を揃えてきた事務側は違和感を感じます。
要求される資料は、「如何に予算を削減できるか?」という政策プラン作りに関するものか、「○○がゼロのものを探せ」「○○が悪いものを出せ」といった教員を攻撃するための資料ばかりなのです。

修学年以上に在籍している学生は、成績不振者であるという発言を裏付けるために、休学者の学部や専攻別人数を要求されたときには、各学部如何にしてデータを出さないか知恵を絞ったものです。(当然のことながら、休学者と成績不振者を結びつける因果関係はありません。しかし何でもかんでも管理本部の都合良く解釈する時期がありましたので、事務側は警戒しました。同じ事務方なのに、いったい何やってんでしょうか?)
とにかくその姿は、「既得権益をなくして、大学を健全化させよう」などという理念が見えるものではありませんでした。

「首都大学東京」という大学名称も、そもそも「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のような大学を作りたい」という目標(?)が理由です。(だから本当は「首都大学南大沢校」とか「首都大学荒川校」というのが、本当の名前なんでしょう)
それに臨海副都心で火の車である都財政をなんとかしたいという、事務側の思惑が乗っかったのが、大学改革の正体です。

当然のことながら、8月1日以前の大学改革案は、文科省に「記述が意味不明である」とか凄い指摘をされる内容ではありませんでしたので、簡単に比べられるものではありません。

7月中旬に管理本部がぞろぞろやってきた後、文科省への提出書類を整える作業が始まりました。表立っての決定ではりませんが、南雲先生が「大学院で研究を継続することになっている」と明言を始めたのもこの頃ですので、内々になんらかの合意があったのではないかと思います。
とにかく「単位バンク」のような物議をかもす内容はサラリと流し、文科省への書類は9月認可へ向けて提出されました。