青毛の研究――久喜市オーゲの研究

久喜市の青毛の伝承は古来「オオゲ」。それを市教委が不当に訓読み「アオゲ」に切り替えたのを 伝承読みに戻させたいための研究

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県土整備事務所内の青毛堀の呼び名は事実誤認 アオゲ読みは誤りでオオゲ読みが正解

2010年07月19日 19時30分23秒 | 日記
杉戸や行田の県土整備事務所内の青毛堀の呼び名は事実誤認
「アオゲ堀」は誤りで、正しくは古来地元伝承の「オオゲ堀」

○ 『武蔵国郡村誌』と更に古い「三戸文書」のオオゲの表記:

   江戸時代の『新編武蔵国風土記稿』は、青毛堀が「オオゲ堀」と呼ばれる理由について、この川が他村では狭く青毛村地内で広がっているので、村の名を負うたのだろうとしている。青毛村は町村合併で太田村から久喜町に併合され大字オオゲになり、市制施行で久喜市オオゲとなって、昭和50年代までは確実に「オオゲ」と呼ばれてきたのはご承知の通りである。  
   県土木事務所・現在の県土整備事務所が、地元青毛や青毛堀流域町村が古来「おおげぼり」と呼んできたこの川を「あおげほりかわ」と呼んで、その名を平仮名で橋柱に書込むようになったのは、昭和30年代以降、当時唯一最大の明治の翻刻文献・『武蔵国郡村誌』の青毛村のルビが「アヲゲ」とされて出版されたことに拠ったと思われる。また昭和55年にオオゲ地区に「青毛小学校」が開校するに当って、市2代目教育長の戸賀崎恵太郎先生は、「青毛はアオゲが正しいからアオゲと呼びなさい」と訓読み指導を始めた。先生が青毛はアオゲが正しいと勘違いしたのは、在職していた県教委が当時編集していた『埼玉県市町村誌』の17巻で、青毛を地元では使われていない「あおげ」とルビしたのが直接の原因と思われている。
   実際地元青毛堀の名前が既に訓読みで橋柱に記されていたし、明治18年までに編集されていても昭和の出版となった『武蔵国郡村誌』の青毛村のルビは「あをげ」だったし、更に遡った明治16年の『埼玉県各郡町村名』の青毛村も「アヲゲ」だった点も考慮してのことだったらしい。
   だが県土整備事務所が伝承より活字文献に信を置いたように、久喜市の戸賀崎教育長も、県教育委員会も伝承を軽視したために誤っていたのは、直ぐとハッキリとした。と云うのは県教委が『埼玉県市町村誌』を出版したその翌年、皮肉にも青毛小学校がアオゲ小学校として開校する直前の昭和55年の3月に、埼玉県は『新編埼玉県史資料編6中世2』で「三戸文書」を取上げ、その中で中世の青毛が「大毛」と表記されていたことを公開したからである。
   中世に大毛と書かれ近世以降「青毛」と表記されるようになっても、ズッと現代までオオゲと読んだり話したりしてきた「青毛」は、『武蔵国郡村誌』第12巻が世に出た昭和29年まで、更に『埼玉県市町村誌』第17巻が出版された昭和54年までも、訓読みでアオゲと読まれた時期は青毛堀流域住民が認めるように全くなかったのである。当時までの伝承のオオゲより、立派な装丁の活字本・『武蔵国郡村誌』の訓読みが正しいとした県土木事務所の判断も、戸賀崎先生や県教委の判断も間違いで、青毛小をアオゲ小・青毛堀をアオゲ堀川としたのは、「三戸文書」以来一貫している伝承と比べれば全て誤りだと分ってきたのである。

○ 改竄ルビを付けていた『武蔵国郡村誌』:

   明治16年に出版配布された『埼玉県各郡町村名』の青毛村のルビは訓読みで、伝承を知らなかった県庶務課の現地未確認ミスだと分っている。それは明治16年から18年にかけて同課の史誌編集掛が編集した『武蔵国郡村誌』の原稿の1部・「葛飾村誌」と「埼玉村誌」の中で、既に村名はアフゲ、堀名はヲウゲと修正され内務省に進達されていた。『武蔵国郡村誌』はこの修正ルビをつけた原稿の複本の出版であるため、その正しい翻刻なら、当然青毛村のルビは「アフゲ」に、青毛堀は「ヲウゲ」と印刷されなければならなかった。だが昭和29年の県立図書館版『武蔵国郡村誌』のルビは、明らかに編集者による原稿改竄で、ただ「あをげ」1っ本のルビに絞られており、県土木事務所や久喜市や県教委が信じた「明治の青毛村の正しい呼び名」を伝えるものではなかった。『埼玉県市町村誌』の久喜市青毛に付けられた「あおげ」のルビもこの『郡村誌』の改竄ルビの無批判な写しであって、やはり明治から昭和までの地元の伝承を伝えたものではない。それに「武蔵国郡村誌複本」に見る青毛堀のルビは 関係町村が一様に「ヲウゲ堀」と記録していて、アオゲ読みは採っていなかったのである。
   青毛村の地名を取ったとされる青毛堀が、アオゲで語られるようになったのは、昭和29年に県立図書館が『武蔵国郡村誌』で青毛村に原稿のルビと違うアオゲの振仮名を付けた以降と見てよい。県土整備事務所内での青毛堀の呼び名もこの時期以降「アオゲ堀川」となって、それが橋柱に嵌め込まれたり、川端に立てられた看板となったようである。

○青毛堀関連文書に求めた「あおげほりかわ」の呼び名の根拠:

   加須市の県道北中曽根・北大桑線が青毛堀を渡る二枚橋両岸には、空色地に「青毛堀川」という河川名に「あおげほりかわ」の振仮名のついた看板が立てられている。また久喜地内さいたま・栗橋線の新青毛堀橋には、浦和に向って右手に「しんあおげぼりはし」左手に「あおげほりかわ」の平仮名名盤がコンクリート橋柱にはめこまれている。
   気になっていたこの「青毛」の読みについて昨年の11月 行田県土整備事務所長南沢さんに電話を入れて尋ねたところ、後日(11/5)『青毛堀には旧河川法の告示が大正7年12月1日に出ており、「あおげ堀」と読むようになっています』との返事を頂いた。それで久喜図書館を通して八方手を尽して調べてもらったが、結局そうした資料は見つからなかった。大正7年12月1日は日曜で、その前後の官報にも該当記事は見つからなかったのである。
   (註:当blog『青毛の研究』今年の2/10投稿「旧河川法は果して青毛堀の呼び名を告示したか」:2/12投稿「行田県土事務所長さんから頂いた貴重な回答」:とりわけ2/15投稿「青毛堀川に架かる橋に読む青毛の読みについて」参照)
   しかし今年の2月10日付で届いた南沢事務所長さんの手紙と同封された資料で、県土整備事務所で呼ぶ「あおげほりかわ」の由来が、地元の伝承でも県の告示でもなく、昭和29年の『武蔵国郡村誌』第12巻の青毛村の改竄ルビに由来したものだということが橋の完工年からほぼ確定できた。  
   南沢所長さんは所内で「青毛」を「あおげ」と呼んでいる理由として、こう記されている。―ーここでは橋の竣工年に注目して欲しい。
  ①一級河川青毛堀川にかかる橋では二枚橋(加須地内・昭和38年3月完成)・新青毛堀橋(しんあおげぼりはし・久喜・昭和42年3月)・喜橋(久喜・昭和45年3月―これは平成の道路拡幅に伴い平仮名河川名は消えた)・池の台橋(鷲宮・昭和53年)の親柱に夫々「あおげほりかわ」の名盤。②青毛堀川に合流している天王新堀に架かる橋・青毛橋(あおげはし・久喜・昭和37年1月)、③青毛堀最上流部に合流する北青毛堀川に架かる橋・船橋(騎西・昭和35年12月)④青毛堀最上流部に合流している南青毛堀川に架かる橋・中堀橋・(騎西・昭和35年3月)
  所長さんはこれらの橋には夫々「あおげほりかわ」の名盤が現存している点を証拠に挙げられた。そして大正7年の旧法による告示(官報)は、行田の事務所にはないが、新法による昭和40年の告示があったので送付しますとして、「告示文の河川名にルビは付いておりません」と書添えられていた。
   送付された書類は、大正7年11月19日付埼玉県知事岡田忠彦氏による準用河川の告示(第272号)と、昭和40年3月24日付佐藤栄作総理の発した政令の官報の号外第16号のコピーだった。非常に貴重な資料で大変参考になった。これらの分析については2月15日付私のBLOG(既述の註参照)で述べているので再読して欲しい。
   その後杉戸県土整備事務所の管理担当石橋氏や小倉氏の話や、山崎英治事務所長さんよりのfax(6/24)で、杉戸事務所内の青毛堀の呼び方や架け替え架橋の名前の基準は、「従前の橋の銘盤を継承して使用」し、「青毛堀」の呼び方・読み方については一級河川指定調書に準じ「あおげ」としていますが、「これは地元の呼び方・伝承等を否定するものではございません」との連絡があった。それで改めて「一級河川指定調書」のコピーを送って欲しいと要望したが、そうした調書は見つからなかったらしい。

○ 杉戸と行田県土整備事務所の青毛堀の呼び方の錯誤について:

   南沢所長さんの当初言われた大正7年の旧河川法の告示とは、その後送られたコピーから推して、同年11月19日付岡田県知事の「準用河川の告示」に相当しており、12月1日とはその施行日ではなかったろうか? また杉戸県土整備の山崎所長さんが言われた「一級河川指定調書」は当時事務所掲示用に県から送られてきていたかもしれないが、実質的には昭和40年3月24日付け政令を伝える官報と号外第16号同然の内容と思われる。何れにも南沢さんが認めるようにルビは付いていなかったので、これらが青毛堀の訓読み根拠になった筈はない。
   では山崎所長さんがfaxされた「一級河川指定調書に準じてアオゲとしている」とは何を根拠に言ったものだろうか?
   二人の所長さん達が、共に呼び名の元は官報か告示に負うような印象を持たれているのは、実は県立図書館が昭和29年に出した『武蔵国郡村誌』の青毛村の改竄ルビとの記憶混同が原因ではないかと思えるのである。所長さん達は、青毛堀に架けられた橋の名も堀川の名前も、従前の名称を継承してきたと記されている。そして青毛や青毛堀をアオゲ読みしている名盤を持つ橋の完工年を見てみれば、それらはどれも昭和35年から53年の間に竣工している。この間も青毛堀流域住民の殆どは、「青毛」をオオゲ・オーゲと呼んでいたので、名盤通りアオゲと呼ぶ人は、他地域からの移住者だけだった筈である。山崎事務所長さんが、これは「地元の伝承を否定するものではありません」と記されているのも、『武蔵国郡村誌』や『埼玉県市町村誌』に載る偽称ルビを伝承と考えれば偽りにはならない。
   だが地方自治法2条と3条は地名は従来の名称とするとし、法令違反の事務処理はこれを無効とすると規程している。『武蔵国郡村誌』の青毛村のルビが地元の伝承を無視して改竄されている限り、それに基づいた事務処理となる地名・河川名・小学校名も無効になるのは、もう語るまでもない。
   固有名詞は常に唯一無二のものに付けられた名称で、古来その地に伝わる地名の読みは、文字が変っても呼び方は同一でなければならない。たとえ普通名詞と同じ文字が使われるようになっていても、それが普通名詞と同じ読みを採る時には、もう古来の伝承から離れた偽称になってしまう。「青毛」の語源は「大毛」から出ていて、「あおげ」読みは全く無縁な呼び名・別語になる。
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