青毛の研究――久喜市オーゲの研究

久喜市の青毛の伝承は古来「オオゲ」。それを市教委が不当に訓読み「アオゲ」に切り替えたのを 伝承読みに戻させたいための研究

埼玉県の改竄ルビに倣った久喜市の地名読替え行政―その合法度の研究

2014年03月25日 19時46分08秒 | 日記

埼玉県の改竄ルビに倣った久喜市の地名読替え行政―その合法度の研究 4

          5.青毛の旧称復活要望に対する埼玉県と久喜市の対応 

      (1)青毛(おおげ)のアオゲ化は市教委が地元伝承より県出版書ルビに倣わせた誤読教育の成果:

      平成初頭(1990)までの久喜市「青毛」の呼び方・読み方は、国土地理院の記録が示すオーゲ・オオゲが広く一般にとられてきた。青毛村の名に因んだとされる青毛堀川についても同じである。
      当初「青葉第二小学校」の仮称で建設が進められていた「青毛小学校」についても、青毛の土地に建つのだから「オオゲ小学校」として欲しいとの地元の要望があり、それを昭和54年末の市教委と議会とが、「学校設置条例の一部改正」の形で了承したものだった。だから当然青毛(おおげ)小学校と呼ばれるべき学校だったが、「青毛小」は住民の期待をよそに「アオゲ小」として開校していたのである。
      この「学校設置条例の一部改正」とは、あくまで新設校の仮称「青葉第二小学校」を 学校が建設された土地の名をつけた「青毛小」に切替える提案であり、埼玉県が地元に先行して認め久喜市が追従した「青毛のアオゲ読みの了承」ではなかった。当時の教育委員会の会議録、市議会の速記録には、付随して地名読替えに関する協議が諮られたとは一行も記されていない。
      漢字に拘った埼玉県教委は、青毛小開校前年の昭和54年(1979)に出版した『埼玉県市町村誌』第17巻で、昭和版『郡村誌』の記録を正しいと判断したのか、久喜市の青毛に現地呼称を軽視した「あおげ」のルビを付けていた。『武蔵国郡村誌』の実質的編輯は既に明治18年に終っていたが、原稿の青毛村タイトルに付けられたルビはアフゲ(=おおげ)であり、アヲゲではなかった。本稿が初めて出版されたのは 原稿が内務省に送られてから ほぼ70年後の昭和28年から30年(1953~55)になってからで、それは翻刻のはずだったのに 出版元の県立図書館が原稿の青毛村のルビを「あをげ」読みに改竄・出版していたのを丸受けしたからである。編集者達は多分事実をハッキリ検証せずに より古い文献に思えた『埼玉県各郡町村名』(明治16・1883)の青毛村の仮読みルビに倣って 再度訓読みをとったと思える。これは既に翻刻の域を超えた改ざんである。
      明治の『埼玉県各郡町村名』と更に権威のある『武蔵国郡村誌』で、ともに埼玉県が青毛村をアヲゲ村と公表し、更に県教育委員会が『埼玉県市町村誌』でやはり「青毛」はアオゲだとルビしているのだから、昭和30年以降出版の地誌や地理・地名辞典、その関連書や事業所・学校でのオオゲの読みが 総じてアオゲ化してきたのも無理はない。
      しかし久喜市青毛の通称は、戦国時代の永禄年間以降平成まで 一貫してアオゲでなくオオゲだった。永禄13年(1570)の「三戸文書」に見る「大毛」の表記は、その時代以前もそれ以降もオオゲであり、江戸の文化・文政期の『武蔵風土記』では「青毛村」と表記が変わっても、固有名詞の伝承性からルビなしで青毛はオオゲと読まれてきたはずだった。それは明治18年に編集を終えた『郡村誌』原稿(つまり「複本」)の青毛村や青毛堀のルビでも、また明治40年以降の国土地理院や法務登記所の事務処理でも「青毛はアフゲ・オオゲ」だったことから類推できる。
      地元久喜教委が 昭和55年に新設したこの小学校につけた地名の青毛を、久喜市の教育長が県教委に倣ってアオゲ読みで義務教育させ始めた根拠は、県の出版文献に幾度も載った誤読ルビに迷わされて、その記録を現に使われている呼び名以上に盲信したからとしか思えない。県や久喜市の教育委員会は、当時未検証だった青毛村に仮読みのルビを付けて出版配布してしまった『埼玉県各郡町村名』や、翻刻だとしながら原稿ルビのアフゲをアヲゲと誤読・改竄編輯出版した『武蔵国郡村誌』や、そのルビを安易に転記した現代の地誌・『埼玉県市町村誌』を 教師用指導書感覚で信じ込み、義務教育に取込んできたのである。民間の数多のアオゲ読み出版書の出典も、吉田東伍博士の『大日本地名辞書』(1903)も含め全ては 上記『埼玉県各郡町村名』に始まる県出版書の偽称の流れの中での増殖・増幅と見られるため、根拠にはならない。
      県教委は『郡村誌』出版が波及増幅させていた誤読文書の数の多さに安心したのか、昭和の『郡村誌』編集者同様 地方自治法を意識せず、国土地理院の記録との矛盾にも気付かずに、国土地理院の明治42年判5万分の1地図を『埼玉県市町村誌』の久喜市のページに引用して平然としてきた。だが昭和54~5年頃は、既述のように税務署も郵便局も地域全体が青毛をオオゲと呼んでいた時代だ。それなのに久喜市教委は県の誤読文書の検証もしないで、ただ戸賀崎教育長の見解だけ鵜呑みにして 青毛はアオゲだと決込んでしまったのである。
      県から降りていた戸賀崎先生は、新設の青毛小学校開校前後(1979~80)から県の文献ルビに勘違いをして、市民や議会に無断で県に倣った「青毛のアオゲ読み教育」を市教委に行わせてきた。無検証の上意下達だった。そして青毛の地元小学校から始まった「青毛のアオゲ読み」指導は、複数の法令違反のままその後の橋本・小松・現在の吉田教育長にまで引継がれてきたのである。
      当初から市教委に洗脳されてきた現田中市長は、青毛地区の区画整理の完了に先立つ平成9年(1997)に、新たな区画による住居表示の変更に合せて自治法260条を関連法らしく不当に利用した。そして新町名の青毛をアオゲ呼びの偽称で始まる住所表示にする提案で 議会の承認を取付けてしまった。明らかに260条を区画整理に違法利用して議員たちを騙したのである。そして平成12年(2000)には法務局に青毛をアオゲ読みで1丁目から4丁目までの新住居表示を申請、平成15年(2003)には国土地理院に 青毛全域の町名をアオゲ読みに切替える調書を送ったのである。田中市長が平成9年次に議会承認を得たのは区画整理地区だけだったはずなのに、平成15年には青毛地区全域の改名として処理した点にも違法性が潜んでいる。市公文書館は市が国土地理院に送った文書を公開していない。
      終始一方的な市の行政主導で行われた青毛地区の改称は、その理由も根拠も改名経過も「広報」等で全く市民に説明されなかった。青毛のアオゲ化の公然の発表は 平成22年菖蒲・鷲宮・栗橋との合併に合せた「広域久喜市内の町・字一覧」として何気なく発表された。あくまで県出版文書ルビに倣った行政勝手で、地域市民不在・地域伝承・主体性無視の改称だった。区画整理に参加しなかった上青毛地区と、同じく区画整理の対象に入らなかった中村・川原・中島地区の住宅や田畑の住居表示は従来のままで、なべて小字名を消した「あおげ」となった。
      なし崩し的に行われてきたこうした一方的不法行政の原因が 県の誤ったルビ付き文献にあったためか、埼玉県は久喜市民からの助言・勧告を求める声が再三あっても、責任は久喜市にあるとして、地名漢字にこだわった回答以外はNO COMMENTを決め込んできた。既に一世代を超えた不法教育の年月の長さからか、地方自治法に悖った不正な行政であっても、今後も県はただ黙認を決込んでいく積りなのだろうか?

      (2)島村県教育長へ勧告のお願い; 過去の責任回避からか県は沈黙のまま

      前述のように昭和55年に開校した「青毛小学校」を当時の戸賀崎教育長は、オオゲと呼び慣れてきた地域環境の中で 校名に冠した「青毛」を独断で県出版書が示した偽称のアオゲに読替えさせ、公然と指導させてきた。県・市ともに誤った事務処理は依然無検証・無反省・無修正のままその後の教育長の先生方に引継がれ、今は行政の一部となりきってしまった。加えて田中市長はこれまでに 過去の市教委の違法を外観でも正当らしくするために、市民の指摘や旧称復活陳情も署名簿も何の解説もせずボツにして、異常に長引いた区画整理の完了を待って、平成12年には区画整理地区の新住居表示を久喜法務局に、間をおいた15年には国土地理院に地域呼称の変更調書を送り、一挙に青毛全域をアオゲに登記変えしてきた。
      青毛小が開校した昭和55年から自治法260条無視で始まったオオゲのアオゲ化行政は、田中市長の再度の260条違反行政で 県の誤読地名行政を正当らしく公認して決着したことになっている。市長による「青毛アオゲ化行政」は、県・市ともにエセ正当性を明示して多重のマイナス効果を見せるようになった反面、――市民の側にはおのずと下記の望ましからざる不都合と強い不満や諦めとを残すことになった。
      ① 当初県が無意識裡に違法のまま 青毛村や久喜市青毛に振込んで発表してきた訓読み地名は、青毛小学校開校以来の長年に亘った地域住民の洗脳教育となって、その教育精度(?)と偽称地名への自然感覚を一段と習慣化させた。当然県教委の「訓読み青毛」の公表を含めて県・市行政共通のうっかりミスは 公然と正当化され固定化された。そのため明冶の太政官布告第83号や地方自治法2条・260条、住居表示法5条や5条の2・教育関連の諸法、明治の「郡村誌複本ルビ」や明治以降の国土地理院や法務局・地元で記録し語られてきた伝承の呼び名等々との表面上の矛盾は無視され、忘れられて時の流れに任される状況になってしまった。
      ② 久喜市教委が主導してきた問題の「青毛のアオゲ読替え教育」は、そのまま県の記録と一致して、現在は県も市も誤った呼び名の習慣化だけを図るようになっている。
      ③ 外見上読みの一本化が図られる様になって、①で触れた諸法や事実の記録は一層棚の奥深くに隠蔽され、真実は逆に排除され忘れられるようになった。そして県や市が過去に公開してきた誤読文献の信憑性が向上し、行政不信の排除にも効果した。結果としてそれらが民間出版社や学術研究者・学界・政治家等に与えてきた誤解にたいして 県や市は採るべき一切の責任から解放される効果を得た。
  
      久喜市の違法行政を県が黙認し続けてきた事情は、平成19年の教育局市町村支援部小中学校人事課の当時の小林課長や、同20年の総務部参事兼総務課長や上田知事の久喜市行政に肩寄せした解説や、同22年1月の総合調整幹・鈴木亨氏の回答がハッキリ示している。要約するとこうである。
      ①久喜市はその学校設置条例によって校名やその表記・読み方を必要な議論の上、当時も歴史的背景や伝統を充分考慮し、将来を見据えて決定した。(小林課長・上田知事)
      ②県が是正勧告できる場合は(i)法令違反と(ii)著しく適正を欠き公益を害する場合だが、久喜市の場合、校名表記や読み方を含め「学校設置条例が適正に制定されている」し(参事)、それは「久喜市が自主的に決定した」内容だから勧告できる事項に当らない。(上田知事) 
      ③青毛の名称変更は呼称の変更であって自治法260条は適用されないし、そのため市から名称変更は出ていない。 (総合調整幹) 
      ④青毛小の名称は学校設置条例で設置者の久喜市長が制定したもので、市が自主的に決定した内容に県は関与できない。  (上田知事・総合調整幹) 

      ①校名の読み方は、市教委や議会の会議録が示すとおり 青毛小の校名に入った地名が当時の常識の「オオゲ読み」を当然予測していたため、協議の対象にはされなかった。住民達は多分議員たちをも含め、現にオオゲと定着している地名が、過去に使われたこともないアオゲにスリ替えられるとは予想もしなかったからである。
      ②の勧告対象となる(i)と(ii)の条件は何れも揃っていたのに、学校設置条例が「適正に設置されている」から 勧告の対象にならぬとはサッパリ意味が分らない。条例は何れも適正に制定され守られるべきものだし、条例が適正でも、それに関わる行政が常に正しく行われているとも限らない。昭和54年末の「学校設置条例の一部変更議案は 確かに適切に了承され議決されている。だが地名変更に関しては従来のオオゲがアオゲ読みで教育されることを この昭和54~5年の時点で多くの市民は誰も予測していなかった。上田知事は 市町村の区域内の地名や学校の名称は市の権限で判断決定するもので、久喜市は過去の資料に基づきアオゲと決定したと聞いたとしているが 理解が甘すぎる。呼称の変更に260条は適用されぬというのも妙である。自らが最初の偽称公開者である為、自省抜きでは勧告できないのではなかったか?
      ③久喜市も埼玉県もオオゲのアオゲ読みへの切替えを何故か地名変更と捉えていない。地名変更でないのなら 校名に付けた「青毛」だけ従来採られなかった訓読みで指導させる理由もなかったはずだ。自治体名は自治法2条の適用だが、仮に県に報告することなく羽生市をハブ市、加須市をカス市、幸手市をコウシュ市と夫々の教育長や市長が読替え指導しても、自治体の呼称変更には当らないことになる。文字は同じでも呼び名が伝承と違えば、呼び名は呼称であり、呼称変更になるのではないのか?まして固有名詞では尚更である。
      ③の市が自主的に制定したと県が考える青毛小の呼び名は、確かに当時戸賀崎教育長が独断で県が公示したアオゲ読み地名を受けたものである。でも田中市長以前の久喜市長はそれまでに地名変更意向を県に出していないのだから、当然「市が自主的に決定した呼び名は 時代を超えて伝承してきた古来のオオゲのはずだった。なのに何故県は『郡村誌』青毛村に「あをげ」と振仮名を付け(昭和28年)、『埼玉県市町村誌』(昭和54年)の久喜市の青毛にも「あおげ」のルビを振ったのだろうか?
 
      県の回答を住民側からまとめると――久喜市の(法令違反で根拠のない行政勝手の無断)地名変更は、市が「学校設置条例」に従って審議して,読みを含めて自主的に選んで付けた校名だから、県は市の決定には関与できない――としているように読み取れる。具体的に言えば;

      (イ)県も市も名前と呼び名・読みは本来同一な筈なのに、同一漢字に迷わされたのか、同じ表記でも呼び方を違えれば名称変更で当然260条違反となるのに、その点に気付かぬフリをし続けてきた。それに
      (ウ)この地名読替えは当初(昭和54年)から法令が示す必要な手順を取らずに、市民や議会に無断で教育させ始めた点でも、自治法2条16-17項違反は明らかである。「青毛」の場合、文字は同じでもオオゲ読みは固有名詞、アオゲ読みは普通名詞で、両者は夫々別語であり、語源・読み・意味・用法が違っていても同一語と見なすのは、同字異語の混同で誤りとなる。
      (エ) 昭和54年末の時点で市教委や議会・市長が認めた学校設置条例の一部変更とは、「青葉第二小」という仮称を 所在地名を配した「オオゲ小」とする変更を指していて、あくまで校名に含まれる「地名の読みの変更」まで審議の対象にしてはいなかった。それに現在の青毛のアオゲ化は、地域住民が自主的に望んだものでは全くなく、教育長と現田中市長の独断によったもので、県が当然修正勧告できるケースでもあった。
      (オ) 校名に入れた地名は、当初地元の意向を逆手に取った教育長独断の地名読替えであり、より古い三戸文書の表記や古来の伝承との一致からして、改竄されている『郡村誌』ルビに典拠をとったアオゲ読みは誤りになる。
      巷間のアオゲ読み文献普及の原因も、『郡村誌』に代表される県出版書の誤読ルビが原因になっている。固有地名をアオゲ読みするのは普通名詞との混同誤用であり、両者はあくまで別語として考えるべきだ。定着しかけている偽名の責任は 非民主的で非合法・不誠実で怠慢だった行政にあり、昭和54年の教委・市議会参加者各位の本心は、会議録に見るように必ずしもアオゲを正規地名と認めたものではなかったようだ。このことは平成9年から10年にかけての署名運動時
に判ったことだが、当時他地区の市民には 「青毛小がアオゲ小になった」意識も理解も全くなかった事実からも証明できる。
  
      平成22年2月1日上田知事・島村教育長宛に「県が理解している久喜市の青毛は、オオゲかアオゲか再確認」を重ねてお願いした。また前年12月18日のお願いで、鈴木氏の回答が触れなかった下記3点にも回答を求めた。
      ①県教委が『埼玉県市町村誌』で国土地理院の「オーゲ」とあえて違った訓読みルビをつけた根拠と出典、②県史編集室が三戸文書公開を企画していた昭和50年代に、県教委は『埼玉県市町村誌』で現地オオゲの伝承を認めず、翌年青毛小をアオゲ小で認めた理由と、③私のGoo-blog「青毛の研究」の骨子への正誤のコメントの回答――である。
      県教委も鈴木氏も何故か国語の常識を外している。昭和55年次の久喜市の自治法260条無視は歴然で、違法から出た偽称地名教育もまた違法になる。せめて上田知事には自治法と教育関連諸法違反行政を静観され、『郡村誌』青毛村のルビの修正を含めて、法を無視した行政は無効だと改善命令を出して頂きたかった。
      平成22年 3月30日  無回答の島村教育長宛に「久喜市青毛の地名確定の回答 再三のお願い」をFAXで送信した。 県の対応には疑問が多く、教育長退官の話もあったので、その前に私見でも良いからオオゲ・アオゲ何れが合法的地名かを答えて貰おうとした。だが島村教育長は回答しないまま退官された。

      (3)前島教育長への勧告のお願い:
      
      平成22年 4月30日 改めて新教育長前島富雄先生に、久喜市の根拠を欠いた地名変更に対して下記の点を指摘、『郡村誌』に起因した誤った教育行政に修正勧告のお願い」をした。
       ① 「青毛のアオゲ化指導」は総務省や地方自治法の見解無視の地名読替え改悪指導で、
      ② 現田中市長は、旧称オオゲの復活請願も 署名簿もボツにして、平成10年来「アオゲ読みは県令で発せられ、明治の青毛村はアオゲと呼ばれ、典拠は『埼玉県各郡町村名』と『武蔵国郡村誌』だ」としています。
      ③ でも昭和版『郡村誌』は原稿の正確な翻刻ではなく、明治の史誌編輯掛が修正したルビは一切捨てられ、訓読みルビで統一される致命的な改竄編輯がなされていました。
      ④ また後継教育長は何れも、オオゲ・アオゲの正誤の検証も,三戸文書が示す「大毛」表記と伝承との関係も精査せず、プライド優先の偽称指導を続けてきました。これは食品の賞味期限の付替え・産地偽装・工業製品の品質偽装同然の法令違反に当ります。証拠となる「郡村誌複本」の部分コピーを提供しても、偽称教育をやめない久喜教委に改善命令を出して戴くようにとお願いした。

      平成22年 6月30日 、回答されぬ県教育長前島富雄先生宛に「地名青毛をアオゲ読みに改称教育してきた久喜教委に、アオゲ小開校以前の古来の伝承読みに復帰さす勧告のお願い」文を送った。また 『埼玉県市町村誌』に載る「あおげ」のルビと、同書が引用した国土地理院の地図のルビ・オーゲとの矛盾を挙げ、青毛の読みの確定と指導の修正とをお願いした。
      従来オオゲと読んできた地名漢字を、アオゲと読替えても地名変更に当らぬとした県と久喜市教委の考えは、オオゲの語源「大毛」に通じないから誤り。島村教育長は回答せずに退官されたが、前島先生には既に勧告頂けたかどうかを尋ね、アオゲ読みが根拠を欠く理由を列挙した。
      ①中世の三戸文書の青毛の表記は「大毛」で、現在まで話されてきた伝承と一致している。
      ②『埼玉県各郡町村名』の青毛村の呼称は、同書刊行後の明治16年後半から18年にかけアフゲ読みに修正され、内務省に進達されている。昭和版『郡村誌』はこの点を完全に無視している。
      ③明治の『武蔵国郡村誌』の原稿表記は、70年後の昭和29年の出版で再び「あをげ」と誤読・改竄され、以後の出版界や県土整備事業でウソの地名や河川名を全国に拡散させてきた。
      ④太政官令達や地方自治法・住居表示法は、地名は従来の名称を原則と規定している。
      ⑤久喜市長がアオゲ読み地名を県に届けていないなら、青毛は従前のままオオゲの筈。
      ⑥戸賀崎路線は、今まで自治法と住居表示法の手続き一切を無視して行われてきた違法教育。
      以上からアオゲ小はオオゲ小、メールアドレスも、アオゲ堀も、その他一切地名関連のアオゲはオオゲに。 県は現在アオゲを本当に行政名と理解しているのかを尋ね、県の訓読み文献が久喜市の教育行政や県土整備事務所の青毛堀関連呼称を誤らせ、橋や道路のプレートを狂わせ、関連書出版社の編輯を狂わせたことを伝え、アオゲを旧称に戻さす指導勧告をお願いした。

      平成22年9月1日  県教育長前島富雄先生あてに3度「久喜教委に青毛小開校以前の伝承読み復活への勧告」をお願いする。
      再三述べてきたように①オオゲ・アオゲは別語であり、②アオゲ読みは地名変更、③原状は「法令の規定に違反し、著しく適正を欠く」状況であるとした。また
      ④久喜市はこうした戸賀崎先生の「青毛アオゲ読み指導」路線が 地名変更の手順を踏まぬ法令違反行政であることを隠蔽し続け、今もこの行政は不変だとしている。この事実は平成9年になって私達に漸く分り、一時期青毛の原点・中世以来のオオゲ復帰運動が起った。
      ⑤久喜市は既に昭和58年に、オオゲの従来の地名はアオゲだと市民が誤解する改竄文書『地誌』を出版していて、
      ⑥平成8年前後には市教委が 青毛土地区画整理組合の理事・総代達を『郡村誌』青毛村の改竄ルビつきコピーで騙し、
      ⑦翌9年9月議会で渋谷議員質問の「青毛の町名・青毛小の呼び名について」でも同じ手口で議員達を騙し、
      ⑧同年末の議会で田中市長は、区画整理での住居表示の変更には自治法260条は適用できないのに、町名「青毛のアオゲ化」の根拠がいかにもそこにあるかのような提案説明で議員達を煙に巻き、「青毛のアオゲ化」了承を取付けてしまった。そして
      ⑨平成12年には区画整理組合にアオゲ読みで新丁名・番地を法務局に登記させ
      ⑩更に平成15年には「地名調書」を国土地理院に送って、オオゲ全域をアオゲ読みに切替えてしまった。
      このように県の誤読文献を翳して地域の伝承を抑え、自治法260条を違法に利用して古来の地名を偽称に切替えたのは、明らかな法令違反行政である。偽称は登記されても、昭和55年から30年以上もの「青毛アオゲ化教育」は違反効果を挙げながら今も続いている。オオゲ・アオゲの正誤の研究も、文献考証も、古来の伝承とのギャップの検証も 市民への十分な説明責任も取らずに、小学生から父兄・組合役員・市議員たち大人まで騙しきった状態そのものは、自治法2条違反は明らか。青毛の歴史にアオゲと呼ばれた時期は 青毛小が地名改悪指導を始める以前には全くなかった。
      県の誤読文書を典拠としたウソの地名変更指導は、久喜市教委によって非合法に継続され、田中市長の再度の違法提案で議会了承が策され、登記替えまでされてしまった――というような説明をした。
 
      平成22年 11月30日  全く回答をしてこない前島県教育長に対して、改めて下記5つの質問への年内回答を求めた。
       ①.地名読替え問題につき前教育長からの事務引継ぎの有無と、過去3度のお願いへの対処結果?
       ②.『埼玉県各郡町村名』・昭和版『武蔵国郡村誌』・県教委の『埼玉県市町村誌』等のルビに倣った青毛の住民の自主性を無視した「あおげ」読替え教育の是非?
       ③.『埼玉県史資料編・中世』の「三戸文書」の地名表記・「郡村誌複本」のルビと古来の伝承を考慮した時の「青毛のアオゲ読替え」指導の妥当性? 
       ④.県の文献に合わすため久喜教委が法令違反で始めた「アオゲ読み指導」については、結果として全く根拠のない偽称で住民洗脳をはたして、それが登記されてしまうまで、県が現実に長期間黙認し続けてきた理由?
       ⑤『埼玉県市町村誌』が採ったルビ「あおげ」と、引用された国土地理院地図のルビ・オーゲとの矛盾――等について解りやすい説明をお願いした。 
やはり回答はなかった。

       平成23年3月24日 それまでの前島教育長への要望や質問では何の返事もこないのにいい加減呆れて、今回は上田清司知事・、前島富雄教育長両名宛で 『久喜市の違法地名改悪行政の改善指導について――教育委員会主導のオオゲの地名アオゲ化教育を旧称オオゲに復帰さすお願い』を送った。原文は昨年、2011年の3月31日付けブログとして紹介したが、要旨はほぼ下記の通りである。その後2年たっているが、現在も回答は全くない。

      久喜市の青毛(おおげ)の呼び名は、中世の永禄13年(1570) 梶原政景書状に見る「大毛」以来のもので、国土地理院の明治42年版・昭和56年版・平成2年版の地図のルビや、平成8年までの法務局の事務書類棚配列でも確認できた地名で、久喜市や青毛堀流域市町村に長年住む総ての人達に共通した呼び名でした。しかし昭和55年以降 戸賀崎教育長は県出版文献のアオゲとした誤読ルビに迷わされ、「青毛はアオゲが正しい」と各種法令を無視して「青毛」の読みと呼称の偽称化を進めてきたのです。
      地方自治法も総務省も地名は「従来の名称」を基本とし、同じ漢字でもアオゲ読みは普通名詞、固有地名の「青毛」は古称「大毛」に基づいてオオゲと呼ばれてきたのに、誤読のアオゲでは「大毛」に通じません。田中市長以前の市長は地名読替えの必要を感じず、260条に基づく地名変更手続きを採っていません。教育長の一方的地名読替え指導は 地元伝承より根拠の無いウソの地名読みを普及させ、真実優先の教育関連諸法令違反でもあり、1日も早く正常化すべきです。
      この自治法違反回避をかね昭和58年(1983) 久喜市史編纂室が出版した調査報告書・『地誌』では、江戸の『新編武蔵国風土記稿』でも明治の『武蔵国郡村誌』でも 「青毛村」のルビを伝承のオオゲでなくアオゲとしています。典拠が県立文書館収蔵の「郡村誌複本」なら、ルビは当然「アフゲ」となるべきで、また内閣文庫版の『武蔵風土記』なら、戦国の「大毛」が「青毛」表記に切替わった江戸でも 呼称は当然「アフゲ・ヲウゲ」だったはず。本書は明らかに古文献を改竄して、田中市長や吉田教育長も含め読者を 青毛村は江戸から明治にかけて「アヲゲ」だったと誘導・誤解さす原因を作りました。市はアオゲを従前の地名のように偽装し、自治法第2条違反を実質回避しているのです。
      後継の橋本・小松各教育長も青毛の地名読替え教育を継続しました。平成9年(1997)9月議会で渋谷晃次議員が「青毛の町名・青毛小の呼び名について」質問された時も、市執行側は例によって詭弁を弄し、回答典拠に『郡村誌』の改竄ルビを持出して誤魔化しました。更に同年末に田中市長が採った自治法260条による町名変更提案では、「青毛のアオゲ化教育17年の成果」を反映した問題の議決になりました。市長は 区画整理を口実に町名(=丁名)自体のアオゲ化を含め、土地区画整理には適応外とされている自治法260条を、巧妙に利用して議決を誘導したのです。青毛は昭和から平成までオオゲのまま法務局にも国土地理院にも登記されていたのですが――

      区画整理による町の区分に関しては、田中市長は「住居表示に関する法律」に依るべきでした。そして新たな町名も極力従来の名称に準拠(同法5)すべきだったのです。昭和年代から違法に青毛のアオゲよみ教育がされていても、それは自治法2条で実質無効とされるため、青毛の名称はあくまでオオゲでありアオゲではない筈でした。 しかも市長提案には、住居表示法5条の2の①-⑥の手続きがスッカリ抜けていました。
      平成10年の1月と11月に出された「青毛小学校をオーゲ小として正式名とするお願い」も地歴が専門の橋本教育長も次の小松教育長も、田中市長共々翌11年提出された旧称復活賛同署名簿を無視したのも、平成9年末の上記市議会で一件落着だとしたためのようです。
      平成12年(2000)の青毛土地区画整理組合の事業完了時にも、久喜教委はやはり『郡村誌』青毛村のタイトルページのコピーを理事や総代達に配って洗脳し、新町名を青毛小の呼称に合せたアオゲで登記さすよう誘導しました。こうして違法のまま指導が続いて、遂に町名まで全く根拠のないアオゲに切替えさせ、大先輩戸賀崎先生の指導ミスを正当化したのです。実際久喜法務局もすでに平成8年次 久喜市に確認の上書類整理棚とパソコン登記名をアオゲ読みに切替えていたのも分り、二重三重の行政による偽称化が進められていたのです。行政が主導して伝承名を改竄地名アオゲに改悪させた点は、市民に事実を隠蔽して不実な指導をしてきた不法行政になります。
      更に平成15年市は国土地理院にも「地名調書」を送り、「住居表示に関する法律」の手続きを一切踏まぬまま、地名をアオゲに読替える違法な事務処理を行いました。オオゲをアオゲに切替える根拠は、埼玉県の改竄文献以外に何処にもありません。
      平成22年7月23日付で 吉田教育長から頂いた地名変更不可の回答文中の「武蔵野国郡村史」とか「県令として発せられた埼玉県各郡町村名簿」と言う記述は、教委自体が今もって文献検証すら していない証拠です。その上で『現在のところ、「青毛」の行政上の呼称を変更することは考えておりませんので、ご理解を』と言われても とても理解できません。
      同年7月12日付で送った私の手紙は、地方自治法の規定から、「伝承のオーゲを行政名に、偽称アオゲは廃棄にすべき」点と、田中市長や吉田先生の言う明治の文献は 「郡村誌複本」を見る限り根拠にならないと、市民が納得しない10項目をあげて、誤った「行政継続の理由を具体的に説明」して欲しいとお願いしたものでした。でも回答は地方自治法の趣旨をスッカリ無視し、依然無批判に明治の誤読改竄文献を楯に、時代離れの上意下達行政を公言し 手続きも正当だと過去に聞いた回答を繰返されただけでした。
      吉田先生が正当な手続きで決定したと主張するのは、昭和54年末の市教委と市議会で、久喜市学校設置条例の一部を改正する条例案として諮られた「仮称青葉第2小学校新設に伴う名称及び位置について」の議案を指しています。でも当時の議会速記録でも分る通り、正式決定したのは仮称の青葉第二小学校を建設地・青毛の地名を入れた青毛小学校に変えると云う件だけで、建設地青毛の固有名まで変更する内容のものではありませんでした。
      田中市長も吉田教育長も、市教育委員長も、配下の50歳以上の職員も、学校管理職の先生方を含め殆どのリーダー達が、過去の歴史が伝えてきた青毛の呼名を忘れたとか 知らぬふりをして、「あおげ」と県が示した青毛の偽名を忠実に語るのが久喜市の現状です。でも自治法第2条16-17項は、法令違反の事務処理を今も禁じていて、規程違反の「地方公共団体の行為はこれを無効とする」としています。上記の件で私は県に平成19年来屡々地名確定のお願いをしてきたのに未答のままなので、重ねて自治法245条による市への助言勧告をお願いしたいのです。
      以上に対する回答もまだ受けてはいない。

     (4)県市共に過去の無責任行政には頬被り
      ①明治・大正・昭和と久喜市の青毛は、国土地理院も法務局も『郡村誌』複本も認めてきたようにオオゲと呼ばれてきた。そして明治の『埼玉県各郡町村名』や昭和の県立図書館版『武蔵国郡村誌』青毛村のルビが示すようなアオゲ読みは、実際には採られていなかったのである。にもかかわらず
      ②久喜市第2代教育長は、昭和54年から55年にかけ、県教委が『埼玉県市町村誌』で青毛をアオゲと公表した事実の検証もせずに、その読みを義務教育の中に取り込んでしまった。明らかに市教委は地元の伝承をはずして、県が示した誤読地名のみを一方的に教える偏向教育を始めていた。
      この段階で市教委は、国土地理院が平成になってまで採り続けていたオオゲとした地名も、県東部地区の青毛堀川流域県民が古来呼び慣れてきたオオゲ壕という呼び名も、何等法的手順も市議会の諮問も、また地元住民の意向も聞かずに、教育長指導だけで読替えたのである。
      ③市長からのオオゲの字地名称変更手続きは、平成9年に田中市長の違法提案による議決こそあったが、それを除けば現在まで合法的に諮られたことは一度もなかった。勿論市から県に名称改変の報告がされたこともなかったが、田中市長は平成9年 青毛地区区画整理事業の終了を前に 違法な根拠で青毛小学校がすでに指導し続けてきたアオゲ読み偽称を容認させて、平成15年にアオゲの名称を国土地理院に届け出ている。いずれも地方自治法260条や住居表示法3~5条無視の行政で、久喜市のオオゲ地区はアオゲと改称されたことになってしまった。
      古来地元に伝わってきた地名を、県が示した偽称に振替えさせた違法行政の根拠は、埼玉県と久喜市が結託した地元住民無視の誤った行政以外何も考えられない。市民は既にこうした現実に慣れきって半ば諦めているが、私は地方自治法や住居表示に関する法律が期間限定法でない限り、オオゲ地区区画整理を口実とした青毛の「あおげ」読み切替え行政は、 自治法2条の16~17項違反として無効とされるべきではないかと思っている。

埼玉県の改竄ルビに倣った久喜市の地名読替え行政-その合法度の研究  3

2014年03月12日 11時54分24秒 | 日記
埼玉県の改竄ルビに倣った久喜市の地名読替え行政-その合法度の研究 3

5.歴代教育長による県追従の「青毛アオゲ化」路線と その合法化を計った田中市長:

(1) 県・市両教育長による地方自治法260条・住居表示法5条及び5条の2の無視:
     青毛小」のアオゲ読みは 市教委が県公表の無根拠な訓読みに倣わせた偽称.
      地元にありながら市教委は、国土地理院の記録する『青毛=オオゲ・オーゲ』、法務局の久喜登記所時代からの「青毛=アフゲ=オオゲ」という伝承呼び名に県教委同様配慮せず、明治の瑕疵文書『埼玉県各郡町村名』や 無検証からそれに準拠した昭和版『武蔵国郡村誌』・『埼玉県市町村誌』等の改竄ルビを正規の地名・行政名だと決め付けてきた。最悪なのは市教委が 青毛小学校の校名に冠したオオゲと呼ばれてきた地名を、全く市民の了解も市議会での正式審議も 「広報」での解説すらしないで、ただ県の誤読文献だけ信じて 過去に使われたことのない現実離れのアオゲ読みで「青毛小学校」を開校させた点である。 
      文字こそ同じとはいえ、明らかに自治法260条を経由しない違法な地名読替えは 戸賀崎教育長の主導で、 昭和55年の青毛小開校と共に始められた。そして数年後の昭和58年、教委傘下の久喜市史編纂室は 上記自治法の違反指導批判を回避する意図を含めて、『久喜市史調査報告書1・地誌』を出版、明治以前も当地がアオゲだったらしく装うため 江戸時代の『武蔵風土記』にまで訓読みルビを振込む古文書改竄を行ったのである。
      既に三戸文書は青毛小開校前に公開されていて、『郡村誌』複本ルビさえ見れば「大毛=青毛=アフゲ・ヲウゲ,not awoge」の理解が十分図れたはずだった。だから『風土記』にまで訓読みルビを振込む理由は全くなかったのである。当時『郡村誌』複本は県文書館が所蔵して県教育長の管理下にあったが、『久喜市史調査報告書・地誌』の編集委員主任は その県文書館長・吉本富男氏だった。さらに委員に文書館職員の新井敏雄氏・県文化財保護課から大友務氏、県史編纂室から武井尚氏・久喜高から山本良知先生その他地歴のプロの先生方が参加されていたので、どうして青毛村がアオゲ読みで合意されたのかが不思議である。市教育長の独断と 言いなりの教委のご都合主義や保守性・県教委への従属性が、県教委同様にこの『地誌』によって事実隠しと 理由の分らない地名改ざんを許したのは明らかである。県が県自体による編輯ミスをカバーするために、敢えて地元の地誌編輯に圧力をかけたのだと言った先輩もいたくらいだ。
      現在の吉田教育長も田中市長も本書のルビを信じて、アオゲの地名伝承は明治まで続いたと説明しているが大ウソで、そんな記録や生きた証言は、探してみれば分るがどこにもない。永禄13年(1570)の三戸文書の「大毛」の記録以来、明治の「郡村誌複本」のルビ表記は地元住民の呼び名を受けて「アフゲ・ヲウゲ」、法務局久喜登記所(現久喜法務局)でもアフゲ・オオゲ読みでの事務処理があり、国土地理院の明治から平成までの記録も一貫してオーゲ・オオゲであった。 旧幸手・久喜・加須市およびその周辺町村で昭和生れの40才以上の人すべては、県議・久喜市長・教育長・教育委員・市議会議員たちも例外でなく 「青毛がオオゲと呼ばれていた時代」を多少なりと生きてきたはずである。知らないフリをする人は、教育長や教委の権限と責任に盲目的敬意や理解を示す改心者(コンバート)か偽善者である。実際この違法行政は、公務員の服務規程と相まって 有能な大勢の管理職や研究者・議員達・区長・地域リーダー達をウソつきや偽善者に豹変させてきた。
      典拠らしく市が見せつける資料は、すべて明治の『埼玉県各郡町村名』の欠陥ルビに発し、昭和の『郡村誌』編集者たちが原稿改ザンで確定した「偽称ルビ付き青毛村」からの増殖文献と、久喜市史編纂室がまとめた偽称のマニュアル『地誌』くらいなものである。久喜市教委が「アオゲ小」中心に青毛土地区画整理組合関係者等地元から 「オーゲはアオゲ」と教育普及させ、地域 市民をダマシ洗脳してきた効果で、現在では既に、オオゲという伝承地名そのものすら過去の記憶の闇に追いやってしまった感すらある。
      最高の被洗脳者で かつ国の機関への最初の偽称報告責任者となった現田中市長の 長引く「青毛アオゲ化」行政の下では、市役所職員は勿論 議員達も教職員管理職達をも市長や教育長におもねらせ 法令や条例違反の意識すら麻痺さしてしまった。 ここ10年来の久喜市は 『赤信号みんなで渡れば怖くない』式行政になった。行政執行側も諮問側も ナアナアお互い不難に「寄らば大樹の影」マンネリズム感覚に満足している。

      「現地現称」が基本である地名の地域独自性を ハナから無視した久喜市の教育行政は、ウカツに70年近く「郡村誌複本」を書庫に放置した挙句に 自から固有の呼び名を改竄し行政利用し始めた埼玉県と共に、市議員や区画整理組合理事・総代達に対し 活字になった『郡村誌』青毛村の「あをげ」読みルビを見せびらかして、偽称の普及・伝承の廃棄を図ってきた。この歴史的事実の隠蔽・一方的青毛のアオゲ読み誤読指導が、久喜市民や青毛堀流域県民の過去の記憶を徐々に洗い流し、伝承されてきた固有地名を心ならずもアヲゲ呼びさせたり、混同使用させるようにしてきてしまったのである。
      改竄文書・昭和版『武蔵国郡村誌』や『地誌』のルビが 久喜市の管理職や議員たちに受入れられている限り、「一事が万事」 どの程度正しい郷土の歴史研究や真実の教育や国語漢字の読み方指導ができているのか、行政の何割が正義に背を向けているかなど 考えてみるだけで不愉快になる。
      明治の複本ルビが地元の慣用を確認し『埼玉県各郡町村名』の誤読を修正した記録に当り、その後の国の機関の共通な呼び名として定着していたのに、昭和の『郡村誌』編集者たちはそれを無視して、明治の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』の訓読みアヲゲを 検証もせず再評価して、『郡村誌』青毛村の唯一のルビは「あをげ」だと決め込んでしまった。更に県教委は四半世紀後にその偽称をマンネリ受容して『埼玉県市町村誌』で再公開した。自治体の一部地名の変更を、当該自治体からの報告も待たずに翻刻編輯(かいざん)の形で県が公示したことは、明らかに県の不注意なマイナス行政である。だが久喜市教委が 更に具体的な検証もしないでそれをマル受けし、地元に伝承の呼び名を棚上げし、アオゲこそ正しい地名であるかのように市民をタブラカシてきた責任は実に重大である。それでも久喜市の後継教育長や教育委員達が 燻り続けた市民の声や地域の歴史を真面目に受けとめ、充分検証して膝元のオオゲを県教委以上に高く評価しておられたなら、現在の久喜市の教育委員会や議員達の偽称黙認という偽善的違法行政はなかったはずだった。
      戸賀崎教育長が県の偽称を追認し、すでに昭和4~50年代から学術的に公認されていた「三戸文書」の記録には配慮せず、青毛小開校と共に歴史や現実に逆行して「青毛のアオゲ読み教育」を始めたのは、埼玉県の誤った出版文献や行政の結果と考えられるが、視点を変えれば県の複数の文献の中の偽称は、久喜市の違法行政によって名実共に正当化されたことにもなったわけである。しかし最悪なのはこの文献改竄の事実が、全国の研究者や出版社に昭和版『郡村誌』が公開したアオゲという偽称を 正常に翻刻された実名と誤解させ、更に増殖拡範させる結果を導いた点である。青葉団地造成後開校した青葉小学校の校歌の中には、既にその萌芽を見ることができる。
      
      元々音声で初まった地名を、県・市共に教育委員会が表記された文字に拘りすぎて、地域に無断で伝承以外の読方で読ます指導や、誤ったルビで公開され問題視されている地名を 改めて正誤の確認なしで義務教育化したこと自体は 本当に軽率だった。このことは唯一無二であるべき固有名詞の特性毀損に通じ、関係責任者が知らん顔でマンネリの違法教育や行政をしている限り 成果はやがて常識化し普及できるという実証を示したことになった。埼玉県も久喜市も、固有地名と語源・歴史を異にする別な普通名詞と混同視した不自然な偽称を、いかにも固有の地名らしく広く世間に一般化さして登記させてしまったのである。
      たとえ同じ漢字を使っていても 地名語源の「大毛」に繋がらぬ呼び名は、GucciやOmegaの偽ブランド品やコピー商品・模造美術品や海賊版書籍などと大差がない。それは地名の歴史が内包する地域の文化や民意を無視した無意味で違法な空蝉(うつせみ)みの名称だ。表記された地名と同じ文字の偽称を肯定する無神経な広域教育行政は、一時的に羽生市をハブ市と読んだり 青梅市をアオウメ市と話す場合と違って、「三児の魂百まで」 新鮮な子供達の記憶に偽称を直接不当に確実にインプットすることなのである。正誤をアイマイに誤魔化す教育と行政は、懸念され問題視される偽装食品による価格被害や健康被害こそなくとも 大量の知的被災者を生み、やがて将来二者択一を求められる時に 自己中心的でプライドと偽善を優先し、知的財産権すら平気で侵す詭弁論者や違法行為者を育てる可能性も無きにしも非ずである。 
      オオゲの地名スリ替えの実情からして、住居表示に関する法律第5条・第5条の2違反、地方自治法第2―3条の趣旨・260条違反は明瞭であり、根拠を持たぬウソの読方教育面では当然教育関連諸法令にも違反している。久喜市2代目教育長・戸賀崎先生の勘違いは、昭和4~50年代にすでに巷に溢れていた活字文献を 手書き文献以上に信頼し過ぎてその実証を欠いたため始まったが、後を継いだ歴代教育長も、また地元から実状を知らされていた県知事も県教育長も、「善は急げ」と訴えに対する是非の検証や改善策を放棄していたために、久喜市青毛のウソの地名教育行政は 現在忌わしくも定着してきてしまっている。

(2)県教育長による「郡村誌複本」管理と、『郡村誌』青毛村ルビに合せた久喜市の「青毛(おおげ)アオゲ化」行政の合法度:
      久喜市周辺や青毛堀流域住民にとって オオゲと呼ぶ地名は、昔から日常的に誰もが認めてきた絶対の実名だった。ために県立図書館版『郡村誌』青毛村の訓読みルビに関しては、当初地元でも出版時の単なる校正ミスと軽く看過していた寛容さがあった。
      明治初期の10年に亘った編集成果『武蔵国郡村誌』103巻の出版は 誰もが認める大きな意義を持つものだったが、県立図書館が翻刻の域を超え 原稿の青毛村ルビ「アフゲ」を訓読みの「あをげ」に付替えた編集操作は実際ハッキリと伝えられていなかったし、正誤表の配布もなかったようである。そのため振られた偽称ルビは独り歩きして 実状を知らぬ人々や、区画整理地に移り住むようになった旧青毛住民の数倍に及んだ人達にも信頼され、時の流れと共に次第に出版界と県内関係自治体の行政面でも多角的に増殖・拡散し続けて、私達が気付いた時に それはすでに地方の歴史的事実とはまるで違う偽称で呼ばれる村(地域)の記録となって世に広まっていた。
      何れも翻刻と編輯とを同一視した ほんの一寸した原稿軽視と検証不足による記述変更という初歩的ミスから生じた結果とはいえ、『郡村誌』出版後もズッと複本の閲覧が県教育長の管理下に置かれていて、翻刻の正誤の研究すらままならなかった点も 事実検証をひどく遅らせた理由となった。私が始めて閲覧許可を貰った平成9年の段階では、現在と違って複本は直接閲覧できず、複本の青毛村や青毛堀に付られたルビの確認でも、文書館職員が昭和版『郡村誌』の該当箇所をコピーして、それに手書きで複本ルビを引写したものを見せて頂くという状態だった。明らかに一種の原稿の隠蔽管理とさえ思えたものだった。
      ただ極めて残念なことに、県や上司へのロィアルティだけ気にする県・市行政の責任者方は、問題が指摘されても自分のプライドやポスト維持・責任逃れの気持からか、進んで事実をより詳しく検証し確認しようとしなかった。証拠になる文献のコピーを市の学校教育課や議会事務室に提供したが、教育次長や議員達が握り潰して、早期に誠実な改善策を採ろうとしなかった。そのためマスメディアで、一級河川青毛堀の整備関連で、久喜市の教育行政面でも、また市役所職員や青毛堀流域住民のオオゲの正式名称の呼び方でも、古来の青毛は殆ど偽称のアオゲに読替えられ、その定着を見せてきてしまっていた。
      再三の繰返しになるが、行政にそんなマイナス効果を見せてきた埼玉県の代表的青毛の訓読み文献には、明治16年の『埼玉県各郡町村名』と 昭和に翻刻出版された『武蔵国郡村誌』第11・12・14巻があった。町村合併後も青毛の呼び名はズッとオオゲで変らなかったのに、昭和版『郡村誌』の青毛村の呼び名は、明治の原稿や明治以降国土地理院が採ってきた現地の伝承どおりの記録と一致しなかった。更に上記の流れを受けた文献に、県教委が編輯、昭和54年に出版した『埼玉県市町村誌』第17巻が加わった。これら埼玉県がマンネリ誤記した文献中、取分け多くの出版社や公的機関・学者等の信認をえて典拠とされたのが 県立図書館版『武蔵国郡村誌』だったのは間違いない事実である。
      県の土木事務所は『郡村誌』のルビから 昭和30年以降の青毛堀やそこに架けた橋の名を「あおげ」読みで掲示するようになったし、久喜市の教育長は、青毛の呼び名をオオゲと呼ぶ地元の伝承を誤りと決め付け無視した。そして「青毛小学校」開校以来、連綿と続いてきた伝承地名を県が誤読を重ねたアオゲ読みに合せる 本末転倒の教育を採ってきた。 市議会への地名変更議案の上程もせず 過去を知る市民が訝る中、伝承読みを蹴ったアオゲ読みだけで校名を呼び続けてきた。まさに教育の真の目的に反した正誤逆転の指導で、語源検証を欠いたままの教育長の「青毛アオゲ化路線」は、地名の合法的変更手順も採らず依然マンネリ化・日常化して受継がれてきた。自治法260条に拠らぬこの指導は明らかに法務局や国土地理院に登記されていた呼び名とも違っていた。この地名変更路線はその後の田中市長の下では、教育長や教委メンバーが代っても 地元からの要望も無視して無批判に受継がれた。青毛地区の伝承名復活については、当時も現在も年々市に要望してきたが 納得のいく説明は一切無かった。当時この異常に気付いた地元からは旧称復活運動が起り、市にお願い書や署名簿が提出され、県への助言・勧告のお願い等もなされたが 何れも無視された。当時の久喜や幸手・太田地区の代表的市民の意向を示す貴重な署名簿は、実際どう処理されたのか、市文書館も現在保管していないという。

      当初から行政主導で始まった青毛(おおげ)のアオゲ読みは、一切が法令違反と住民の意向無視で続けられたのに加え、平成9年末議会での田中市長による地名変更提案もやはり法令違反でなされていたことが近年分った。それなのに久喜市議会も埼玉県もただ違法行政を黙認し続けて、今だに改善の動きはない。
      青毛地区の名前を 久喜市があえて訓読みで語り指導させ続けるようになった最大の理由は、前述のように① 県が示した地元で使われない訓読み地名を、県から降りた市教育長が地元伝承以上に最善と判断した点にある。戸賀崎教育長は多分、本来青毛は文字通りアオゲだったのに、幸手方言でオオゲに音転したと見たためらしい。また② 新設の青毛小学校が開校した昭和55年(1980)に、県史編纂室が逸早く青毛のオーゲ呼びの根拠文献「三戸文書」(1570)を公開していたのに、市教委がその確認と検証をズッと怠ってきた異常な保守性と従順度が指摘できる。③またそれら行政執行責任者たちの――権威とプライド意識・ポストへの執着心からの偽善性が、教育の正義・真実の理解を越えるほど大きかった点も考えられる。
      既述のように昭和58年(1983)戸賀崎教育長の下での市史編纂室は、昭和20年代末の『郡村誌』が韮塚図書館長の下で改竄編修されたように、事実を伏せて偽称を真実らしく編修した『市史調査報告書・地誌』を出版した。その際戸賀崎先生は、急速な都市化で失われる古文書や民俗資料・文化遺産を憂いながら、久喜市の歴史的発展過程を明らかにし、郷土の理解を深めて重要な文化遺産を後世に伝えたいと健気に語る一方で、先生は全く矛盾する地名変更の指導マニュアルと教委の自治法違反の弁明にもなる この地名ルビの改竄書を企画している。付られたルビを見る限り本書は、青毛の地名は江戸以降アヲゲであって、青毛小のアオゲ読みは今に始めたものではないことを市民や読者に伝えている。全くのデタラメである。
      戸賀崎教育長以降久喜市代々の教育長は、教委と共に市民からの指摘や要望を無視し続け、義務教育諸学校で「青毛のアオゲ化教育」を進め続けた。またその一方で昭和版『郡村誌』青毛村のコピーをかざしながら市民の洗脳を計り、教育長や教育委員会のメンバーが代替りしても、依然違法で無責任な誤読指導行政を続けた。青毛小の父兄達、青毛土地区画整理組合の理事や総代達に伝えられた偽称のアオゲの基は、この『地誌』や『郡村誌』青毛村のタイトル・コピーであった。この無責任な地名誤読化行政の証は、「青毛小学校」の校名や「青毛」と記された文字を見ただけでは分らない。だが子供達やその父兄達が日常的に話す住所や地名を聞けば、住居表示に関する法律第5条の2に違反した偽称地名の浸透をハッキリ知ることができる。
      平成9年の久喜市9月議会で渋谷晃次議員が出した「青毛の町名・青毛小の呼び名について」の質問には、黄門様の印籠よろしく高山孝夫市民経済部長と須鎌博文教育次長によって 概要次のような回答がなされた。
      高山氏はこう説明している。行政として字・町の公示の統一は行政の責務と考え、表音は地域に拠るもので行政の関与するものではないと考えている所です。市役所としては市役所の呼称が必要で、政府の編纂地誌・武蔵国郡村誌や明治16年に県令として発せられた埼玉県各郡町村名簿に、その当時の呼称が青毛(あをげ)村と表音されており、それをもとに「あおげ」を用いていますのでご理解頂きたい――というものだった。地域の呼び名に行政は関与しないと言いながら、小学校名についた地名をアオゲと呼ばせる矛盾に気付かないのが不思議である。また須鎌教育次長はこう説明した。(仮称)青葉第二小学校を開校するに当り、校名や所在地・通学区域等を定めるのに昭和54年12月定例議会で、学校設置条例の一部改正を提案、校名を青毛(あおげ)小学校といたしました。埼玉県各郡町村名簿や武蔵国郡村誌に当時の呼称として「青毛(あをげ)村」とルビがありましたので、青毛(あおげ)小学校としたわけで、ご理解頂きたいと存じます。――教育次長は地域の伝承・県の文献ルビの真偽に関しては全く配慮していなかった。
      確かに地名の統一は行政の責務であり、住民の意向を無視してまで行政は地域の呼び名に関与すべきではない。だが市当局は青毛地区だけは他地区とは別に地域の伝承名に大きく関与して、行政には行政の呼び名が必要だからと、明治の瑕疵つき文献の「あをげ」を採って校名としたと説明した。地域名に直接関与してきたという意識がないのだろうか?どうかしている。明治の文献名そのものが改竄されている点をスッカリ無視して、地域伝承の呼び名を否定した無神経さには ただ呆れるしかない。地域の呼び名を否定して、明治や昭和の第三者が振付けた誤読地名を呼び名とするからご理解をと言われても、どうして誤読名を認めねばならないのだ?市はこの段階で『郡村誌』の訓読みルビが典拠だとハッキリ認める説明をしている。だがこのゴマカシ説明の議会場には 何故か教育長橋本先生の顔は見当たらなかった。
      ついでながら須鎌教育次長は、全く上司を信じきった研究意欲を欠いた 第2級被洗脳者と言える。私が「昭和版『郡村誌』のルビは、明治の原稿とは違っています。証拠は県の文書館にありますから 行って確認して下さい」と話したことがあったが、「行くつもりはありません」とキッパリ断った。「ともかくアオゲ読みは間違いですから修正してください」と言うと、『武蔵国郡村誌』の青毛村のルビが「おおげ」となったら考えます。」と非常識極まることを言った教育責任者なのである。
      同年の12月議会で田中市長は、違法状態で続けられてきた青毛小の「青毛アオゲ読み教育」の合法化を計るために、青毛地区区画整理の完了を見越した「町の区画を新たに画することについて」区画整理に伴なう住居表示の変更にかこつけ、青毛の地名のアオゲ化改悪を含めた提案を議会に出して 議会の了承を取付けている。
      この複数の法令違反に関しては既に幾度も私は当ブログでふれてきた。要約すれば、①自治法260条は冒頭で「政令で特別の定めをする場合」を例外とした字地の名称変更のための条文だが、区画整理はこの例外とされる法令に当る。なのに田中市長は260条をいかにも区画整理による地名読替えに必須な典拠らしく提示して議員達を騙している。②区画整理による住居表示の改正では、住居表示法(5の②)も区画整理法も地域名まで変えることをたっての要件としていない。③固有名詞は本来自然な形で継承されるもので、第三者である教委が 義務教育の課程で読替え指導をさせているだけでも常識外れなのに、根拠も理由も認められない読替え提案をしていること。④どうしても地名変更を図りたかった状況なら、住居表示法5条の2の①-⑥の必要手順を正しく踏んでもらいたかったこと等々 無神経で違法な状況下での議決で、ハッキリ自治法第二条が警告し無効としている違法行政に該当している。
      吉田教育長には昨年2月の定例教育委員会での旧称復活審議を、一昨年と昨年度の市議会議長や総務財政市民常任正副委員長、教育環境常任正副委員長宛にも2月と3月にオオゲの地名変更の違法性と陳情無視の理由説明を求めてきたが、どちらも揃って何の回答もしてこなかった。県教育長と同じく陳情無視をしているのである。
      市が青毛アオゲ化の根拠とする『郡村誌』自体のルビが その原稿とは異なる根拠のない改竄地名だとハッキリしているのだから、問題は常識でも当然原点に帰るべきではないのか? スピード違反で停止を求められたドライバーが、更にスピードを上げて逃げ続けるのと どの位の開きがあるだろう? また産地偽称や成分偽称の食品や工業製品のメイカーが、その不正を指摘され問題視されても、生産や出荷を止めず営業を続けるのと どう変っていると云えるのか? 返事をしないのは、今後も偽称指導を違法のまま続けさせる積りという 無言の意思表示なのだろうか?

(3)不当な偽称の容認登記は行政の特権か、事務システムの欠陥か?
      人名が唯一無二でその人独自の個性を示しているように、地名は元来その土地・土地の特性を示して付けられた呼び名であった。初めは普通名詞で特性や期待が名指され、反復して使われて定着した音声だった。一旦定着するとそれは人名同様地域公認の固有の名詞となる。やがて万葉仮名なみの漢字表記が生れ、更に時代を経るうちにその土地なりの文化や特性が音声や表記を変えてくることもある。だが第三者はとかく文字にこだわり、時には地元の読み方とはまるで違った読み方をする。漢字のもつ音訓和読みの特性で、一般的に複数漢字で表される名前に歴史や方言が加わると、読みは一層個性化して難しくなる。だが原則昔からの呼び名は政変等特別な動きがない限り 定着時の姿そのものを変えることは少ない。
      固有名詞の読みの難しさはそれに馴染んだ人達の予想以上に、明治以前の当地域に殆ど無縁な人達にとっては 幸手・加須・羽生とか青毛・江面・中瀬等の町村名・字名すら正しく読むのが難しかったはずである。
      地名としての青毛の読みはそれが固有の名詞である限り、人の名と同じく原則第三者が読替えることは許されない。まして教育長や市長でも個人や少数グループだけの見解や権威だけで地元市民や議会の意向も問わず、伝承の不都合さが検討されてもいないのに、昔からの地名を過去に繋がらぬ読方に読替え教育させる独断は許されないはずだ。しかし久喜市の教育長と現市長とはそれを行政実行してきた。
      他の市町村の名称や字地の名称が区画整理後でも従前同様であるように、青毛地区も区画整理終了後にその名を変えさす理由は全くなかった。だから地名管理に縁の深い国土地理院や久喜法務局は、明治14年の太政官達83号や地方自治法2・3条・260条、住居表示法5の②・同5の2条の①ー⑥等々の見地から、区画整理完了だけの理由で従来の町名を暦史的に根拠のないアオゲ読みへの変更申請を安易に受付けるべきではなかったと思う。
      とりわけ国土地理院の明治以来平成15年まで続いたオーゲ・オオゲの名称が、違法行政の結果送られた地名調書だけで十分な検証も調査もなく、訓読みに修正されたことはこの上なく残念である。参照された県出版文献や、信頼の置ける出版社編集の地名辞典や地誌・風土記・学会誌等も考慮したとは聞いているが、青毛の地名読替えに関する限り 行政自体による明らかな法令違反がなされてきたからである。とりわけ法務局は目の届きかねる自治体内の字地の名称変更に関しては、自治体発行の文献を含めてもっと厳密な審査が必要だと思った。また地名登記の漢字主義も誤解の原因になるため、昔のように正しい呼び名が誰でも分る平仮名併記法を採用すべきだと思った。 
      オオゲの場合表記漢字は同じでも、アオゲ読みでは語源の「大毛」に全く繋がらなくなる。地名は元来音声で語られ伝えられてきた。漢字の読替えもただ読方だけとの軽い気持ちでの受付が、即地名変更の容認に繋がってしまうのである。道路標識や案内板の振仮名やローマ字表記部分やE-メールなどに、読みの変更は歴然と示されている。
      青毛の場合、埼玉県が昭和に編集し直した偉大な文献――しかし厳密な原稿翻刻と言えぬ瑕疵出版書『武蔵国郡村誌』のルビに、市教育長が独断で倣わせるようにしてきた不当な指導結果を示す読替えであった。青毛小開校と共に始った二重地名の一本化を計って、現在の田中市長は 更に違法な手続きで議会を欺き住民不在、正規の手順一切を飛ばした違法行政の結果登記したのであった。

      久喜市の教育委員会は、戸賀崎教育長以降本来アンタッチャブルな地名読替えをあえて伝承や文献との関係も検討せず 教育長指導の真実性を信じて受入れてきた。議会もまた同様だった。教育長が代っても先生方は埼玉県の出版文献ルビを信じきっていたためか 伝承との正誤の検証すら怠って、法令違反のまま「青毛のアオゲ読み指導」を代々マンネリで行ってきた。その結果の登記変えであった。
      現在の吉田教育長・鹿児島教育委員長の主導する久喜教委が、田中市長と共にこれまで広報等で市民に解説してこなかった「青毛アオゲ化行政」の問題点をまとめれば、凡そ次の通りである。
      ①固有名詞「青毛(おおげ)」のアオゲ読みは 国語辞典が示す普通名詞の専用読みで、文字は同じでもその読みは名詞種別や用途混同に当り正しくはない。義務教育段階で固有名詞の普通名詞並み読替え教育は 国語教育としてどの程度まで許されるのか? 誤りではないのか?
      ②漢字の読み方にこだわり、小学校初学年から教育の名目で昔からの固有地名を読替え指導させてきたのは誤りではなかったか?伝承読みが持つ独自性が失われてしまった。
      ③「三戸文書」の示す「大毛」は 明治の『郡村誌』青毛村の原稿に付けられていた読み方そのものであり、「青毛小」開校直前まで当地で使われてきた地名そのものの呼び名だった。それなのに教委が選ぶアオゲ読みは何故正しいと言えるのか?『武蔵風土記』の原本にアオゲのルビは付いていただろうか?
      ④昭和版『郡村誌』の青毛村が「あをげ・アオゲ」読みを採るのは、編集時の検証不足と原稿改竄による点はハッキリしている。鷲宮の小林医院の大(おお)先生から聞いていた「青毛村がアオゲ村と呼ばれていたことはない」と云う話が正しく、明治の青毛村・青毛堀の読みや呼び方ルビが「郡村誌複本」通り正しく「アフゲ・ヲウゲ」表記を採っているのは、国土地理院の記録に通じている。市教委が指導させるべきは昭和版『郡村誌』の偽称ルビではなく、その原稿「郡村誌複本」ルビ――つまり伝承そのものではなかったか?
      ⑤地方の時代に市が地元伝承を生かすのは当然なのに、昭和版『郡村誌』のアオゲ読みは 正規の手順を踏まぬ当地無縁の偽称の受け売りであるのに、何故正しいとされ、オオゲ読みは実質切捨てられたのか?
      ⑥田中市長が平成9年末に議会承認を取付けた「青毛アオゲ化提案」は、当時の議事録と自治法260条とを検討しても、正しい法的根拠に基いているとは思えず、自治法第二条からして議決も有効とは思えない。それでも久喜市は、平成12年には区画整理町名をアオゲ読みに切替え登記、更に平成15年には青毛全域をアオゲ読みに切替え登記するため 田中市長は国土地理院に「地名調書」を送っている。住居表示法では町名は極力従来の名称に準拠するとなっているのに、登記は何故住民の意向を問わず必要な議会審議も経ずになされたのか?

      類似の質問は過去15年間に再三再四歴代教育長と田中市長宛に出してきた。去年まで何度か上田知事にも前島県教育長にも出したが、全く具体的な回答は得られなかった。県・市ともに事実を偽称にスリ替えた行政の誤りを、陳情や請願を無視することで今後も無責任な隠蔽ゴリ押し行政を続ける積りなのだろうか?