抗告状
東京高等裁判所 御中
平成27年8月6日
○上告人・連絡先:関口 博 〒346-0011 埼玉県久喜市青毛1-9-1 ☎0480-21-1659
○被上告人:久喜市(市役所 〒346-8501 久喜市下早見85-3 ☎22‐1111)代表 田中喧二市長・ 市教委:柿沼光夫教育長・鹿児島金衛委員長;市議会:井上忠昭議長
○訴訟物;無断改称された伝承地名・青毛(おおげ)
○上告当事者間の元の裁判所: さいたま地方裁判所 第4民事部
○事件名:平成27年 (行ウ)第15号 不作為の違法確認事件
事件原因名:教育長の無断地名読替えと、協調した市長による青毛のアオゲ化登記事件
訴訟名:上記アオゲ化行政に長年伝承復活を求めても不作為な市の違法を確認する訴訟
○遺法行政無視の一方での訴状却下命令:平成27年7月7日付でさいたま地裁第4民事部志田原信三裁判 長より、主文『本件訴状を却下する』との絶対命令に当惑、上告を決意。
以下却下命令ほぼ全文を引用
1.一件記録によれば、①原告は事件名を「教育長の独断地名読替えと、協調した市長による青毛のアオゲ化登記事件」とし、請求の趣旨を「久喜市青毛や青毛小・青毛堀等固有名詞は、伝承のオオゲ読みするのが正しい」とする訴状を提出したこと、原告の主張は、必ずしも明らかではないが、要するに、「青毛」をオオゲと読むのが正しいにもかかわらず、久喜市教育委員会、久喜市長、久喜市議会及び教育長らが、「アオゲ」と読むよう教育し、又はそれを黙認していることなどを不服としているものであるようにうかがわれたこと、②しかし訴状の表記をもってしては請求が特定されているとはいえなかったことから、当裁判所は、原告に対し、補正命令により、請求の趣旨及び原因を明らかにすることにより、訴訟物を特定するよう命じたこと、③これに対し、原告が提出した書面は、上記補正命令の趣旨に応えるものではなかったこと、(請求の趣旨に変更はないとした。)④そこで当裁判所は、念のため、事務連絡により、原告に対し本件訴訟が行政訴訟であるとすれば、行政事件訴訟法3条等を参照した上、請求の趣旨として法が定める要件に沿った請求を定立した上、請求の原因として、当該請求をしうることを根拠付ける法的主張及び事実主張を具体的にすることなどを求めたこと、⑤これに対し原告が提出した「6月9日付け事務連絡についての回答」と題する書面に拠れば、本件訴訟は、行政事件訴訟法3条5項の「不作為の違法確認訴訟」である旨の回答はされたが、他方において本件訴訟は、各種法令違反から指導の無効を訴え、旧称復活を求めるものであるなどとしていること、結局、本件訴訟における請求は特定されないままであったことなどが認められる。
2.以上に拠れば原告は、上記補正命令に応じて請求を特定しなかったことから、民訴法137条2項 行政事件訴訟法7条により本件訴状を却下することとする。
よって主文の通り命令する。
○抗告・請求の趣旨
原命令を破棄し、更に相当の裁判を求めます。①固有の伝承地名を違法に偽称にすり替え、改善に不作為を続けた久喜市行政の誤りを確認され、②訴訟費用の一切は被告の負担とする判決と仮執行の宣言を求めます。
○原訴訟と抗告の原因・理由
不法に初め、更に不作為の違法を続ける「青毛(おおげ)のアオゲ化行政」の誤りの確認:
1.明治の文献『武蔵国郡村誌』の青毛村の呼名は、昭和の翻刻時「あをげ」と改竄されました。翻刻の筈なのに、昭和の編集者が明治の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』の誤読ルビに倣って現行のアフゲをアヲゲに読替えたのです。義務教育でこの改竄地名だけを教えるのは偏向教育です。地元では平成まで伝承のオオゲ・オーゲで呼んできました。
2.久喜市2代目以降歴代教育長は地名正誤の検証もせず、昭和55年の青毛小学校開校以来、地元の実情と違う県文献の誤りを指摘改正してもらうどころ、昭和版『郡村誌』や県教委出版の『埼玉県市町村誌』17巻久喜市青毛の誤読ルビを丸呑みし、一方的に青毛アオゲ化指導をしてきました。無縁の第三者の無根拠で誤った訓読みは、一級河川青毛堀川も、新設の青毛小学校も、伝承名と違うアオゲ読みで指導させました。この無神経な地名読替え路線には、幾度も異議が出されたのに、市は質問にも改善要望や陳情にも誠意ある回答をせず、検証を怠り改善に不作為を続けています。
3.市は固有名詞の読替えも教育長の権限と誤解し、確たる根拠も理由もないのに教委と共に固有地名「青毛(おおげ)」を明らかに国語辞典の同字の普通名詞 栗毛・瓦毛・葦毛等の類語「青毛(あおげ)」と混同視して、国土地理院や法務局が平成まで認めてきた地元の呼名を切捨て、県教委に倣って昭和版『郡村誌』の「あをげ」に読替える指導を続けてきました。固有名詞を普通名詞と混同すれば誤読と断定できます。法も伝承も市民も地域も軽視した偽称の採り込みは、明らかに自治法260条や教育関連諸法・住居表示に関する法律等を無視した事です。青毛小学校開校前の青毛の歴史にアヲゲの用例はないのに、市は青毛のアオゲ化を進め、昭和版『郡村誌』の改竄ルビに沿って字(あざ)名をアオゲに読替え行政化しました。
4.市民にとって青毛地区の地名読替えの必要性は現在まで全くなく、そうした法に基づく提案や諮問・議会での検討や承認・知事への報告・知事承認による官報での公開等々はどれもなされていません。明治の青毛村・現久喜市青毛の伝承名は、中世の「三戸文書」の表記「大毛」に由来しながら、近世の『新編武蔵国風土記稿』の「青毛村」以降、表記だけ「青毛」に変っても、呼び名は中世の大下読み、明治の「武蔵国郡村誌複本」(=県文書館収蔵『武蔵国郡村誌』の原稿)のルビに見るように、一貫してアフゲ・ヲウゲ・オオゲでした。
5.原稿の「郡村誌」青毛村には、各所にアフゲのルビが付されていたのに、昭和の翻刻ではルビが地元では全く呼ばれない「あをげ」だけに改竄され、この偽称は、翻刻の名目上昭和30年以降の地名辞典や地誌・自治体史関連出版社から、更に県・市の行政にまで取込まれ普及しました。
埼玉県東北部で青毛がオーゲ・オオゲと語られていた証は、明治以降平成初頭まで国土地理院や法務局・税務署や関係役所の扱いでも明らかです。
6.教育長に洗脳された現田中市長は、青毛地区区画整理完了前の平成9年末議会で、改めて自治法260条を違法に利用し、オオゲの新区画町名をアオゲ読みで提案了承させ、偽称の「あおげ」で法務局や国土地理院に登記変えさせました。自治法の260条の第1項を無視した違法で、議員達は勿論、一般市民も騙されたことになりました。
7.現在まで教委や市長・市議会に市民から幾度となく質問や伝承復活要請・陳情などが出されましたが、不作為が続いて埒が明かず、誠意ある回答も善処も当分されそうにありません。それで今年の4月不作為の違法確認訴訟を提起しましたが、それも原告の訴訟趣旨や原因が正しく理解頂けず却下されたので、改めて訴訟の趣旨と原因・上告の理由を書直し、抗告することにしました。地元にありながらウソの地名を公認し、改竄された『郡村誌』ルビを正当化した久喜市行政の誤りが確認されれば、市や県が隠蔽した伝承地名オオゲが当然復活されると信じるからです。
○却下命令を受けた原告の心情
市教委の青毛(おおげ)アオゲ化指導は、昭和の『郡村誌』編集者が犯した改竄ルビの盲信と瑕疵付き県行政の模倣に始まり、唯一無二であるべき固有名詞を同一漢字の普通名詞と混同し、スリ替えたものです。
固有名詞の本領は文字にあるのではなく、時代・地方・個別特有な伝承の呼び方にあります。また教育内容は、常に真実が証明できるものでなければなりません。知事も市長も教育長も単独で伝承を廃棄、別名に変えることは許されません。義務教育でのウソは即日止めさすべきです。原訴状には久喜市の地名読替えに絡む違法行政を「具体的違法行政の証拠」Ⅰ及びⅡに記しましたが無視されました。
取分け原告が問題とする点は、自治法260条の二重違反と故意の検証・改善の不作為で、伝承を偽称にスリ替えた段階で既に違法しているのに、今も明確な根拠を説明せず 不作為の違法を続けている点です。さいたま地裁は、あえて行訴法7条と民訴法137条を挙げ、「結局本件訴訟による請求は特定されぬまま」だったとしていますが、原告の訴訟の原因も原訴状や補正関連書状で一貫していると理解頂けませんでした。本訴訟は当然法廷で検証さるべきものでしたのに、却下はまるで原告の拙文を理由に行政の違法を放置容認した感を否めません。心外で勘違いも甚だしく、原告は久喜市行政が見せてきた地名偽称化の現実を率直に述べ、訴訟による違法事態の確認こそがあくまで請求そのものとしていたのに、埼玉県内訴訟では、最後まで分って頂けなかったのが不思議であり 残念至極です。
原訴状で一貫して述べた積りの久喜市行政の違法の事実は、歴代教育長の伝承廃棄による偽称の偏向教育とその行政が、誤りとの確認こそそのまま地名正常化に繋がると考えたからです。この訴訟は久喜市の具体的な違法の積み重ねに、更に違法な不作為行政が続けられている事態の改善を図るものでした。法廷による違法の確認そのものこそが原告の願いである点を、裁判官は原訴状と抗告状全体を通してご確認頂ければ有難く存じます。
○市教委・教育長による自治法無視の偽称アオゲ先行指導、:(=原訴状の「具体的違法行政の証拠Ⅰ」)
1.教委が学校設置条例の一部変更時、青毛(おおげ)の地名を訓読みアオゲにスリ変えた件:
久喜市教育委員会は昭和55年以降当時の戸賀崎教育長の指導で、伝承のオオゲ読みを捨て「青毛はアオゲが正しいからアオゲと読みなさい」と、新設の青毛小学校も「アオゲ小」と呼ばせ、結果的に不法に市民が慣れ親しんできた地元地名を教育によって偽称化させてきました。
「青毛小学校」開校時の青毛地区の呼び名は、既述のように法務局も国土地理院も郵便局も旧市民全体がオオゲ・オーゲと認めていました。当初仮称「青葉第二小」として建設が始った新設校に、地元の要望は 地域名を入れた「青毛(おおげ)小学校」にして欲しいと言うものでした。要望は学校設置条例の一部変更として昭和54年末の教育委員会と市議会で了承されましたが、地名変更議案は出されていません。(教育委員会会議録及び市議会速記録参照)
青毛小は議会の了承とは裏腹に、翌55年の11月に「アオゲ小学校」として開校したと教委も同校管理職も主張しています。住民には何の解説もなかった訓読み地名付きの校名は、地域住民の期待を大きく裏切るもので、これは当時戸賀崎教育長が一方的に県教委の付けた青毛のルビにスリ変えた結果でした。(『埼玉県市町村誌』第17巻 久喜市の頁・青毛参照)
昭和50年から60年にかけての榎本・曷川・坂本各市長ご自身は、青毛をオオゲと呼んでいたし、地名改称の必要も変更希望意見も一切なかったので、伝承は健在の筈でした。しかし教委は伝承地名の正誤の検証も、自治体内の町名変更の正式な理由説明も、地名変更関連の一切の手続き(住居表示に関する法律5‐②:5‐2①―⑥)もせずに、地名の青毛も国語辞典の青毛と同じアオゲ読みが本来正しいと決込んだのです。同一文字のため固有名詞を普通名詞と混同視した教委の指導は、明らかに固有名詞の性格毀損です。市教委は普通名詞の固有名詞化・混同読みを無批判に認め、その定着を図ってきました。
これは①永禄13年(1570)の古文献「三戸文書」の記録「大毛」から見ても、②翻刻の建前から昭和版『郡村誌』と明治の原稿(1883・85)とを比較しても、③歴史的に行政面で棚上げされた信義・平等・比例・説明責任等々と考え合わせても、④言語学や国語学・民俗学の観点から固有名詞を普通名詞と混同指導させてきた点等々は誤りなことは明白です。しかも⑤市自体これまでの住民の指摘や要望等から行政の誤りを半ば承知しながら、戸賀崎先生以来歴代の教育長や同委員長・現田中市長自身も容認してきた行政のためか、現場も議会も黙認、ウソの地名を義務教育機関でまことしやかに普及させてきました。
また久喜市は誤解に始った指導を違法のまま合法化しようと、⑥批判的な市民の質問には答えず、明治前後の「青毛(おおげ)村」にいつも故意に誠意ある検証も研究も欠いたまま、⑦5世紀にも及ぶ歴史的事実を隠蔽し、⑧県が明治の文献『武蔵国郡村誌』の翻刻で青毛村につけた改竄ルビを唯一の拠所に、⑨義務教育段階から伝承読みを捨てて偽称だけ教える偏向教育を続けてきました。⑩市民からの複数回の指摘や質問・陳情があった市議会すら、常に教委拠りで納得のいく回答をしてこなかった点、同様に大きな責任があります。
2.明治18年内務省に県進達の『郡村誌』青毛村の原稿ルビは アヲゲでなくアフゲ:
『郡村誌』編集を担当した明治の県庶務課の史誌編輯掛は、明治16年秋に「武州葛飾村誌」7冊、18年春に「埼玉(さきたま)村誌」23冊を内務省に進達しています。県文書館の「複本」で見るとおり、青毛村のタイトルには片仮名でアフゲのルビ、周辺村が言及する青毛村にもアフゲのルビ、青毛堀には各町村一様にヲウゲのルビを付けています。
また国土地理院5万分の1地図『幸手』でも、明治40年(1907)の測図1909年版ではオーゲ、(埼教委編『埼玉県市町村誌』久喜市の頁に引用図あり)昭和53年第二回測図1981年版ではオオゲの青にオオのルビ、昭和63年編輯平成2年(1990)版でも同じルビが使われています。これらは大毛・青毛と表記が変っても江戸から平成まで当地の伝承に変りがなかったことを国が証明したも同然で、昭和55年以降の久喜市歴代教育長が県の誤読文書をウ呑みにして「オオゲはアオゲが正しい」とした指導が誤りなことを示しています。
3.事実の隠蔽と違法指導隠し―『久喜市史調査報告書・地誌』も古典の改竄出版書:
明治16年県編輯の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』や昭和28~30年に県立図書館が翻刻名義で出版した『武蔵国郡村誌』青毛村ルビが示すように、明治の青毛村や青毛堀は、勿論昭和から平成までも近隣や流域住民から「アヲゲ」読みでは呼ばれていません。昭和30年以降杉戸や行田の土木事務所・現県土整備事務所が、青毛堀関連の橋の親柱のプレートや土手の看板に「あおげほりかわ」とか「あおげばし」・「しんあおげばし」等の呼び名をつけていますが、呼び名は昭和版『郡村誌』の青毛村の改ざんルビに拠っているため、地元の呼び名と違う偽称なのです。県や整備事務所は当然検証して修正すべきでした。
明治14年に出された太政官通達は、みだりな地名変更を禁じているし(『法令全書』)、同年県が行った「町村字(あざ)調べ」で青毛村から出された書面の青毛や上青毛には、当時の歴史的仮名遣いでアフゲと朱ルビが振られています(県文書館『明治14県治部町村制明404』参照)。
青毛小学校が開校する8ヶ月前の昭和55年の3月,埼玉県史編輯室は『新編埼玉県史資料編6・中世2』で、戦国時代の青毛が『三戸文書』で「大毛」と表記されていたことを発表しました。市教委はそれも知らぬ振りして、同年11月に「青毛小」をアオゲ小として開校させたのです。教委は明らかに前年県教委が出した『埼玉県市町村誌』の「あおげ」ルビに倣った指導で安心しきっていたため、県史編集室のこの記録に気付かなかったのかも知れません。でも国土地理院は翌昭和56年の測図の折、青毛がオオゲだと確認しています。
こうした状況を受けて久喜教委は、昭和58年『久喜市史調査報告書・地誌』の監修で 青毛小学校開校前後から始めた違法な青毛アオゲ化指導の責任逃れのため、江戸文化・文政期の『新編武蔵国風土記稿』と、明治の『武蔵国郡村誌』の「青毛村」や 他村や古文献の青毛言及箇所総てに「あをげ」の改竄ルビを振付けました。そして青毛のアオゲ読み指導が 江戸時代既にアオゲだった事実に基いた風を装ったと思われます。
この『地誌』には、久喜・幸手周辺町村や青毛堀流域市町村にも肝心な書誌の1つ・青毛がオオゲと呼ばれてきた根拠を示す「大毛」の表記をもつ戦国時代の「三戸文書」が 故意に外されていました。戦国の大毛は、江戸の『新編武蔵風土記稿』(1810~28)では「青毛村」と表記変えになっても、内閣文庫版とされる上記原著にはルビはついていません。でも固有地名の呼び方は前代からの流れを当然受けていたはずで、『市史調査報告書・地誌』のルビのように訓読みに変った証は、旧久喜町や青毛堀流域市町村の何処にもありません。『郡村誌』原稿・明治の「郡村誌複本」の青毛村のルビはアフゲだったし、国土地理院や法務局や郵便局、昭和50年代までの久喜市役所自体が認めてきたように、明治・大正・昭和を通して青毛はズッとオオゲ、オーゲと呼ばれてきました。
4.事実検証に怠惰で再三『郡村誌』の偽称事実を説明しても偽称路線を固執した市教委:
ご承知のように姓名は勿論 地名・河川名等固有名詞は、個人でも法人でも第三者が独断で変えられるものではありません。久喜市教委は、教育の名を借りて無縁の第三者が採った誤った呼び名を検証もせずに取込み、ウソの地名を違法に越権教育指導してきました。既述のようにこれは明らかに固有地名の(大毛)青毛を同字の普通名詞、栗毛・瓦毛・葦毛等類語の青毛と混同したためでしょうが、国語の指導では固有名詞と普通名詞の違いは 一層ハッキリ区別して教えさす必要があります。
青毛本来の呼称復活要望は、田中市長には元より戸賀崎先生の後継教育長の橋本先生・小松先生・吉田先生にも根拠を示してお願いしてきました。しかし全く考慮されず、教委でも現場でも誠意ある検証も、研修会すらして頂けませんでした。
青毛土地区画整理事業がほぼ終りに近づいて、区画町名を決める段階に入った平成6-7年頃、市教委は組合に昭和版『郡村誌』青毛村のタイトルページのコピーを送り、オオゲの町名を青毛小と同じアオゲ読みにするよう示唆・指導しています。組合の理事や総代達はこの時初めて自分達がオオゲと呼んできた地名が、明治の翻刻で{あをげ}と活字化されていたのに驚き、半信半疑ながらアオゲ小の指導を納得したようです。しかし地域内住民のオオゲの呼び方は、オオゲ・アオゲと混乱は続いて一定しませんでした。
平成9年の9月議会では「青毛の町名や青毛小の呼び名」について渋谷晃次議員が質問されましたが、市側の依然歴史事実を無視した答弁でゴマカされました。
オオゲ・アオゲに関する教委や現場の先生方へのアンケートも 教育次長や校長が即日回収・廃棄しました。教委や議会への質問や陳情もいつも昭和版『郡村誌』の偽称ルビ優先で、議会の小委員会も一事不再理・既に決ったことと考えているらしく、100条委員会の設置も無く誠意ある回答がなされたことはありません。
当時須鎌次長は『郡村誌』の青毛村ルビがオオゲとなったら考えます」と笑ったし、現教育委員長・当時学校教育課長だった鹿児島先生は、在住が浅く歴史を知らぬ青毛唯一の議員や部落代表もアヲゲを認めていると、嬉しげに議員の宣伝ビラをチラつかせたことがありました。またその後桜田出身の岡次長や久喜中出身の立川次長は、子供時代や中学時代の青毛が何と呼ばれていたかは忘れた と無責任な嘘をつきました。
昨年3月退任の吉田教育長は 手近のコヤ新田出身でも、「アオゲは県も認める行政名で、『アオゲ小学校』は固有名詞だから修正する気はありません」と言いきりました。県や市の誤読やカイザン偽称に沿って地元と違う読みを採る「アオゲ小」の呼び名は正式な固有名詞になれても、伝承されてきたオオゲ読み固有地名は行政では使えないと、不合理で差別的な説明を受けました。固有名詞に伝承以外の行政語があり、それが優先するとは全く初耳でした。教委はアオゲ読み根拠が非常識なのを決して認めようとしないのです。
また20年近く前、久喜市や幸手市のメイン商店街の皆さんや、青毛・栗原・吉羽・野久喜・江面・清久・上高野・下~中川崎の有志の方々がサインされた「青毛(おおげ)復活要望署名簿」は、現田中市長が理由も公表せずボツにしてしまいました。地方の時代であるべき現代に 行政がウヤムヤ裡に事実を隠蔽し、県の誤読文献の検討も県への誤解修正要望も行わず、ただ上部行政庁への忠誠のため県公開のカイザン地名を鵜呑みに義務教育課程からその普及を図り、一方的に旧称を廃棄したのは 県オモネリ偏向行政そのものではないですか?
○田中市長区画整理後の新町名提案に自治法260条を不法利用:(=「具体的違法行政の証拠Ⅱ」)
明治の『郡村誌』原稿(=複本)には各所にアフゲ・ヲウゲのルビが記されていますが、ただ吉羽村と野久喜村2村にだけ校正漏れか誤記でアヲゲのルビがありました。昭和の翻刻『郡村誌』では、このルビが明治の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』の青毛村のルビと一致していたためか、明治の史誌編集掛が内務省への進達で新たに付け直した伝承ルビを皆削って、村名ルビは誤読の「アヲゲ」一っに絞ってしまうカイザンをしました。市教委が採りこんだこの改ざんルビを、田中市長も市議会も地元の伝承以上に評価し、歴史的現実を無視し全く問題視していない点が、問題なのです。
青毛地区区画整理後の新住居表示を、田中市長が平成9年12月議会で自治法260条を基本らしく装って第1項冒頭の「政令で特別の定めをする場合を除いて」(註.区画整理法も該当)と言う条項を無視して、新区画住所をアオゲ読みの偽町名で議会に諮り議員達を惑わし、アオゲ読みで議会の黙認を得ました。議会は全員賛成だったと言いますが、これは違法に始った教委の偽称指導に、更に自治法260条を違法に重ねコジ付けた点自治法2条17-18項によって無効は歴然であり、住居表示に関する法律が薦めるように(第5条の②)新町名も古来のオオゲ読みでなければ正しい住居表示にならないはずでした。
また従来のオオゲ読みを偽称のアオゲで法務局や国土地理院に登記変えさせた行政指導も大きな法令違反です。当時の議会は黙認していましたが、それも昭和版『郡村誌』の青毛(おおげ)のアヲゲ読みが、昭和30年以降の地名辞典や地誌関連書に広く転載・増幅増殖し、県や久喜市の教育・行政にまで致命的な影響を与え続けた成果でした。
市教委同様事実の検証を欠いた県土整備事務所の青毛堀の呼び方・川名看板や橋名プレートの掲示や、県教委の『埼玉県市町村誌』第17巻出版(1979)も誤解と指導の矛盾を曝した具体例です。文献カイザンとその無検証の影響の大きさはタダただ呆れるだけです。行政による信義・誠実・公平等感覚は、地名変更の頭初から失われていたのです。
地元久喜市にありながら率先教委のオオゲの地名読替えを主導してきた歴代教育長・教育委員長や、教委に洗脳された田中市長や、良識ある対応や研究を欠いてきた市議会議長や議員・義務教育諸学校管理職の先生方に青毛アオゲ化行政に対する責任ある説明を求めてみて下さい。そして青毛が平成までオオゲだった事実を体験的に知っている老人達・生き証人たちが死滅してしまう前に、1日も早い違法行政の確認と改善の指示をお願い致します。
東京高等裁判所 御中
平成27年8月6日
○上告人・連絡先:関口 博 〒346-0011 埼玉県久喜市青毛1-9-1 ☎0480-21-1659
○被上告人:久喜市(市役所 〒346-8501 久喜市下早見85-3 ☎22‐1111)代表 田中喧二市長・ 市教委:柿沼光夫教育長・鹿児島金衛委員長;市議会:井上忠昭議長
○訴訟物;無断改称された伝承地名・青毛(おおげ)
○上告当事者間の元の裁判所: さいたま地方裁判所 第4民事部
○事件名:平成27年 (行ウ)第15号 不作為の違法確認事件
事件原因名:教育長の無断地名読替えと、協調した市長による青毛のアオゲ化登記事件
訴訟名:上記アオゲ化行政に長年伝承復活を求めても不作為な市の違法を確認する訴訟
○遺法行政無視の一方での訴状却下命令:平成27年7月7日付でさいたま地裁第4民事部志田原信三裁判 長より、主文『本件訴状を却下する』との絶対命令に当惑、上告を決意。
以下却下命令ほぼ全文を引用
1.一件記録によれば、①原告は事件名を「教育長の独断地名読替えと、協調した市長による青毛のアオゲ化登記事件」とし、請求の趣旨を「久喜市青毛や青毛小・青毛堀等固有名詞は、伝承のオオゲ読みするのが正しい」とする訴状を提出したこと、原告の主張は、必ずしも明らかではないが、要するに、「青毛」をオオゲと読むのが正しいにもかかわらず、久喜市教育委員会、久喜市長、久喜市議会及び教育長らが、「アオゲ」と読むよう教育し、又はそれを黙認していることなどを不服としているものであるようにうかがわれたこと、②しかし訴状の表記をもってしては請求が特定されているとはいえなかったことから、当裁判所は、原告に対し、補正命令により、請求の趣旨及び原因を明らかにすることにより、訴訟物を特定するよう命じたこと、③これに対し、原告が提出した書面は、上記補正命令の趣旨に応えるものではなかったこと、(請求の趣旨に変更はないとした。)④そこで当裁判所は、念のため、事務連絡により、原告に対し本件訴訟が行政訴訟であるとすれば、行政事件訴訟法3条等を参照した上、請求の趣旨として法が定める要件に沿った請求を定立した上、請求の原因として、当該請求をしうることを根拠付ける法的主張及び事実主張を具体的にすることなどを求めたこと、⑤これに対し原告が提出した「6月9日付け事務連絡についての回答」と題する書面に拠れば、本件訴訟は、行政事件訴訟法3条5項の「不作為の違法確認訴訟」である旨の回答はされたが、他方において本件訴訟は、各種法令違反から指導の無効を訴え、旧称復活を求めるものであるなどとしていること、結局、本件訴訟における請求は特定されないままであったことなどが認められる。
2.以上に拠れば原告は、上記補正命令に応じて請求を特定しなかったことから、民訴法137条2項 行政事件訴訟法7条により本件訴状を却下することとする。
よって主文の通り命令する。
○抗告・請求の趣旨
原命令を破棄し、更に相当の裁判を求めます。①固有の伝承地名を違法に偽称にすり替え、改善に不作為を続けた久喜市行政の誤りを確認され、②訴訟費用の一切は被告の負担とする判決と仮執行の宣言を求めます。
○原訴訟と抗告の原因・理由
不法に初め、更に不作為の違法を続ける「青毛(おおげ)のアオゲ化行政」の誤りの確認:
1.明治の文献『武蔵国郡村誌』の青毛村の呼名は、昭和の翻刻時「あをげ」と改竄されました。翻刻の筈なのに、昭和の編集者が明治の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』の誤読ルビに倣って現行のアフゲをアヲゲに読替えたのです。義務教育でこの改竄地名だけを教えるのは偏向教育です。地元では平成まで伝承のオオゲ・オーゲで呼んできました。
2.久喜市2代目以降歴代教育長は地名正誤の検証もせず、昭和55年の青毛小学校開校以来、地元の実情と違う県文献の誤りを指摘改正してもらうどころ、昭和版『郡村誌』や県教委出版の『埼玉県市町村誌』17巻久喜市青毛の誤読ルビを丸呑みし、一方的に青毛アオゲ化指導をしてきました。無縁の第三者の無根拠で誤った訓読みは、一級河川青毛堀川も、新設の青毛小学校も、伝承名と違うアオゲ読みで指導させました。この無神経な地名読替え路線には、幾度も異議が出されたのに、市は質問にも改善要望や陳情にも誠意ある回答をせず、検証を怠り改善に不作為を続けています。
3.市は固有名詞の読替えも教育長の権限と誤解し、確たる根拠も理由もないのに教委と共に固有地名「青毛(おおげ)」を明らかに国語辞典の同字の普通名詞 栗毛・瓦毛・葦毛等の類語「青毛(あおげ)」と混同視して、国土地理院や法務局が平成まで認めてきた地元の呼名を切捨て、県教委に倣って昭和版『郡村誌』の「あをげ」に読替える指導を続けてきました。固有名詞を普通名詞と混同すれば誤読と断定できます。法も伝承も市民も地域も軽視した偽称の採り込みは、明らかに自治法260条や教育関連諸法・住居表示に関する法律等を無視した事です。青毛小学校開校前の青毛の歴史にアヲゲの用例はないのに、市は青毛のアオゲ化を進め、昭和版『郡村誌』の改竄ルビに沿って字(あざ)名をアオゲに読替え行政化しました。
4.市民にとって青毛地区の地名読替えの必要性は現在まで全くなく、そうした法に基づく提案や諮問・議会での検討や承認・知事への報告・知事承認による官報での公開等々はどれもなされていません。明治の青毛村・現久喜市青毛の伝承名は、中世の「三戸文書」の表記「大毛」に由来しながら、近世の『新編武蔵国風土記稿』の「青毛村」以降、表記だけ「青毛」に変っても、呼び名は中世の大下読み、明治の「武蔵国郡村誌複本」(=県文書館収蔵『武蔵国郡村誌』の原稿)のルビに見るように、一貫してアフゲ・ヲウゲ・オオゲでした。
5.原稿の「郡村誌」青毛村には、各所にアフゲのルビが付されていたのに、昭和の翻刻ではルビが地元では全く呼ばれない「あをげ」だけに改竄され、この偽称は、翻刻の名目上昭和30年以降の地名辞典や地誌・自治体史関連出版社から、更に県・市の行政にまで取込まれ普及しました。
埼玉県東北部で青毛がオーゲ・オオゲと語られていた証は、明治以降平成初頭まで国土地理院や法務局・税務署や関係役所の扱いでも明らかです。
6.教育長に洗脳された現田中市長は、青毛地区区画整理完了前の平成9年末議会で、改めて自治法260条を違法に利用し、オオゲの新区画町名をアオゲ読みで提案了承させ、偽称の「あおげ」で法務局や国土地理院に登記変えさせました。自治法の260条の第1項を無視した違法で、議員達は勿論、一般市民も騙されたことになりました。
7.現在まで教委や市長・市議会に市民から幾度となく質問や伝承復活要請・陳情などが出されましたが、不作為が続いて埒が明かず、誠意ある回答も善処も当分されそうにありません。それで今年の4月不作為の違法確認訴訟を提起しましたが、それも原告の訴訟趣旨や原因が正しく理解頂けず却下されたので、改めて訴訟の趣旨と原因・上告の理由を書直し、抗告することにしました。地元にありながらウソの地名を公認し、改竄された『郡村誌』ルビを正当化した久喜市行政の誤りが確認されれば、市や県が隠蔽した伝承地名オオゲが当然復活されると信じるからです。
○却下命令を受けた原告の心情
市教委の青毛(おおげ)アオゲ化指導は、昭和の『郡村誌』編集者が犯した改竄ルビの盲信と瑕疵付き県行政の模倣に始まり、唯一無二であるべき固有名詞を同一漢字の普通名詞と混同し、スリ替えたものです。
固有名詞の本領は文字にあるのではなく、時代・地方・個別特有な伝承の呼び方にあります。また教育内容は、常に真実が証明できるものでなければなりません。知事も市長も教育長も単独で伝承を廃棄、別名に変えることは許されません。義務教育でのウソは即日止めさすべきです。原訴状には久喜市の地名読替えに絡む違法行政を「具体的違法行政の証拠」Ⅰ及びⅡに記しましたが無視されました。
取分け原告が問題とする点は、自治法260条の二重違反と故意の検証・改善の不作為で、伝承を偽称にスリ替えた段階で既に違法しているのに、今も明確な根拠を説明せず 不作為の違法を続けている点です。さいたま地裁は、あえて行訴法7条と民訴法137条を挙げ、「結局本件訴訟による請求は特定されぬまま」だったとしていますが、原告の訴訟の原因も原訴状や補正関連書状で一貫していると理解頂けませんでした。本訴訟は当然法廷で検証さるべきものでしたのに、却下はまるで原告の拙文を理由に行政の違法を放置容認した感を否めません。心外で勘違いも甚だしく、原告は久喜市行政が見せてきた地名偽称化の現実を率直に述べ、訴訟による違法事態の確認こそがあくまで請求そのものとしていたのに、埼玉県内訴訟では、最後まで分って頂けなかったのが不思議であり 残念至極です。
原訴状で一貫して述べた積りの久喜市行政の違法の事実は、歴代教育長の伝承廃棄による偽称の偏向教育とその行政が、誤りとの確認こそそのまま地名正常化に繋がると考えたからです。この訴訟は久喜市の具体的な違法の積み重ねに、更に違法な不作為行政が続けられている事態の改善を図るものでした。法廷による違法の確認そのものこそが原告の願いである点を、裁判官は原訴状と抗告状全体を通してご確認頂ければ有難く存じます。
○市教委・教育長による自治法無視の偽称アオゲ先行指導、:(=原訴状の「具体的違法行政の証拠Ⅰ」)
1.教委が学校設置条例の一部変更時、青毛(おおげ)の地名を訓読みアオゲにスリ変えた件:
久喜市教育委員会は昭和55年以降当時の戸賀崎教育長の指導で、伝承のオオゲ読みを捨て「青毛はアオゲが正しいからアオゲと読みなさい」と、新設の青毛小学校も「アオゲ小」と呼ばせ、結果的に不法に市民が慣れ親しんできた地元地名を教育によって偽称化させてきました。
「青毛小学校」開校時の青毛地区の呼び名は、既述のように法務局も国土地理院も郵便局も旧市民全体がオオゲ・オーゲと認めていました。当初仮称「青葉第二小」として建設が始った新設校に、地元の要望は 地域名を入れた「青毛(おおげ)小学校」にして欲しいと言うものでした。要望は学校設置条例の一部変更として昭和54年末の教育委員会と市議会で了承されましたが、地名変更議案は出されていません。(教育委員会会議録及び市議会速記録参照)
青毛小は議会の了承とは裏腹に、翌55年の11月に「アオゲ小学校」として開校したと教委も同校管理職も主張しています。住民には何の解説もなかった訓読み地名付きの校名は、地域住民の期待を大きく裏切るもので、これは当時戸賀崎教育長が一方的に県教委の付けた青毛のルビにスリ変えた結果でした。(『埼玉県市町村誌』第17巻 久喜市の頁・青毛参照)
昭和50年から60年にかけての榎本・曷川・坂本各市長ご自身は、青毛をオオゲと呼んでいたし、地名改称の必要も変更希望意見も一切なかったので、伝承は健在の筈でした。しかし教委は伝承地名の正誤の検証も、自治体内の町名変更の正式な理由説明も、地名変更関連の一切の手続き(住居表示に関する法律5‐②:5‐2①―⑥)もせずに、地名の青毛も国語辞典の青毛と同じアオゲ読みが本来正しいと決込んだのです。同一文字のため固有名詞を普通名詞と混同視した教委の指導は、明らかに固有名詞の性格毀損です。市教委は普通名詞の固有名詞化・混同読みを無批判に認め、その定着を図ってきました。
これは①永禄13年(1570)の古文献「三戸文書」の記録「大毛」から見ても、②翻刻の建前から昭和版『郡村誌』と明治の原稿(1883・85)とを比較しても、③歴史的に行政面で棚上げされた信義・平等・比例・説明責任等々と考え合わせても、④言語学や国語学・民俗学の観点から固有名詞を普通名詞と混同指導させてきた点等々は誤りなことは明白です。しかも⑤市自体これまでの住民の指摘や要望等から行政の誤りを半ば承知しながら、戸賀崎先生以来歴代の教育長や同委員長・現田中市長自身も容認してきた行政のためか、現場も議会も黙認、ウソの地名を義務教育機関でまことしやかに普及させてきました。
また久喜市は誤解に始った指導を違法のまま合法化しようと、⑥批判的な市民の質問には答えず、明治前後の「青毛(おおげ)村」にいつも故意に誠意ある検証も研究も欠いたまま、⑦5世紀にも及ぶ歴史的事実を隠蔽し、⑧県が明治の文献『武蔵国郡村誌』の翻刻で青毛村につけた改竄ルビを唯一の拠所に、⑨義務教育段階から伝承読みを捨てて偽称だけ教える偏向教育を続けてきました。⑩市民からの複数回の指摘や質問・陳情があった市議会すら、常に教委拠りで納得のいく回答をしてこなかった点、同様に大きな責任があります。
2.明治18年内務省に県進達の『郡村誌』青毛村の原稿ルビは アヲゲでなくアフゲ:
『郡村誌』編集を担当した明治の県庶務課の史誌編輯掛は、明治16年秋に「武州葛飾村誌」7冊、18年春に「埼玉(さきたま)村誌」23冊を内務省に進達しています。県文書館の「複本」で見るとおり、青毛村のタイトルには片仮名でアフゲのルビ、周辺村が言及する青毛村にもアフゲのルビ、青毛堀には各町村一様にヲウゲのルビを付けています。
また国土地理院5万分の1地図『幸手』でも、明治40年(1907)の測図1909年版ではオーゲ、(埼教委編『埼玉県市町村誌』久喜市の頁に引用図あり)昭和53年第二回測図1981年版ではオオゲの青にオオのルビ、昭和63年編輯平成2年(1990)版でも同じルビが使われています。これらは大毛・青毛と表記が変っても江戸から平成まで当地の伝承に変りがなかったことを国が証明したも同然で、昭和55年以降の久喜市歴代教育長が県の誤読文書をウ呑みにして「オオゲはアオゲが正しい」とした指導が誤りなことを示しています。
3.事実の隠蔽と違法指導隠し―『久喜市史調査報告書・地誌』も古典の改竄出版書:
明治16年県編輯の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』や昭和28~30年に県立図書館が翻刻名義で出版した『武蔵国郡村誌』青毛村ルビが示すように、明治の青毛村や青毛堀は、勿論昭和から平成までも近隣や流域住民から「アヲゲ」読みでは呼ばれていません。昭和30年以降杉戸や行田の土木事務所・現県土整備事務所が、青毛堀関連の橋の親柱のプレートや土手の看板に「あおげほりかわ」とか「あおげばし」・「しんあおげばし」等の呼び名をつけていますが、呼び名は昭和版『郡村誌』の青毛村の改ざんルビに拠っているため、地元の呼び名と違う偽称なのです。県や整備事務所は当然検証して修正すべきでした。
明治14年に出された太政官通達は、みだりな地名変更を禁じているし(『法令全書』)、同年県が行った「町村字(あざ)調べ」で青毛村から出された書面の青毛や上青毛には、当時の歴史的仮名遣いでアフゲと朱ルビが振られています(県文書館『明治14県治部町村制明404』参照)。
青毛小学校が開校する8ヶ月前の昭和55年の3月,埼玉県史編輯室は『新編埼玉県史資料編6・中世2』で、戦国時代の青毛が『三戸文書』で「大毛」と表記されていたことを発表しました。市教委はそれも知らぬ振りして、同年11月に「青毛小」をアオゲ小として開校させたのです。教委は明らかに前年県教委が出した『埼玉県市町村誌』の「あおげ」ルビに倣った指導で安心しきっていたため、県史編集室のこの記録に気付かなかったのかも知れません。でも国土地理院は翌昭和56年の測図の折、青毛がオオゲだと確認しています。
こうした状況を受けて久喜教委は、昭和58年『久喜市史調査報告書・地誌』の監修で 青毛小学校開校前後から始めた違法な青毛アオゲ化指導の責任逃れのため、江戸文化・文政期の『新編武蔵国風土記稿』と、明治の『武蔵国郡村誌』の「青毛村」や 他村や古文献の青毛言及箇所総てに「あをげ」の改竄ルビを振付けました。そして青毛のアオゲ読み指導が 江戸時代既にアオゲだった事実に基いた風を装ったと思われます。
この『地誌』には、久喜・幸手周辺町村や青毛堀流域市町村にも肝心な書誌の1つ・青毛がオオゲと呼ばれてきた根拠を示す「大毛」の表記をもつ戦国時代の「三戸文書」が 故意に外されていました。戦国の大毛は、江戸の『新編武蔵風土記稿』(1810~28)では「青毛村」と表記変えになっても、内閣文庫版とされる上記原著にはルビはついていません。でも固有地名の呼び方は前代からの流れを当然受けていたはずで、『市史調査報告書・地誌』のルビのように訓読みに変った証は、旧久喜町や青毛堀流域市町村の何処にもありません。『郡村誌』原稿・明治の「郡村誌複本」の青毛村のルビはアフゲだったし、国土地理院や法務局や郵便局、昭和50年代までの久喜市役所自体が認めてきたように、明治・大正・昭和を通して青毛はズッとオオゲ、オーゲと呼ばれてきました。
4.事実検証に怠惰で再三『郡村誌』の偽称事実を説明しても偽称路線を固執した市教委:
ご承知のように姓名は勿論 地名・河川名等固有名詞は、個人でも法人でも第三者が独断で変えられるものではありません。久喜市教委は、教育の名を借りて無縁の第三者が採った誤った呼び名を検証もせずに取込み、ウソの地名を違法に越権教育指導してきました。既述のようにこれは明らかに固有地名の(大毛)青毛を同字の普通名詞、栗毛・瓦毛・葦毛等類語の青毛と混同したためでしょうが、国語の指導では固有名詞と普通名詞の違いは 一層ハッキリ区別して教えさす必要があります。
青毛本来の呼称復活要望は、田中市長には元より戸賀崎先生の後継教育長の橋本先生・小松先生・吉田先生にも根拠を示してお願いしてきました。しかし全く考慮されず、教委でも現場でも誠意ある検証も、研修会すらして頂けませんでした。
青毛土地区画整理事業がほぼ終りに近づいて、区画町名を決める段階に入った平成6-7年頃、市教委は組合に昭和版『郡村誌』青毛村のタイトルページのコピーを送り、オオゲの町名を青毛小と同じアオゲ読みにするよう示唆・指導しています。組合の理事や総代達はこの時初めて自分達がオオゲと呼んできた地名が、明治の翻刻で{あをげ}と活字化されていたのに驚き、半信半疑ながらアオゲ小の指導を納得したようです。しかし地域内住民のオオゲの呼び方は、オオゲ・アオゲと混乱は続いて一定しませんでした。
平成9年の9月議会では「青毛の町名や青毛小の呼び名」について渋谷晃次議員が質問されましたが、市側の依然歴史事実を無視した答弁でゴマカされました。
オオゲ・アオゲに関する教委や現場の先生方へのアンケートも 教育次長や校長が即日回収・廃棄しました。教委や議会への質問や陳情もいつも昭和版『郡村誌』の偽称ルビ優先で、議会の小委員会も一事不再理・既に決ったことと考えているらしく、100条委員会の設置も無く誠意ある回答がなされたことはありません。
当時須鎌次長は『郡村誌』の青毛村ルビがオオゲとなったら考えます」と笑ったし、現教育委員長・当時学校教育課長だった鹿児島先生は、在住が浅く歴史を知らぬ青毛唯一の議員や部落代表もアヲゲを認めていると、嬉しげに議員の宣伝ビラをチラつかせたことがありました。またその後桜田出身の岡次長や久喜中出身の立川次長は、子供時代や中学時代の青毛が何と呼ばれていたかは忘れた と無責任な嘘をつきました。
昨年3月退任の吉田教育長は 手近のコヤ新田出身でも、「アオゲは県も認める行政名で、『アオゲ小学校』は固有名詞だから修正する気はありません」と言いきりました。県や市の誤読やカイザン偽称に沿って地元と違う読みを採る「アオゲ小」の呼び名は正式な固有名詞になれても、伝承されてきたオオゲ読み固有地名は行政では使えないと、不合理で差別的な説明を受けました。固有名詞に伝承以外の行政語があり、それが優先するとは全く初耳でした。教委はアオゲ読み根拠が非常識なのを決して認めようとしないのです。
また20年近く前、久喜市や幸手市のメイン商店街の皆さんや、青毛・栗原・吉羽・野久喜・江面・清久・上高野・下~中川崎の有志の方々がサインされた「青毛(おおげ)復活要望署名簿」は、現田中市長が理由も公表せずボツにしてしまいました。地方の時代であるべき現代に 行政がウヤムヤ裡に事実を隠蔽し、県の誤読文献の検討も県への誤解修正要望も行わず、ただ上部行政庁への忠誠のため県公開のカイザン地名を鵜呑みに義務教育課程からその普及を図り、一方的に旧称を廃棄したのは 県オモネリ偏向行政そのものではないですか?
○田中市長区画整理後の新町名提案に自治法260条を不法利用:(=「具体的違法行政の証拠Ⅱ」)
明治の『郡村誌』原稿(=複本)には各所にアフゲ・ヲウゲのルビが記されていますが、ただ吉羽村と野久喜村2村にだけ校正漏れか誤記でアヲゲのルビがありました。昭和の翻刻『郡村誌』では、このルビが明治の瑕疵文献『埼玉県各郡町村名』の青毛村のルビと一致していたためか、明治の史誌編集掛が内務省への進達で新たに付け直した伝承ルビを皆削って、村名ルビは誤読の「アヲゲ」一っに絞ってしまうカイザンをしました。市教委が採りこんだこの改ざんルビを、田中市長も市議会も地元の伝承以上に評価し、歴史的現実を無視し全く問題視していない点が、問題なのです。
青毛地区区画整理後の新住居表示を、田中市長が平成9年12月議会で自治法260条を基本らしく装って第1項冒頭の「政令で特別の定めをする場合を除いて」(註.区画整理法も該当)と言う条項を無視して、新区画住所をアオゲ読みの偽町名で議会に諮り議員達を惑わし、アオゲ読みで議会の黙認を得ました。議会は全員賛成だったと言いますが、これは違法に始った教委の偽称指導に、更に自治法260条を違法に重ねコジ付けた点自治法2条17-18項によって無効は歴然であり、住居表示に関する法律が薦めるように(第5条の②)新町名も古来のオオゲ読みでなければ正しい住居表示にならないはずでした。
また従来のオオゲ読みを偽称のアオゲで法務局や国土地理院に登記変えさせた行政指導も大きな法令違反です。当時の議会は黙認していましたが、それも昭和版『郡村誌』の青毛(おおげ)のアヲゲ読みが、昭和30年以降の地名辞典や地誌関連書に広く転載・増幅増殖し、県や久喜市の教育・行政にまで致命的な影響を与え続けた成果でした。
市教委同様事実の検証を欠いた県土整備事務所の青毛堀の呼び方・川名看板や橋名プレートの掲示や、県教委の『埼玉県市町村誌』第17巻出版(1979)も誤解と指導の矛盾を曝した具体例です。文献カイザンとその無検証の影響の大きさはタダただ呆れるだけです。行政による信義・誠実・公平等感覚は、地名変更の頭初から失われていたのです。
地元久喜市にありながら率先教委のオオゲの地名読替えを主導してきた歴代教育長・教育委員長や、教委に洗脳された田中市長や、良識ある対応や研究を欠いてきた市議会議長や議員・義務教育諸学校管理職の先生方に青毛アオゲ化行政に対する責任ある説明を求めてみて下さい。そして青毛が平成までオオゲだった事実を体験的に知っている老人達・生き証人たちが死滅してしまう前に、1日も早い違法行政の確認と改善の指示をお願い致します。