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球人コラム14回 郭泰源編

2006-04-03 16:34:23 | 球人コラム
郭 泰源(カク タイゲン) 表記 郭 背番号 12→18
1962年3月20日生まれ 台湾台南市出身
身長 180cm 体重 72kg 血液型 O 右投げ右打ち 投手
球歴 長栄高 - 合作金庫 を経て1985年に西武ライオンズに入団。

通算成績 272試合登板 117勝68敗18セーブ 防御率3.16 1069奪三振 

選手概要
球史に残る助っ人投手の1人。
MAX158km/hの速球を投げることから「オリエンタルエキスプレス」と呼ばれた。
剛速球投手であったがコントロールも抜群に良かった。
剛速球に加え変化の大きいHスライダーも武器であった。
渡辺久信氏・石井丈裕氏・松沼兄弟らとライオンズ黄金時代の強力投手陣を築いた。
他球団で活躍していた台湾人投手の郭源治氏(元中日)・荘勝雄氏(元ロッテ)と共に「二郭一荘」と呼ばれた。

1984年に行なわれたロサンゼルスオリンピックで台湾代表の投手として自慢の速球を武器に活躍しライオンズ、巨人、MLBの球団が争奪戦を繰り広げた末にライオンズに入団。

1985年6月4日のファイターズ戦で来日1年目ながらノーヒットノーランを達成。

1987年に背番号を12から18に変更。

1988年に初のタイトルとなる勝率第1位を獲得。

1990年に初のオールスターに出場。

1991年、リーグ優勝の原動力となりMVPを獲得。
優勝争いを繰り広げた近鉄から7勝を挙げた。
初のベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。

1992年もゴールデングラブ賞獲得。

1994年に2度目の勝率第1位を獲得。

1996年、外国人選手としては初のFA権を習得し外国人選手登録から外れる。

1997年に現役を引退する。

引退後は台湾と日本球界との架け橋として許投手(西武)ら台湾人投手日本球界入りのアシストをした。

2004年に台湾プロ野球の、誠泰コブラズの監督に就任する。

2005年にシーズン後期にプレーオフを制したが台湾シリーズで敗退する。
同年に郭氏は関わってないが球団が八百長事件に関与してしまう。
同年監督を辞任する。







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