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球人コラム11回目 前田智徳編

2006-03-16 23:19:09 | 球人コラム
前田 智徳(マエダ トモノリ) 表記 前田 背番号 1
1972年6月14日生まれ 熊本県出身
身長 175cm 体重 80㎏ 血液型 AB  右投げ左打ち 外野手
球歴 熊本工 を経て1989年ドラフト4位で広島東洋カープに入団

通算成績 1658試合 打率.305 251本塁打 882打点

選手概要
2005年シーズン終了までに規定打席到達で10回の三割を記録した天才打者。
天才とは呼ばれているが練習熱心で実際は努力の天才である。
球界の殆どの選手や関係者から尊敬されたり高い評価を得ており、イチロー選手(マリナーズ)が落合監督(中日監督、元ロッテ・巨人他)と共に球界で最も尊敬している選手でもある。
奇人として有名な元祖安打製造機の榎本氏(元オリオンズ)からは「自分と共通するものがある」と言われた。
理想的で美しいバッティングフォームに加えバットコントロールが素晴しく、ほぼ毎年リーグ最少三振を記録している。
長打力もあり、首脳陣からは4番を期待されていたこともある。(前田選手本人は断っている。)
守備も上手く、今に至る慢性的な足の怪我の原因となるアキレス腱断裂の大怪我をするまでに4回ゴールデングラブ賞を受賞している。
怪我をするまでは走攻守全ての揃った選手であった。
もしこの大怪我をしていなかったらタイトル獲得や早い時期での2000本安打達成もできていたであろう。

1990年に3月のオープン戦の対ロッテ戦で7番打者として先発出場して、5打数5安打4二塁打と鮮烈なデビューを飾る。
ウエスタンリーグで3割を記録し1軍レギュラーに定着する。

1991年の開幕戦に1番打者として出場しプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を記録。
初のゴールデングラブ賞を獲得。

1992年には3割に到達し、初のベストナイン、二度目のゴールデングラブ賞を獲得。

1993年は初のオールスター出場を果たしこの年もベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。

1994年はパウエル氏(元中日・阪神)と首位打者争いを繰り広げ、敗れて打率2位となる。
この年出場したオールスターで当時オリックスのイチロー選手に握手を求められる。
この年もベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。

1995年の5月23日ヤクルト戦で走塁時にアキレス腱を断裂。25試合出場に留まり打率も.256で終わる。

1996年は3割に復帰するもタイトルは無し。

1997年に100号本塁打を達成。

1998年に1000本安打を達成。
リーグ記録となる23回の猛打賞を記録。
この年は鈴木選手(横浜)と首位打者争いをするも、再び打率2位となり首位打者を逃す。
4年ぶりにベストナイン獲得

1999年に1000試合出場を達成。

2000年はFAで巨人に移籍した江藤選手(西武)の穴を埋めるため4番で起用されるもシーズン後半に怪が悪化し戦線を離脱する。
FA権を獲得するも放棄した。

2001年に結婚するも怪我をして再び戦線離脱する。

2002年に怪我から見事復活しカムバック賞を受賞。

2003年は打率3割を切ってしまい不本意なシーズンとなった。

2004年に200本安打達成、1500本安打達成、1500試合出場達成と記録ラッシュになった。

2005年に出場したオールスターでMVPに選出される。
自己最多の32本塁打も放ち、シーズン終了時点で打率.312を記録、これで3割到達10回、通産打率.305(5000打数以上)となり両方とも現役選手の中での最高値となり、通産打率は長嶋氏(元巨人)と並ぶ歴代5位となる。

新監督のブラウン監督(元広島)に野手のチームリーダーに選ばれ、去年最下位だったカープをどこまで引っ張っていけるかと初の打撃タイトル獲得に期待がかかる。
現在通産1758安打なので2年後には2000本安打獲得は怪我をしない限り確実である。




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