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Saeki89 Medical Trainers🥎元巨人・佐伯院長のスポーツ総合治療院

「アスリートの肖像」 桑田真澄2

 2月に入り各球団一斉にキャンプイン。それより2週間程遅くメジャーのキャンプも
いよいよスタートします。
今年は松坂大輔、岩村明憲ら大物選手の活躍が期待されていますが、私個人的な
一押しは、やはりこの男!「桑田真澄」しかいません。

 Gコーチ時代の春季キャンプ。私がブルペンで投手陣の状態をチェックしていると真澄が
「佐伯さん。右打席に立ってくれませんか?」
と言ってきました。念のためヘルメット着用で打席に入り何球かストレートの回転をチェック。
「じゃあカーブ行きます!」
頭部直撃かと瞬時に判断し、バッターボックス後方に倒れると、ナナ…何とそのボールは
ものの見事に外角低めに決まりました。その時真澄のボールを受けていた村田真一さんは、
「佐伯、何しとんねん??」とマスク越しにニヤリ。

 余談ですが… その後、ブルペンには三野勝大というドラフト一位の投手がいました。
調子にのって「三野!打席に立とうか?」。「あっ、お願いしま~す!」。次の瞬間…
「ドスッ!!」。私の背中に150キロ近いストレートが食い込んできました。
翌日のスポーツ新聞各紙には「巨人佐伯コーチ、ブルペンで倒れる!」の見出しが!!
その内容はまさに「察して知るべし」ですが…


閑話休題…

12月18日18時。
退団発表から約3ヶ月。代理人を通さずに数球団と自力で交渉し続け、真澄らしく
背番号と同じ“18”にこだわった移籍発表でした。

 その数日前、プロ野球OBクラブのミーティングでピッツバーグ・パイレーツ極東スカウト
小川邦和氏(70~80年代巨人及び広島で主に中継ぎとして活躍された投手)と
真澄の移籍について話していたばかりでしたので驚きはありませんでしたが、完全に
ビジネスライクになっている近年の野球界で代理人を通さずに選手本人と球団が
交渉するのは極めて珍しいケースです。
私の知る限りジェイミー・モイヤーとカート・シリングくらいで、ましてや日本人選手なれば
史上初の快挙と言えます。

 条件面ならばボストンでしょうし、肘の執刀医であるフランク・ジョーブ博士がいる
ロスアンゼルスも選択肢にあったにも関わらず、ピッツバーグ・パイレーツを移籍先に
選びました。これは真澄ならではのしたたかな考えがあるに違いないでしょう。

 レッドソックスやドジャースならば、その投手層の厚さからメジャー昇格は厳しいものに
なりますが、パイレーツは若手投手陣で編成され、今後補強があるでしょうけれど
経験のあるベテランがほぼ不在状態です。たとえマイナー契約であっても、監督が
元大洋のトレーシー氏、投手コーチが元オリックスのコルボーン氏ならば桑田真澄の
全盛時代を知っています。(因みに打撃コーチは元巨人のジェフ・マント)
メジャーリーガーにとっても彼の実績と経験、投球論は勉強になるはずですし、野球に
恩返しがしたいと願う真澄にとって、最終的な決断はやはりロベルト・クレメンテ※の
存在も大きかったと思います。

「お金じゃない… 人生経験と野球を学びに行くんです。」
一つのことを極めた人間だからこそ発言できる言葉のような気がします。

未だに脳裏に焼きついている「あのカーブが復活すれば…」
新背番号52がメジャーのマウンドで躍動する姿が見れることを心より祈っています。


※ロベルト・クレメンテ
72年にニカラグア大地震の救援活動に向かう途中、飛行機墜落事故で亡くなった
パイレーツの殿堂入り選手。

野球の成績とともに社会福祉活動や地域奉仕への貢献が顕著な選手に贈られる
「コミッショナー賞」は1971年に制定されたが、彼の功績により73年から「ロベルト・
クレメンテ賞」に名称変更された。
米大リーグ30球団から1人ずつ候補が選出され、年に1人が表彰される。
因みに昨年は、基金を設立し母国プエルトリコの恵まれない子供たちを支援した
メッツのカルロス・デルガド内野手(34)が受賞した。


佐伯トレーナーズ治療院

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