山下清 展

2006-05-21 | ART
「裸の大将」「放浪画家」などと呼ばれ、たくさんの人々から

愛された画家「山下清」。



3歳の時に3カ月間、高熱にうなされ歩けなくなる程の重態に

なった。


これがきっかけで言語障害・知的障害になり、周囲の子供達からは

ひどく虐められたり、さらに父が病死するなどの苦難が続いた幼少期。


その後、養護施設に入れられたが、たまたま学園教育の一環として

行われていた「ちぎり絵」との出会いにより画才を開花させ、

独自の技法による「貼り絵」に発展させてきたという。





こんなにたくさんの作品をちゃんと見たのは、今回が初めて。



初期のころの絵はやはり、まさしく「子供の絵」という感じだが、

それでも、色や構図のバランスがとても良くて、才能の片鱗を

感じることが出来る。



モチーフはほとんどが風景や花だが、年を追うごとに絵に緻密さ

がどんどん増してきて、細部までとても細かく、しかも土地の香り

や人々の感情までもが観る側に伝わってくる。



「山下清」のフィルターを通すと、ありきたりな平凡な風景も

とても個性的な絵になるのだ。



また、影響を受けたという「ゴッホ」の影も少し見え隠れしたりする。



あと意外だったのは「貼り絵」のみならず、水彩や油彩、ペン画

なども書いていたということ。



ただ、何でどう描こうが「山下清」の温厚な性格が画風に滲み出た、

とても温かみのある作風に変わりはない。



彼が放浪の旅に出た本当の理由は、徴兵を免れる為だったという。


始めて放浪に出た昭和15年は、太平洋戦争の開戦の前年であり、

日本は戦争ムードが深刻化していた時代。


だから、テレビドラマの「裸の大将放浪記」では、放浪先で絵を描き、

さまざまな感動を残すストーリーとなっていたが、実際の放浪では

ほとんど絵を描いてなかったのだとかw。


「爆弾なんかをたくさん作らないで、花火をたくさん作ったほうが

戦争なんて起きないのに。」という一文が印象的だった。




1959年には、ヨーロッパ9カ国を訪問するが、このとき描いた絵は

それまでの絵と雰囲気がガラリと変わる。


もっとも貼り絵ではなく水彩だが、点描を織り交ぜとても臨場感の

ある作品でちょっと驚いた。



大正に生まれ、戦前・戦後・そして高度経済成長期という慌しい

時代を一気に駆け抜け、山下清は四九歳で生涯を閉じた。




山下清展は、大丸札幌店29日まで

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