パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

山城 尾野山城跡Vol.2

2020-01-18 13:24:16 | 

今年は雪が全くないので

行ってみました

付近案内図です

県道186号線須川方面へ進むと

Yの字の分岐点があり

愛宕山展望台入口の案内看板があり

斜め左方向へ進入します

集落内を道なりに進むと

 


このような標柱が見えます

軽自動車や小型普通車ならこのまま

左折して行けますが

中型普通車以上はそのまま

斜め右方向へ車を進めます

集落内を進むと信号のない交差点

行き当たります

交差点を右折すぐに尾野山公民館

あります

公民館敷地内に

尾野山城跡観光案内板があります


こちらに駐車して車で来た道を

徒歩で先程の標柱まで戻ります

 
標柱から舗装された道を進むと

ここが登城口です


公民館駐車場から徒歩10分ほどで

駐車スペースの様な場所に

辿り着きます

階段を上り

歩を進めると

展望台がありその脇を進みます

展望台から眺められる景色です

こうして見ると第一次上田合戦

上田城を攻めた(結果は敗走)後、

真田方の丸子城(丸子氏)を攻める為

徳川勢が布陣した八重原台地

よく見えます


真田昌幸にとって戦略上重要な城

あったことがわかります

尾野山配水池脇にある鳥居をくぐり

歩を進めます

2つ目の鳥居をくぐり

3つ目の鳥居をくぐって歩を進めると

愛宕神社社殿に着きます

毎年1月最終の土曜日夕から日曜日

かけて祭事が執り行われるようです
 
案内の通りに社殿の裏に回ると

今は埋まっていますが堀切を経て

 

馬の背の様な比較的平坦な三の郭へ

と足を踏む入れることになります

 

南側斜面には切岸と帯曲輪が

施されています(画像中央当たり)

 

途中に石祠があります

 

今は土橋のようになっていますが

その左右には堀切を見る事が出来る

縄張り図が掲示されています

 

南側の堀切

 

 

北側の堀切から竪堀に

 


小規模な桝形虎口のように

見受けられます

この辺に門があったのでしょうか?

 

この辺りは切岸部分

 

二の郭に足を踏み入れます

馬の背の様になっている部分から

斜め左に腰曲輪が平坦に続きます

 

途中に首なしの石像が

鎮座しています

 

南側には2段の腰曲輪が見る事が

出来ます

 

反対の北側はこのような眺めです

手前が尾野山集落で神川や

神川地区(海野平)、条里的遺構が

みてとれる第1段丘の染屋面、

神科地区、豊殿地区、真田地区、

菅平高原、四阿山・根子岳が

望めます

そして戸石城・砥石城や矢沢城、

真田氏本城などが見る事が出来ます

 

小さな平坦部分

何か施設があったのか?

 

更に進むと

 

先程より一回り大きい平坦部分

あります

櫓台だったのでしょうか?

 

2条の堀切跡

両側にその痕跡がみてとれます

 

いよいよ主郭へ 

高い切岸になっています

 

主郭 小規模です

 

西寄りに小さな三峰社社殿が

鎮座しています

近傍には土塁の一部がみてとれます

 

眺めがイイですね!

海野郷も一望できますしその先の

小諸や御牧原、佐久方面も望めます

 

これらが掲示されています

 

主郭後背の搦手側には2条もしくは

3条のからなる大堀切を

見る事が出来ます

 

大堀切へ下りることが出来ます

 

搦手側に伸びる平坦な尾根から

主郭を望む

 

主郭を仰ぎ見る
 

㈱しなのき書房発行の

上田古地図帖に掲載されている

上田市立博物館所蔵の

信州上田合戦図です


その中央部に尾ノ山に陣取る

真田安房守の軍勢の様子が

記載されています

数字などの信憑性は?です

また、

日付が天正十三年年八月二日

なっており、実際には閏八月二日

このほかに

真田源三郎後伊豆守(真田信幸)や

十八歳真田左衛門(真田信繁(幸村))の

名前が記載されています
 
以上、尾野山城跡の紹介でした
 
尾野山公民館から行って

帰ってくるまでに1時間ほどです

よく整備されていて

(携わっているみなさんに

感謝いたします)

大変行き易く多くの遺構を見る事が

出来て景色も良くハイキング程度の

感覚で登城することが出来ます

落葉から芽吹きまでの間が

訪れるには一番良いかもしれません

ただし、雪が無ければですが(^ω^;)
 
今年は

第27回

山城サミット上田・坂城大会

10月31日(土)~11月1日(日)

開催されます
 
たくさんの山城がある上田小県地域

微力ながらいくつかの山城

紹介できればと思っています


山城 尾野山城跡Vol.1

2020-01-18 13:24:16 | 

ここ3年間、仕事が忙しくて

また私的でも色々とあって

なかなか、趣味のに時間を

割くことが出来ないでいました


令和2年・2020年はまた城活

積極的にしていきたいと

思っています

 

という事で早速ですが

私が生まれ育ち、

現在でも仕事場(事務所)でもある

実家がある

上田市の神川地区は古からの

歴史が豊富な場所です

官道の古代東山道が通り、

信濃国の国府が置かれたり、

信濃国分寺が建立されたり

平将門が合戦をしたり、

源頼朝の勧進と伝わる

信濃国分寺三重塔(国重文)があり

海野平の合戦

第一次上田合戦(神川合戦)

あったりしました

 

中世末期から戦国時代には

戦国大名や国衆の草刈場・戦場

となった為に

多くの山城が造営されました

 

そんな多くの山城を実家の屋上や

実家までの道すがら

市内を車で走っていると

そこかしこに見ることが出来ます

実家から見えるのが真田氏本城など

真田地区の諸城や

戸石城・砥石城矢沢城伊勢崎城(砦 蚕山)を望むことが出来ます

そしてもう一つが

今回の記事タイトルになっている

尾野山城(尾山城) 

上田市生田2007-1

(尾野山公民館の住所)

<掲示されている縄張り図>

海野氏配下の尾山氏によって

造営されたとされる

造営年代は詳細不詳ではあるが

室町時代後半か?

応永7年(1400年)の大塔合戦

参戦したとの伝承があり

その後の戦乱の中で造営されたか?

大塔合戦 応永7年(1400年)9月24日に

信濃守護小笠原長秀

村上・祢津・海野・高梨・井上氏などの

国人領主の連合軍対戦した合戦

この尾野山城跡が落葉した晩秋から芽吹く前の初春にかけて

実家やその周辺から目の前に

はっきりと見える様になるのです!

このように実家の屋上から見る事が出来ます

たぶん尾野山城をこういう風に

撮った人はいないのでは!?

登城口となる愛宕神社参道側から

中央部の建物が愛宕神社社殿です

<参道→社殿→堀切→三の郭>

<比較的平坦な三の郭付近>

 

<三の郭→堀切→二の郭→堀切→主郭>

主郭 見事な台形を成しています

主郭西寄りに小さな三峰社社殿が

あります

<二の郭→堀切→主郭→大堀切>

続く・・・