力石を死に至らしめたというショックから何とか回復し、ボクシングの世界に戻れたかのように見えた。しかし、スパーリングをしたマンモス西は、ジョーが顔面を打たないことに気づいた。
ボクシング界に復帰したジョーは、必殺のボディー打ちで連戦連勝を重ねた。それに危機感を覚えたボクシング協会は、共謀して何とかジョーつぶそうと躍起になる。
公開スパーリングにおびき寄せ、多くのボクシングジム会長がそれを見学する。次に対戦するのは、チャンピオンのタイガー尾崎だ。
異様な雰囲気のなか、ついに戦いが始まった。自分が顔面を打てないことをジョーは自覚していない。それが見破られることを恐れてセコンドにつく段平と西。
案の定、タイガー尾崎側は、その弱点を見破っていたのだ。
段平は試合のさなかに、ジョーに現実を告知せざるを得なくなった。
「ジョーよ、おめえにたたっているというのは、力石の霊さ・・・力石の亡霊がいまだにおめえのからだにこびりついているんだ」
縁起でもない迷信をなんでかつぎだすんだと怒るジョーに、段平は冷ややかに言う。
「迷信じゃねえよ。きわめて科学的・・・かつ心理的におめえは力石にたたられておる。亡霊にとりつかれとるんだ」
「ふだん、おめえは意識もしてねえだろうが・・・いざ、土壇場のとどめ打ちとなると、そのおびえの本能が顔面をさけてボディーばかりをねらってしまう。こいつばかりは・・・この無意識の本能ってやつばかりはどうしようもねえ・・・」
「さあいけ、ジョー! タイガーに勝ちたいのなら、はっきり力石の霊を意識し、その力石の霊を払いのけて思いっきり顔面を攻撃するしかねえっ」
これはすごい!たかが漫画の世界で、人間の無意識の世界まで踏み込み、さらには、それを克服するには無意識を意識化して、意識の中でそれを乗り越えるしかないというのだ。心理学も精神医学もしらない、飲んだくれの拳闘馬鹿の丹下段平が。
人間がいかに多くの無意識に縛られているか・・何となくそんな話は聞いたことはあるだろうし、感覚的には多くの人がわかっていることだろう。しかし、無意識の大きさ、すごさはそれほど理解していないだろう。逆に言えば、人間は意識できていることの方が少ないのだ。それは氷山の一角に過ぎない。その下には、巨大な無意識がそれを支えている。体験としての無意識だけではない。人は自然の一部である以上、あらゆる自然現象、時空間の現象に影響を受けていて、それが何なのか、どれくらいどうなのかなんて、いかなる学者、専門家であろうが、しるよしもない。
そういう中でおこった出来事を、過去のトラウマと結びつけようとしたり、偶然とか、運命とか宿命とかいう言葉で納得しようとする。誰にも経験があるだろう。しかし、本とのことはわからない。わかるわけもないので、謙虚にわからなさを認めて、無理矢理わかろうとせず、起こってくる現実を素直に認め受け入れた方が、無理のない生き方ができると思う。
ただ、無意識の中の表層のごく一部には、現実に体験したことの中で、苦痛に満ちた経験が抑圧され、そのエネルギーが今の思考や行動を制限している場合があるのも事実だ。その無意識の中でも表面のごく一部のものに対して、心理療法がなされるわけだ。
治療は緩やかに時間を十分にかけ、らせんを描きながら徐々に徐々に確信にふれ、抑圧されていた外傷体験に直面し、それから目をそらさず、意識しつつ、今やるべきことをできるようになること、それを目指していくわけだ。
まだに段平がいったように、力石の霊を意識しつつ、それを払いのけ、目の前の本当の相手の顔面を攻撃できるようになる・・そういうことなのだ。
この漫画のすごいところは、理屈はそうであっても、決して簡単にそれをジョーは実行することができないところだ。その現実に直面するたびに、身体反応が激しく起こり、意識ではどうしても無意識の反応を乗り越えることができず、また闇の中に落ちていく運命にあったというところである。
深い、実に深い。これからもジョーの葛藤は続くのである。