カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:5

2017-05-30 11:52:23 | エキュメニズム
『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:5

 既にこのアメリカ人大司教は、今世紀中のアメリカ政治を特徴付けることとなる汎民主主義的帝国主義を自分のものとするです。教会と、(カトリック教会から排斥されたはずの)フランス革命の考えを世界中に押し付ける使命があるとするこの帝国主義とを結び付けるという考えは、それ自体全く驚くべきことでした。しかし時代は人々の考えが少しずつ道を外れて行く時代でした。


 クライン神父は『ヘッカー(Haekker)神父の生涯』と言う本を訳します。この翻訳本にはアイルランド大司教の序言と、ギボンズ司教の手紙が付けられ、まさしく『政党宣言』でした。しかしこの訳本は排斥され書店から取り除かれました。後にシャルボネルはこう告白しています。「疑いも無く、これらの人々(ヘッカー神父、アイルランド大司教、コアン(Koane)司教、クライン神父)が代表する考えのために背教することになった。しかしわたしはそれをわたしの解放と呼びます。」(Revue chretienne, 1er octobre 1899)

 つまり、既に「新しい教会」そしてその「新しい司祭」が問題になっていたのです。この「新しい教会」は諸宗教の精神的一致という観念のうえになり立っています。つまりその土台は個別の誰にも属してはいなく全ての者として属する土台の上に、です。これはまさしくフリーメーソンの定義そのものです。

 「フリーメーソンは、全ての気候の住民に、全ての礼拝様式の人々に合う普遍的な道徳であり、その一つの不変の道徳は排他的な土着の諸宗教よりもより広く普遍的である。」(Tableau Historique, philosophique et moral de la Franc-Maconnerie, par le F∴ Ragot, secretaire du Grand-Orient, in l’Action francaise, 15 aout 1907)

 既に19世紀の中葉にはグラン・オリエントはこう信仰宣言しています。「この地球上の個別の宗教を全て含むある一つの世界的宗教がある。それこそ、我々が信奉するものである。」(Bulletin du G. 4. O∴ de France, juiller 1856, in l’Action francaise, 15 aout 1907)

 そして奇妙なことに、この考えは『世界的イスラエル契約(l’Alliance Isra lite Universelle)』と全く同じ考えです。

 既に19世紀中葉から、フリーメーソン的な考えを、世界統一宗教を支持する巨大なそして不気味な運動が起こっているのです。この運動は、ローマ・カトリック教会の基礎、すなわち天主からの啓示自体を否定するにも拘わらず、教会の懐の中にも幾人かの信奉者を持っていたのです。

 教皇レオ13世は1896年6月29日に『サティス・コニトゥム』(Satis cognitum)というすばらしい回勅を発表しています。(興味がある方は、デンツィンガー・シェーンメッツァー『カトリック教会文書資料集』エンデルレ書店3300~3310をご覧ください。)

 「イエズス・キリストは、大体の点では似てはいるが、使徒信経を唱えるとき我々が『我は唯一の教会を信じ奉る』と言う程に唯一の不可分の教会を形成するこれらの絆によって互いに結ばれていない別個の複数の共同体から成る一つの教会を考えもされず、創立もされなかった。」

 レオ13世の言うことを、今世紀初頭にピオ11世は、その回勅『モルタリウム・アニモス』の中で、全く同じことを繰り返されています。


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