カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第2バチカン公会議とは

2017-01-17 01:47:52 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議とは

第2バチカン公会議の権威

 以下の議論は、ドミニコ会ペトロ・マリ神父の論文(L'Autorite du Concile par le Pere Pierre-Marie O.P. Directeur de la revue Le Sel de la Terre, "Eglise et contre-Eglise au Concile Vatican II" Publication du Courrier de Rome, BP 156, F-78001 Versailles Cedex, France, pp287 - 325)の論旨を日本語にしたものです。

第2バチカン公会議に関する公文書

ヨハネ23世は1962年10月11日公会議開会演説でこう言っています。

「また、この世界会議が第1に目指す目標は、教会の主要な教えのいくつかを討議することではなく、教父や過去および現代の神学者たちによって伝えられ、当然ここに御参列の皆様が知っておられる事柄を、繰り返すことでもありません。… 尊ぶべき教えに含まれている真理、すなわち信仰の遺産そのものと、これをあらわす形式とは同じではありません。もちろん、あらわす形式は異なっていても、その教えの意味は変わるものではありません。この方法は重視しなければならないものであって、もし必要とあれば適当な表現法を見出すために、どこまでも忍耐強く努力しなければなりません。すなわち、特に司牧的な性格を持つ教導の任務に、よく合致する表現法でなければならないでしょう。」(ラテン語原文Acta Synodalia Sacrosancti Concilii oecumenici Vaticani II, Typis polyglottis Vaticanis, Vol. I, Pars I, 1970, p.171-172. 『歴史に輝く教会』pp333—334)

この有名な文章によって、教義決定の公会議と司牧的な公会議(この分類に入るのは第2バチカン公会議だけです。)との区別が生まれました。

パウロ6世は1963年9月23日、第2会期の開催演説の中で、故ヨハネ23世を称えてこう言っています。

「あなたは、いったん中断された研究を再開し、検討が中止された法律を再び討議するために、使徒の後継者である兄弟たちを召集されただけでなく、彼らが教皇と一体であると感じ、『キリスト教の聖なる遺産を効果的な方法を持って保存し、また説明するために』教皇から力と導きを受けるように召集されたのでした。しかし、公会議にもう一つ別の最高目的もお加えになりました。それは、今やますます急を要し、以前にも増して実り豊かなものと思われる司牧上の目的であります。あなたは次のような警告をお与えになりました。『教会の教えの2,3の中心問題を取り上げることが私たちの第1の目的ではありません。…むしろ、この教えを現代の必要に応じるように研究解釈しなければなりません』。… ですから、この会議の最初の教父であるあなたが示してくださり、私が続けたいと願っている道筋を決して忘れはいたしません。すなわち、『カトリックの教えの貴重なこの宝物を、古いからと言うだけの理由で保存するのが私たちの任務ではありません。むしろ、時代が求めている課題を喜んで恐れずに引き受け、過去20世紀の間に教会が歩んできた道を進んでいくことが私たちの任務なのです。』従って『司牧的な性格を持つ教導の任務に最もよく合致する表現法でなければならなりません。』」(ラテン語原文Acta Synodalia Sacrosancti Concilii oecumenici Vaticani II, Typis polyglottis Vaticanis, Vol. I, Pars I, 1970, p. 185‐186. 『歴史に輝く教会』pp353—354)

パウロ6世はこの開催演説で、前任者の司牧的な公会議を実現させたいと言う願いを自分のものとしています。パウロ6世はこの開催演説の数日前(1963年9月12日)に、枢機卿の長であったティスラン枢機卿に次のような手紙を書いています。

「これらの草案を新しくすることで、この公会議の司牧的な性格を大事にしました。信仰に関する確かで不変の教義は、教会の最高教導職によって、そして先立つ数々の公会議、特にトリエント公会議と第1バチカン公会議によって宣言されあるいは定義されました。この教義には忠実に服従しなければならず、また、この教義が現代に相応しいやり方で示され、現代人が容易に真理を抱き入れキリストによって私たちのために与えられた救いが受け入れられるようにされなければなりません。」(ラテン語原文Acta Synodalia Sacrosancti Concilii oecumenici Vaticani II, Typis polyglottis Vaticanis, Vol. II, Pars I, 1971, p. 11. 私訳)

 ここでも教皇は公会議がすでに宣言され、あるいは定義された(declarata vel definita)教義を、ただ単に示す(exponatur)だけなのだと言っています。まったく疑いなく、教皇はここで今度の公会議が荘厳宣言を避け、いかなる新しい教義決定もせずに教会の通常教導権のみを行使するという意向を表明しています。

教会位階は今度の公会議の教えにどれほどの権威を与えようとしているかを私たちに示す文章を更に引用しましょう。公会議議長の長であったティスラン枢機卿が1964年9月15日にした訓戒を引用します。

「この公会議は教皇ヨハネ・パウロ23世が何度も繰り返し断言したように、教義上の新しい点を定めるためにあるのではありません。この公会議に固有の目的は、教会の司牧上の熱心が新しい飛躍を得て、それが司教区、教区、全ての宣教の地で、更に全ての修道会、平信徒のグループ(ordines)においてより活動的でより実りの多いものとなることにあります。」(ラテン語原文Acta Synodalia Sacrosancti Concilii oecumenici Vaticani II, Typis polyglottis Vaticanis, Vol. III, Pars I, 1973, p. 29. 私訳)

アリストテレスと聖トマス・アクイナスによると、知識には実践知と観想知とがあり、実践知は何か行為をしたり何かを作ったりするための知識で、観想知とは真理を認識するための知識です。ティスラン枢機卿の訓戒は明らかに公会議が観想的な性質のものではなく、もっぱら実践的な性質をもつものだと言うことを示しています。この公会議は真理を正確に観想的に述べるということよりも、実際的な行動に大きな関心が向けられているということに注意しましょう。

 公会議事務総長のした告知も引用しなければなりません。公会議事務総長であったペリクレ・フェリチ(Pericle Felici)大司教は1964年11月16日第123総会において、「教会に関する教義憲章Lumen Gentium」について1964年3月6日の宣言を引用し、こう告知(monitum)しました。

「投票を受ける、『教会についてDe Ecclesia』の草案において示されている教義の神学的資格は何であるかと求められました。この質問に付いて、教義委員会は次のように答えました。

 論を待つまでもなく、公会議の文章は公知の一般的な規則によって解釈されなければなりません。教義委員会は1964年3月6日の宣言を参照するようにと求めます。以下がその文章です。

『公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきもの(tenenda)として定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。聖なる教会会議が教会の最高教職による教理として、述べる他の事柄は、すべての、そして各のキリスト信者はそれを教会会議自身の方針に従って(juxta mentem)受け入れ(excipere)、受領し(amplecti)なければならない。この教会会議の方針は取り扱われている題材と表現方法から神学的解釈の法則に従って知ることができる。』」(ラテン語原文Acta Synodalia Sacrosancti Concilii oecumenici Vaticani II, Typis polyglottis Vaticanis, Vol. I, Pars VIII, 1976, p.171-172. 私訳『自覚を深める教会』pp202‐203を参照)

教皇パウロ6世は、1965年12月7日、公会議閉会演説において「教会は特別の教導権によって、特別の教義を定義しなかった」と次のように宣言しました。

「しかし、ここで次のことに注意しなければなりません。教会は特別の教導権によって、特別の教義を定義しませんでしたが、多くの問題について、現代人の良心の基準となり、行動の原理となる事柄を権威をもって教えたのであります。そのうえ教会は、現代人と対話を始めたのであります。常に自己の権威と力を保持しながら、司牧的愛に特有な親切と友好的態度をとったのであります。全ての人が教会に耳を傾け、教会を理解することを望んだのです。そのため知識階級の人々だけが理解できるような表現ではなく、普通一般に用いられている表現を使ったのであります。更に人々の心をひきつけ、人々を説得するために、生活体験や人々の心に呼びかけたのであります。すなわち、教会はあるがままの現代人に話しかけたのであります。」(pp445‐446)

パウロ6世は、1966年1月12日の一般謁見の時に、「公会議は不可謬の印を伴うドグマの全ての特別宣言を避けた」ことをこう説明しています。

「公会議は教会の教導職の不可謬権を行使した荘厳な教義決定的な定義を避けましたが、このような公会議が与える教えのもつ権威すなわち神学的資格は何かと疑問に思う人々もあります。その答えを私たちはよく知っています。1964年3月6日の公会議の宣言を思い出しましょう。これは、1964年11月16日にも繰り返されました。すなわち、公会議の司牧的性格を鑑み、公会議は不可謬の印を伴うドグマの全ての特別宣言を避けました。しかし公会議は、通常教権の権威を伴う教えを提供し、それはそれぞれの文章の本性と目的とに合わせて公会議の心にのっとって従順に受け入れられなければなりません。」(DC, 1964, no 1466, col. 420)

 更に重要な文章があります。1962年12月1日第31総会の際に、ルフェーブル大司教は一つの議題について2つの公文書を作ることを、すなわち、一つは教義的なものを作り、もう一つは司牧的な文書を作ることを提案しました。ルフェーブル大司教のこの発言については、大司教自身がこう語っています。

「この公会議のあいまいさは、最初の会合のときからあらわになりました。私たちは一体何を目的として一堂に集ったのでしょうか?教皇ヨハネ23世の演説は、教皇が公会議をどのように教義を司牧的に表現するように方向付けようとしていたかをよく物語っています(1962年10月11日の演説)。しかし、あいまいさは残り、提案や議論を通して、公会議が何を望んでいたのかを知るのに困難を感じていました。そこで、11月27日の私の提案があったのです。この提案は、私はすでに(公会議議始まる前に)中央準備委員会に提出していました。そしてこれは120名の委員の賛成という大多数を得ていました。

 しかし、私たちは公会議の準備のときからすでに多くの時間を経ていました。

 私の提案はルフィーニ枢機卿(Cardinal Ruffini)や、ロワ司教、つまり現在のロア枢機卿(Cardinal Roy)の賛成を得ていました。

 これは、公会議の司牧的性格をよりよく限定する機会となったことでしょう。しかし、この提案は猛烈な反対に会いました。『公会議は教義決定の会議ではなく司牧的公会議である。私たちは新しい教義を定義しようとは望まない。ただ真理を司牧的に提示するのみだ。』と。リベラル派と進歩派はあいまいな環境の中に生きるのを好みます。公会議の目的を明らかにするのを彼らは非常に嫌がりました。そこで私の提案は受け入れられませんでした。」

ルフェーブル大司教は、公会議でこう発言しました。

「…現在の状況と、教皇の明らかな望みを鑑みて、皆に直接に発言する必要性が、以前の公会議におけるよりもより明らかであるように思えます。もしかしたらこれがこの公会議の特別な性格なのかもしれません。…

 他方で、私たちの取り扱う題材の性格そのものから、また、教皇聖下御自身のお言葉からも、『公会議にとって、キリスト教の教義の聖なる遺産をより効果的な方法で保存し表明することが、最も重要なことである』ことは明らかです。…

 従って、この最も重要な理由のために、絶対に次の2つの望みを尊重しまた保持しなければなりません。つまり、学問をつんだものの養成の為に、ドグマ的でスコラ的なやり方で教義を表明すること。そして、第2にその他の人々のために、より司牧的なやり方で真理を提示すること、この2つです。

 この2つのすばらしい望みをどうしたら満足させることができるでしょうか。いとも愛する兄弟たちよ、私は謙遜に次の解決策を提案します。これはすでに幾人の教父たちによって指摘されたことでもあります。…

 すなわち、各々の委員会は2つの文章を提案し、1つは教義的であり、これは神学者たちのために使われます。もう一つは、より司牧的で、その他の人々つまり、カトリック信者やカトリックではない人々、未信者のためのものです。

 こうすることによって、今私たちの感じている困難の多くはすばらしい解決策を見出し、本当に効果的となることでしょう。なぜなら

 教義的に貧弱であろうと、司牧的に貧弱であろうと、非常に険しい困難を引き起こす反対をする余地が無くなるからです。

 こうすることによって、あれほど多くの注意を払って準備され、私たちの愛する司祭たち、特に教授や神学者たちに真理を提示するのに非常に有益なドグマ的な文書は、信仰の最高の規範としてとどまるでしょう。この聖なる教義のこの文章を教父たちは喜んで受け入れることに疑いはありません。

 こうすることによって、また、司牧的文書はより簡単にいろいろな国々の言葉に訳されて、時に世俗の学問にはたけてはいるけれども神学者ではない、全ての人々に、よりわかりやすい方法で真理を提示し得ることでしょう。全ての人々は、この公会議から真理の光をどれほどの感謝をもって受けることでしょうか!…」

 ルフェーブル大司教のこの賢明な提案が、猛烈な反対にあったこと自体、そしてこの提案がついには受け入れられなかったこと自体が、公会議はその教えを正確に定義することを避けようとしたと言うことを示しています。

私たちは更に「権威からの論法」を使って、公会議の神学者たちや、顧問たちが公会議の権威について述べていることを引用することができます。

例えば、イギリスの最も活動的で最もリベラルな公会議の教父の一人であったバトラー(B.C. Butler)司教は、「教皇からあるいは公会議から出て来る教えが、全てが全て不可謬であるとは限らない。公会議がそれ以前の不可謬の定義を引用している場合を除けば、第2バチカン公会議の出した命題は、それ自体不可謬であるようなものは1つも無い」と言っています。

Not "all teachings emanating from a pope or an ecumenical council are infallible. There is no single proposition of Vatican II --- except where it is citing previous infallible definitions --- whichi is in itself infallible." In the Light of Theology (London, 1968), p55 quoted in Michael Davies The Second Vatican Council and Religious Liberty, The Newmann Press, 1922, p.257

ここでバトラー司教は重要な区別をしています。つまり、「第2バチカン公会議の文章は不可謬の教えを含み得る。しかしもし不可謬の教えがあったとしたら、それは第2バチカン公会議の中に含まれているからではなくて、それが既に別の荘厳教導権を持って不可謬的に定義され済みであったからである。」という区別です。

 ドロンゾ神父(E. Doronzo, OMI)は、オッセルヴァトーレ・ロマーノの1972年9月14可付けの記事の中で、第2バチカン公会議の文章が不可謬とは限らないことをはっきりと述べています。「特別教導権が不可謬ではない例には、第2バチカン公会議の様々の文章、そしてレオ13世からパウロ6世までの偉大なる教皇回勅のほとんどがそうです。」

(Examples of the non-infallible Extraordinary Magisterium include the various documents of Vatican II and most of the great papal Encyclicals from Leo XIII to Paul IV. Quoted in Michael Davies, ebidem, p.258.)

 イエズス会のジョゼフ・クリハン神父(Father Joseph Crehan)は、『神学カトリック辞典A Catholic Dictionary of Theology』(London, 1971, v.3, p.227)の中で、教会に関する教令を公布するとき、definimus(定義する)とする代わりにdecernimus ac statuimus(決定し制定する)とすることによって、不可謬の定義の無い教えを提示したと言う事実について述べています。公会議が発布した16の公文書は全て同じ言葉で発布されています。

 ウィリアム・マーシュナーは、信教の自由に関する宣言(Dignitatis Humanae)が聖伝の教えと矛盾しないと言うことを示そうとして、1983年秋号の『信仰と理性Faith and Reason』誌にこう書いています。

「私はそのほかの全ての神学者と共に、新しい範囲(ground)は不可謬とは限らない教えであると言えます。…私は公会議の教えが誤っている可能性があることを指摘します。

 ところで、カトリックの神学者がこのような可能性が存在することを認めることができるのでしょうか。勿論できます。信教の自由に関する宣言は、不可謬ではない文書です。そして、この宣言が提示している教えは「新しい発展」であると考えられています。従って、すでに通常教導職によって(ex magisterio ordinario)ドグマであると認められたものではありません。そのために、カトリック信者がこの教えに対して持たなければならない宗教上の同意(religious assent)の種類は、この教えが誤っていると言う論理的可能性を排除しない同意です。しかし、むしろ私たちの同意は、この教えが誤っていると言う全ての可能性を排除しています。」(quoted in Michael Davies, ibidem, 1992, p.261)

教会の教導職のうち、少なくとも2つの形態は不可謬権によって保護されています。それは、荘厳な判断によって教えられるものと、もう一つは通常普遍教導職によって教えられるものです。

第1バチカン公会議はこう言っています。「さらに、文字に書かれたあるいは伝えられた天主のみ言葉に含まれている、そしてあるいは荘厳判断によって(solemni iudicio)あるいは通常普遍的教導権によって(ordinario et universi magisterio)教会によって天主が啓示されたものとして信ずるべきであると示されたそれを全て「天主よりのカトリック信仰」によって信じなければならない。」第三総会:カトリック信仰に関する教義憲章《デイ・フィリウス》第三章

 私たちは、今から第2バチカン公会議がこの2つの形態のどれにも入らないことを見てみます。そして、この2つの形態のどちらでもない場合の教導職の権威について検討してみます。


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