産業・経済そのほか速

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摂津「これぐらい投げないと」調整順調

2015-02-07 14:01:11 | 地域
 ソフトバンク宮崎キャンプ便り(6日) 摂津がキャンプ5日目で早くも4度目のブルペンに入り、順調に調整を進めている。右肩の違和感でペースが遅れていた昨年のこの時期とは違い、「これぐらい投げないと」と表情も明るい。

  取り組んでいるのは、下半身主導で投げるためのフォームの微調整だ。軸足となる右足にためを作るため、投球の際、佐藤投手コーチにバットを右足甲に置いてもらい、右足が地面に着いた状態を十分作るようにするなどの指導を受けた。82球を投じた右腕は、「今日はだいぶつかめた感じがあった」とうなずいた。

  昨季はシュートやカットボールなど新しい球種の習得に挑戦したが、それが一因となって「投げ方を崩した」と振り返る。10勝8敗で4年連続の2桁勝利を達成した一方で、故障や不調で戦列離脱もあり、不本意なシーズンだった。

  「目標は(先発)ローテーションを守ること」と控えめだが、このままいけば、4年連続の開幕投手も見えてくるはずだ。


交通事故偽装で保険金詐取 男7人を起訴

2015-02-07 14:01:11 | 地域
 保険金を目的に交通事故を偽装したとされる事件で、鹿児島地検は6日、霧島市の無職小原(おばら)光雄被告(65)ら男7人を詐欺罪で起訴した。

  起訴状などによると、小原被告と6人(27~49歳)は共謀し、2011年9月9日未明、福岡市早良区の県道で、ワゴン車と乗用車、軽乗用車を追突させ、事故を偽装。同20日~翌12年10月10日頃、車の修理代や治療費、休業補償などの名目で計約2420万円を保険会社からだまし取ったとされる。

  小原被告は別の詐欺事件で起訴されていた。


日本の実情とかけ離れた「教育学」理論<上>

2015-02-07 13:41:27 | キャリア・教育
日本の実情とかけ離れた「教育学」理論<上> 現場の教師の立場から、より現実的な提案を続けている「プロ教師の会」代表、諏訪哲二さんが、新著「『プロ教師』の流儀 キレイゴトぬきの教育入門」(中公新書ラクレ)を刊行した。

  教育をめぐる環境について深く思索した同書は、ある意味、教育関係者には刺激が強すぎるかもしれない。諏訪さんに、いま「教育」の何が問題なのかを、3回シリーズで聞いた。

  • <noscript></noscript>「教師の本質は、理論と現場の中間にある」と訴える諏訪哲二さん
  •   ――まず1章で、いわゆる教育学者と現場の教師との意識の乖離(かいり)について触れていますが……。

      「教育学者の言っていること、書いていることは正しいのだと思います。間違った理論というのは、普通ありません。ただ、それが実際の現場、つまり学校および教師と生徒の間の問題として捉えると、違うものに変質することをかねがね感じています。

      その点に関して、この本では『教師の本質は、理論と現場の中間にある』と説明しました。教師の本質は、決して理論だけでは説明できない。理論は現実ではないからです。

      ところが学者は、理論で押し通そうとする。かつてイギリスの著名な学者と対談した際に、途中で相手が急に怒り出して席を立ったことがあります。2000年前後のことです。彼は文部科学省や日教組の統計資料を元に『教師の生徒に対する体罰は増えている』と言うのです。一方、私は1964年(昭和39年)に教師として着任しましたが、80年代の半ば以降は世間的に『体罰は許されない』という風潮が強くなり、また生徒も体罰を受け入れないようになり、体罰はできなくなっていることを体験しています。教師の実感として、むしろ減っています。それなのに、その教育学者は『増えていると認めないなら議論はできない』と言うのです。私の立場ですと、統計よりも現場で見聞きしたことに確信を持ちます」

      ――80年代を境に「教師の権威が失墜し、指導力が衰えた」と指摘されています。その原因は?

      「これまでの著書でも書きましたし、教育の関係者なら自明なことなので、あえてこの本では詳しく書きませんでした。つまり社会構造が変わり、日本人が自立したからなのです。私は1941年(昭和16年)生まれでして、子どものころは親や教師の言うことは絶対で、言うことをきかないという選択肢などありませんでした。そうした状態が戦後もしばらく続いたのですが、60年ごろを境に変わってきた。テレビとお金が家庭に入ってくることで、情報も直接子どもに届くようになり、個人の自立を促したのです。

      私のくくりでは、60年ごろまでは前近代的な農業社会で、それから75年ぐらいまでがちょうど高度成長時代と重なる産業社会的近代、それ以降は超近代、ポストモダンなどといろいろな呼び方がありますが、消費社会化した近代だととらえています。70年代の半ばを境に、日本の構造そのものが変わった。人間、市民が自立し始め、共同的なしきり、共同体的な上下関係が無視されるようになり、それにともない親や教師、その他あらゆる権威が失墜し始めたのです。そして80年代になって教師に対する中学生の暴力、校内暴力が始まり、学校そのものの権威が失墜し、システムとして機能しにくくなったのです」

    生活指導も引き受ける教師…欧米との違い

     

      ――先進国と呼ばれる欧米諸国でも同じような状況なのでしょうか。

      「そうとは言えないと思います。最近のアメリカ映画を見ていると、たとえ子どもが叱られて早く寝るように言われたり、一定期間の外出禁止を命じられても、不平は口にしますが、ちゃんと親の指示に従う場面をよく見かけます。やはり宗教的なバックボーンとしてキリスト教があるからだと思います。

      欧米のキリスト教国の場合、学校では教科だけを教えていて、生活指導はしていません。もし生活面での指導が必要になった時は、専門のカウンセラーか、校長もしくは教頭がそれを担当します。教師は、生徒の人格育成には関わらないのです。欧米ではその方面は教会の役割で、影響力は以前よりは衰えたとはいえ、やはりキリスト教的な感性というのが社会に根強く残っています。

      一方、日本の場合は、昔から神道的なものなり、仏教的なものがあるとしても、キリスト教ほど絶対的なものではありません。ですから、明治維新以降、欧米の学校システムを取り入れた時に、教科とともに生活指導も引き受けざるを得なかったのです。そこが欧米と大きく違います。一般に学者は、欧米の教育学をそのまま取り入れ、横文字を縦に変えてやっているだけだから、日本の実情とはかけ離れていることが多いです」

      (続く、聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)

    プロフィル諏訪 哲二<すわ・てつじ> 1941年、千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒。64年に教師として着任して以来、埼玉県の公立高校で英語教師を務め、2001年、県立川越女子高を最後に定年退職。以後、「プロ教師の会」代表として、著作や講演などを通じて教育問題について積極的に発言を続けている。近著に、「『プロ教師』の流儀 キレイゴトぬきの教育入門」(中公ラクレ)。

     


小1にサポーター 授業円滑…高知

2015-02-07 13:41:27 | キャリア・教育
小1にサポーター 授業円滑…高知 
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  •   高知市教委は今年度、小学1年生の学校生活や学習を手助けする「小1サポーター」を市立13小学校に配置した。

      入学間もない児童が学校生活に適応できず、授業中に騒ぐなどの「小1プロブレム」を解消するのが狙いだ。

      市教委によると、2011年度、全市立41小のうち8校で、授業中に私語がやまない、児童が教室外に出て行くなどの問題が発生。13年度も4校で起きた。このため、市教委は元教員や主婦、教員志望の大学生ら36人をサポーターに委嘱。1学期の3か月間、教室に派遣した。謝礼は1日1000円だ。

      7月15日、横浜小学校の1年1組では、児童約30人が担任の樋口真矢教諭(48)から算数を教わっていた。全員でプラスチック製のブロックを使いながら計算問題に取り組む中、一人の男児がブロックを手にして遊び始めた。気づいたサポーターの主婦、利根由里さん(43)がすかさず近寄り、ほほ笑みながら「今は問題をやらんといかんよ。ほら、前を見て」と声をかけた。男児は「はい」とうなずき、正面の黒板に向き直った。

      同小のサポーターは利根さん一人で、ほぼ毎日、2時限目から昼休みまで勤務。3クラスを回り、児童が教師の話を聞いていなければ注意し、板書の内容を書き写すのが遅れていれば手助けする。給食の配膳や体操服の着替えなども手伝う。悪いことをしているのを叱ったり、ケンカを止めに入ったりしたこともある。

      小学生の息子がいる利根さんは「やりがいがある。接していると、子どもたちが成長していくのを感じた」と振り返る。

      樋口教諭は「担任一人で児童全員の様子を把握するのは難しい。サポーターにいてもらえると助かる。子どもたちも話しかけやすいようだ」と歓迎している。

      同様のサポーター制度は、東京都葛飾区や仙台市、岡山市などでも実施されている。高知市教委の今西和子・就学前教育班長は「小1プロブレムはどの学校でも起こりうる。地域の力を借りながら、新入生がスムーズに小学校になじめるよう支援していきたい」と話す。市教委では来年度以降、実施校を増やしていく方針だ。(高知支局 菊池真司)


「羊頭狗肉」「見かけ倒し」「偽善者」

2015-02-07 13:41:27 | キャリア・教育
 

  ヒツジ年(Year of the Sheep)を迎え、初売り(New Year opening sale)に出かけてついつい、散財(wasteful spending)した人もいるのではないでしょうか。

  学生時代、私はある店の新年セールで「素敵な服が○万円分」というキャッチコピーに引かれて福袋(lucky‐dip bag)を買ったら、中身は安っぽい(shoddy)ものばかり。「羊頭狗肉(くにく)」もいいとこでした。

  「羊頭狗肉」とは、看板には羊の頭を掲げながら、実際は犬の肉を売るという中国の故事に由来する例えです。見かけや宣伝は立派だが、内容が伴わないという意味です。false advertising; deceptive appearanceなどの訳が可能です。

  「新規開店のあの店はやり方が羊頭狗肉だからはやらない」は、That new store is unpopular because it runs flashy ads to sell inferior items.と訳せます。flashyは「見かけ倒しの」、inferior itemは「粗悪品」という意味です。

  a wolf in sheep’s clothing[skin]は「ヒツジの皮を着たオオカミ」が文字通りの意味ですが、「柔和を装った危険人物」「偽善者」の比喩です。cast sheep’s eyes at...は「~に色目を使う」「秋波を送る」の意味です。He was making sheep’s eyes at that female employee.(彼はその女子社員に色目を使っていた)のように用います。

  follow like sheepは「疑うことなく従う」の意味です。If one sheep leaps over the ditch,the rest will follow.(1匹のヒツジが溝を飛び越せば、残りついていく)は、安易に物事や人に従うことを例えたことわざです。(菅彩織理記者)