《中央》から届けられたものを、サシオンは開封しないままアンジェリカに渡した。
「ちょっと早いけれど、誕生日のプレゼント」
中から出てきた物を見て、アンジェリカは驚いたようにまばたきした。
真新しい白銀の剣だ。
「ちょうど自分の剣術試合で、木剣から真剣に代わる節目を迎えたんだ。
それをおまえに預けておく。好きにしていいよ。試合のある時だけ、渡してくれれば」
「何が云いたいの」
真新しい剣は、簡単に肉を裂いた。
アンジェリカは早速自分の指先に、傷をつけてしまった。
「殺したいほどイラつく時があるだろう」
彼女は自分の血を見つめている。
「…殺せばいいよ」
サシオンは優しい声で云った。「ご自由に」
ふいに顔を上げたアンジェリカは、突然かみついてきた。
「わたしが泣いて、そんなつもりじゃなかった、と云うと思ったわけ」
ものすごい剣幕だ。
「わたしは本気よ。本当に貴方なんか殺してやる。わたしの苦しみを、思い知るがいい」
「いつからそんな怨恨を抱いた」
最初はうまくいっていたのに。いつからこの娘はこんなに頑なに、
心を閉ざしてしまったのか。その時に、何故きづいてやれなかったのか。
シェフレラを抱いたからか?
でもそれは、庭の主と、それを護る剣士の義務なのだ。
《中央》には逆らえない。
「貴方はこの世界を何も理解していない。自分の身に起こることも、これから先のわたしに起こることも。
わたしを育てて、新しい箱庭に送りこんでそれで終わり? 職務怠慢だわ。
貴方は国のただの駒よ。頭が悪いってことは罪よね。周りの人間を不幸にする。
それとも本当は何もかも了承済でやっていること? だったら貴方は腰抜けよ。
SA-JANNUの風上にも置けない男だわ」
彼女が何かに怯えていることは、確かだった。
それは間違いなく十三の節目にやってくる。
「新しい庭を持ちたくないんだな」
サシオンは慎重に切り出した。「ずっとここにいたい?」
興奮のせいか、少女は微かに震えていた。
「ここにいても、未来が見えない」
ようやく云った。「何処に行っても、見えない。
わたしが欲しいのは、未来の光よ…」
突然、アンジェリカは床に座りこんだ。
軽度の睡眠発作に襲われたらしい。
サシオンが手を貸そうとすると、邪険に振り払った。
「わたしに触らないで。臆病者の血がうつるわ」
これはひどい。
彼女と話していると、自分の存在価値を見失いそうになる。
アンジェリカは、のろのろと立ち上がると自分の寝台に向かいながら云い放った。
「貴方に試合を申しこみます」
「はい?」
「わたしが勝ったら、この庭から…」
しばらく間があった。
「いいえ、この国から、わたしを解放して」
「こちらが勝ったら?」
「ご自由に」
挑みかけるような翠の眸に、サシオンの血が騒ぎだした。
「それではおまえは、自分の純潔を賭けるといい」
アンジェリカは、睡魔で混濁した意識の中で笑った。何がおかしいのだろう。
「手加減してもらえると思うなよ。そっちが本気なら、こちらも容赦はしない」
サシオンは剣を鞘に戻して、寝台の枕元にそっと置いた。
交渉が成立すると、少女は気が抜けた様子で倒れこみ、あっという間に寝入ってしまった。
本当にこの娘は、どうかしている。
唯一はっきりしていることは、この娘が本当に望んでいるものは、あらゆる意味を含む『自由』
この娘の霊力は、極限なく成長しようとしている。
彼女はすべての支配から解放されて、その力を使いたいのだ。
アンジェリカは、歌声のなかに霊力を解き放つ。
だから、《中央》は彼女の歌を制限した。
無理に歌えば、たちまち喉をつまらせる。
そういう暗示がかかっている。
そして女たちは、間近に迫った『丈比べ』に不安をつのらせる。
シェフレラは「男には判らない」と云って、不安の内容を語ろうとしない。
自分の箱庭を持つということは、この国で貴重なポストを手に入れるということだ。
一生の生活を保証される。
『丈比べ』に合格すれば、誰もが乙女に「おめでとう」と云うだろう。
それは祝福されるべき通過儀礼なのに。
サシオンはアンジェリカの寝顔に語りかけた。
「本当におまえは天使みたいだね」
天使は少し寝苦しそうに眼を閉じていた。
「勇ましい天使だよ」
こんなに愛しているのに…。
哀しくなったサシオンは、再び『薔薇の庭園』を訪れた。
庭先で遊んでいたヴィオラは、今回は逃げなかった。
しかし、警戒はといていないらしい。
「おまえの守人を呼んで来い」
命令されたことに気分を害したらしい少女は、一人前にガンを飛ばしてきた。
それでもサシオンの云ったとおり、少年を連れてきた。
「何か用? 今忙しいんだけど」
レイは少し機嫌が悪そうだ。サシオンは構わずに云った。
「もうすぐ、うちのアンが丈比べなんだ。シェフレラはなにも教えてくれないんだけど、
丈比べってなにをするんだろうね」
「知らない。そういうことはカルパントラに聞いてみたら」
レイは自分の両手を見つめながら云った。手にはべっとり何かがついている。
「でも《中央》のすることなら、ろくなことではないと思う」
ますます少年の機嫌は悪くなった。
「あんな場所へ乙女を連れてゆくの」
「規則だぞ」
「規則なんて、クソくらえだ」
珍しく攻撃的だ。それにしても最近、このチビは威勢がいい。
「ぼくは絶対に、ヴィオラを連れていかないぞ」
「そんなことが赦されると思っているのか」
「闘えばいいだろう」
少年は苛ついた。「どうしたんだよ、サーシャ。SA-JANNUの血を継ぐものが、
《中央》に対してはおよび腰? 案外、小心なんだね」
サシオンは怒る気にもなれなかった。
どちらかといえば、自分は強いし勇敢な方だと自負していたのに。
「それよりおまえは何をしていたんだ。その手はなに」
「クッキーの生地を練っていたところ。ローズにクッキーの作り方を習っている最中なんだよ」
それで機嫌が悪いわけか。
「邪魔して悪かったね」
この庭の者はのん気だ。
サシオンはうつろな声で呟いた。
『決闘』に続く。
「ちょっと早いけれど、誕生日のプレゼント」
中から出てきた物を見て、アンジェリカは驚いたようにまばたきした。
真新しい白銀の剣だ。
「ちょうど自分の剣術試合で、木剣から真剣に代わる節目を迎えたんだ。
それをおまえに預けておく。好きにしていいよ。試合のある時だけ、渡してくれれば」
「何が云いたいの」
真新しい剣は、簡単に肉を裂いた。
アンジェリカは早速自分の指先に、傷をつけてしまった。
「殺したいほどイラつく時があるだろう」
彼女は自分の血を見つめている。
「…殺せばいいよ」
サシオンは優しい声で云った。「ご自由に」
ふいに顔を上げたアンジェリカは、突然かみついてきた。
「わたしが泣いて、そんなつもりじゃなかった、と云うと思ったわけ」
ものすごい剣幕だ。
「わたしは本気よ。本当に貴方なんか殺してやる。わたしの苦しみを、思い知るがいい」
「いつからそんな怨恨を抱いた」
最初はうまくいっていたのに。いつからこの娘はこんなに頑なに、
心を閉ざしてしまったのか。その時に、何故きづいてやれなかったのか。
シェフレラを抱いたからか?
でもそれは、庭の主と、それを護る剣士の義務なのだ。
《中央》には逆らえない。
「貴方はこの世界を何も理解していない。自分の身に起こることも、これから先のわたしに起こることも。
わたしを育てて、新しい箱庭に送りこんでそれで終わり? 職務怠慢だわ。
貴方は国のただの駒よ。頭が悪いってことは罪よね。周りの人間を不幸にする。
それとも本当は何もかも了承済でやっていること? だったら貴方は腰抜けよ。
SA-JANNUの風上にも置けない男だわ」
彼女が何かに怯えていることは、確かだった。
それは間違いなく十三の節目にやってくる。
「新しい庭を持ちたくないんだな」
サシオンは慎重に切り出した。「ずっとここにいたい?」
興奮のせいか、少女は微かに震えていた。
「ここにいても、未来が見えない」
ようやく云った。「何処に行っても、見えない。
わたしが欲しいのは、未来の光よ…」
突然、アンジェリカは床に座りこんだ。
軽度の睡眠発作に襲われたらしい。
サシオンが手を貸そうとすると、邪険に振り払った。
「わたしに触らないで。臆病者の血がうつるわ」
これはひどい。
彼女と話していると、自分の存在価値を見失いそうになる。
アンジェリカは、のろのろと立ち上がると自分の寝台に向かいながら云い放った。
「貴方に試合を申しこみます」
「はい?」
「わたしが勝ったら、この庭から…」
しばらく間があった。
「いいえ、この国から、わたしを解放して」
「こちらが勝ったら?」
「ご自由に」
挑みかけるような翠の眸に、サシオンの血が騒ぎだした。
「それではおまえは、自分の純潔を賭けるといい」
アンジェリカは、睡魔で混濁した意識の中で笑った。何がおかしいのだろう。
「手加減してもらえると思うなよ。そっちが本気なら、こちらも容赦はしない」
サシオンは剣を鞘に戻して、寝台の枕元にそっと置いた。
交渉が成立すると、少女は気が抜けた様子で倒れこみ、あっという間に寝入ってしまった。
本当にこの娘は、どうかしている。
唯一はっきりしていることは、この娘が本当に望んでいるものは、あらゆる意味を含む『自由』
この娘の霊力は、極限なく成長しようとしている。
彼女はすべての支配から解放されて、その力を使いたいのだ。
アンジェリカは、歌声のなかに霊力を解き放つ。
だから、《中央》は彼女の歌を制限した。
無理に歌えば、たちまち喉をつまらせる。
そういう暗示がかかっている。
そして女たちは、間近に迫った『丈比べ』に不安をつのらせる。
シェフレラは「男には判らない」と云って、不安の内容を語ろうとしない。
自分の箱庭を持つということは、この国で貴重なポストを手に入れるということだ。
一生の生活を保証される。
『丈比べ』に合格すれば、誰もが乙女に「おめでとう」と云うだろう。
それは祝福されるべき通過儀礼なのに。
サシオンはアンジェリカの寝顔に語りかけた。
「本当におまえは天使みたいだね」
天使は少し寝苦しそうに眼を閉じていた。
「勇ましい天使だよ」
こんなに愛しているのに…。
哀しくなったサシオンは、再び『薔薇の庭園』を訪れた。
庭先で遊んでいたヴィオラは、今回は逃げなかった。
しかし、警戒はといていないらしい。
「おまえの守人を呼んで来い」
命令されたことに気分を害したらしい少女は、一人前にガンを飛ばしてきた。
それでもサシオンの云ったとおり、少年を連れてきた。
「何か用? 今忙しいんだけど」
レイは少し機嫌が悪そうだ。サシオンは構わずに云った。
「もうすぐ、うちのアンが丈比べなんだ。シェフレラはなにも教えてくれないんだけど、
丈比べってなにをするんだろうね」
「知らない。そういうことはカルパントラに聞いてみたら」
レイは自分の両手を見つめながら云った。手にはべっとり何かがついている。
「でも《中央》のすることなら、ろくなことではないと思う」
ますます少年の機嫌は悪くなった。
「あんな場所へ乙女を連れてゆくの」
「規則だぞ」
「規則なんて、クソくらえだ」
珍しく攻撃的だ。それにしても最近、このチビは威勢がいい。
「ぼくは絶対に、ヴィオラを連れていかないぞ」
「そんなことが赦されると思っているのか」
「闘えばいいだろう」
少年は苛ついた。「どうしたんだよ、サーシャ。SA-JANNUの血を継ぐものが、
《中央》に対してはおよび腰? 案外、小心なんだね」
サシオンは怒る気にもなれなかった。
どちらかといえば、自分は強いし勇敢な方だと自負していたのに。
「それよりおまえは何をしていたんだ。その手はなに」
「クッキーの生地を練っていたところ。ローズにクッキーの作り方を習っている最中なんだよ」
それで機嫌が悪いわけか。
「邪魔して悪かったね」
この庭の者はのん気だ。
サシオンはうつろな声で呟いた。
『決闘』に続く。