7月7日の盧溝橋事件以降、
近衛文麿内閣は、「北支派兵声明」を発表。
第一次北支事変費予算案を閣議決定し、その後も
第二次北支事変費予算を追加。 戦争拡大に向かった。
第一次上海事件、第二次上海事件を経て日中全面戦争となる。
近衛首相はいくつかの和平の機会を得ながら優柔不断のまま時間を
費やし、結局取り返しの付かない方向へ進んでいった。
昭和十三年には、愚かにも、今後は国民政府(中国の蒋介石政府)を
相手とはしない、という内容の「第一次近衛声明」を国の内外に
発表し、講和の機会を自ら閉ざしてしまった。
残念ながら、近衛文麿は自分の見た目、スタイル、ポーズを最重要視
する人間で、周囲もそれを読み取っており、操っていた。
安倍晋三内閣も菅義偉内閣も何度かチャンスを手にしながらも
優柔不断のまま時間を無駄に費やし、いっこうに働かない官僚を
そのままにし、イベントを中止せず、病院も建設せず、毎週毎月
多くの人が死んでいくのを見てみないふりをし続けた。
県境をまたぐことを自粛しろと言いながら国境をまたぐ多人数を
黙認し、普段家庭内で一緒に居る人たち以外の人と会食をするな
といいながらオリンピックに世界中から多くの人を呼び寄せている。
間接的か直接的かは別として殺人的企画であり殺人的行為に違いない。
近衛文麿内閣は、「北支派兵声明」を発表。
第一次北支事変費予算案を閣議決定し、その後も
第二次北支事変費予算を追加。 戦争拡大に向かった。
第一次上海事件、第二次上海事件を経て日中全面戦争となる。
近衛首相はいくつかの和平の機会を得ながら優柔不断のまま時間を
費やし、結局取り返しの付かない方向へ進んでいった。
昭和十三年には、愚かにも、今後は国民政府(中国の蒋介石政府)を
相手とはしない、という内容の「第一次近衛声明」を国の内外に
発表し、講和の機会を自ら閉ざしてしまった。
残念ながら、近衛文麿は自分の見た目、スタイル、ポーズを最重要視
する人間で、周囲もそれを読み取っており、操っていた。
安倍晋三内閣も菅義偉内閣も何度かチャンスを手にしながらも
優柔不断のまま時間を無駄に費やし、いっこうに働かない官僚を
そのままにし、イベントを中止せず、病院も建設せず、毎週毎月
多くの人が死んでいくのを見てみないふりをし続けた。
県境をまたぐことを自粛しろと言いながら国境をまたぐ多人数を
黙認し、普段家庭内で一緒に居る人たち以外の人と会食をするな
といいながらオリンピックに世界中から多くの人を呼び寄せている。
間接的か直接的かは別として殺人的企画であり殺人的行為に違いない。