スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

「美しい」という言葉は使う人間によってゲスな言葉にも変わる

2008年01月20日 | 社会
見殺しにされるというなら、見殺し返せばいいじゃない。

「ガソリン価格下げたら、環境不熱心な国の烙印」官房長官(読売新聞) - goo ニュース

この国では、いちおう、老人は敬うべきということになっている。
それは、年寄りには長い間の経験とか知識の蓄積があるから、それなりの敬意を払うべきだという思想とともに、
「誰でもそのうち年をとるんだから、自分がそうなったときのために老人を大事にしろ」という”教え”も影響しているからだといえる。

しかし、ここではっきり言うが、現代の社会の進化の速度のほうが、個人が知識を蓄積していく速度なんぞよりも圧倒的に速くなってしまったので、結果として、今や”教えて君”老人や”ガチ無知老人”が大量発生している。
それでもガチ無知老人が老害人として、なお権力を保持して威張っていられるのは、この社会のシステムが、もともと彼ら老人によって作られているからである…というのはよく聞く話である。
それに加えて、上記システムの下では、当然ながら老人(老害人)には往々にして権力者が多くなるので、ここは権力者(老人)に媚びへつらっておいたほうが得だという判断をする人間が多くなるからでもある。
しかしそれは、「権力老人にへつらっておけば、ひょっとしてそれなりの地位に取り立ててもらえたり、何かいいことがあるかも」という期待があるからこそ我慢をしているだけであって、仮に、その”期待値”が限りなくゼロに近くなったとしたらどうなるか。
というより、もはや現代は”老人にへつらっても期待値ゼロ”の状態に近くなっている。
よって、この先、この”老人によって作られた、老人のためのからくり”が広くバレていくに従って、世は確実に「不敬老社会」への道を進むであろう。

しかしながら、そういう変化は一日にしては起こらない。
徐々に、じれったいくらいにいくつかの段階を経て変わっていくことにより、結果として、
「若い時には”過剰敬老社会”でガチ無知教えてクン老人にアゴで使われ、今度自分が年をとったときには”不敬老社会”になっていて、”用済み・役立たず”として蔑まれ姥捨てされる世代」
というのが必ず出て来る。
いつも「変化のタイムラグ」の狭間に飲み込まれ続けている、あの世代のことだ。


ここで、冒頭二番目の「誰でもそのうち年をとるんだから、自分がそうなったときのために老人を大事にしろ」
という”脅し”に実効性はあるかを考える。
今まで他人にgiveすることを全くせずに、(特に下の世代からの)takeばかりを要求して収奪してきた連中が、
「もし自分がその立場になったらということを考えろ」=「俺たちを敬え、助けろ」
などという脅しを口にしたところで、これまでさんざん社会制度的にも貢いでいるのだから、もはや何の説得力も持たない。

”老人は社会的弱者”などというのは、今や悪質な虚言である。

であるから、政治家という名の虚言癖全開バリバリ老害人どもが、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日トンデモ発言を繰り返している光景は、別に不思議でも何でもない。

ガソリンの値段を下げたら、日本は『環境問題に不熱心な国』という烙印を押される。

これがあんたらの人生の蓄積の上に出た言葉なのか。クソの山の上に言葉を出したほうがまだマシなものが出るだろうよ。

恥じよ老人。滅せよ老人。

不敬老への流れは、もう、誰にも止められぬ。


何?「もし自分がその立場になったら…」だ?

無用無用。

自分の命数など自分で把握している。
ましてやスティールする技能も持たぬ老人と関わる時間など、
無駄、無意味、無価値、そして無明。

僕には、無駄な時間など無い。


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