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Freedom

Personal ZINE

揚げ足とり

2018-08-27 15:42:33 | 考えてみた
最近あるYoutuberの動画をよく見ている。


彼は所謂ファッションYoutuberで、自分の購入した商品のレビューやブランド紹介などを主に投稿している。(本人はライフスタイル配信型Youtuberと名乗っている。その理由は後程わかるように書いていく。)

しかし、私はそれにほとんど興味がない。趣味が合わないからだ。私はフレンチシックなテイストを好むが、彼はどちらかというとデザイナーズアイテムを好んでいる。(興味がないのでわからないが)

それでも彼の動画を見ているのには訳がある。彼のもう一つのメイン投稿である意見投稿だ。彼は世の中に対して色々と意見のある人間そうだ。これからの販売員の存在意義についてというファッション関連の動画があれば、頭が悪いの定義とはといった全くチャンネルとは関係のないことについても語っている。

中々面白いことをやっているなぁと思う。コメント欄も大変賑やかで様々な人がそれぞれの意見を述べている。そういう中で必ずいるのが、論破したがる人。動画内のちょっとした論理の綻びや、彼の情報不足などをあげつらって意見を言うんじゃねえということを暗に主張してくるのだ。確かに、全く賛成できないときもある。それどころか不快感すら覚えるような主張を彼がすることもある。

でもいいじゃないか。そういう意見もあって。不快感を与えそうな場合は彼なりに配慮している。コメントで論理が間違っていることを指摘されたらきちんと受け止め感謝もしている。にも関わらず、単なる指摘ではなく潰しのような発言をするのはどうなのか。反対意見を述べるだけでなく口汚く罵るのはどうなのか。

論理的なふりをして一番感情的な揚げ足とりが人を萎縮させ発言をしにくい空気を作っているのが嫌いだ。


「無駄」な時間

2018-08-25 19:39:50 | 考えてみた
以前、ある観光地のショップスタッフをしていた。


ショップといっても、スタッフ1名・商品2種類の非常に小さなものだった。商品は、カップルの名前を印字した鍵をかけて永遠の愛を誓うという願掛け錠。観光地とは全く無縁の代物である。そのかいあってその錠は全く売れず、10時間で10個売れればよしといった具合であった。私の時給は1000円、商品は1個1000円大赤字垂れ流し。働きながら、やめた方がいいんじゃないかといつも思っていた。

そんな訳で、基本暇だった。ただただカウンターに座り待つのみ。座ってばかりも疲れるのでたまに立ち上がって景色を眺めたり、こちらからお客さんに声をかけたりして時間を潰していた。が、それにしても暇だった。暇も長すぎるとつらい。そこで、本を持参して読書していた。またお客さん側から私の手元はカウンターで死角になっていたので、携帯をさわったりもしていた。

そんな感じでゆるりと働いていると、派遣事務所から勤務者全員に下記のような連絡が入った。

「勤務中はお給料をいただいてるという
意識を持って就業についてください。

勤務中に携帯電話を触ったり、
他のご自身の用事をしないでください。」

ついに来たかと思った。楽園終了である。
いつかはそういう注意が来るだろうとは予想していた。というのも、このショップはメインのお土産屋の中に併設されているショップinショップで、ここの店員が私が読者したり携帯をさわることを嫌そうにしていたのだ。あいつは勤務中に何をしているんだ、態度がなっとらん、私たちはこんなに忙しいのにといった感じだろう。


頭がかたいなぁというのが率直な感想だ。
暇な時間を有効活用しているだけではないか。それらが販売に悪影響を与えているわけではない。むしろ、いいリフレッシュとなって数少ないお客さんに最高のおもてなしをしようとモチベーション維持につながっている。
現に、私は50セントを頂いた。

ある勤務日のことである。スペイン人の男性が映像を撮影したいのだが退場してしまったので再入場できないかと相談してきた。本来出来ないのだが、どうしても映像を撮りたそうだったので、私が通訳となって交渉をし見事再入場を果たしたのである。その後、彼は家族を引き連れて戻ってき、「君のおかげで最高の旅になった。これは私の国スペインの通貨だ。お礼にこれをプレゼントするよ。」とわざわざ手渡しに来てくれたのである。正直50セントは既に持っていたが、思い出の50セントとして今も大切においている。

話は逸れたが、業務に支障が無いのならよいのでは?ということを言いたいのである。
「座って待つのも業務です。」と返ってくるかもしれないが、理屈云々ではなくそれぐらいいいのでは?と思えないのだろうか。ホテルのようなホスピタリティMAXの施設ならいざ知らず、お土産屋併設の不思議ショップの店員にそこまで求めて何がしたいのか?

時間の「無駄」だろう。


友人関係

2018-08-23 22:59:08 | 考えてみた
本日は台風が西日本上陸ということで、遠出せず地元を散策することにした。

散策といっても歩いて遠くに行ったりするのではない。ルーティーンとなっている地元巡りをするのだ。
まず、最寄駅に自転車でゆっくり向かう。行き方は何通りかあってその時の気分で好きな道を選ぶ。なので、新しいルートが出来たりして楽しい。また、馴染みの道なので少しの変化に気づいて小さな驚きがあり面白い。こういう風に私は移動を楽しむのだが、まだまだ語り尽くせないのでいつか語りたい。
まったり楽しみながら駅に着くと、次は図書館を目指して歩いていく。この時も先程と同じように道中様々な遊びに興じる。
この日はお昼に電話をする予定だったので、図書館に寄らず一旦駅前のショッピングモールの休憩所に座った。そこで電話をしていると、休憩所の前の100円ショップで友人らしき人物が買い物をしているように見えた。私は電話中だったので特に声をかけず電話を続けた。画面を見ながら通話をしていたのだが、友人がこちらに気づいたように感じた。しかし、特に声をかけられることもなく、通話が終了して顔を上げるとそこには100円ショップとおそらく友人が降りていったであろうエスカレーターがあるだけだった。
普通ならここでショックを受けるだろう。どうして友人は声をかけてくれなかったのか?私は何か最近不愉快なことをしてしまっていたのか?そもそも私が思うほど彼は親密さを感じていなかったのか?...etc
だが、どれも違うのではないか?そう思ったのは、私と彼の性格からである。どちらも1人でいることが苦にならず、むしろ楽しむのだ。邪魔されたくないので、敢えて人と会う回数を減らすほど。加えて、二人とも他人に対して不必要に気を遣ってしまう。気疲れを起こし友人とでさえも交流するのを躊躇ってしまうくらいだ。
だから、私と彼にとってこれぐらいの距離感が丁度いいのかもしれない。お互いにそのことを何となく察知して今回の結果に落ち着いたのだろう。

友人関係は自由だ。前述のようであってもいい。然るべき、こうあるべき形は無い。時間軸で考えてもそうだ。今物凄く仲良くてもそうでなくなるときもくる。昔は大して仲良くなかったのに最近よく遊ぶなぁといったこともある。一喜一憂するのもいいが、大局観で見て、どんと構えていたい。


後述:なので、私はむやみやたらと人間関係を清算したがる人が苦手だ。危険な人物や関係は無くせばいいが、少し悪くなったくらいならほっておけばいい。そして、良い方に変わりそうなら再び関わればいい。

ブラックユーモア

2018-05-09 11:44:20 | 考えてみた


上記画像は、メディアの偏った報道に対する風刺を表しています。「我々には報道しない権利がある」とかどこかで言っていたのでメディアも終わりですよね。(それって暗に都合の悪いことは報道しませんと言っていることになりますよね... もっと他の意味があると思います!)


私はこういったエスプリの効いた絵や文章など(特に簡潔に要約された文)が好きです。
これらのブラックユーモアは非常に知的でないと、何かしら地雷を踏んで不愉快な気持ちだけ残していくデリケートなものです。故に、高度。
単純にかっこいいなと思いますし、知的好奇心がくすぐられて勉学にも力が入ります。

また、現代はネットタトゥーの時代なので、自己責任でこういったものを発表するのは勇気がいり感心します。
加えて全世界が評価者となるので微に入り細を穿ったものが求められます。

書くほどにこれを為している人の素晴らしさを実感しますね!

自分もいつか文章の形でこういったことをしたいです!!(その時は、細心の注意を払い真心込めてディスります!!)