日本時間の昨日早朝、アテネで開かれていたオリンピックの聖火が消えた。
一体、何人もの人々がこの祭典を目標に努力してきたのだろうか。
様々な国の選手達が、それぞれの思いを胸に抱きアテネの地を踏んだ。
予選選考会のトラブル、自身のケガ、国を背負う重圧、自国の内紛や戦争・・・。
それらの困難を乗り越え、打ち勝ち、各種目ごと世界でたった1人だけに与えられる金の栄誉。
これほどの祭典を4年に1度、目の当たりに出来ることを、素直に嬉しいと思う。
人は一生のうちで何度のオリンピックを観ることが出来るだろう。
それほど多くはないはず。(だいたい20回程度かな?)
ましてや出場ということになると・・・。
その意味で面白い選手がいた。
アーチェリーの山本選手がそれだ。
彼は今回のアテネに、「息子の英雄になる為」に出場した。
最初に出場したロス五輪で銅メダルを獲得した時にはその「息子」は
まだ、この世に生を受けていない。
それから20年、子供が生まれ、成長し、父親の人物像が理解できるようになった時、
「息子の英雄になる為」に出場したオリンピックで銀メダルを獲得。
実際に「息子の英雄」になってしまうあたり、やはり只者ではないと思う。
そんな彼に、自分も一人の父親として最も憧れてしまう。
是非、あと20年かけてメダルの色を金にしてほしい。そうすれば、孫達の英雄にも
なれるかも知れない。(笑)
数年前、読売ジャイアンツ(現中日)の川相昌弘選手が、自分の子供達に(当時は3人)
「なんで、お父さんはジャビット人形を貰えないの?お父さんも貰って来て。」
言われたことがあったらしい。
(ジャビット人形とは、ホームランを打った時や、お立ち台に上がったときに貰える
ジャイアンツのマスコット人形のこと。)
子供達の一言に奮起した川相選手は、翌日の試合で決勝打を放ち、お立ち台に上がって、
約束通りジャビット人形を手に入れる。
お立ち台で子供ひとりひとりの名前を呼び、「パパ頑張ったよー」と
言っていた川相選手に、鳥肌の立つような感動を覚えた記憶がある。
父親としてしてやれることなど、些細なことしかないのかもしれないが、
いつの日か、自分の子供達が成長した時、彼らの「英雄」でいられるように努力していきたい。
あの五輪メダリスト達のように清々しい顔で「パパって凄いだろ?」と言えるように・・・。
次に聖火が灯るのは4年後の北京。
その頃は息子も6歳。
有言実行の父がきっとそこにいる・・・。
一体、何人もの人々がこの祭典を目標に努力してきたのだろうか。
様々な国の選手達が、それぞれの思いを胸に抱きアテネの地を踏んだ。
予選選考会のトラブル、自身のケガ、国を背負う重圧、自国の内紛や戦争・・・。
それらの困難を乗り越え、打ち勝ち、各種目ごと世界でたった1人だけに与えられる金の栄誉。
これほどの祭典を4年に1度、目の当たりに出来ることを、素直に嬉しいと思う。
人は一生のうちで何度のオリンピックを観ることが出来るだろう。
それほど多くはないはず。(だいたい20回程度かな?)
ましてや出場ということになると・・・。
その意味で面白い選手がいた。
アーチェリーの山本選手がそれだ。
彼は今回のアテネに、「息子の英雄になる為」に出場した。
最初に出場したロス五輪で銅メダルを獲得した時にはその「息子」は
まだ、この世に生を受けていない。
それから20年、子供が生まれ、成長し、父親の人物像が理解できるようになった時、
「息子の英雄になる為」に出場したオリンピックで銀メダルを獲得。
実際に「息子の英雄」になってしまうあたり、やはり只者ではないと思う。
そんな彼に、自分も一人の父親として最も憧れてしまう。
是非、あと20年かけてメダルの色を金にしてほしい。そうすれば、孫達の英雄にも
なれるかも知れない。(笑)
数年前、読売ジャイアンツ(現中日)の川相昌弘選手が、自分の子供達に(当時は3人)
「なんで、お父さんはジャビット人形を貰えないの?お父さんも貰って来て。」
言われたことがあったらしい。
(ジャビット人形とは、ホームランを打った時や、お立ち台に上がったときに貰える
ジャイアンツのマスコット人形のこと。)
子供達の一言に奮起した川相選手は、翌日の試合で決勝打を放ち、お立ち台に上がって、
約束通りジャビット人形を手に入れる。
お立ち台で子供ひとりひとりの名前を呼び、「パパ頑張ったよー」と
言っていた川相選手に、鳥肌の立つような感動を覚えた記憶がある。
父親としてしてやれることなど、些細なことしかないのかもしれないが、
いつの日か、自分の子供達が成長した時、彼らの「英雄」でいられるように努力していきたい。
あの五輪メダリスト達のように清々しい顔で「パパって凄いだろ?」と言えるように・・・。
次に聖火が灯るのは4年後の北京。
その頃は息子も6歳。
有言実行の父がきっとそこにいる・・・。