池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

原初の音

2007-01-16 | 作曲/小編成

太古からある楽器―そのことが楽器名の由来になったかどうか知らないが―恐らく声の次に人類が手にした、最初の楽器。目下、そんな楽器のために作曲中。
音を出すだけなら何も難しくない。その楽器のために譜面を書くことも…だからこそ却って独創的な物を作るのは並大抵の事ではない。
ではなぜやるのか?現代音楽の、否、自分自身の作曲語法の行き詰まりを打ち破るのに、音楽の原点に帰るのは一番の特効薬だと思うから…断食して健康を取り戻すように。

この楽器にはストイシズムがある。ハーモニーが無い。メロディーも無い。
代わりにそれらの不在を補って余りあるほどの、理屈抜きに共鳴させてしまう力がある。
人を、動物を、植物を、水を、空気を…振動のコンポジション。まるで電子音楽!
多くの現代音楽は調性が無いばかりか、メロディーもハーモニーも、時にはリズムすら無い。このことも同じ理由なのだろうか。

全盲の人は、健常者から見れば超人的とも思えるほど聴覚が発達している。では打楽器の奏者は他の楽器の演奏家と比べてどうだろう。
表現手段が限られている分、リズムや音の強さや音色に、ずば抜けてデリケートな「原初の感覚」を持っているはずだ。
一方、メロディーが芽生え、発展し、ハーモニーがより高度になるにつれ、音楽が理屈っぽく難解になった反面、音楽家の多くは根源的な領域での表現が衰えてしまった、という事は無いだろうか。

平凡な演奏家は音を正しく弾くことで満足する。だが作曲家が霊感を得る時、音なんかまだ決まっていないことの方が多い…と思う、自分がそうだから。
まず音楽的なエモーションをキャッチし、最初はぼんやりしていた「お告げ」が2度、3度と繰り返されるうちに確信的なメッセージとなる…こんな風に発展していく音楽は古典でも枚挙に暇が無い。
その際、音の高さよりも、どういう音色か、質感か、の方が遥かに重要だ。
《高度に発達した技術を持ちながらも、原初の感覚を衰退させずに持っている》そんな演奏家が天才だ。
ピアニストやヴァイオリニストも一度自分の楽器を捨てて、太鼓を叩いてみたらどうだろう。
ベートーヴェンの「ワルトシュタイン・ソナタ」を、「運命」を、ドラムだけで演奏してみたら?きっとそれこそが楽想の源泉なのだから。

…この作曲を始めてから、風呂に入ってお湯の音がチャポーンとしても、自分の足音がドン!と鳴っても、何かが擦れてシュッと鳴っても、ハッとしてしまう。
曲のアイデアは次々に湧いてくる。しかしいざ譜面にすると、簡単が故のディレンマに悩み、数日は何も進まなかった。
原初の音…現代の音。
試聴



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