人は理由をつけたがる。

2009年05月22日 16時19分49秒 | Weblog
「人を死に至らしめる病とは絶望である。」
(キルケゴール)


忙しい事は心を失う事だ。

何かに追われ、はたまた何かに夢中になり、人は自分のカタチも忘れたりする。

程よいストレスはドーパミンを分泌させる。

過多はもちろん良くないが、逆もまたしかり。

仕事を終わらせる、敵を倒す、その後の爽快感は周知だが、その渦中に於いてもまた感じていらっしゃるのだ。

外敵を失えば内観せざるをえない。

人間は考える葦なのだから。

その過程で希望を見出せない事なんかいくらでもあるでしょ。



本当の意味での平和は「無」ではなく「均衡」なのだ。


人類の歴史の中に天下泰平の時代もたしかにある。

だがそれは、「誰も死なない」ではない。

争わざるをえんのだ。

その口実として宗教が生まれ、人間は神と悪魔を作った。


例えば。

敵は我が財産を狙う隣人ではなく、当人の「退屈」なのだ。

人を殺す理由を人は求め、時にねつ造までしたりもする。



テロとか実験とか不況とかあるけどさ、オレは現在が平和値MAXだと思うよ。

これ以上は混ざり合えんやろ。


哲学とは暇人が勉強しているフリをする為に生み出した学問なんじゃないかと思う。

大学とかまで行って勉強する事じゃないでしょ。



そう、オレ今、暇。
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2 コメント

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Unknown (you-king)
2009-05-22 22:20:57
キルケゴールさんの言葉と似たようなこと武田哲也も言ってた。経験かな。
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TOyou-king (ドラマー)
2009-05-24 01:46:46
経験は、知識の前駆として習得する物である。それらは体験を通して培われる。経験を通じて得た知を、人は言葉ですぐに表すことはできない。経験によって知っている知識のことを、経験知または暗黙知という。このことを慣用句では、「肌で知っている」などという。更に経験の積み重ねによって、一定の範疇で物事の判断がつくことを「経験則(けいけんそく)」という。経験則が形成されるためには、成功・失敗を問わず膨大な経験をつむことが必要である。
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