死を克服する。

2010年07月15日 03時06分20秒 | Weblog
死の克服。

それは死を受け入れるという事。

死を見つめ、死を考え、死を知る。

最後の日は必ず来る。

死を拒むでもなく、望むでもなく、ゆるやかに待つ。

生に執着する必要は無い。

死を恐れる必要も無い。

それが痛みや苦しみを伴うものであったとしても。

苦痛を感じるのは、快楽を感じるのと同じ所。

楽しみに待つのもいい。

生きているオレ達は、死の処女であり童貞なのだ。

まだ見ぬ世界に期待するのは正常な本能だ。

命は産まれたときに死ぬ権利を得る。

誰にだって死ねる。

平等に死ねる。

今を守りたい気持ちも分かる。

長い時間をかけて積み上げたものは惜しくなる。

関わった命に対して責任を感じる事もあるだろう。

だがしかしそれらに追いつめられる必要は無い。

死にたくなったら死ねばいい。

その死が連鎖的に他者の不幸を招いたとしても。

それは悪い事じゃない。

ちょっと分かりにくいかもしれないが、生に価値があるように死にも価値があるのだ。

唄うのもいい。

絵を描くのもいい。

文章を残すのもいい。

リストカットするのもいい。

写真を撮るのもいい。

セックスするのもいい。

ケンカするのもいい。

褒めるのもいいし、けなすのもいい。

現世を堪能するのもいいし、捨ててしまうのもいい。

命に価値を感じる事は、紙幣なんかに価値を感じるのと一緒。

発達した脳味噌が作る現実という名のまやかし。

世界は素晴らしくもあり、くだらなくもある。

人類は賢く愚かである。

死を克服するという進化の選択。
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