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魂の個性を見抜いて磨く

2024年02月06日 | ありがとう日記

日本には「産土(うぶすな)神社」というものがあります。

産土神社とは、その人の生まれた土地の神社で、

一生その人を守護してくださるのだそうです。

 

ですが現代人は引っ越しも多く、生まれた土地に根付く人が少なくなっているので、

自分の産土神社を知らない人も多いと思います。

私もつい最近まで自分の産土神社を知りませんでした。

 

注)神社庁のHPを見ると、「産土神社と氏神様は同じ」と説明付けられています。

氏神様とは、その土地土地の神様です。ですから、引っ越ししたらその土地の神様。

 

 

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数年前に、自分の生まれた土地の神社、産土神社を知って訪ねてみましたが、

どうもしっくりきませんでした。

人によっては、産土神社に行くと、

何故だかわからないけれどあたたかい気持ちになったり、

涙があふれたりするようです。

魂のふるさとだからでしょう。

ですが私の場合は、そこに神社があった記憶すらないのです。

母に聞いても知らなかったと言う。

 

自分を生まれたときから守ってくれている神様を、

知らない、感じないってどういうことなのだろうと

気に掛かって、

ああ、私はキリスト教だったのだとピンときたのです。

とにかく、生まれ落ちるときに、

日本に生まれることを決めましたが、

魂が慣れ親しんでいる

キリスト教会の十字架をめざして降りてきたのだろうということが、

わかりました。

生家の目の前は付属幼稚園のあるキリスト教会でした。

 

生まれは京都市内です。

住所は「御陵(ごりょう)」天智天皇稜の近くです。

「ザ・日本」な感じの場所に生まれながら、

幼稚園の頃から家の中の片隅で自発的にお祈りをする子で、

行いはどう見てもクリスチャンでした。

 

小学生の頃から受洗しないままキリスト教の教会学校に通いつつ、

神社ガールにもなりました。

神社ブームよりずっとずっと前から神社ガールです。

京都市内の神社仏閣のみならず、

伊勢神宮(三重県)がお気に入りで足繁く通いました。

 

伊勢神宮のどこに感応していたかというと、

社殿というより、

静かな土地でした。

そこは神が宿る場所で、うつくしい祈りの集積地でした。

伊勢神宮には内宮外宮とあって、

どちらも参るのが通説ですが、

自分の中にあるのは、

「外宮がいい」

それだけでした。

理屈なんてありません。

最近は外宮のエネルギーもちょっと変わってしまいましたが…。

 

調べてわかったことは、

外宮付近は縄文時代にも栄えていた土地で、

一方の内宮は、

天照大神をお迎えするためにあとから造られていました。

 

信仰にまつわる癖がつよい魂で、

海外にも何度も足を運びました。

ヨーロッパの教会や回廊のある修道院ホテル、聖歌隊の賛美やカトリックの宗教画、

モンサンミッシェル、インドにあるマザーテレサの児童養護施設など、

キリスト教の奥深い一面を垣間見ることができるような場所に、

とても惹かれました。

 

日本の超古代文明にあるような山岳信仰や磐座、巨岩など自然を敬う思いも強く、

日本の八百万の神や、

内なる神がすべての人の中にいるという概念にも馴染みがありました。

 

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個人的な一例ですが、

通説に流されないようなところ、

むしろ流されることができないようなところに、

見た目や世間体ではない、常識や格式ではないこだわりに、

自分軸、人生の目的が立ちあらわれてきました。

 

感性を研ぎ澄まし、魂の個性を見抜いて磨いていくような過程を経て、

神とは自分自身で、すべての人が神。

これが揺るぎのない真実になりました。

 

 

 

💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓


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