紀行と言いつつ日帰りですが、仕事の無い日があったので馬籠へ行ってきました。
何回か来ているのですが、何年振りでしょうか。
JR中央線で中津川駅まで行き、バスに乗り換えます。
駅前の観光センターで馬籠のパンフレットをもらいました。
パンフレットを楽しみながらバスに揺られて山道を行き
終点の馬籠に到着。
坂道を上がって、阿弥陀堂をお詣りし
水車小屋へ。
写真では分かりませんが、結構な水量でした。
そういえば、馬籠というか中津川は川や側溝の水量が多かったですね。
水車小屋の中では水力発電が行われていました。
確か以前は米か小麦か何かを杵でついていたはずなのにいつの間に‥
パンフレットにも書いてありましたがほんとうに水力発電だ‥
昔は水の力で水車を動かしてこうして生活に使っていたんだよ、というのが体感出来て好きだったのですが‥
水車小屋を出て坂道を上っていき清水屋資料館へ。
昔の堅牢な建築やら藤村の書簡やらを堪能。
清水屋を出てお店を冷やかしつつ坂道を上がっていましたが、お腹がすいたのでおやきで腹ごしらえを。
茄子のおやきを店先をお借りして食べていたら、お店のお姉さんがお茶を出してくれました。
うめえ!と食べつつ、お姉さんに
あの水車小屋、前は粉をついていましたよね?と尋ねると
そうですよ、との返事。
さっき行ったら水力発電をしていた、と伝えるとお姉さんはそれを知らなかったらしく大層驚いていました。
後で調べたら、平成22年に水力発電になったそうで‥
お腹も落ちついたので、次は藤村記念館へ。
藤村の詩集の初版本やら蔵書やらを堪能。
蔵書の中に、日本の地質についての書物が2冊ほどあり、
色々と趣き深かったです。
藤村記念館を出て、次は馬籠脇本陣資料館へ。
馬籠の民族資料館のような感じで
往時の生活用品などが展示され、
中でも樹木の伐採には鋸ではなくヨキという斧のようなものの使用しか藩には認められていなかったという件が大変興味深かったです。
何でも盗採を防ぐためだとか。
ヨキを打ち込む音で誰かが木を切っているとすぐに分かるし
鋸の跡があったら盗人が出たぞーー!とすぐに分かると‥
受付のおじちゃんに教えてもらって階段を下りて石垣へ。
写真を取り忘れてパンフレットからになりますが
一分の隙もなくきっちりと塡まっていて惚れ惚れしました。
本陣を出て、両脇の店を見つつ、さらに坂道を上っていきます。
何回か来ているのですが、何年振りでしょうか。
JR中央線で中津川駅まで行き、バスに乗り換えます。
駅前の観光センターで馬籠のパンフレットをもらいました。
パンフレットを楽しみながらバスに揺られて山道を行き
終点の馬籠に到着。
坂道を上がって、阿弥陀堂をお詣りし
水車小屋へ。
写真では分かりませんが、結構な水量でした。
そういえば、馬籠というか中津川は川や側溝の水量が多かったですね。
水車小屋の中では水力発電が行われていました。
確か以前は米か小麦か何かを杵でついていたはずなのにいつの間に‥
パンフレットにも書いてありましたがほんとうに水力発電だ‥
昔は水の力で水車を動かしてこうして生活に使っていたんだよ、というのが体感出来て好きだったのですが‥
水車小屋を出て坂道を上っていき清水屋資料館へ。
昔の堅牢な建築やら藤村の書簡やらを堪能。
清水屋を出てお店を冷やかしつつ坂道を上がっていましたが、お腹がすいたのでおやきで腹ごしらえを。
茄子のおやきを店先をお借りして食べていたら、お店のお姉さんがお茶を出してくれました。
うめえ!と食べつつ、お姉さんに
あの水車小屋、前は粉をついていましたよね?と尋ねると
そうですよ、との返事。
さっき行ったら水力発電をしていた、と伝えるとお姉さんはそれを知らなかったらしく大層驚いていました。
後で調べたら、平成22年に水力発電になったそうで‥
お腹も落ちついたので、次は藤村記念館へ。
藤村の詩集の初版本やら蔵書やらを堪能。
蔵書の中に、日本の地質についての書物が2冊ほどあり、
色々と趣き深かったです。
藤村記念館を出て、次は馬籠脇本陣資料館へ。
馬籠の民族資料館のような感じで
往時の生活用品などが展示され、
中でも樹木の伐採には鋸ではなくヨキという斧のようなものの使用しか藩には認められていなかったという件が大変興味深かったです。
何でも盗採を防ぐためだとか。
ヨキを打ち込む音で誰かが木を切っているとすぐに分かるし
鋸の跡があったら盗人が出たぞーー!とすぐに分かると‥
受付のおじちゃんに教えてもらって階段を下りて石垣へ。
写真を取り忘れてパンフレットからになりますが
一分の隙もなくきっちりと塡まっていて惚れ惚れしました。
本陣を出て、両脇の店を見つつ、さらに坂道を上っていきます。
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